第九話 危機と恩返し(前編)
◇◇◇◇
外にいた兵が、一斉に作業を止めた。
「な、何だ?」
将軍が慌てて、声のした方を向く。
果たして、森を抜けたすぐそこに、竜が佇んでいた。
小さく見積もっても、全長は15メートルを下らない。頭には2本の角が生えていて、背中に向かってカーブを描いている。
時折開く大きな口には、バナナのような牙が並んでいて、どんな物でも噛み砕きそうであった。
長い尻尾を持って、2本の足で歩く緑色のそれは、正しく竜であった。
サラとジーンが森で出会った、流星竜である。わざわざ卵を返した、あの流星竜である。
『グルルルル』と喉を鳴らし、流星竜は真っ直ぐに、将軍たちを睨みつけていた。
「うわーっ!」
「ド、竜だーっ!」
「た。助けてくれーっ!」
突然の珍客に、すっかり恐慌状態に陥った兵である。
「うろたえるでないっ!」
将軍が一喝する。
「仮にも、こっちは軍隊なのだぞ! 魔物1匹がどうしたというのだ! 弩兵前へ! 歩兵は後ろで槍衾を作れ!」
将軍の号令に、全員が即座に動いた。
「撃てーっ!」
将軍が言って、太矢が放たれる。
太矢は確かに、流星竜に当たっていた。
しかし――。
「な、何だと!」
目の前の光景に、将軍が戦慄した。
鋼をも貫く太矢は、鱗の表面でカンカンと弾かれたのである。
『ガアーッ!』
敵意を確認して、流星竜がドシドシと歩みを進めた。
「弩兵下がれ! ええいっ! 全員散開しろっ! 図体のでかい竜は、走れ無いと聞く。バラバラになって攪乱すれば戦えん事も……って、え?」
将軍が指示を飛ばした時には遅かった。巨体に似合わず、あっと言う間に流星竜は迫っていたのである。
「うわーっ!」
「ギャッ!」
「ゲフッ!」
「死にたくな――」
断末魔を上げて、歩兵と弩兵が次々に蹴散らされていく。
ある者は踏みつぶされ、ある者は蹴り飛ばされた。
鞭のような尻尾の一撃で、放物線を描いた者もいる。
なけなしの勇気で槍を向けた歩兵は、頭からガブリと噛み殺された。
本日2度目の、血の宴である。
一方で、建物の中である。
「凄い凄い!」
流星竜の戦いぶりに、サラがはしゃいでいた。いつもの貞淑さは、那由多の彼方である。
「二人とも見ましたか? 流星竜のあの強烈な蹴りを。一撃で人間を舞い上げましたよ! あんなに空高く飛ばされては、もはや即死決定ですね。あっ! あちらでは、一噛みで真っ二つです!」
「た、頼む! 静かにしてくれ」
今にも飛びだしそうなサラを、ジーンが青い顔で引っ張っていた。
「ほら見て下さい! 人間がゴミのようです! ヒャッハー!」
興奮が冷め止まないサラである。
「おい、マリー! ぼうっとしてないで、この魔物オタク、何とかしてくれ!」
サラの服の裾を握って、ジーンがマリーに縋った。
「あまり騒いだら、竜の注意がこっちに向いちまう!」
へっぴり腰になって、ジーンが懇願を続ける。
「……無理だね」
マリーが肩をすくめた。
「何でさ?」
ジーンが聞く。
「短い付き合いだからって、いい加減、あんたも分かっているんだろう? これの重度なオタクっぷりをさ」
「うっ!」
マリーの指摘に、ジーンが言葉を詰まらせた。
自ら流星竜の巣に突貫し、血の滴る魔猿の生首を物ともしないサラである。四六時中魔物の事を考えてると言って、全く憚らないサラである。
ジーンには、心当たりが多過ぎた。
付き合いの古いマリーに至っては、言わずもがなである。
「でもよぅ……」
半泣きになって、ジーンが食い下がる。
「マジでこえーよ。何であんなでかさで、早く動けるんだよ……」
ジーンがぼやいた時である。
「それはですね!」
嬉しそうに振り向いて、サラが食いついた。
「うわっ! びっくりした」
「うわっ! びっくりした」
「さっき将軍が言っていたように、みんな、〝走る〟すなわち〝走行〟の定義を勘違いしているからです」
ハモるジーンとマリーを無視して、サラの解説が始まった。
「足を使っての〝走行〟というのは、全ての足が地面から浮く瞬間のある、移動手段を指しているのです。そういう意味では確かに、竜に限らず、大型の魔物は走れません。ですが――」
◇◇◇◇
こうなっては、サラの講釈は止まらない。
「あの流星竜をご覧なさい。見ての通りの巨体です。
つまるところ、体格に相応しい長い足をしている。と言うことは、その歩幅もこれまた凄く長い。
早歩きしか出来なくとも、かなりの速度が出るのですよ。
騎兵だけが上手く立ち回っているようですから、馬よりはちょっとだけ遅い程度でしょうね。いずれにしても、生身の人間が逃げ切れるものではありません」
ペラペラと捲し終えて、サラが「ふう」と一息ついた。
「分かった! 分かったから、もう少し静かにだな――」
ジーンが言いかけた時である。
「なあ、あれ」
マリーが流星竜を指さした。
…――…――…――…
果たして、外では変わらず、てんやわんやの大騒動が続いている。
柵はめちゃくちゃになぎ倒され、地面は流星竜の足跡だらけであった。当然、足跡の窪みには、元は人であった肉片が沈んでいる。
既に小隊は壊滅状態であった。
それでも、騎兵を中心として、上手く立ち回って――もとい、逃げ回っている者が10人ばかり残っている。
ちなみに、生き残りの内訳は、歩兵が6人で騎兵が4人である。最初に仕掛けた弩兵に至っては、既に皆殺しであった。
とは言え、流星竜にダメージらしいものは与えていない。貫通力の高い弩でも傷つかない流星竜である。剣や槍ごときで、歯が立つはずもない。
「将軍!」
騎兵が1人、将軍に馬を寄せた。
「もう駄目です! これ以上は持ち堪えられません!」
騎兵の進言に、将軍が「くそっ!」と悪態をつく。
「仇敵を目の前にして……」
歯噛みして、将軍が建物を睨んだ。
「将軍! ご決断を!」
騎兵の進言が続く。
「ええい! 仕方ない! 全員てっしゅ――」
タイミングを計って、将軍が撤退しようとした時である。
流星竜の動きが、ピタリと止まった。
「な、何だ?」
流星竜の異変に、隊長が目を丸くする。
果たして、流星竜は大きく息を吸い込んでいた。
流星竜の呼吸に合わせて、その胸が風船のように膨らんでいく。
そして、流星竜が口を閉じた瞬間――。
「はっ! いかん!」
将軍が察した時は遅かった。
流星竜の口がカパッと開いて、中から白い煙が噴き出した。
竜種が持つ飛び道具――吐息である。噴煙のように見えるが、実際には物凄い勢いで、霧を吹き出しているのである。
流星竜が満遍なく、四方八方に吐息を撒き散らしていく。
「ギャーッ!」
「ぐわーっ!」
「ひーっ!」
「ヒヒーン!」
吐息をまともに浴びて、歩兵も騎兵も、はたまた馬までもが派手にのたうち回っていた。
直撃こそしなかったものの、吐息の凄まじさに驚いて、将軍の馬が大きく仰け反った。
「うわっ!」
将軍が馬から振り落とされる。
馬はそのまま、将軍を置き去りにして逃げて行った。
「おい待て……って、何だこれは!」
馬を追おうとした将軍の目に、凄惨な光景が飛び込んできた。
吐息を浴びた全員が、生きながら溶かされていたのである。
◇◇◇◇
そして、建物の中である。
「素晴らしい!」
喜色満面のサラである。
「竜吐息なんて、初めて見ました!」
「わ、私も」
興奮するサラに、マリーが同意した。
「……」
ジーンに至っては、完全に言葉を失っている。
「火を吐く訳じゃないんだね」
マリーがボソリと言った。
「魔物と言っても、そこはやはり生物です。主にタンパク質で出来ていることに、変わりはありません」
「うん? どうゆうこと?」
サラの説明に、マリーは要領を得ない。
「つまりですね――」
サラが続けた。
「タンパク質は熱に弱い。その上、口内は粘膜だらけです。火なんか出したら、火傷してしまうではありませんか」
「ああ、なるほど」
サラが掻い摘んで、マリーが納得する。
「いやいや、でも待ちなよ」
首を振って、マリーが顔を上げた。
「伝承だと、吐息を浴びて火傷したとか、よく聞くじゃんか。あれはどういうことなのさ?」
「それも簡単です」
マリーの質問に、サラが答える。
「あの吐息の成分、中身は酸性かつ腐食性のある毒液です。それを霧状にして吹き付けているのが、竜吐息の正体なのですよ」
「へえ」
「酸による皮膚の怪我というは、火傷とよく似ているのです。余談ですが、こういう薬品による怪我を、アカデミーでは〝化学熱傷〟と呼んでいます。まあ、その辺りが混同されて、火を吐くとでも誤解されたのでしょう」
「ふーん、そういうことか」
サラの蘊蓄に、マリーが頷いた。
「ちなみにですが――」
マリーを置き去りにして、サラの講釈が続いていく。
「伝承によれば、火傷した人間で、生き残った者はほとんどいません。さっきも言ったように、あれは毒液を兼ねておりますので、ちょっとでも浴びれば致命傷なのです」
言い終わって、サラが自慢げに胸を張った。
その時である。
「さ、酸の毒って……。それは、吐いた本人は大丈夫なのか?」
割って入ったのはジーンであった。
「ジーン、起きてたのかい? てっきり、気絶してるもんだと……」
「いい質問ですね!」
驚くマリーを無視して、サラがジーンの方を向く。
「酸に関しては、これは粘液が保護しているので大丈夫です。
毒については、流星竜本人が、抵抗力を持っています。
もっとも、吐いた本人も多少はダメージを受けてはいるようなのですが……。まあ、あれだけの巨体なら、体力勝ちが出来るのでしょう。
つまりですね、竜同士の戦いでは、吐息は決定打にはなり得ないのです。吐息とは、雑魚相手の露払いなのですよ」
「……なるほど。俺たち人間は雑魚か……」
サラの辛辣な説明に、ジーンが肩を落とす。
「とは言え、流星竜の技は、あれだけではありません」
「へ?」
「はあ?」
続けるサラに、ジーンとマリーが素っ頓狂な声を上げた。
「お二人は、何故アレが流星竜と呼ばれるか、御存じないでしょう? 運が良ければ、その理由を垣間見れます」
再び外を指さして、サラが締め括った。




