第八話 面目と躍如(前編)
◇◇◇◇
「さてと……」
隊長の死を見届けて、サラが立ち上がる。
「このおっさんの言ったこと、本当に信じてるのか?」
サラの後ろから、ジーンが聞いた。
「私事で恐縮ですが――」
サラが言って、続けた。
「貴方も知っての通り、私は学問だけの無精者です。家中の采配には、全くと言っていいほど無頓着だったのが、今となっては物凄く悔やまれる。自身の立場なんて、あの飛竜絡みの不祥事以前から、既に危なかったのですから……」
「……だろうな」
「それでも、今思い返せば、私のことを気にかけてくれた使用人はちゃんといたのです。この人は、その内の1人ですよ。色々気が付くのが遅すぎました――」
「……そうか」
サラが言葉を詰まらせて、ジーンが相槌を打っていく。
「ええ」
「……」
目頭を押さえるサラを、ジーンは黙って見守っている。
時間だけが流れていった。
激しい乱闘のせいで、すっかりボロボロになった建物である。隙間だらけの壁からは、外の風がビュービュー吹き込んでいた。
そうして、五分ほど経った時である。
「それはそうと――」
涙を拭って、サラがジーンに向き直った。
「貴方、あの魔鶏はどうしたのです?」
「お、おう。あれな」
サラの疑問に、ジーンが目をツイッと泳がせた。
「な~に、俺が本気になりゃあ、あんなニワトリもどき楽勝ってもんよ。こうやって、一刀で斬り伏せてやったぜ!」
「ほう……」
胸を張るジーンを、サラがジト目で睨みつける。
「イヤ、ホント、マジデホントウダッテ」
「……」
棒読みになったジーンに、無言の圧力をかけるサラである。
「……ごめんなさい。嘘つきました」
ジーンが先に折れた。
「詳しく」
サラが説明を求める。
「いやね、あの後追いかけっこを続けていたんだけど、気が付いたら崖っぷちに追い詰められていたのよ。いよいよ魔鶏がジャンプして飛びかかって来た時、『もうだめだーっ!』と思って屈んだら、アイツ、俺の頭の上を通り過ぎて行ったって訳。そのまま、勝手に崖の下へ落ちて行ったって顛末なんだけど……」
後半になるつれ、声のトーンを落とすジーン。
「ま、そんなことだろうと思ってました」
「あれ? 怒らねーの?」
「全然」
どこまでも締まらないジーンに、サラは全く動じない。
「ハンターにとっては、運も実力のうちですからね」
「さいですか」
サラの持論に、ジーンが納得した時である。
「あの~、2人とも、そろそろいいかな?」
遠慮がちに口を挟んだのは、マリーである。
「私のこと、忘れているんじゃないかい?」
床を這いずりながら、聞くマリーであった。今の今まで、縛られたまま放置を喰らっていたのである。
「いい加減、これ解いてくれないかな?」
恨みがましく二人を見ながら、マリーは芋虫のように体をくねらせていた。
◇◇◇◇
「ごめんごめん」
「……まったく」
ジーンが縄を切って、ようやく自由になったマリーである。
「あんたらときたら……」
手首を擦りながら、マリーが立ち上がった。
「取り敢えず、1つだけ言いたいんだけど――」
言って、マリーがサラとジーンを交互に指さした。
「おんなじ! あんたら二人とも、私からしたら全く同じだからね!」
「おや?」
「はあ?」
マリーの発言に、サラとジーンが声を上げる。
「一体どこが同じなのですか?」
「一体どこが同じなんだよ?」
サラとジーンが同時に聞いた。
「行き場を失くしたお偉方って点は、勿論だけど――」
マリーが続ける。
「こうやって、人を散々に振り回す自己中なとこだろーよ! あんたらのせいで、何人の人間が人生を狂わせたと思っているのさ?」
「うっ……」
怒気を強めたマリーに、サラが声を詰まらせた。
…――…――…――…
確かに、一見して被害者のサラである。
しかしながら、実際のところは、完全に善良と言い切れない。
例えば、全ての発端になった飛竜騒ぎである。いくら法が許すとは言え、サラの思慮がもう少し深ければ、予見出来たことと言えた。この事件のせいで、路頭に迷ったアカデミー関係者は多い。
もっと言えば、サラの実家である。サラ自身も後悔したばかりであるが、もう少し家内に気を配れば、さっきの隊長を始め、私兵たちの運命は大きく変わったはずである。
…――…――…――…
「面目ありません」
すっかり項垂れたサラであった。
「おいおい、この俺は一方的な被害者だぜ?」
サラを尻目に、ジーンがのたまう。
「助けてもらった身の上で、こんなこと言いたくはないけどさ……。散々人をぶっ殺してきて、どこがどう被害者なんだよ!」
あちこちに転がるバラバラ死体を指さして、マリーが喚いた。
無骨な武辺者のジーンに関しては、もはや弁解の余地もない。マリーの指摘は、至極もっともであった。
「まったく、これだから貴族様ってやつは……」
呆れ顔で、マリーがぼやく。
「ちょっと待て」
閉口するジーン。
「ちょいと誤解があるみたいだが、俺の家はただの騎士だぜ。そもそも勘当されてるんだから、今の俺はド平民だよ」
ジーンが不服そうに言った。
ジーンの言う通り、騎士とは厳密には貴族ではない。領主を兼ねることはあるものの、騎士とは本来、軍事的階級である。
正式に貴族を名乗るには、この騎士爵に加えて、男爵以上の位階を必要とした。
とは言え、平民から見てどう映るかは、これまた別の問題である。
「だーかーらー、そんなの、私ら平民から見たら一緒だっちゅーに――」
マリーが言いかけた時である。
「……何か来る」
ジーンが突然、顔色を変えた。
「ど、どうしたのさ?」
マリーが聞く。
「危ねーっ!」
ジーンが言って、剣を振り回した。
ジーンの剣が、マリーの鼻先を掠める。
「ひいっ!」
仰け反って、マリーが尻もちを着く。
「何する――」
抗議しかけたマリーを、目の前の光景が押し止めた。
真っ二つになった矢が一本、床に転がっていた。
――狙撃である。
「隠れろっ!」
ジーンが言って、銘々が物陰に身を隠す。
◇◇◇◇
「全員無事か?」
「大丈夫です」
「生きてるよ」
倒れたテーブルをジーンが盾にし、壁を背にサラが息を潜めている。
ちなみにマリーに至っては、空の木箱に飛びこんでいた。
「サラ、外の様子は?」
ジーンが聞く。
「ちょっと待って下さい」
言って、サラが壁板の隙間から外を覗いた。
「ええ、いますよ。それも仰々しいのが沢山」
サラが続ける。
…――…――…――…
果たして、そこにいたのは軍隊であった。
規模としては30人編成の、整然と並んだ小隊である。
小隊の内訳は、前列の10人が弩を持った弩兵で、2列目の15人が槍を持った歩兵、後ろに控えた残りが騎兵であった。
いずれも装備が綺麗に整っており、全員が金属鎧を纏っていた。
訓練も行き届いているとみて、動きに全く淀みがない。
だがしかし、問題は掲げられた軍旗である。
…――…――…――…
「王国正規軍のようです」
「げっ!」
サラの分析に、マリーが声を上げた。
「ちょいと! おたくら、何やらかしたんだい?」
箱の中で、マリーが喚いた。
「うーん……」
「えーっと……」
サラとジーンが、順番に首を傾げる。
二人揃って、やらかしたことが、やらかしたことである。追われる心当たりには、枚挙に暇がなかった。
「じょじょじょじょ、冗談じゃないよ!」
マリーが叫んだ。
「朝敵になるなんて、私はごめんだからね!」
「ハハハ。いやいや、それはねーって」
心配するマリーを、ジーンが笑い飛ばす。
「多分だけど、ここにいた盗賊を退治しに来たんじゃねーの? まあ、俺が全員殺っちまったから、無駄骨に終わったんだけど」
楽観的に、ジーンが続ける。
「大方、俺たちを盗賊の仲間とでも思ってるんだろうよ。なーに、ちゃんと名乗れば、分かってもらえるはずさ」
言って、ジーンが身を乗りだそうとした時である。
『ジーン・ファルコナーの小僧だな! そこにいるのは分かっている! 抵抗を止めて、大人しく建物から出てこい!』
「……マジかよ」
外から聞こえた声に、ジーンが頭を抱えた。
「……おい」
マリーがドスを聞かせる。
「横合いから失礼しますが」
サラが割って入った。
「マリーの心配は、大丈夫ですよ」
「え?」
サラの台詞に、マリーが声を上げた。
「どういう意味さ?」
箱の中から、マリーが詰め寄った。
「〝一時不再理〟という概念が、王国刑法にあるのです。ざっくばらんに言えば、一度無罪とされた以上、後になって有罪とされないという原則です。ちなみにこれ、王本人と言えども、決して覆せません。ジーンのやらかしたことは間違いなく、もう今後一生、追及されることはないのです。少なくとも、朝敵なんかにはなりえません」
外をチラチラと窺いながら、サラが講釈を垂れていく。
「じゃあ、何でジーンを呼んでいるのさ?」
マリーが重ねて聞いた。
「さっき、ジーンを呼んだ人物に、問題があるのですよ」
答えて、サラが続ける。
「騎兵の中に、リーダーらしき人物がいます。さっきの声の主でしょうが、私の記憶が質しければあの人、ワーナー家の前当主、つまりジーンが殺したアルバートの父親のはずです」
「え? あれが?」
サラの言葉に、ジーンの眉尻がピクリと動いた。




