第七話 捕縛と陰謀(後編)
◇◇◇◇
「ひ、ひるむな!」
檄を飛ばしたのは隊長である。
「今のあやつは丸腰だ! 皆で一斉にかかれ!」
隊長の指示は的確である。戦士を組み伏せた時、ジーンは剣を捨てていた。たとえ剣を拾い直すにしても、結構な間があるのは明白である。
隊長の言葉に、全員が「おうっ!」と奮い立った。
「死ねーっ!」
「仲間の仇!」
盗賊と私兵が、一斉にとジーンに斬りかかる。
しかしである。
「ぐはっ!」
「ぎゃっ!」
血しぶきを上げて、あっと言う間に倒れ伏す2人であった。
「な、何が?」
驚愕する隊長の視界に、突っ立っているジーンが映った。ジーンの手には、さっきとは別の剣が握られている。
「剣を持ち換えたのか!」
隊長の分析通り、ジーンは組み伏せた戦士の剣を奪っていた。
一切の隙を生じさせない戦いの運び方は、正に歴戦の兵である。
「おおっ! こいつ、結構な業物使ってるじゃねーか。今度からは、こっちを使わせてもらうなー」
隊長を無視し、持ち換えた剣を見分するジーン。
剣身をマジマジと見つめるジーンであるが、それでも、やはり隙は見せていない。
「ば、化け物だ」
誰かが言ったものの、敢えてそれに同意する者はいない。その代わりに、皆が浮き足だって、戦意の喪失だけは明らかであった。
「この流れるような剣撃に、多勢を物ともしない戦いぶり……。まるで、少し前に世間を騒がせた、かの盗賊狩りを彷彿とさせる――」
そこまで言った時、隊長の顔色が変わった。
「まさか、お主の正体は!」
「ああ、そのことか。おーいサラ、もういいか?」
隊長を置いてけぼりにして、ジーンがサラに視線を向けた。
「いいでしょう」
サラが言って、ジーンが「りょーかい」と答える。
「ご明察」
さっきの隊長の追及に、ジーンが首肯した。
「俺がその〝盗賊狩り〟だよ」
「嘘だ!」
「有り得ない!」
「死んだんじゃねーのかよ!」
正体を明かすジーンを、盗賊や私兵がこぞって否定する。しかしながら、誰もが言葉とは裏腹に、内心では確信していたりする。
「さてと……」
剣を八双に構えて、ジーンが言った。
サラとマリーを除く全員が、一斉に身体を強張らせた。
「相変わらず、お前らからは来ないのな……。まあ、いいや。いい剣も拾ったし、今度は全力で行くぞ」
言い終えるや否や、ジーンが凄まじい勢いで駆けだした。
前座を終えて、血の宴が始まったのである。
「どりゃーっ!」
盗賊も私兵もお構いなしに、ジーンが剣を振り回す。先ほどに輪をかけて、ジーンの動きは早い。
「ぎゃっ!」
「ぐえっ!」
「ひでぶっ!」
断末魔を上げて、面白いように人が斬られていく。
誰ひとりとして、ジーンと斬り結べる者はいなかった。
ほとんどの者が剣を受ける間もなく攻撃を浴び、偶然受けることが出来た者にしても、得物ごと首を斬り飛ばされた。
軽装の盗賊にいたっては、特に悲惨であった。革鎧ごと腹を裂かれ、内蔵をぶちまける者が続出したのである。
隙間の少ない全身金属鎧の私兵にしても、それはそれで、ジーンは的確に関節の継ぎ目を狙うのである。深い傷から大量の血を撒き散らし、皆次々に意識を手放していった。
盗賊と違って死体が綺麗なことが、せめてもの救いであった。
「距離を取れ! ゆ、弓を使うのだ!」
形勢危うしと見て、隊長が指示を飛ばす。
「了解っ!」
私兵の1人が隊長に答えた。
「く、喰らえっ!」
ジーンから距離を取って、私兵が短弓を構えた。
「甘いわっ!」
ジーンが言って、近場のテーブルを蹴り上げた。
テーブルが盾となって、矢が虚しく突き刺さる。
「くそっ!」
毒づきながら、私兵が矢を番え直そうとした時である。
「どっせい!」
テーブルを両手で抱えながら、ジーンが私兵に突っ込んだ。
「ぐはっ……」
テーブルと壁に挟まれ、私兵は白目を剥いた。
分厚いテーブル越しに、ジーンが私兵に剣を突き刺した。
こうなってはもはや、誰もジーンを止める者はいない。
殺戮マシーンとなって、ジーンは蹂躙を続けていった。
一方で、完全に蚊帳の外になった、サラとマリーである。
ふん縛られた2人は、ジーンの戦いに巻き込まれないよう、隅っこで身を潜めていた。
「お嬢、あんたジーンのこと、知っていたのかい?」
サラに寄り添って、マリーが聞く。
「ええ、まあ」
「……あんたも人が悪いねえ」
「私としては、あの爆肉鋼体なガタイを見て、素人と思う方がどうかしてるかと――」
マリーに答えながら、サラが一端言葉を区切った。
「――と言いたいところですが、私も最初から知らなければ、ただの木偶の坊と思ったかも知れません」
「うん? どういうことさね?」
言い直したサラに、マリーが首を傾げる。
「告白しますと、ジーンのことは、随分と――それも彼が〝盗賊狩り〟になる前から、知っていたのですよ。時期はそうですね……。丁度、私がアカデミーにいた頃でした。もっとも、私が一方的に知っていただけなのですが――」
サラが答えて、ジーンの素性を語り始めた。
◇◇◇◇
ジーンのフルネームを、〝ジーン・ファルコナー〟と言う。
ちなみに年齢は、今年で22歳であった。
素性を偽る者が多い辺境で、ジーンは意外と本名を名乗っていたのである。
ジーンの生家は、王都の名家――ファルコナー家であった。
このファルコナー家、爵位こそは持たないが、立派な名門騎士の家系である。普段は王の近衛隊を任されており、代々が武芸指南役を務めてきた、武門の家柄である。
特に爵位がない理由は、別に家格が低いせいではない。近衛である以上、最前線の戦士であらねばいけないからという、もっともらしい理由付けのせいであった。爵位というのは、基本的に土地を治める領主に与えられるのである。
さて、このファルコナー家、お家芸とするのは剣術だけではない。
当主に至っては、馬術や槍術、果ては弓術に格闘術と、およそ武芸と名のつく物は全て修めているのである。
ジーンはファルコナー家の跡取り息子であった。しかも、ファルコナー家史上最強と持て囃されていたのである。無闇矢鱈に強かったり、トレーニングに詳しい所以である。
しかしである。肝心の問題は、そんな天才御曹司が、風来坊さながらに辺境へ落ちのびた理由である。
ざっくばらんに言えば、ジーンは王都で不祥事を起こしたのであった。
もちろん、ジーンにも責任があったが、色々と不運が重なった結果でもある。
ファルコナー家には、一般的な武芸の他に、もう一つ特殊な技術が伝承されている。すなわち、鷹匠の技である。
ファルコナーの姓が示すように、元々この家は鷹匠であった。もっとも、鷹匠と言っても、一般的な鷹を使う狩猟の技術ではない。雷鷲という魔物を使役して、飛竜を迎え撃つ、対魔物用の戦闘技術である。
王国建国の折り、押し寄せる飛竜をこれで蹴散らして、王に取り立てられたのが、ファルコナー家の興りであった。
ちなみに雷鷲とは、翼開長3メートルほどの巨大な鷲の形をしていて、足の裏から生体電流を流す物騒な魔物である。
唯一にして最大の美点は、雛の内から育てると、人に懐くことであった。
魔物恐怖症のジーンは、この技だけは終ぞ会得出来なかったのである。
幼少期から育てたはずの雷鷲は、ジーンの怯えを感じ取ったせいか、一向に言う事を聞かなかった。馬鹿にしたようにそっぽを向いたかと思えば、いたずら半分にジーンに電撃を浴びせたりするのである。
最早お手上げ状態のまま、ジーンは騎士叙任式を迎えてしまった。これは、王侯貴族が見守る中、家の後継者を王が承認する大事な儀式である。この式典で、持ち前の技を披露するのが、ファルコナー家の、ひいては王国の伝統である。
もちろん、途中までは順調であった。剣術に弓術、そして格闘術と、歴代最強の戦士に相応しい技前を、ジーンは次々と王の御前で披露したのである。
それでも、やはりというか、ジーンは雷鷲の使役でしくじってしまった。自分の雷鷲に、散々に突っつき回されたのである。
締まらない結果であるが、これはこれで良かったりする。全ての技を完璧に披露できた当主など、長いファルコナー家の歴史を辿っても1人もいない。
むしろ、1つを除いて完璧だったジーンは、必要にして十分な逸材である。
本来ならば、このまま粛々と、叙任式は終わるはずであった。
しかし、ここで入った横槍が、ジーンにとって運の尽きである。
「いてて……」
ジーンが雷鷲に突っつかれた直後である。
「はんっ! 肝心の最期でしくじるとは、〝珠に傷〟とは正にこのことだな」
嘲ったのは、観衆の中にいた一人の若者であった。
ジーンより一つ年上の若者の名を、〝アルバート・ワーナー〟と言う。
国軍を司る将軍を何人も輩出した、名門ワーナー伯爵家の若き当主である。身分としてはファルコナー家よりも高い、立派な貴族である。
前年に叙任を終えて、家督を継いだアルバートは、昔からジーンに対抗意識を持っていた。
これには、軍隊と近衛隊の確執や、形式上は身分の低いファルコナー家への嫉妬もあるのだが、偏にアルバートの一人相撲である。
この事実を裏付けるように、正にこの瞬間まで、ジーンはアルバートのことを知らなかったりする。
「他の武芸ならいざ知らず、本来のお家芸でこの有様とは……。いやはや、ファルコナー家も跡継ぎに恵まれなかったご様子」
続くアルバートの嫌味であるが、場の顰蹙を買ったのは言うまでもない。居並ぶ諸侯もこぞって、「ワーナー卿、口を慎まれよ」とか、「ジーン殿は十分な技を示された」と言って、ジーンをかばったのである。
ジーンにしても、このまま黙っているか、適当にあしらっておけば、八方丸く収まるはずであった。
そんな中で、今ひとつ空気を読めないのが、この男の欠点である。
「そんなに文句があるんだったらよ、いっそのこと、俺と勝負してみればいいんじゃね?」
ジーンの口から出た、余計なひと言であった。
頭に血が上ったアルバートを別にして、周囲はこぞって反対した。誰の目にも、勝負は明らかであったからである。
だがしかし、ここで鶴の一声がかかった。
「面白い! その決闘、余の名において許そうではないか!」
至極あっさりと、両者の喧嘩を追認した王である。
白い髭をたくわえた壮年の王は、政務の単調さに辟易して、刺激に飢えていたのであった。
「陛下の許しを得たのだ。ええいっ! 皆々様、道を開けられたい!」
群衆を割って、アルバートが御前に出た。
「それでは……」
ジーンに向き直って、アルバートが剣を抜く。
「ジーン殿、いざ尋常に――」
アルバートの最期の台詞であった。
一瞬で間合いを詰めたジーンは、抜き打ちにアルバートの胴を薙いでしまった。
腹から血と内蔵を盛大にぶちまけて、アルバートはその短い生涯を閉じたのである。
場は一気に騒然となった。
それと言うのも、ジーンの仕掛け方に問題があったからである。
この国において、決闘とはあくまで形式的な作法である。剣で斬り合う以上、たまさか死ぬことはあるにしろ、基本的には片方が血を流すだけで決着になる。
要するに、積極的に命を獲りにいくものではない。
それに、腕のある者が弱者に胸を貸すことで、負けた者に箔が付くケースも多い。
アルバート本人も、そういった目算があってこそ、敢えてジーンに喧嘩を売ったである。
型破りな不作法の原因は、ジーンの生い立ちにあった。
教えれば教えるほど、あらゆる武芸を吸収した天才ジーンである。それを面白がって、誰もが貴族社会の常識を伝え忘れていた。
そんなジーンに下った沙汰は、驚く事に〝お咎めなし〟である。
理由はいくつかあったが、現場にいた全員がアルバートに批判的だったことと、何よりも王本人が、決闘を焚きつけたことが上げられる。
ついでに言えば、アルバートが先に剣を抜いていた事が、ジーンにとって有利に働いたのであった。
だがしかし、ワーナー家の面々が収まるはずもない。
特にアルバートの父である前当主の怒りは凄まじく、あらゆる手段を用いてジーンを消しにかかった。
ジーンが王都を去った背景には、こういった経緯があったのである。
…――…――…――…
ここで、舞台は盗賊のアジトに戻る。
「――と言うことでして」
「なるほど。それでジーンの奴、王都から逃げてきたのかい」
サラが語り終え、マリーが納得する。
「いえ、事態はそう単純ではないのですよ。実は――」
一度否定して、サラの説明はまだまだ続く。
◇◇◇◇
かくして、叙任式も有耶無耶のまま、ファルコナー家とワーナー家の対立が始まった。
手を変え品を変え、ワーナー家の刺客が次々と放たれた。
まずファルコナー家に送り込まれたのは、所謂暗殺者である。名門同士の争いは外聞が良くないので、こういう場合、最も好まれる手段である。
そんな大事が降りかかっているにも関わらず、当事者のジーンはというと、これが意外な事に、ただ超然と構えていたのであった。
魔物相手ではヘタれるジーンだが、人間相手となると、向かうところ敵なしである。
身近に暗殺者が紛れれば、それをことごとく看破してみせたジーンである。弓矢や吹矢の狙撃は避けてみせるし、食事に毒でも盛られようものならば、獣じみた嗅覚で見抜くのが、この男である。
こそこそとした暗殺など、もはや不可能であった。
それでも、ワーナー家が諦めることはない。
必然的に、白昼堂々とした襲撃に切り替わることになった。
何人もの腕に覚えのある武芸者が、野仕合にかこつけて、ジーンに勝負を挑んできた。当然、彼らにワーナー家の息がかかっていることは明白である。
そして、ジーンはこの勝負を全て受けきってみせた。決闘ではないのだから、これはもう血みどろの殺し合いである。
結果は全て、ジーンの完勝で終わった。武芸者たちは一刀で斬り伏せられ、冥土へ旅立つ羽目となった。
こんなことを繰り返すと、悪化するのは治安である。
ジーンの勝敗を賭けて、違法賭博が王都中に蔓延した。賭け金を巡って、あちこちで小競り合いが頻発したのである。
それに、行われるのは、突然町中で始まる野仕合である。見物中に巻き込まれ、命を落とす市民が続出した。
ちなみに、この見物人に紛れていたのが、アカデミー時代のサラである。
何しろサラは見かけによらず、淑女らしくない。屋台の串焼き肉を片手に、有り金をジーンへ賭けて、チョイチョイと小遣い稼ぎをしていたのであった。
もちろん、当局もとい王政府とて、手をこまねいていた訳ではない。賭博に関わった者はあらかた逮捕したし、ジーン本人やワーナー家の罪も問おうとした。
余談ではあるが、この時サラは見事に逃げおおせていたりする。頭のいいサラが、本名を使って賭博に参加するはずもなかったのである。
ジーンにしても、結局は罪に問われなかった。
と言うのも、ジーンが殺したのは武芸者だけであったからである。
巻き添えを喰った市民は、全て死んだ武芸者によるものであった。
こうなると、ジーンには正当防衛しか認められない。
ワーナー家に関しては、完全に証拠不十分である。これは、王自身が引け目を感じていたせいもあるが、証人である刺客の全員を、ジーンによって殺された結果でもあった。
こうして、のうのうと生き延びたジーンであるが、今度は実家が敵に回ってしまう。
ジーンが殺した人間は、最初のアルバートを含め30人に上った。常人であれば、罪の意識に苛まれる数である。
それでも、ジーンの態度は変わらない。普段通り人当たりよく、のんべんだらりと毎日を過ごしていたのである。
ジーンにしても、別に快楽殺人者ではない。
生粋の戦士であるジーンにとって、戦いにおけるトラウマは存在しないだけである。過失によって人を殺めたのなら、ジーンも人並み以上に罪悪感に苛まれたはずである。
もっとも、そんな心の働きを周囲は理解しない。あまりにも変わらないジーンに、王都の市民は不気味さを禁じ得なくなっていった。
そして、いよいよをもって、ファルコナー家の評判が低下した時である。
「お前、勘当ね」
ジーンの父――ファルコナー家現当主の一言である。
ジーンが王都を出たのは、単に住処を失くしたからに過ぎない。
腕っ節しか能のないジーンである。落ち着いた先が〝盗賊狩り〟となるのは、むしろ当然であった。
…――…――…――…
再びアジトである。
ジーンに蹴散らされて、襲撃者はその数を二割程度に落としていた。
「まあ、そんな折りに、狩りに出ていた私がジーンを見つけたのです。実家からのボディーガードが欲しかったので、正に渡りに船でした。何せ、腕っぷしは折り紙つきですから言う事なしです。ちなみに断っておきますが、弟子に偽装していた訳ではないですよ? どうにも魔物恐怖症を克服したいらしく、本人たっての希望で本当にハンター志望です」
「……あんた、本当に抜け目ないね」
サラから全てを聞き終えて、マリーが指摘する。
「ええ、まあ」
サラの相槌である。
「いや、でも待ちなよ。だからと言って、何でわざわざ正体を隠して〝盗賊狩り〟なんてやってたのさ? 魔物が苦手でも、対人専門のハンターとして、ちゃんと登録すればいいだろ? そりゃあ、単独は無理だろうけど、パーティーを組めばその辺はフォロー出来るだろうに……」
「そればかりは、私も聞いてません」
マリーの疑問に、サラは答えを持ち合わせていない。
「じゃあさ――」
マリーが言いかけた時である。
「うわーっ!」
恐慌状態になって、盗賊の一人がサラに詰め寄った。
サラを引き起こし、盗賊がその首筋にナイフを押し当てる。
「貴様、何をする!」
止めようとしたのは、隊長である。
「う、うるせーっ!」
盗賊が喚き立てる。
「こっちは、あんな化け物がいるなんて聞いてねーんだよ! こうなりゃあ、こいつを人質にして――」
盗賊が言葉を止めた。
「え?」
小首を傾げて、盗賊がナイフを取り落とす。
盗賊の指が欠けて、パラパラと床に零れ落ちた。
「あ? あれ?」
自分の手を見て、疑問符を浮かべる盗賊である。
「うわーっ! 指がっ! 俺の指がーっ!」
状況を理解して、盗賊がパニックになった時である。サラを拘束している腕が緩んだ。
その隙を逃さず、サラが盗賊を振りほどく。
「せいっ!」
振り向きざまに、サラの右手が盗賊の頸動脈に走った。
誰にも悟られずに、縄を解いていたサラである。その右手には、血のついた短剣が握られていた。
盗賊の傷口から、血がピューッと吹き出した。
しばらく床をのた打ち回っていた盗賊は、すぐに動かなくなった。
「最初にしっかりと、ボディーチェックをしないからこうなるのですよ……って、もう聞いていませんね」
盗賊の死体を見下ろして、サラがそれだけを言った。
「さてと」
サラが顔を上げた時である。
「おーい。こっちは全部片付いたぞー」
返り血塗れになって、ジーンがサラの元へやってきた。
ジーンの言葉通りである。
辺り一面、見渡す限りの死屍累々であった。
20人以上いたはずの人間は、盗賊も私兵も区別なく、隊長一人を残してバラバラの惨殺死体になっていた。
◇◇◇◇
「ぬうっ……」
いよいよ1人になって、隊長が剣を抜いた。
「俺が行く」
サラを押しのけて、ジーンが前に出た。
双方が向かい合う。隊長が正眼で構えて、ジーンが大上段に構えている。
「一つ聞きたい」
剣を構えたまま、隊長が口を開いた。
「何だ?」
「お主は、お嬢様にとっての何だ?」
「用心棒みたいなもんだよ」
「……そうか」
ジーンの答えに、隊長が満足気に頷いた。
「それがどうかしたか?」
ジーンが首を傾げた。
「いや、何でも無い。始めようか」
隊長が会話を打ち切る。
ジリジリと、2人が距離を詰めていく。
先に仕掛けたのはジーンであった。
「おりゃーっ!」
気合と共に、ジーンが剣を振り下ろす。
「何のっ!」
頭に迫った一撃を、隊長が受け止めた。
「おおっ!」
感嘆の声を漏らすジーン。
「おっさん、結構やるじゃん! 大人になってからこっち、まともに剣を受けられたのは、これが初めてだぜ」
「ぬかせっ! 伊達に歳を重ねておらんわ!」
ジーンの褒め言葉に、隊長が食ってかかった。
そのまま、2人は鍔迫り合いにもつれ込んでいく。
「うおーっ!」
「おっとっと!」
隊長の突進に、ジーンがたたらを踏んだ。
「ちっ!」
舌打ちをして、ジーンが距離を取る。
「喰らえっ!」
後退したジーンに向かって、隊長が追撃をかけた。
隊長の渾身の突きが、ジーンの喉に迫る。
「殺った!」
一瞬、笑みを浮かべた隊長である。その目には確かに、剣先に貫かれるジーンが映っていた。
しかしである。
「何?」
疑問符を浮かべた時、隊長の前からジーンが消えた。
「下かっ!」
残像であったことに気付き、隊長が屈んだジーンに目を移した時――。
「せいっ!」
ジーンの剣が、隊長の膝を脛当てごと打ち砕く。
「ぐわーっ!」
悲鳴を上げて、隊長が片膝を着いた。
「な、何の……」
剣を杖にして、隊長がヨロヨロと立ち上がろうとする。
だが、そこまでであった。
隊長の腋を、ジーンが鎧の隙間から斬り上げたのである。
天井高く飛んで、隊長の腕が床に転がった。
「ぐうっ! む、無念……」
傷口を押さえて、隊長は仰向けに倒れ伏した。
「ぬうっ……!。何故止めを刺さない?」
ジーンを見上げて、隊長が聞いた。
もはや息も絶え絶えな隊長である。傷口からは血が流れ、床には赤い水溜りが広がっていた。
「あまり俺を舐めるなよ」
「どういう意味だ?」
「俺の剣を受けられる奴なんて、並大抵の使い手じゃねーんだよな。その割には、おっさんの剣は脆すぎる。本来のあんたなら、あんな見せかけの陽動で、迂闊に突いてくる腕じゃないだろうよ」
「それは……、少し買いかぶりが過ぎているぞ。現に私の目は、貴殿の動きを全く捉えられなかった。それに、貴殿は軽装で、私はご覧の通り全身金属鎧だ。防御を活かせなかった、私の力不足だよ」
「そうかい。でも、どこか投げやりな剣運びだったのは事実だぜ?」
「むっ……」
「言い残したい事、あるんじゃねーの? 勝負の前に、ごちゃごちゃと変な事、聞いてきたじゃねーか」
「……なるほど。大した慧眼をお持ちのようだ。ファルコナーの名は、伊達ではないというところか」
ジーンの答えに、隊長が得心する。
「サラお嬢様と話を――」
「はい」
隊長が言い終わる前に、サラが答えた。ジーンの勝ちを見届けて、既に隊長の側へ寄っていたのである。
「ここにいます」
隊長の横に膝を着いて、サラは先を促した。
「お嬢様、申し訳ありません。私が――」
隊長が謝りながら続ける。
「――いえ、私たち使用人が、もっとしっかりしておれば、旦那様もあのようにお変りにならならなかったはず」
「……」
「偏に、私どもの不手際のせいです。ですが……、それでも、これだけは是非に知っておいていただきたい!」
「……」
息も絶え絶えな隊長の台詞を、サラは黙って聞いている。
「私は、お嬢様の命だけは、何としてもお救いするつもりだったのです。ブラッドフォードの名を捨て、一町娘として、遠くの町に落ち延びていただく――そういう手筈だったのです。そういう意味で、お覚悟をお決めくださいと、申し上げたにすぎません。どうか、どうか、どうか……」
うわ言のように隊長が繰り返す。
「お嬢様、何処に?」
既に視界も失って、隊長が聞く。
「信じます」
サラが言って、隊長の右手を強く握った。
「貴方は決して、私を裏切ってはいません。そうですね?」
確認するようにサラが言う。
隊長の顔が綻んだ。
直後、目を見開いたまま、その体からスッと力が抜け落ちた。
「長い間、お勤め御苦労さまでした。そして、ありがとうございます」
礼を言って、サラが隊長の瞼を閉ざした。




