第七話 アレクサンドラと鷹狩(前編)
◇◇◇◇
「ちょ、ちょっと待って下さい」
こめかみを指で押さえながら、サラが言った。
「正気ですか?」
サラが声を荒げる。
「な、何がだよ?」
聞き返すジーン。
「名前ですよ。な・ま・え!」
「おいおい! そりゃあ、こっちの台詞だろうが!」
喧々諤々のサラとジーン。
「こちとら、雷鷲が生まれた時からそう呼んでるんだぜ! 勝手に変えられる筋合いはねーよ!」
「いや、そういう問題ではなくてですね……」
熱く主張するジーンを、サラが宥める。
「この子、メスですよ」
「は?」
サラの台詞に、ジーンが目を点にした。
「え?」
「ホントですか?」
マリーとナオミも、ジーンに続いた。
斡旋所に、再び沈黙が流れた。
雷鷲だけが、黙々と肉を啄んでいた。
そうして誰も喋らないまま、1分が経過した時である。
『クケェーッ!』
肉を食べ終えた雷鷲が鳴いて、沈黙が破られた。
「マジかよ?」
「マジです」
「こんなにムキムキで厳ついのに?」
「魔物に限らず、猛禽は大概メスの方が逞しいのです。ちなみにですが、そういう生き物は別段珍しくはありませんよ。例えばですが、カマキリなんかはその典型ですし、魔物ですと流星竜だってそうでしょう?」
ジーンが聞いて、サラが答える。
「いやでも、そんなまさか……」
ブツブツと考え込むジーンを置いて、サラが続けた。
「すでにご承知の通り、雷鷲は知能が高い。名前の良し悪しくらいは理解できます」
「ううっ……」
「と言うか、貴方ちゃんと世話していたのですか?」
「ど、どうして、そんなこと聞くんだ?」
サラの詰問に、冷や汗を流すジーン。
「いや、だって……、成鳥になったら排卵、もとい卵を産むでしょう? その辺は、ニワトリと同じですよ」
「あ……」
サラの追及に、ジーンは言葉を詰まらせた。
果たして、サラの指摘は図星であった。
雛の時分はまだしも、少年時代のジーンは武芸の稽古に打ち込むあまり、世話を両親に丸投げしたのである。
「そんなので懐く訳がないでしょう。継承の儀式が上手くいかなかったのは、至極当たり前です」
「は、反省します……」
「では、今後は〝アレクサンドラ〟で構いませんね?」
「はい」
サラの主張を、ジーンは全面的に受け入れた。
「それでは――」
仕切りなおして、サラが雷鷲ことアレクサンドラに向き直る。
「アレクサンドラ、行きますよ!」
『ピィッ!』
サラの命令を聞いて、アレクサンドラがサラの左腕に飛び乗った。
◇◇◇◇
そして、家路に着く3人である。
「なーなー」
歩きながら、ジーンが言った。
「何ですか?」
サラが聞く。
「ちょっと聞きたいんだけどよー……」
チラチラと地面を見やりながら、ジーンが続ける。
「こいつ、どうやってここまで来たんだ?」
ジーンの疑問は、さっきからサラの横をノシノシと付いて歩く、アレクサンドラについてである。
「おい、あの鳥って朝の騒ぎの……」
「魔物……だよな?」
「しっ! 目を合わせるな!」
「またサラお嬢様だろ?」
「俺達が文句言えるわけねーよな」
「見ないふり見ないふり」
アレクサンドラは、ただでさえ目立つ巨鳥である。
そんなのが歩いているせいで、いつも以上に3人は衆目を集めていた。
ちなみに、アレクサンドラが歩いているのには理由があった。
その鳥らしからぬ重量である。
素人のナオミは論外として、ジーンには懐かず、サラが持ち運べない故の必然である。
「飛んできたに決まっているでしょう?」
「いや、そういう意味じゃなくてだな」
「では、どういう意味ですか?」
「壁をどうやって越えたのかなって思ってよ」
「ああ、そういうことですか」
ジーンの意図をサラが汲んだ。
「簡単な話です。壁の外まで運んでから放したのですよ」
サラの言う壁とは、人界と外界を隔てる長大な壁である。
いつ誰が作ったのか、はたまた自然現象で出来たのかも分からない謎の壁は、未知の力で魔物の侵入を防いでいた。
「いや、それでも、よくあの門を通れたな」
「そりゃあ、正規の許可があれば通してもらえます。アカデミーの権威は伊達じゃありません」
「そうじゃなくて、こいつ気持ち悪くなったりしなかったのか?」
「ああ、そういう――」
ジーンの意味するところは、あくまで魔物でしかない雷鷲の生理反応である。
件の壁は、見えない力で魔物の侵入を防いでいる。
主に上空に向かって、魔物避けの力場を出している壁である。
門の中にも力場が及ぶと考えるのは、至極当然と言えた。
「門の中では、例の力場は働きません」
「え? そうなの?」
「はい」
「マジかよ。ああ、だから共和国だけで済んだのか……」
「あの~……、一体どういうことですか?」
納得するジーンに、ナオミが訳を尋ねた。
「共和国崩壊の〝大災厄〟ですよ」
サラが答える。
「大災厄の折、多数の魔物が人界へ乱入しました。もちろん、地上凄の魔物も門を狙って殺到したのですが、小さい造りのお陰で大型種の侵入だけは防げたのです」
「へえ」
「はい。大型の魔物が暴れたら、一国の問題では済まなかったでしょうからね。貴女にも覚えはあるでしょう?」
「は、はい……」
サラの言葉でナオミが思い出したのは、自身の体験である。
外界にあったナオミの隠れ里は、世界蛇と言う巨大な竜に蹂躙されて滅んでいる。
「ミッドガルド共和国だけで済んだのは幸いだと、ジーンは言ったのです」
サラの言い分に、ナオミが「あ、そういうことですか」と納得した。
その直後であった。
「おーい! ちょっとそこのアンタら!」
3人を呼び止める、男の声がした。
「この鳥、何とかしてくれ!」
声の主は乾物屋の主人である。
その原因は、アレクサンドラにあった。
いつの間にか列を離れたアレクサンドラは、興味津々に商品を物色していた。
もっとも、さすがのアレクサンドラも、商品に手を出してはいない。
店の前に立って眺めているだけでしかないが、その迫力のせいで他の客が寄り付かないのである。
「ああ、すみません。アレクサンドラ、行きますよ!」
『ピィーッ!』
サラが呼んで、アレクサンドラが列に戻った。
「ほんと、お前の言うことは聞くのな」
ジーンが愚痴って、3人は家へと帰り着いた――。
◇◇◇◇
そして次の日の朝である。
「やっぱりこうなったか……」
恒例の掃除をしにサラを訪ねて、ジーンが肩を落とした。
果たして、サラの部屋は滅茶苦茶である。
普段から散らかっている部屋は、アレクサンドラの羽までが舞っている。
ジーンに懐かないアレクサンドラを、サラは自分の部屋に連れ込んでいた。
「お前、このままコイツと住むつもりじゃねーだろうな?」
「さすがにそれはありません」
ジーンの懸念を、一蹴するサラである。
渦中のアレクサンドラはと言うと、サラの足下で肉を啄んでいる。
「今日中に業者が来て、屋上に鳥小屋が建ちます。彼女には、そこに住んでもらいましょう」
「業者って……、いつの間に頼んだんだよ?」
「昨日の今日で間に合ったのは偶然ですが、アカデミーに要請した時点で手配していましたよ」
「まったく、用意のいいことで……」
手際のいいサラに、ジーンが呆れた。
王国に名を轟かせた英雄たちと、吸血鬼父娘、それに魔物までもが加わって、渾沌の体を見せる集合住宅である。
「大家の許可は?」
ふと湧いた疑問をジーンが聞いた。
「あれ? 言っていませんでしたか?」
聞き返すサラ。
「今はこの私が大家です」
「えっ!」
「ちょっと前に買い取ったのですよ」
「マジかよ……。いや、それにしても、そんな簡単に?」
「すんなりと応じてくれましたよ?」
「うーん……」
サラの言葉に、ジーンは合点がいかなかった。
賃貸住宅の経営者は、町では割のいい不労所得者である。
その地位を易々と手放すとは、ただごとではない。
もっとも、サラやジーンは要人を預かる大家の心労を慮れなかった。
そもそもの話、サラは権力者である。
諸々の重圧に耐えかねて、大家はその地位をいとも簡単に投げ捨てた。
「それはそうと――」
サラが話を変えた。
「今日早速出かけますよ」
「うん? どこにだ?」
「アレクサンドラの実験ですよ」
サラが言い終わった直後、アレクサンドラが『ピイ?』と首を傾げた。
「もうやるのか?」
「飛行特性を見ておきたいですし、上手くすれば、今日中にケリが付くかもしれません」
サラの懸念は、先日取り逃がした飛翔蛇である。
「分かった。ところでよ――」
「何ですか?」
「雷鷲って、毒くらっても大丈夫なのか?」
「飛翔蛇のですか?」
「うん」
「心配ご無用です。雷鷲には、毒に対して高い耐性があります。飛竜の天敵の名は、伊達ではありません」
「なるほどなー」
「ほら、分かったら支度なさい。ナオミにも声をかけるのを忘れずに」
「おう」
ジーンの疑問を解決し、サラはいそいそと鷹狩の準備を始めた。




