第三話 飛翔蛇と捜索(前編)
◇◇◇◇
「ああ、それはきっと飛翔蛇ですね。だとすれば、ちょっとばかり騒ぎになるかもしれませんよ」
「飛翔蛇?」
サラの言葉に、ジーンが首を傾げた。
「あ、私それ知ってます」
名乗り出たのはナオミであった。
斡旋所からジーンが帰った、その日の晩のことである。
晩飯の鍋をつつきながら、サラとジーン、そしてナオミが顔をつき合わせていた。
同じフロアで別居してはいるものの、もはやその意味が那由他の彼方な3人であった。
ジーンから伝え聞いて、サラがあっさり魔物の正体を突き止めた。
「さすがは森育ち。やりますね」
「えへへ……」
サラが褒めて、ナオミが破顔した。
「で、その飛翔蛇ってのは、一体全体どんなヤツなんだ?」
「簡単に言うと、空飛ぶヘビです」
「はあ? ヘビ? あんなのが空を飛ぶのか?」
「うーん、そうですね……」
ジーンの覚束ない理解に、サラが箸を止めた。
「ナオミ、何か書く物を取って下さい」
「あ、はい」
サラに言われるまま、ナオミが机から紙とペンを持ってきた。
「ありがとうございます。えーとですね――」
ナオミから受け取って、サラが紙に絵をスラスラと描いていく。
「こんな感じの魔物です」
そう言ってサラが見せつけたのは、リアルな魔物の絵であった。
鎌首を持ち上げたヘビは両脇に蝙蝠のような翼を持っていて、今にも絵から飛び出しそうな迫力である。
「おお!」
「す、凄い!」
思いがけないサラの画力に、息を呑むジーンとナオミ。
「お前、何でこんなに絵が上手いんだ?」
当然のように聞くジーン。
「何を今更」
サラが眉根を寄せた。
「魔物学者には、写生の能力が求められるのです。これくらい出来て、当たり前ですよ」
「いや、でもこれ、何も見ずに描いたじゃんか……」
「サラさん、凄いです」
当然のようなサラに、ただ感心するジーンとナオミであった。
「……それで、飛翔蛇の特徴ですが――」
サラが話を戻す。
「見ての通り、この二枚の羽を使って飛翔します。もっとも、その能力はかなり低く、地上から飛び立つことは出来ませんね」
「じゃあ、どうやって飛ぶんだ?」
「高い所――例えば、樹木の上等に登ってから、高低差を利用して飛び立つのですよ。一度地面に降り立つと、普通のヘビと変わりません。むしろ、翼が邪魔をするのでヘビ以下かもですね。もっと言えば、軽量化の為に、体が物凄く華奢に出来ていますしね。ぶっちゃけ、棒で殴れば死にます」
「うん? ううん?」
サラの説明に、ジーンの合点がいかない。
「どうしましたか?」
「いや、ふと思ったんだけどよ――」
訝しむサラに、ジーンが続ける。
「何でそんな弱そうな魔物が騒ぎになるんだ?」
ジーンの疑問である。
「ああ、そのことですか。この飛翔蛇、実はですね――」
ジーンに答えながら、サラが噛み砕く。
「毒を持っているのですよ。それも、無茶苦茶強力な」
「げっ!」
サラが言って、ジーンが呻いた。
◇◇◇◇
飛翔蛇とは、サラが言ったように空飛ぶ毒蛇である。
翼を持つ彼らは、普段は樹上性のヘビのように木の上で暮らしている。
もっとも、地上に獲物を見つけると、まっすぐに飛んでいき、毒牙を穿つ厄介な魔物であった。
…――…――…――…
「お、大きさは?」
「1メートルから、大きくて2メートル程ですね」
ジーンが聞いて、サラが答える。
「あれ? それじゃあ、大きい物は食べれないんじゃねーの?」
ジーンの指摘は、至極もっともである。
…――…――…――…
普通のヘビでも、意外と大きい物を飲み込むことが出来る。
顎の関節が多い上、下顎が左右に繋がっていないせいである。
そのおかげで、ヘビは時々自分より重い獲物を平らげることがある。
もっとも、動けなくなって命取りになることもあるし、非常に稀なケースと言えた。
そして飛翔蛇である。
飛行に特化したその身体は、随分と華奢に出来ていた。
軽量化も合わせて考えると、大きい獲物を飲み込むのは得策ではない。
…――…――…――…
「ち、違うんです、ジーンさん」
おずおずと、ナオミが名乗りを上げた。
「お! ご存知ですが。言ってやりなさい、ナオミ」
サラがけしかける。
「飛翔蛇は竜を呼ぶんです」
「竜を? 何で?」
ナオミの言葉に、ジーンは要領を得ない。
「えーっとですね……」
言葉を選びながら、ナオミが続けた。
「飛翔蛇がわざわざ大きな生き物を襲うのは、他の生き物をおびき寄せるためなんです」
「それって、死体漁りに来た小さい連中を狙うってこと?」
「その通りです」
「でも、そいつらが小さいとは限らねーじゃんか?」
「あの、その……」
「それで竜がやって来るってことか?」
「えーっと……」
「代わりましょうか?」
上手く答えきれないナオミに、サラが助け舟を出した。
「お願いします」
「それでは――」
ナオミに譲られて、意気揚々のサラである。
「ナオミが言ったように、飛翔蛇は大型生物を餌にして、自分が食べやすい獲物をおびき寄せるのです。もちろん、死体を目当てに他の大型生物も寄ってくるのですが、そういった連中は取り敢えず隠れて無視するのですよ」
「でも、それだと自分の身が危なくならねーか? ほら、魔狼とか火蜥蜴とかがいるじゃん。見つかったらやべーだろ」
「そこで飛翔蛇の強力な毒ですよ」
「分かったぞ! それで戦うんだな?」
「いえいえ」
ジーンの推量を、サラが否定する。
「さっきも言ったでしょう? 飛翔蛇は弱いと」
「あ! そう言えば、そうだったな」
「飛翔蛇の毒は、簡単には分解されません。もし、毒で死んだ生物を食べた場合――」
「そいつも死ぬ?」
「ご名答」
「ああ、なるほど。そうやって死体を作りながら、自分が食べやすい獲物がおっ死ぬまで待つんだな」
「それもご名答。お見事です」
「でも、それだと凄いことになるんじゃねーか? 辺り一面死屍累々だろ」
サラの高説に、ジーンが指摘した。
「正しく、その通りです」
サラが首肯する。
「故に、飛翔蛇はしばしば生態系の破壊者と呼ばれています。外界ならまだしも、人界で起こると一大事ですからね」
「外界ならまだしもって、それはまた何でだ?」
「飛翔蛇の毒が効かない魔物がいるのですよ。ほら、いるでしょう? 唯一にして不可侵の強くてヤバいヤツが」
「それが竜か! なるほど!」
長々と続いたサラの説明に、ようやく納得がいったジーンである。
「ちなみにですが、雷鷲にも効きません」
サラが補足した。
「飛翔蛇の作った肉を、竜が時には飛翔蛇ごと貪る。こうやって、魔物の命は巡っていくのですよ。いやはや、まったく上手くできていますね。もっとも、ひとたび我々が巻き込まれたら、堪ったものではありませんが……」
「だから、私たちも普段から飛翔蛇には気を付けていたんです。結局は無駄になりましたけど……」
さらに続いて、ナオミがため息をついた。
外界の隠れ里で育ったナオミは、故郷を世界蛇という竜の群れに滅ぼされていた。
これは、たまたまナオミの里が、世界蛇の200年周期の営巣地にあったことに起因する不幸な事故である。
「ま、取りあえず明日猟場に出てみようぜ。ナオミも食え。料理が冷めちまう」
鍋を取り分けて、その場を締めくくったジーンであった。
◇◇◇◇
そして翌日の朝である。
思ったよりも早く出された依頼を受けて、3人が出張っていた。
依頼内容はもちろん、魔物の見極めである。
「見つかったか?」
「いいえ」
ジーンが聞いて、ナオミが首を横に振る。
猟場の平原にて、空を見上げる2人であった。
天気は快晴で、雲一つ見当たらない。
「さっきから何をしているのですか?」
2人の後ろから、サラがやって来た。
「何って……、飛翔蛇をだな――」
「はぁ……」
ジーンの言葉に、サラが呆れた。
「な、何だよ?」
眉を顰めるジーン。
「よしんば見つけたとして、どうするのです?」
「そりゃあお前、追いかけて行って……」
サラに答えながら、ジーンが言葉に詰まった。
「飛んでいる鳥を追いかけて、捕まえようとでも言うのですか? もっとも、この場合は飛翔蛇ですが」
「……面目ない」
「す、すみません」
サラが窘めて、ジーンとナオミが同時に頭を下げた。
「そういうのは、雷鷲が届いてからのお楽しみです。いいですか。こういう場合は、飛翔蛇の犠牲者を探すのです。平たく言えば、生き物の死体ですよ。死体」
「なるほど。死体ねえ……」
サラに促され、ジーンが地平線を見渡した。
「お! あそこに何か倒れてるぞ!」
「は?」
指さすジーンに、サラが訝しむ。
「私には何も見えませんが」
「わ、私もです」
目を細めながら、サラとナオミが同時に言った。
「ほ、本当だって! 多分、あれは馬の死体だぜ!」
「……ふむ」
慌てるジーンを見て、サラが望遠鏡を取り出した。
「……本当ですね」
ジーンの示す方向を見て、サラが息を漏らした。
果たして、1キロ程先の小高い丘の中腹に、栗毛色の馬が転がっていたのである。
「な! 言ったとおりだろ!」
馬の死体に近づいて、ジーンが言った。
「相変わらず、呆れた視力ですね。まあ、お見事です」
ジーンを褒めながら、サラが弩を構えた。
「ほら、貴方たちも武器を構えなさい。どこに飛翔蛇が潜んでいるか分かりませんよ」
「お、おう」
「はい」
サラが促して、ジーンが大太刀を、ナオミが薙刀を構える。
「今更ですが、貴方たちを連れてきて正解ですね。私の得物だと、下手をすれば外しかねません」
言いながら、サラが馬に近づく。
いかにサラが名手といえども、弩は射撃武器である。
そのせいで、小さい標的相手には心許ない。
「……首筋に牙の跡があります。まず間違いないでしょう」
「――っ!」
「ひっ!」
サラの見聞に、緊張を隠せないジーンとナオミである。
「それじゃあ、ちょっとその辺を弄ってみますか!」
「わ、分かった」
「はい……」
目を爛々と輝かせるサラに対して、ジーンとナオミの顔は青かった。




