第一話 女と男
よろしくお願いします。
◇◇◇◇
「おいおい、マジで行くのかよ?」
草むらに隠れて、男が言った。
「当たり前です。こんなチャンス、滅多にありません」
答えたのは女であった。
男と同じく、こちらも身を潜めている。
鬱蒼とした森での出来事であった。
巨木が立ち並び、飛び出した根っこが一面を覆っていた。
湿度もやたらと高い上、地面は緑に苔生している。
昼間にも関わらず、周囲はぼんやりと仄暗い。
ちなみに影に隠れて、男女の顔はよく見えなかった。
「仕掛けるつもりか?」
「まさか」
男が聞いて、女が首を横に振る。
そんな二人の装いは、揃って革の鎧である。
男は腰に剣を吊っていて、女は弩を構えている。
「こんな玩具、クソの役にも立ちません」
女が言って、弩を下ろす。
「そうだな」
男がホッと胸を撫で下ろす。
「……うん? さっき〝チャンス〟がどうとか言ってなかったか?」
少し考えて、違和感を抱く男。
「可能な限り近付いてみましょう。アレの雄姿を、是非とも脳裏に焼き付けておきたい」
「お、お前な――」
女の台詞に、男が「ちょっ――」と、抗議しかけた時である。
「静かに!」
片手を上げて、女が会話を止めた。
その直後である。
ズシンズシンと地響きが鳴った。
メキメキと木を倒して現れたのは、巨大な生物である。
巨大生物の頭には、首筋を守るよう2本の角が生えていた。
ちょくちょく開く大きな口には、バナナのような牙が並んでいて、どんな物でも噛み砕きそうであった。
長い尻尾を持って、2本の足で歩く緑の生物は、正しく竜であった。
「無翼の歩行種――流星竜です。魔物最強の一角ですね。小さく見積もっても、全長15メートルはあります」
ブツブツと分析する女である。
女の言うように、竜もとい流星竜に翼は無い。その代わりに、カギ爪のついた手が2本生えている。
「おおおお、おい」
声を震わせながら、男が女の服をクイクイと引っ張った。
嬉しそうな女に対して、男の腰は引けている。
それもそのはず、流星竜のいる位置は、二人から見てかなり近い。距離にして、およそ20メートルしかない。
流星竜の巨体を考えれば、もはや至近距離であった。
「に、逃げ――」
男が言った瞬間である。
流星竜が、二人をキッと見据えた。
『グルルル……』
流星竜の喉が鳴る。
「気付かれたか?」
男が聞く。
「まさか」
「……そうか」
鼻で笑う女を見て、男が安堵する。
「あまり流星竜を侮らない方がいい。そんなの、最初から気付かれているに決まっています」
「――っ!」
続けた女に、男が絶句した。
「じゃじゃじゃじゃあ、ななな何で襲ってこないんだよ?」
どもりながら、男が再度聞いた。
「ですから、侮るなと言ったでしょう。こちらが武器を下ろして、敵意を見せないからですよ。流星竜とは、この世で最も思慮深く、偉大な魔物なのです。ほら、見てごらんなさい」
女の発言を裏付けるように、流星竜が2人から視線を逸らした。
流星竜はそのまま、地面の臭いをスンスンと嗅ぎ回っている。
「何をしているんだ?」
「何か探し物でもあるのでしょう。どうやら、私たちとは偶然の邂逅だったようですね。ああ、もう緊張を解いていいですよ。こちらに関心がないのは、確定事項ですから」
男に答えて、女は姿勢を崩した。
果たして、女の見解は正しかった。
周囲をぐるりと見渡すと、流星竜は再び地響きを鳴らして、森の奥へと消えて行った。
「た、助かった」
言って、男がヘナヘナと腰を下ろした。
「さっきも言いましたが、互いに敵意が無いから当たり前です。まったく、貴方もいい加減、その臆病な性格を何とかしなさい」
男の醜態に、女が呆れた。
「お前みたいな魔物オタクと、一緒にするんじゃねーよ……」
文句を垂れながら、男がゆっくり立ち上がる。
「う、うん! まあまあの迫力だったな」
虚勢を張る男であるが、その実、足はガクガクと震えていた。
「ハァ……。まあ、いいでしょう。取りあえず、一端森から出ますか」
嘆息して、女がその場を立ち去った。