天使ごっこ
秋口にしては蒸し暑く、けだるい午後だった。
俺―橋村亮は、今日も退屈な授業を聞き流し、高校生としての”勤め”を果たして下校するところだった。
暑い。こんな日はクーラーの効いたコンビニで時間を潰すか、さっさと家に帰るかに限る。俺は後者を選ぶことにし、校門を出ようとした。すると、
「こんにちは」
突然、後ろから声を掛けられた。振り返ってみると、俺と同じ制服の男子が立っていた。
知らない顔だ。やや童顔で、中性的な風貌。そして、その少年はうっすらと微笑んでもう一度俺に声を掛けてきた。
「こんにちは」
「……あ、ああ」
とりあえず返事をしてみる。しかし、どうも「後輩が先輩に挨拶をした。」という感じではなさそうだ。何か用件があるのだろう。
「ええと、お前は……」
誰だ? と、言う前に、
「久し振りだね」
向こうが声を被せてきた。意外にもタメ口だ。
「久し振り……?」
「うん。ほら、あの時の……」
「あの時……」
何の事だか、サッパリだ。困っていると、タイミングよく携帯に電話がかかってきた。
「あ、悪い。ちょっと電話出るから」
わけのわからない会話を中断させてくれたありがたい人物は、俺の彼女―あかりだった。
あかりとは子供の頃から”友達”としてよく遊んでいた。それが中学、高校となるうちに周囲から冷やかされるようになり、いちいち否定するのも面倒だから付き合ってしまおうか――そう考えて”恋人”になった。
「もしも〜し、リョウ? えっと、今度の日曜日のことだけど……」
「おう、どうした?」週末に二人で買い物に出かける予定だったのだ。
「あれ、やっぱり土曜日でいい? 日曜は別の用事入っちゃってさ」
「別に構わねーよ。何の用事だ?」
やや間をおいて、口ごもりながら答えが返ってくる。
「ん、ちょっと家族関係」
聞いた俺が悪かった。あかりの家は両親の仲が悪く、離婚は秒読みだった。おそらく、本格的に離婚が決まったのだろう。
「そうか。それじゃあ土曜日だな」
「うん。よろしく〜」
電話を切って、フッとため息をつく。あかりの家庭も気になるが、またさっきの少年と話をするのが面倒だ。
しかし、その問題はすぐに解決した。
「……あれ?」
いつの間にか、少年は消えていた。周囲を見回すが、どこにも見当たらない。
「……ま、いーか」
考えてもわからないことは考えない。それが俺の哲学だった。
翌日。朝っぱらから俺はヒステリックな叫び声を聞かされることになった。その声の主は、俺の姉貴だった。
「信じられない! あれほど言ったのに……」
ギャーギャーと騒がしい。どうやらまた、彼氏とイザコザを起こしたらしい。
「ふざけんなっ! バカ野郎!」
姉貴はそう叫んで携帯をソファに叩きつける。壁や床に叩きつけなかっただけまだマシだが、八つ当たりされる携帯はたまったもんじゃないだろう。
「もーっ、サイアク!」
すぐそばで聞いてるこっちもサイアクだ。朝から大声でケンカしないで欲しい。
「行ってきまーす……」
どうせ誰も聞いていないだろうが、一応言って登校する。
やれやれ、これでまたしばらくの間姉貴のご機嫌取りをするはめになった。早いとこ怒りを鎮めないと何日もあんな感じだ。以前は2週間ほど怒りが続いていたこともあった。よくもまあ、そんなに感情が持続するものだ。呆れを通り越して歓心できる。迷惑だが。
歩いて10分ほどでバス停に着く。しかし、ここで俺は重大なミスに気付いた。
「やべっ定期入れ忘れてきたか!?」
すでにバスは到着しており、この便を逃すと確実に遅刻だ。俺は成績があまりよくないため、出席点を重要視しているのに。マズい。
「くそっ! 姉貴が騒いでたせいだ!」
叫んでは見たものの、これからどうするべきか分らない。と、その時。
「ハイ、これ。そこの交差点に落ちてたよ」
そう言って定期入れを差し出したのは、昨日の少年だった。
「お、お前! 昨日いつの間に……」
俺は問い詰めようとしたが、そいつは微笑んでこう答えた。
「出ちゃうよ、バス。急いで」
確かに、バスの運転手が何か言いたげにこちらを見ている。早く乗った方がよさそうだ。
「それじゃあ、またね。リョウ君」
そう言って少年は走り去った。
(リョウ君って…馴れ馴れしいな……誰だ?どこかで会ったか?…うちの制服着てたけど、バス乗らないのか?)
バスの中で色々と疑問が湧いてきたが、俺は哲学に従うことにした。
このことを皮切りに、そいつは度々俺の前に現れるようになった。
翌日、俺が家を出た途端に出会い、雨が降るよ、と一言だけ言ってすぐに走り去った。その日はよく晴れていたが、午後になってポツポツと小雨が降り出した。また、その日の下校中にも現れ、俺がずっと前に失くしていた腕時計を差し出し、またも目を離した隙に消えていた。
「なんなんだろうね。その子」
この話を聞いて、あかりはコーヒーをかき混ぜながら言う。
今日は土曜日。俺とあかりは買い物を済ませてファミレスで休んでいるところだ。
「全く心当たりがない。すぐにいなくなるしよ」
「けど、その子ってリョウの役に立つことしてるよね」
「ああ。昨日の夜なんか、姉貴が彼氏とヨリもどしてご機嫌でよ。何でも知らない男の子が話聞いてくれて、それがきっかけになったんだとか」
「へー?」
「その男の子の特徴聞いたら、やっぱりアイツらしい」
「スゴイ…その子って、もしかして天使じゃない?」
そう言ってコーヒーを飲み干す。あかりは普段大人びているくせに時々子供じみたことを言い出すことがある。当然本気で信じているわけではないが。
「ならいいけどよ。なんか気味が悪いんだよなぁ……俺、なんかしたか?」
「ほら、アレじゃない? 2週間ぐらい前、事故にあった赤ちゃんを病院まで運んだじゃない」
「ああ。あん時は必死だったな…けど結局、母親の方は死んじまったんだよなぁ……」
街まではバスで来たのだが、まだ時間があるのでバスを使わずに歩いて帰ることにした。いつも車窓から見ている道も、自分の足で歩いてみると少し違って感じられた。
「ねぇ、リョウ。ちょっといい?」
人通りの少ない路地裏で、あかりが立ち止まる。その目的を俺は予想していた。
「……親、別れるんだろ?」
「……うん……」
やっぱりだ。元々買い物はただの呼び出す口実だったのだろう。
「お母さん、実家の田舎に帰るって。明日。もう荷物もまとめ終わってる」
「…そうか。それで、お前はどうするんだ?」
「お父さんとこっちに残る。だって……」
「だって?」
口ごもりながら、あかりの顔が僅かに赤らんでくる。
「だって、の次は?」
もう1度俺が言うと、あかりは目をそらして言った。
「……リョウと、いっしょにいたいから……」
「えっ……」
「友達の延長線上みたいに付き合ってきたけど、いつの間にか、本気で好きになってたみたい……。リョウのこと……」
正直に言って、少し――
「意外、だな。」
「……どうして……?」
「本気になってたの、俺だけじゃなかったんだ」
謎の少年の事も、離婚の事も、しばし忘れて、俺はあかりは抱きしめた。
その様子を、物陰からあいつが見ていることにも気付かずに。
翌日の日曜日、昼まで寝ていようと思っていた俺は、当然誰かにたたき起こされた。
「なんだよ……姉貴……っ!」
しかし、俺を起こしたのは姉貴ではなかった。アイツだった。
「リョウ君、起きて」
窓の鍵はかかっているのに、そいつは俺の枕元に立っていた。
「お前、どこから……?」
「あかりさんが……あかりさんが大変なんだ!」
「あかりが……!? 何でお前あかりのことを?」
「これを見て」
そう言って、そいつは俺の額に手をあてる。
「うわっ!?」
脳裏に映像が流れてくる。あかりだ。あかりが家の前で母親と言い争いをしている。
「どうして!? どうしてそんなに勝手に決めちゃうの!?」
「ゴメンね。でも、もう向こうの人にも話してるから……」
「それが勝手なのよ!どうしてあたしが引っ越さなきゃいけないの!?」
(引っ越す……?)
「あたしはこの町を離れたくないの!」
「そんな……ワガママを言わないで。お母さんと行こう?いいところよ」
「なによ、ワガママって! さっきゴメンねって言ったでしょ!? それ、自分が悪いって認めてるんじゃないの!?」
「でも……」
「イヤよ……絶対にイヤ!」
「あかり! どこに行くの!?」
突然、あかりは母親を振り切って駈け出した。
「イヤよ……やっとリョウと本当の恋人になれたのに……!」
(あかり……)
あかりはどんどん走って行った。どうやら俺の家に向かっているらしい。
石段を登って狭い通りに飛び出た時、居眠り運転のトラックが猛烈な勢いで突っ込んできた。
(危ないっ!)
「キャァッ!」
辛うじてトラックを避けるが、バランスを崩して石段を落ちて行った。
周囲に人はいない。あかりは頭を強く打ち、口を切って血を出しながら、かすれた声を出している。
「リョウ……」
「あかりっ!」
気がつくと、俺は再び自分の部屋にいた。目の前にアイツがいる。
「早く行ってあげて。早くしないと……」
「うるせぇ! わかってる!」
俺はすぐに家を飛び出してあかりのもとに向かった。
アイツが何者なのか、そんなことはどうでもいい。あの石段はあまり人が通らない。俺が行かなければ……!
「あかりっ!」
10分程で、そこに辿り着いた。
「あかりっ! しっかりしろ!」
「……リョ……ウ……?」
うつろな目でつぶやく。意識を失いかけているようだ。
「よか……ったぁ……また、あえ……た……。最後に……リョウ……に……。」
「なに言ってんだ! 最後じゃねぇ! 助けてやる!」
しかし、携帯は家に置いてきてしまっている。近くに人の気配はない。抱きかかえて病院に運ぼうにも、頭を打っているのでは下手に動かせない。
「無理だよ……もう。おや……すみ……」
あかりは静かに目を閉じる。まだ息はしているが、いつまでもつか分らない。
「どうしろってんだよぉぉぉぉぉぉっ!」
その場に座り込んで、俺は叫んだ。肝心な時に無力な自分が悲しかった。と、その時。
「リョウ君」
背後から声がした。振り向くとアイツだった。
「お前!」
俺はそいつの前に跪いて、泣きながら叫んだ。
「お前……! 頼む、助けてくれ! 何者かなんてどうでもいい、誰でもいいから、あかりを助けてくれ……っ!」
恥も外聞も捨てて、必死に頼み込んだ。目の前にいるこいつだけが、最後の希望だった。
「……初めてだね。君の方からボクにお願いするの」
「いいから! 頼む!」
「……わかったよ」
そう言った瞬間、そいつの体が突然光りだした。思わず目を瞑り、再び目を開けると……。
「なっ!? びょ、病院……?」
「おいっ、君!どうしたんだ!」
いつの間にか俺とあかりは、病院のすぐ前にいた。ちょうど中から出てきた医師らしき男が俺たちに気付いて声をかける。
「その女の子は……」
「石段から落ちたんだ! 手当てしてくれ!」
すぐに担架が出てきて、あかりは病室に運ばれて行った。様子を見た医師の話によると、今すぐに治療を施せば命に別状はないらしい。
俺はホッとして、病院の屋上に上がった。なにがなんだかわからないが、あかりが助かったのは嬉しかった。
「よかった……本当に……」
柵にもたれて道路を見下ろしていると、背後に人の気配がした。俺は振り向かずに話しかける。
「礼を言う前に、そろそろはっきりさせたい。……誰なんだ、お前」
「……」
そいつはしばらく黙っていたが、やがて口を開いて言った。
「ボク、会ったことあるんだよ。リョウ君に」
「……いつだ」
「2週間前。今日みたいに、ケガしていたところを助けてくれた」
――2週間前?
「あの時俺が助けたのは、確か赤ん坊……」
「そうだよ」
聞き間違いではない。確かにそいつはそう言った。
「その赤ちゃんが、ボクなんだ」
――!?
「ボクは今、リョウ君と同じ年くらいの姿をしているけど、本当のボクは生後半年の赤ちゃん。リョウ君が助けてくれた」
俺は振り向いてそいつを見つめる。どう見ても、高校生にしか見えない。
「リョウ君に助けてもらった後も、ボクの体は目を覚まさないんだ。何度も起き上がろうとしてんだけど、まぶたを開けることもできなかった。ずっと、真っ暗だった」
そいつは淡々と話を続ける。
「真っ暗な中で、ボクは思ったんだ。リョウ君のことを。目は覚めないけど、命を助けてくれた君に恩返しがしたい、って」
「恩返し……?」
「お母さんが読んでくれた絵本の内容を無意識に覚えていたのか、それとも前世、ってものからの記憶なのか知らないけど、ボクは天使に憧れていた。リョウ君がボクを助けてくれたように、今度はボクが天使になってリョウ君を助けたいって、思ったんだ」
「……」
「そうしたら、ボクはいつの間にか体を抜け出していた。そして、空を飛んでリョウ君に会いに行ったんだ。赤ちゃんの姿だと何もできないから、今のこの体になってね」
「そ、それじゃあお前……魂……みたいなものか!?」
「よくわからないけど、そうみたいだね。魂だけになったボクはいろんな力を使うことができた。それで、リョウ君の役に立ちたかったんだ」
「……そうか。まぁ、何っつーか……ありがとな。おかげで、あかりも助かったし」
俺がそう言うと、突然そいつは表情を暗くした。
「実はね。ボク、もうすぐ消えちゃうんだ」
「え?」
「病院まで一瞬で移動させるのに、エネルギーをかなり使ったんだ。今、こうしてこの姿を保つのが精一杯。これ以上力を使うことは出来ない」
「エネルギー……?」
「それに、ボクの体はずっと目覚めないまま。きっともうすぐ死んじゃうんだと思う。体がどんどん弱まっていくのを感じるもの」
――!? 今、こいつはなんて言った?死ぬ……?
「もう、今にも消えそう。でも後悔はないよ。リョウ君に恩返しができたし、天国に行ったら本当の天使に会えるかもしれないから」
死ぬ……? エネルギー……? 恩返し……。頭の中を言葉が渦巻く。なにか、得体のしれない感情が込み上げてきた。
「ゴメンね。もう、恩返しできなくて……」
「違う!」
俺は叫んだ。突然の大声に、そいつは驚く。
「違う……?」
「お前は…本当の恩返しができてないっ!」
自分の言葉に、自分で驚いた。俺はなにが言いたいのだ…?
「その、お前が使ったエネルギーってのは!本当はお前が生きるために使うエネルギーなんだ!それをお前は……っ」
「でも、僕はリョウ君のために……」
「それが違う!本当に俺のためになりたかったら、生きろ! 生きて、元気になることが、一番の恩返しだ!」
ようやく、自分の言いたいことが理解できた。
「イヤなんだよ……せっかく助けた奴が、自分のせいで死ぬなんて……」
「……」
長い、沈黙だった。怒りなのか、悲しみなのか。よくわからないが、熱いものが目に溜まってきた。
「でも、ボクは……」
今にも泣き出しそうな声で、そいつが沈黙を破った。
「もうダメなんだよ!あんな真っ暗な闇で生きるなんて、ガマンできないよぉっ!」
そう叫ぶと同時に、そいつの姿が突然ぼやけ始めた。
「お、おいっ!」
俺の目の錯覚ではない。そいつの姿は徐々に崩れて、淡い光の固まりになった。
「どっち道、もう手遅れだよ! ボクには、もう何もできないよ! 助からないよ!」
光の中からそいつの声が響いてくる。明らかに泣いている声だ。
俺はその光に向かって、もう一度叫んだ。
「助ける!」
心の奥底から、叫んだ。
「俺が助けてやる! 俺は…そんな不思議な力は使えないけど…けど! 助けてやる! 何度でも、何回でも!」
「……どうして?」
声が響く。
「どうして、こんなボクを助けようとするの……?」
「……だってよ。俺たち……」
「ボク達……?」
「もう、友達だろ」
「――!」
「実際のトシは離れてるけど、友達だと思ってる。……違うか?」
「友、達……」
そいつの涙が止まった、と思う。
「また……」
再び光が話す。
「また、会えたら、もう一度友達だって呼んでくれる……?」
「ああ」
力強く、はっきりと俺は言う。
「また会おう。今度は、あかりと三人で」
「……うん」
ゆっくりと、光が薄れて消えた。体のところに戻ったのだろう。
「……頑張ろうな。互いに」
ポツリと独り言を言い、俺はあかりの病室に向かった。
「リョウ!」
病室に入るや否や、あかりが俺の名を呼んだ。
「あかり! 大丈夫なのか!?」
あかりの側にいた医師が代わりに答える。
「ええ。激しく動かない限りは大丈夫でしょう。若さが幸いしましたね」
「へへ。ゴメンね、リョウ。心配かけちゃって」
ベッドに寝たまま、あかりが笑う。
「ちょうど良かった。リョウ、車椅子乗せてくれる?」
「あ? 車椅子?」
「まだ歩くのは無理ですが、車椅子なら結構です。ただし、できるだけ静かにお願いします。私は他の患者を診てきますから」
そう言って医師は病室を出ていく。俺もあかりを車椅子に乗せ、廊下に出る。
「あたし、初めてだ。これ乗るの」
「……どちらに行かれますか? お嬢様」
少しおどけて聞くと、あかりがクスクスと笑った。――よかった。心からそう思う。
その時、近くの病室から先ほどの医師の声がした。
「やった! 奇蹟だ! 目を開けたぞ!」
驚きと歓喜の声だ。俺は車椅子を押して急いでその病室に入る。
そこは、重症患者の個室だった。医師と看護師があわただしく動き回るなか、俺はまっすぐにベッドを見た。
「リョウ。あの子、こっち見てるよ。なんだか嬉しそう」
「……ああ」
笑っていた。俺もあいつも。
「友達に会えたみたいにな」
――天使は、いるのかもしれない…。