5 勇者、散策する
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「ほらなにしてるのよ! 早く行きましょー!」
「……はぁ」
何年と積まれたホコリ、誰の物とも分からぬ血溜まりと吐き溜め。
そんな不衛生な汚い風景の中に際立つ、清涼感溢れる金髪の美少女。やはり美形な顔立ちはどこでも映える。それがたとえ十未満の幼女でも。
俺の監視とか言っておきながら、確実に俺よりもはしゃいでいるエリーザを、後ろからゆっくりと追っていく。
「あんまはしゃぐなよ、転ぶぞ」
「はしゃいでないわよ! あたしはあんたの監視やくなんだからっ!」
振り返りながら、ビシッと俺を指差すエリーザ。しかし言いつけを破るという未知の体験を前に、その表情は隠しきれていない。
……なんだかんだ言って気になってはいたんだな。
それでも出なかったのは、察するに自分だけ外へ出て迷惑かける訳にいかない、とかだろう。
まぁ、確かに貧困街の治安はお世辞にも良いとは言えない。チビ共を出歩かせたら帰ってこなくなるのは想像に難くない。
「ま、孤児院は先生がいるから問題はない……な」
それと、よく分からんが先生の知り合いらしき爺さんも。
見た目皺くちゃのジジイだが……見ただけでも、盾どころか槍にもなり得る。どころかアレは、護衛としては上等すぎる存在だろ。
あのジジイはできる。好々爺然と笑ってはいるが、若い時はさぞ武勲を立てた英傑だろう。
「…………」
ただ、見たこともないはずの皺くちゃの顔を、何処かで見たような感覚に捉われる。
「…………」
気のせい、だろうか。どうだろう。あんな爺さんの知り合いはいないはずだが……。
……しかし、考えていると久しぶりに皆に会いたいな。
偉そうな態度だが気さくでいい奴だった魔術師とか、技だけじゃ一勝も出来なかった師匠とか。
それこそ、彼女にも……。
「…………」
……会えるのか。
いやーーー会っていいのか、今の俺が。
「ーーーナギ、ナギ!」
「ーーーーーー」
深く考え込んで、少しボゥとしていたらしい。前にもこんなことがあったような気がしなくもない。
突然投げられた声に肩を跳ねるも、エリーザはそれに気づかない。
「ナギっ、アレなに? 何かおっきなのがクルクル回ってる!」
目を輝かせながらソレを指差す様は、未知の物を見る子供そのもの。こうしていれば可愛げがあるものを、なぜああもお節介が過ぎるのだろうか。
思わず苦笑が浮かぶ。
「あれは水車だな。アレを使って水を組み上げたりすんだよ」
「ふーん……なんで?」
「組み上げた水で、野菜とか育てたりするためにな」
最も、ここは汚染水が酷くなって農業どころか衣食住の一切が難しくなっているけどな。
今は井戸水を蒸留して清潔さを保っているが、微々たる量しか取れず苦労が多い。
まぁお子様にはそこまでの解説は難しいだろう。それに汚い話題を進んで出したくない。掻い摘んで分かりやすく教えると、より一層笑みを深めた。
「じゃあ、あれは?」
「あれは下水路。いらねぇ水を流すんだよ」
「じゃああれ!」
「排気口。汚い空気を捨てんだ……つか何で汚いのばっか聞くんだ?」
「あれは?」
「あー、あれは……」
ーーーと、エリーザの解説に付き合うこと小一時間ほど経った頃。
「あ、ナギ! 見てあれっ!!」
今までで一番表情を輝かせて、エリーザは一点を指す。
廃墟の如きこことは一線を画する清潔感を持った住宅街。そしてその中を主然としてそびえ立つ領主城。
「……あれが主街区か」
なるほど、こうして見ると貧困街がみすぼらしく見えるのは否めない。
「いいなぁ……」
つい呟いてしまったのであろう。エリーザの視線と小さな言葉には、羨望がありありと浮かんでいた。
「ぁー……」
そこに住む住人のことでも考えたのだろう。それが思わず口に出たということか。
意図せずして聞いてしまった言葉に、気まずくなってしまう。
主街区とは、この掃き溜めみたいな街の……いわば根源みてぇな街と言って良いだろう。表現としては間違いない筈だ。
貧困街も元は、産業によって職人や下請けらが住んでいたそれなりに大きい街だった。
爆発的な経済成長に、人手は大量に必要とされ、住居区は飽和状態にもなったことがあるという。
……しかし前世の日本にも起こった話だが、高度経済成長期というのは、長く続けば害も生まれる。
公害病は有名な話で、この街にもそれが例外なく起きている。
煙害。その他害毒が降って湧いて出た。
この被害で、最も影響を受けたのは水である。飲料、産業、両者の水は完全に汚泥を含むようになり、摂取した人間は病に苦しむようになった。
また、表向き症状の無い者でも内に蓄積された毒素は消えない。それは我が子へ受け継がれ、ある者は病弱、またある者は奇形、と前世の公害病を彷彿とさせる病風の嵐。
この国ーーーシルフェは、勇者達と魔王をぶっ倒した功績で新造された小国らしく、重鎮には戦争で活躍した猛者達で固められた武闘派な国だ。
新参の、かつ国内の安定が成されていないシルフェは早急に手を打つことを決定。多少強引なれど、街を王都からの断絶、そして街への出入りの一切を禁じた。
そして公害の障害を持った人間は感染の疑いを掛けられて追放。ここへ身を落とすことになる。
やがて公害の危険性が薄まるも、戻る者は少なく、また戻ろうとも居場所が無く再び帰ってくる者は後を絶たない。
次第にこの街は貧困層を主とした人物達の巣窟となったーーーと、かつてを語っている本にはそう記述されていた。
先生が保護している子供達も、公害で親を亡くした孤児が大半だ。親戚の引き取り手もいない、腫れ物のような扱いをされてきた奴ら。それを先生は保護し、育てている。
断っておくが、貧困層の公害の影響は既に消えている。でなければ外など出られないし、最悪五体満足ではここまで育たない。
だから、こうしてエリーザが院外学習をすることができる。
「ーーーナギー!」
「っあぁ、はいはい。ちょっと待てよ」
普段抑えが効いている分、お転婆が暴発している。まだ八歳のガキに慎みを求めるのも間違ってるだろうが、もう少し危機感を覚えて欲しい。ここはあの温い孤児院ではないのだから。
苦虫を噛み潰した、だが仕方なしという笑みを浮かべながらエリーザを見る。
ーーーエリーザは死角から剣を振りかぶられていた。