4 勇者、脅される
一部名称を変更しました
ロウウェン→ウェルフリド
「……何か用か、エリーザ」
「なにかじゃないわよ。あんたこそどこ行くつもり?」
年の割には随分とドスの効いた声を出す。俺が年相応なら震え上がっていることだろう。
エリーザは聞いておきながら答えは分かってるようで、誤魔化しは許さないと瞳で語っていた。
俺はそれに怯むどころか肩を竦め、
「散歩だよ。一緒にどうだ?」
「バッカじゃないの!?」
当然、エリーザは憤慨する。
「あれだけリア先生に怒られて、一人で外に出るなって言われたわよね!? なのにどうしていつもいつも……ッ!!」
「散歩の理由なんて、気分転換くらいしかねぇだろ」
もしくは気晴らしとも言う。
ガーッと野獣の如くがなりたてるエリーザの対応は慣れたもので、例に漏れず流々と受け流していく。
ーーーが、それは果たして油断か、あるいは慢心。どちらにせよある種の固定概念を抱いていた。
何か、エリーザは悪戯を思いついたような表情を作り、笑みを浮かべる。
「ーーーさっきナギ、一緒にくるかって聞いたわよね」
「は? あ、あぁ……」
もっとも、こいつが止めにくるもんだと予想してーーーいや、思い込んでの言葉だが。
「そう、そうね……」
ますます笑みを深く浮かべるエリーザ。普段とは違う様子を見せる彼女に、不思議と嫌な予感が禁じ得なかった。
一頻り相槌を打って、よしと声を上げたかと思うと、
「なら私も行く。お呼ばれされたら、付き合ってあげないとね」
「は?」
何だって?
意外な返答に思わず耳を疑う。例に漏れずリア先生大好きなエリーザが、果たしてこんな返答をするだろうかと。
「どうせ何度言ったってきかないだろうし、どうせなら側で見てやる方が安全でしょ?
それにーーー」
そこで言葉を切るとーーーあぁ、何だその表情は。
およそ十未満の子供が浮かべるとは思えない凄みのある笑みを見せながら、
「今出かけてくれたら、夜に外へ出る必要も無いんじゃないかと思うもの」
ーーーあぁ。
瞬間、俺に反対の選択肢など無いのだと、今更ながら直感した。
◇◆◇◆◇
「どうぞ……」
表情に困惑を隠せないまま、リアは孤児院にたった一つ置かれた応接室に老人を招いた。
「すまんのぅ、邪魔するぞい」
それに飄々に従い、何食わぬ顔で席につく老人は、立ちつくすリアを見て呵々と笑った。
「何しとる。お前さんも早く座らんか」
「は、はぁ……」
失礼します、思わず口にしながら、対面に座すリア。明らかに立場が逆転しているが、それに口を出す者は誰一人としてこの場にいない。
「えっと……改めて、お久しぶりですーーー宰相様」
「今はウェルフリドと呼びなさい。久しいのう、リアや」
座っていなければ直角になっているであろう丁寧な拝礼。目に見えて身を硬くするリアに、自らをウェルフリドと呼んだ翁は苦笑した。
「楽にせいよ。師匠と弟子の間に、なぜそう堅苦しい態度が必要になる」
「す、すいません……」
「まぁ、突然の訪問なのはこちらとしても認めるところじゃが」
非があるのを認めながら、してやったりという表情が見え隠れするあたり、リアの態度は予想の範疇であるらしい。
サプライズにしてはキツ過ぎだ、とリアは心労を重ねる。
「それで、本日はどのような……?」
「ほっほ、なぁに、ちょっとした調べ物でな。ついでに、風の噂で聞いた弟子に会いに行こうと思うての」
「……あの、先ほどからそうおっしゃいますが、私は弟子と呼ばれるほどの者では……」
リアの言葉は嘘偽りも誇張もなく、ただ事実。リアがウェルフリドに師事にも満たぬ助言を授かったのはほんの二三日と言ったところだし、これといって術技を学んだ覚えもない。それを機に幾度か交流をしていたが、彼に教鞭を執ってもらったのは後にも先にもあれきりだ。
困惑するリアを見ながら、ウェルフリドは顎から伸びる髭を撫で下ろす。
「そうつれないことを言うな。ワシのお墨付きはそう受け取れぬ物でもないぞ?」
「はぁ……」
「なんじゃ、興味もなさそうに。王宮筆頭魔術師の名は伊達ではないぞ?」
王宮筆頭ーーーいわば王国における最高位。
目の前に座る老人は、即ち王国の魔術師の中で頂点の名を謳う者。
王宮筆頭魔術師ーーーウェルフリド・ウィラート・マグガウェル。
エリリアナ王国最高の魔術師にして、六十年前の大戦の英雄。
勇者と共に戦場を駆け抜けた、前時代の兵である。
「も、勿論ウェルフリド様の後見はいつもより大変ありがたく思っておりますが……」
当然、国民がそれを理解していないはずはなく、またリアも例外ではない。ないのだが、先の曖昧な反応も決してウェルフリドへの不信から来るものではない。むしろ自身が彼の弟子と名乗るほどの者とは恐れ多い、というのが彼女の心象と言ったところだろう。
それを解しているから、ウェルフリドも苦笑する。
「相も変わらず、自己謙遜が激しいのう」
「性分でございますから。
ーーーそれで、本日は一体どのような件でこの街に……?」
この街は、とてもじゃないがそんなウェルフリドが出入りするような格じゃない。貴族その他、上流の心象が悪くなる心配もある。
それを見抜いてか、ウェルフリドは呵々と笑いーーー表情を強張らせた。
「……最近、ここらに王都に出没した連続殺人犯がいるという噂がある。王都ではめっぽうその手の話が消えたでな、下のこの街に逃げ込んでいる可能性があるというものよ」
「…………」
王都と貧困街はほぼ直結しているといっていいくらい近接している。貧困街民の大半が、王都で職を失った者で出来ていると言ってもいい。その時点で性格は大半が荒くれる。もしくは意気地が消え、下った先でも敗残するかの二択。
その為に貧困街から王都へ、は治安の問題から警備兵を間に挟むが、王都から貧困街へは容易く侵入出来るのだ。
「……子供たちを外に出さないようにしなくちゃですね」
そんな貧困街に唯一建つ孤児院の主として、表情を一層引き締める。子供たちには負担を強いてしまうが、皆言うことを聞いてくれるいい子達だ。
たまのワガママくらい、とリアも思わなくもないのだが、今回ばかりは彼らの従順さがありがたかった。
カソックに似たロングスカートを強く握るリアに、ウェルフリドは優しく微笑んだ。
「そう心配するでない。ワシが即時見つけてやるからのう」
「……ありがとうございます。でも、あまりご無理はしないでください。ウェルフリド様はお一人しかおられないのですから」
「そろそろ後釜も育って欲しいところだがのぅ。魔術も政も……」
苦笑いを浮かべながら、そういえば、と不意にウェルフリドは何かを思い出した。
「リアや、先ほどワシをお主まで案内してくれた子がいたが……」
ウェルフリドの言葉にあぁ、と反応するリア。
「ナギくんですか」
「ナギ……ナギというのか?」
「えぇ。周りよりちょっと心が大人なのか、いつも一人でいて。少し態度も悪いし、少し将来が心配なんです」
ふぅ、とリアが将来を心配する傍ら、ウェルフリドは口内でその名を反芻する。
「ナギ……ナギか」
「もしかして、あの子が何か粗相でも……」
「いや、そういう訳ではないよ」
リアにとって、孤児院の子供は全員我が子同然。知古とはいえ、国の上層部に失礼があっては、とつい考えてしまう。
顔を青褪め始めるリアに笑って否定しながら、ウェルフリドは思い出す。
三白眼にも似た鋭い目に、挑発的に顰められた表情。年上を目上と見ない物言いに、既知感を覚える。
「…………」
ーーー不思議だ、と。
名前も似ている。
「ナギ。……ナギサ」
懐かしい名前が呟かれる。
当時自分は二十で、彼は確か十七だったか。
「ナギくんが、お知り合いと?」
「似ている、というほどでもないがの。見てると不思議と思い出す」
よく臣下の前で気安い態度を取り、その度に叱られたものだ。当時より天才の名を欲しいままにしていたウェルフリドに誰もが恭しい態度を取る中、ただ一人気安い態度だった彼をウェルフリドは友だと思っている。
「懐かしいのう……元気か、ナギサや」
同じ時が流れているなら、彼もとうに草臥れていることだろう。
しかし今一度会えたなら、昔のように笑い合いたいとウェルフリドは思う。
ナギの顔に彼の面影を見ながら、ウェルフリドは古い思い出に思いを馳せた。