2 勇者、腐る
「はッ、はっ、はっ、は……ッ!!」
図書室にてこの世界を知ってから、およそ三年。
俺は七歳になり、外へーーー貧困街へ繰り出すこと多くなった。
「ーーー待てゴラクソガキィ!!」
「俺のメシ返せェーーー!!」
外を歩いて、喧嘩や乞食を眺めていたり、裏道を探して軽い探検気分を味わってみたり。
で、今はーーー
「は、はァ……どうせ盗んだもんだろーが! 成長期に譲ってくれよ!!」
「ざけんなぁ!!」
「ぶち殺ォす!!」
感じの悪いおっさん達に追いかけられていた。理由は俺の手にあるのだが、返しても返さなくてもあいつらは俺を逃がさないだろう。
そもそもこれだって、大概はひ弱なジジィ辺りから盗んだ物だ。だったら盗まれたって何も言えないだろう。
「はぁ、はぁ、はぁ……ッ!」
何度も通った路地裏を入る。荒い息のまま、細い建物の間へ潜り込んだ。道と想定されてはおらず、子どもでもギリギリ入り込めるような細い通路だった。
そして直後。
「ーーークソガキィ、どこ行きやがったァ!!」
「ぶっ殺す、出てきやがれッ!!」
「………!!」
荒い息を何とか殺しながら、身を低くして通路を通る。
そして反対側へ出て、後ろを見て……
「……捲いたか」
ようやく、一息ついて座り込むができる。
追いつかれるという可能性もあるが、限りなくゼロに近いと見ている。時々仲間内でさえケンカしてるような連中だ。こちらの姿が見えなくなるまで追いかけるのは、イノシシ辺りと大して変わらんだろう。
……それにしても
「ここは、ホントどうしようもねぇなぁ……」
手に持った黒パン一つで、ガキがここまで追いかけられるのだから。
「……世知辛い世の中だ」
奪ったばかりの黒パンを齧りながら、しみじみと呟いくのだった。
走ったばかりだから、口の中がパサパサした。
◇◆◇◆◇
食料事情は、この街では大きな問題になっている。
実際、俺の住む孤児院も、全員で一杯おかわりしようとしても出来ない程度しか一日食っていけない。
当然、先も言ったように成長期なんだから、それで足りる筈もなく。
俺は外で足りない食料を確保しているのだ。
紙一重のスリルというものがあって、これが中々面白くはある。
当然、十にも満たないガキには危ない。絶対に止められるであろう行為を、敢えて俺は人目を盗んで行っていた。
しかし最近、ついにリア先生にバレて、一人での外出禁止を言い渡されてからは、先生や他の子どもらが寝た時間を見計らって夜歩きをするようになった。夜独特の物静かで危険な雰囲気だが、これはこれで悪くないと夜風と一緒に楽しんでいる。
代わりに、昼は木の棒を剣に見立てて体を動かしたりしている。太い木枝から自分で削り出して作った自信作だ。が、年上連中はごっこ遊びと見ていて表情が生温かった。
しかし、これはこれで暴漢どもに遭った時は役立ったりしているのだ。外へ出れば大概は腐った男連中に絡まれるからな。まぁ俺にとってカモでもあるのだが……。
視界に映る前髪を摘まみながら、
「赤髪とか……ファンタジーもいいとこじゃねぇか。見慣れてるが自分がそうなるのは考えたこともなかったな……」
異世界。
転生。
俺は生まれ変わった。
それに気づいた時、一瞬安心したのを覚えている。
だって死んだ時、全部が終わったと思ったんだぜ?
やり直しが効くと思ったら、どうしたって安心してしまうのは仕方ないと思うのだ。
これで彼女との約束を果たせるとーーー
しかし、同時にあの時の無力感を思い出す。
狂乱する男、惨い事故現場、被害者の血の池。時間は経っていても、あの光景はちょっと忘れられそうにない。
おそらく、あの発狂男は何かしらドラッグでもやっていたのだろう。血走った目にヨダレを垂らしながら突っ込む姿はどうしたって普通じゃなかった。
きっとニュースになったに違いない。俺の死亡が知り合いに知られたらどうなるだろうな……。びっくりしてーーーそこで終わりだろうか。
どうせ一ヶ月ほど騒がれて、それで皆忘れるだろう。社会なんてそんなもんだ。
「……あんなあっさり、人間って死ぬんだよなぁ」
本当に、衒いなく素直な感想だった。どれだけ魔法が使えたり、魔王を倒せたりしても、たった一刺しで人間はあっさり死ぬ。
余りにあっさりと死ぬ。
それが今回は自分だったってだけで。
しかし、それが情けなくて。
「気持ち悪いな、俺……」
なんだか色々とグチャグチャだ。
会いたい? 会いたくない?
謝りたい? 何を?
そもそも彼女は生きてるの?
考えれば考えるほど、深みに嵌まってく。考える度に自分という存在が分からなくなって……
「っ、ゥぶ……!!」
突如、胃の中から込み上げる感覚がし、慌ててトイレへ駆け込んだ。便器へ顔を突っ込み、胃が空っぽになってもえずきが止まらない。
「……あぁ」
ーーーこりゃ、彼女に会えそうもないな。
◇◆◇◆◇
今日も昼間は素振りをしながら、今夜どこへ行こうかと想像する。
体を動かすのは気分がいい。適度に体力を消費でき、眠りが心地良くなる。尚且つ鍛えることにもなるから、一石二鳥にも三鳥にもなる。
何より、仕事とか嫌なこと考えずにしたいことすりゃいいのが素晴らしい。俺はデスクワークより肉体労働の方が合ってるのだ。
ニートと呼ぶ事なかれ、俺はインドアなもやしではなく、俊敏に動けるアウトドアな男なのだ。
孤児院の手伝いもそこそこにやってるし、むしろ子供内じゃあ一番頭がいい自負もある。当たり前か、つかガキに負けたらヘコむわ。
「ナギ」
さて、今日はどこへ行くという話だったか。
孤児院の近くはもう行き慣れたし、こないだのところはあのガラ悪い二人組に遭遇しそうだ。
「ナギっ」
かと言ってそこを抜けばあまり行くとこも無く……。
「ナギ、ナギってば!」
ならば、いっそのこと街の外の方まで行ってみるか!
一度だけ森があるのを見たが、あの時は入ろうとはしなかったんだよな。今なら魔王の眷属とかはキツイが、多少の動物ならなんとかなるかもしれん。
そんな雑念交じりながら素振っていてーーー
「ーーーナギッ!!」
「ぅブ!?」
突然、顔面を丸ごと後ろへ引っ張られた。首がゴキリと音を立てて……無事だろうか、俺の首?
布を被せられ、後ろの方から引っ張られているようだ。あぁ、そう言えばこれをストッキングでやって笑いを取っていた芸人がいたな。何か喋ろうとしても、思ったように口が開かず目も開いているのか不思議だ。
「んーーー、ふーーー!!」
と、というか、これ、死ぬ。普通に窒息して、死ぬ。
ヤバいヤバいやヴァイ……!!
「も、もがっ、ふがごごぐぬ……ッ!」
「あ、ごめん」
ギブアップの意味を込めて、割りと必死に足を叩いて音を立てる。犯人も状況に気づいたようで、あっさりと布を引いた。
「かはッ……はっ、はァ……!!」
し、死ぬ。今のは、マジで死んだかと思った……。
俺は今まさに俺を絞め殺そうとかかった犯人に向けて、鋭い視線を飛ばした。
「っ、はぁ……何しやがる、エリーザ」
視線の先で、俺がエリーザと呼んだ少女が腰に手を当てて仁王立つ。
気の強そうなブルーの瞳に、三つ編みにされた金髪。幼いながら整った顔立ち、白く健康的な肌をした美少女だ。
「だってナギってば、いくら呼んだって反応しないもの。まーだこんなお遊びなんかして」
ナギというのは、今世での俺の名前だ。どうにもリア先生が名付けたみたいだが、前世と名前が似ているのは因果としか言いようがない。
先のやり取りで手放した木の棒を見て、エリーザは鼻を鳴らす。ニヤニヤと含みのある笑顔込みで非常に苛立たしい。
「……別に遊びじゃねぇよ」
憮然として返す俺だが、こんなものはいつものやり取りだ。
「はいはい。そんなお子様なナギにご飯のお呼びにきたのよ。いいから早く付いてらっしゃい」
いつも通りお構いなしと、エリーザは手を引っ張ってくる。至近距離だからだろうか。女子特有のいい香りがこちらまで流れてくる。
姉さん面が、甚だ鬱陶しい。
「後で食うよ……」
軽く握られた手を払いながら、落ちている木の棒を拾いに戻る。
しかし、地面に伸ばした手をひっ掴まれ、
「いいから来るの!」
問答無用と言わんばかりに、肩口から体全てを使って引っ張られる。胸元に腕が当たってたりするがーーーこの年の女子なんて期待薄だろ? 胸骨にグリグリやられているみたいで痛みしか来なかった。
「てててっ、おいコラ、引っ張んな!」
たかが年が一つ上だからって、姉さん風吹かせすぎなんじゃねぇか。背伸びしたがりなお年頃なのだろうが、面倒臭いったらない。
そんな感じで、エリーザに引っ張られる形で孤児院へと戻っていった。
「せんせー、ナギ連れてきたよー」
半開きのドアを足で行儀悪く開けながら、中へ入っていくエリーザと俺。
『ーーーーー!』
ーーーと、俺らの登場に、賑わっていた食堂の声がピタッと止んだ。
子供だらけの食堂の中に、唯一の大人ーーーリア先生がこちらに笑みを浮かべている。
「ありがとうエリちゃん。ご飯出来てるから持って行って貰っていい? 先生お洗濯しなきゃ」
「はーい……ほら、行くよ!」
「いって……っ!」
そのままエリーザは俺を伴い、他の連中が座る場所へ移動するが、
「ーーーぁ」
ササッ、と、跳ねるように周囲の空間が大きく空き、俺らだけ孤立するような状態になった。
「……はぁ」
やっぱしこうなったか……と半ば以上確信に至っていた以上、驚きなどない。
先ほどのうるさい様子から一転、沈んだ表情のエリーザの改めて手を払った。
「いいから、お前はあいつらとメシ食ってろ」
「で、でも……」
「あーうっせぇ、いいから」
強く念を押し、背を少々強めに押して離れた奴らへ押しやる。途端に奴らはエリーザへ歩み寄り、遠目から俺に睨みまで効かせてきやがった。リア先生がいる時とは全く違う露骨な態度だ。
ーーー俺は敬遠で、俺に絡むエリーザはお友達か。
どこから漏れたやら、エリーザのみならず孤児院中に俺の非行ーーー街を出歩いていることーーーは広まっているらしい。
孤児院のガキどもにとって、リア先生は親だ。いや、親以上の信頼を向けている。
だからリア先生に逆らう俺は悪だ。
悪は成敗しなきゃいけない。
しかし先生は困らせたくない。
ならば先生にバレないところでこっそりやろう。
こいつらの脳内心理なんて、こんなところだろう。要するに、自分もリア先生に怒られるのが怖いのだ。
ガキの理論に大人精神の俺が気にするはずも無い。むしろいい度胸だよ。望むところなので、それに乗っかってやってるくらいだ。
この程度、前世のイジメ問題と比べると可愛いもんだ。
◇◆◇◆◇
食事中会話をすることなどなく、黙々と食っていた俺は当然誰よりも早く食事を終えた。
チラチラと視線を感じるも尽く無視し、一人食堂を後にする。エリーザの表情が見えたが、それも無視した。
「さって……足りないけど、腹ごなしに運動でもすっか」
いつも通り、食堂での食事は成長期には少な過ぎる。が、昼間はリア先生に見張られているので食い物をかっぱらいに出ることもできなくなってしまった。
不躾な視線の中にいた所為で、肩が凝った。軽く伸びをしながら、木の棒が落ちている場所へ戻る。
ーーーしかし、戻る過程で捉えた人影が、俺の足を止める。
「あん?」
俺の木剣がある場所。そこに一人、草臥れた皺くちゃのローブを羽織った皺くちゃののジジイが立っていた。
糸のように細い目で辺りを見回しながら、手には俺の剣を持っている。
「…………」
こんなところにジジイ……乞食だろうか。それにしては汚い様子は見られない。
皺くちゃだが老いによるものと見えるし、ローブも使い古しだが幾度か洗っているような清潔感だ。
「…………」
……怪しい。
見た目普通のジジイだが、しかしこの辺では見かけない風貌だ。背筋も微塵も折れ曲がったようには見えない。どこぞの高官か何かだろうか。
とはいえ、あのジジイの手に持つのは俺の木剣。アレがないと素振りが出来ないし、また作り直すのは面倒だ。
やぶ蛇かなぁ、正直億劫になりながらジジイへ近づいた。
「……おいジーさん、そいつは俺の剣だ。返してくれ」