0-2 勇者、後悔する
「どういうことだこれはッ!!」
オフィスの一室に怒声が飛んだ。
机を叩く音とそれに伴って紙束が落ちる音に、縮こまっている男の肩が跳ねた。
「藤崎ィ……今月営業ポシャったの何度目だ? ウチぁ結果が全てだ、数撃ちゃ当たるなんざ通用しねぇんだぞッ」
「す、すいません……」
苛立ちから無意識に出る堅気らしくない言葉に、低頭して反省するより他無い。
その様子と、先ほどからこちらをチラチラと伺い出している目の前の男の同僚達に、溜息を溢して肩を下ろす。
「……まぁ、いい。向こうからは多少目はかけてもらえると言っていた。行かんかったよりはマシだろ。
次はシクんなよ?」
「はい、はい、申し訳ございませんでした……」
「あぁ、行け」
厄介者を払うように手を振られ、若い男は肩を落としてトボトボと部屋を出て行った。すれ違い様に慰めで肩を叩かれるも、気落ちから治る様子もなく視界から姿を消していった。
その背を目で追っていた同僚達は顔を見合わせ、
「……今日も失敗したのか、渚の奴」
「マジで今月何度目すか? ……ちょっとシャレんなんないな」
ひいふうみいと数えて、思わずうへぇ、と声を漏らす。
「あの人よく今日までここに残れましたね。成績不振でしょどう考えても」
「まぁ何も残してない訳じゃないんだけど……」
苦い顔つきで成されていた会話に、もう一人が入ってきた。
「そうそう、実際他所様との橋渡しみたいなことは出来てるしな。それに、別に能力がない訳じゃないんだよ、あいつ」
「へぇ、じゃあ何であの人あんなミスるんすか?」
「それなぁ……」
男の問いに一人は考え込み、もう一人は何かを思い出したのか苦い顔つきになった。
「……俺、渚と一緒に営業回ったことがあるんだけどよ」
「あぁー、そういや言ってたな」
「へぇ、初耳っすね」
「あぁ、まぁ、何つーのかな……俺も基本、ミスっていうか変なことはしないようにしてんだ」
それは仕事だから当然のことだが……何が言いたいのかと訝る二人に苦笑しながら続けた。
「電車とかは一本早く乗ったりとか、取引先にやる土産とか……まぁそういうのは気ぃ遣うだろ?」
「あぁそっすねー。相手のお上にヘソ曲げられちゃたまんないすもんね」
「それがどうかしたのか?」
ますます話がわからない。
「あぁ、まぁそれぐらいは普通なんだよ……それは渚のヤツも分かってんだよな」
ーーーけどなぁ、と。
頭をガリガリと掻きながら、男は同情的な視線を虚空へ向けた。
「運が無いんだよ、あいつ」
「「は?」」
唐突な言葉に表情が固まる二人。
「乗ろうとした電車は時間変更で乗り遅れる。そいで次乗った電車は人身事故。
途中寄った店はどれもこれも入荷待ちで店頭に並ばず。挙句ようやく買った菓子折りは向こうさんの好みに合わなかったらしく、心象はあまりよろしくないようだったな」
「…………」
「うわぁ………」
運が無い、どころの話ではない。天が彼を見離しているとしか思えない不幸の連続だ。
話を聞いた二人は、自分がそうなったらと想像しながら顔を蒼白にする。
「その日は俺がいたからフォローできたけど……あいつに泣きそうになりながら感謝されたよ。
思わずその日の夜飲みに誘って奢っちまったんだけど……」
「そりゃ間違ってねぇよお前」
「それで最後に何もないとか、かわいそすぎますね」
だよなぁ、と呟きながら溜息を吐く。
「まるでマンガかよ、とか思っちまうくらいの不幸ぶりだよあいつは」
「創作じゃお決まりだろうが……現実は厳しいだろうなぁ」
「そっすねぇ……」
結局、三人はそのまま会話に耽り、上司に大目玉を食らうまで話し込んだ。
◇◆◇◆◇
ーーー俺、藤崎渚は元異世界の勇者である。
頭おかしいんじゃないかと疑われるだろうが、妄想でも虚言でもなく、嘘偽りない事実だ。
勇者と言ったらアレだろ。
信頼できる仲間と戦場を渡り歩いて、命を預け合って戦う。そして人類の滅亡を企む親玉と死と隣り合わせの戦いをし、果てに撃ち破るっていう良くある物語っぽいアレ。
どうにも、俺はああいうのに巻き込まれたらしい。最初は実感湧かなかったが、勇者召喚の儀とやらに俺が引っかかったらしい。
最初は勿論戸惑った。それは召喚主も同じだったようで、まさか異世界から少年が召喚されるとは思わなかったらしい。
魔力を全く持たず、戦闘経験皆無の俺に首脳陣は目に見えて落胆していたのを覚えてる。が、召喚の儀において使用される魔力は十年とかそこらじゃ溜まらないらしく、仕方なく俺に御鉢が回ってきた。
尚且つ、俺が召喚された場所以外の砦や国土は落とされていたようで、人口も数万程度の最早絶滅寸前の絶望状態だったらしい。国王も逃亡の際に妻側室共々死亡していた。
最早天運に任せるしかないとのことで。最後の希望が、最早文献にしか無い埃の被った勇者召喚ーーーと聞かされては、流石にまさかと笑い飛ばせなかった。
勿論当初は何で俺が、とか、元の世界に返せ、とか思ったが、最終的には了解した。
国王の死んだ王女に懇願されちゃ断り切れねぇし、何よりその周りの野郎の諦め切った顔が気に入らなかった。
元々、俺は無理だと言われたら反発したくなる気があったしな。まだ何も始まってないのに失望の目を向けられれば、反骨精神が黙っちゃいない。
……まぁ、半ば感情的に了承してしまった俺は、死に物狂いで頑張った。
頑張ったとかいう言葉じゃ効かないくらい頑張った。
血反吐も吐いたし、実際血尿も出たことがある。死にそうになる程度にはした努力の証は、今も手や足に残っている。
最後の最後には魔王ポジションの奴も倒したし。
そんだけ頑張った俺に、周りは称賛の雨をくれた。最初の全く期待してなかった風な顔は何だったんだというくらいの手の平返しである。まぁ、貴族はこんなもんだと王女に諭されちゃ仕方がなかったが。
実際俺も、全軍二〜三万規模の農耕部隊みたいな連中でよく勝てたと思ってるよ。そこは王女様の采配だが。
そっから先はトントン拍子に話が進んでいった。
俺を名誉貴族への上げたりとか、報奨金とか。
果ては件の王女様と婚約ときたから、俺は思わず慌ててしまった。
……しかし、俺はそれら諸々を受け取らずに元の世界に戻った。
そりゃ世界を救った勇者、とか当時高校生の少年から大出世だとは思うけどよ。将来安泰ではあったけどさ。きっと、一生生活にも困らなかっただろう。
王女と結婚の話も、年も一つ二つ程度しか変わらんかったし、むしろ大歓迎ではあった。勿体無かった、とそこだけはずっとずっと思ってる。
……王女様の方も、まぁ、満更では無かったんじゃないかと思いたい。最後の方はなんかそれっぽい関係ではあったし。
しかし同時に、何か違うとも思っていた。
召喚された時からずっと思っていたことで、違和感として旅の間もずっと心に残っていた。
結局、どこまでいっても俺は異世界の人間だ。そう気づいたのは、晩餐会に呼ばれた時だったか。ニコニコ笑顔の裏で腹芸していた貴族を見ていて理解してしまった。
俺は元の世界では、ただの高校生だったのだ。
成績そこそこ。
友人もそれなりにいて。
運動能力オールB程度しか無いそこらの少年。
エキストラとかモブと言っても過言じゃない生活だが、それでもまっとうしていない。つけなきゃいけないケジメがある。
だから、心残りはあるが、俺は元の世界に返してもらった。
王女様に「頑張っていく」と約束してーーー
「あぁ……失敗したぁ」
溜息を吐きながら社員名簿にチェックを入れて、オフィスの自動ドアを潜る。さんさんと照りつける太陽と包み込むような湿気に思わずウッと呻く。
この鬱陶しくなる気温と湿度は、正しく夏真っ盛りだ。学生の頃も不快に感じていたが、社会人となった今ではその感想が甘っちょろいものだったと分かる。
……が、それはどうでもいいのだ。
なぜなら俺はこの陽気など全く問題にしないくらい沈んでいるのだから。
「……」
思わず溜息を溢していると突然上半身だけ前に行く感覚ーーーまぁ要するに何かにつまづいたのだ。
思わず転びそうになる。
「っ」
地面を擦るように歩いていたせいで、ほんの僅かな段差にもつまづいてしまったのだろう。
咄嗟に逆の足を踏み出して、転倒は阻止した。元勇者故のハイスペックでとても大雑把な目で見ればそのまま歩いているように見えなくもない。
が、観衆の目は誤魔化せず、周囲の視線が若干俺に向いた。
「……はぁ」
周りの人間には、何もないところで転びそうになった間抜け、と映っただろう。
羞恥心を誤魔化すように再び溜息を吐き、頭を掻きながらその場をいそいそと離れる。顔が熱いのは暑さのせいだと言い聞かせて。
……今頃向こうはどうしてるだろうか。
国は繁栄しているだろうか、これから数十年は色々と大変だろう。大臣なんかは毎日政務に追われてハゲが広がってしまっているかもしれない。
「…………」
ーーー王女様も、今頃は女王様かな。
他の王族は皆侵略された際に死んでいたから、新たに国として立ち上がったなら彼女は初代女王となるだろう。
……ということは、やっぱり王族として政略結婚は必須な訳でーーー
「ーーーそれがいいだろうな」
片や人類滅亡を防いだ女王。
そして片や元勇者、しかし万年成績底辺でクビ寸前の会社員。
釣り合いなど、取れるはずがない。
比べることすら烏滸がましいというものだ。
いや、そもそも名前など呼ぶことも許されないかもしれないんじゃなかろうか。
様付けか、女王様か……や、そもそも目の前にも立たせてもらえないか。
何やら段々拗れてきながら、歩行者天国になっている都心の大通りを歩く。昨今の環境問題でヒートアイランドと化しながら、平日昼時の人出の多さで暑さに拍車がかかっていた。子供連れは夏休みだろうか。両親の腕をアイス屋に向けて引っ張っている。
「そういえば、もう昼飯の時間か……」
天辺まで登った太陽。時間を意識すると、どうにも腹が空いてきてしまった。財布も持ってきているし、この際コンビニではなく外食でも良いだろう。
何を食おうか。暑いのでラーメンとはあまり食いたくないな。
なら冷たい蕎麦かうどんか……麺類ばかりだな。
昼に何を腹にいれるか、そう考えながら歩いていて。
ーーー鉄塊を叩きつけたような轟音が鼓膜を叩いた。
「ッーーーーー!?」
次いで、地面が震える。まるで爆心地の近くにいたように地表面が震え上がった。轟音と小規模な地震で、周囲の雰囲気は一変、悲鳴すら上がっている。
「な、ぁ……」
何がーーーと呟く前に、勇者として鍛えられた思考は加速していく。
何かが何かに衝突したような音だった。この場で真っ先に考えられるのは交通事故だが、歩行者天国であるので考えつかないが……。
そう考えながら、騒然としている中を走る。特に理由など無いが、強いて言うなら『足が勝手に動いた』だ。
「ーーーーー」
次第に辺りの動きも変わってきて、事故現場らしき場所へ動いているのであろう人を発見することができた。
それを辿って、歩行者天国を中央までいけば、そこにはーーー
「ーーーーーッ!?」
見たこともない光景に、開いた口が塞がらない。
十回建て位の小規模なビルに、一トンは下らない大きさのトラックが頭どころかほぼ半身を突っ込んでいる。
中では壁が大破しているのが見て取れる。運転手はかなり高速で走らせていたのだろう。一枚では効かず、複数枚突き破って停止していた。
では、中にいた人達は……
「ーーーぅ……」
建物内に広がっているであろう地獄絵図を想像するだけで吐き気がする。
それを飲み下しながら、冷静に状況を観察する。
「なんで突っ込んできた。ここは歩行者天国になってんのに……」
知らなかった? 可能性としてはあるかもしれない。しかし途中で気づいたならこんな真ん中まで来ないだろう。見た感じ、相当の速度で走っていたようだし。
とりあえず、警察辺りに電話をーーー
「……あッ、おいアレ!」
携帯を取り出し、番号を素早く打っていると、野次馬の一人が声を上げる。見れば、事故現場を指差して驚愕している。それにつられると、
「お、おい……生きてるぞ」
「運転手か?」
「と、とりあえず電話……警察? いや救急車?」
瓦礫の隙間を縫うように、ヨロヨロと足を引き摺りながら一人が歩いてくる。
生き残りか。運転手か、ビル内にいた人間か。
……いや、今はどうでもいい。それよりも、早く中にいる人の救助を急がなくては。
携帯を操作し、救急車の番号をかける。
電話のコールに逸る気持ちを抑えながら、俺は人が出てきた現場へ視線を向けた。周りに群がっていた人達が、思わず事故現場の方へと走って行くのが見えた。
先ほど現場から姿を見せた男は、二人掛かりで肩を貸してもらっている。フラフラとしていて足取りは怪しかったが、何とか自分の足で立って歩けているようだ。
が、どうにも気持ちが落ち着かないのか、顔は下を向いていて表情が見えない。足も肩を貸されてからは少し引きずるようだった。
まるで、犯人を連れているようなーーー
「ーーーゃる」
「は……?」
未だ返事のないコールに苛立ちを覚えていると、
「…………してやる」
何か、肩を貸されている男が……。
「ーーーてやる」
何かを、呟いてーーー
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………ころしてやる」
鮮血が、舞い散った。
「ーーーは?」
視界が霞む。
思考が止まる。
目の前の光景を、理解しようとも脳が受け付けない。
指先まで硬直し、手から携帯電話が滑り落ちた。
「な、に……が?」
先ほどまでまともに歩けなかった男が突然何かを握って両脇の二人を切りつけて血が何だよこれどうなってんだ。
「殺してやる殺してやる殺してやる殺してやるころしてやる殺してやるコロシテヤル殺してやる殺してやるコロシテヤルコロしてやるコロシテヤル殺してやるころしてやるころしてやるコロシテヤル殺してやるコロシテヤルコロシテヤルコロシテヤルコロシテヤルコロシテヤルーーー」
呪怨を吐くように、ただ一言だけを繰り返して。
その男は斬り捨てた二人の背中を何度もなんどもナイフで突いてーーー
「ーーーぁ」
そんなことしたら、その人たちはーーー
「ぅ、うああああぁぁぁ!?」
「きゃあああーーーー!」
あまりに衝撃的な光景に、理解が遅れていた周囲にも遅れて恐怖がやってくる。
四肢を投げ出すように、あるいは我が子を庇いながら、真夏のビル街が凄惨に包まれる。
そして、その光景を前に元凶はーーー
「ーーーぁァァぁァぁあああアアあああアあああアアアアアアアアアッッ!!」
狂乱したように狂喜しながら、ナイフを構えてこちらへ走ってきた。
「ッ……!!」
その様は人間を逸脱しかけているように見えて、反射的に足を退きかけて視界の端で尻餅をついている子どもが映った。
「ッーーーーー!」
浮いた足を踏ん張り、駆けてくる男を迎え入れた。
ズブリ、と比喩ではなく普通ならば出ない音が脇腹から聴こえてきた。
「ーーーガ、ぁ……ッ!!」
視界神経その他諸々、火花が散ったような錯覚に苛まれた。
「ガアアアアアァァァァァァァァ!!」
「づ……お、おォーーーッ!!」
溢れ出す血。眼下で狂乱する狂人。こいつが身動きするたびに傷口を掻き回されたような気持ち悪い感覚と激痛が走った。
しかし、耐える。
身を離そうとする奴の体へ、のしかかる様にして拘束する。
「ッづ、ぉぉ。ぐっ……寝、てろぉォォ!!」
食堂から逆流してくる何かを歯を食い縛って押しとどめ、諦め悪く暴れている奴の脇腹へ拳を突き入れた。
「づ……お、らああぁぁぁーーー!!」
「っ、っ……ーーーーー」
その後、数発同じ様に首や脇へ決めていき、五分と経たずに沈黙した。
意識を無くし体重を預けてくるのに釣られ、背を強かに打ち付けた。
「ぐ、ッは……!!」
近くで悲鳴がまた起きる、しかしやけに遠く聞こえる。視界も霞みがかっていて、空がぼんやりとしか見えていない。
熱いーーーいや、寒いのか。
傷口は火傷しそうなくらい熱いのに、体の芯は凍えそうだ。まるで傷口に体温を全て持っていかれてるようだ。
「ッ、ゲホ、えほッ……ごほォ!」
ーーーあぁ、無理だコレは。
逆流してきた血の塊を大きく吐き出して、俺はふと悟った。
足は子鹿のように震えて歩けないし視界も意識も朧げで……次の瞬間には眩暈を起こしたように倒れていた。
貧血か? 血が足りていないからそうなのだろう。体から力の抜けたあの気怠い感じだ。
「……、…………」
最早痛覚も麻痺し始めている。言葉も喋れそうにない。
「ェ……ィーーーァ」
覚えたのは、ただ無力感。
そして、あの時の約束を守れずに逝くことになってしまった、自分への深い赫怒だった。
ーーーこの日、俺こと藤崎渚は、あっさりとこの世を旅立つことになった。