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短編小説

雪解けの日

 七年後には世界規模の大会が開催されるんだってテレビのニュースで大騒ぎしている10代の私たちには未来があるらしい。この追い風に乗って何事も前向きにチャレンジするのが正しい子どもの姿なのかな。

 こたつで丸くなってる時点で駄目じゃん。だけど、『今こそ夢に向かって羽ばたく時』そんな眉唾ものの話に乗るほどお気楽じゃない。


 人生は思い通りにならない。

 幸せの次に不幸が遣って来て、最後はプラスマイナスゼロになる。

 具合良く出来ているのだ。

 それが私の一生だろう。


 ピアニストに憧れていた。

 小さい頃からピアノを習っていて大きくなったらピアニストになるんだって決めていた。高校受験も音楽科のある学校を選んで目標を立てて取り組んでいた。

 けれど夢は叶わなかった。


 私の手は小さいのだ。

 鍵盤に指が届かない。どんなに指を広げても9度に届かない小指と親指の距離は変わらない。

 思い余った私は指の股を切り裂き血だらけになって病院に運ばれた。

 母親は酷く傷付き、私もカウンセリングを受ける事になった。

 それ以来ピアノに触れる事を禁止された。どうにも為らない事が世の中にはあるんだと知らされた。


 今でも残る右手の股の傷。

 その傷を見る度に悲しい思いが蘇る。

 夢は夢となって目標を失い、失意のどん底が住処となる。高校受験もどうでも良くてただ寝て食べるだけの毎日。毎日が苦痛で仕方なかった。


 その日も何時もの様に当ても無く散歩をして帰って来た。

 下町にある私の家は築四十年のボロい一軒家だけれど昭和の匂いを残した門構があり、小さな庭と縁側が自慢の趣のある家だ。

 田舎育ちの父と天涯孤独の母が結婚をして最初に暮らし始めた借家で、母が気に入り買い取って少しずつ手を加えて今の状態にしたのだそうだ。

 仕事人間の父はほとんど家の事は母にまかせっきりで育児もご近所付き合いもした事は無い。

 田舎者だとコンプレックスを感じているらしく家族で食事など出掛ける時は洋風のレストランばかりだ。少しでも都会の空気に触れていたいらしい。年の離れた姉と私と母の女系家族で肩身の狭い思いをしていても家長としての尊厳は保っていたいのか亭主関白な所がある。

 父と母を見ていると結婚しても良いことなんて何にも無いような気がする。

 お互いやりたい事を気兼ねなくやり切るとするならパートナーは足枷になる。母は何を買うにも父の了解を得るし、父も週の予定をいちいち母に報告する。

 私と姉は血のつながりがあって遠慮はいらないが夫婦は元は赤の他人だ。仕事だかお付き合いだか知らないが朝方近く帰る父を不信感一杯に感じることもある。

 結婚しない道がピアニストになる事でもあったのにこの先どうすればいいのか分からない。

 お先真っ暗な未来に希望なんかない。

 

 家の鼻先まで来たら玄関口に人影を見付ける。

 若いカップルが何やら密かに囁いている。女の人は気分でも悪いのか深呼吸を繰り返している。それを心配そうに見詰める男の人。

 その内慰めるように頭に手を乗せて髪を撫で、とびっきり甘い目を向けて……チューをした。

 うわっ。生チュー初めて見てしまった。想像以上に恥ずかしい。

 人ん家の玄関先でチューは良い大人がどうなんだろう。

 ちょっと常識を疑う。何時までも見ていられないので声を掛けて退いて貰う事にする。


「あのー家に何か用ですか?」

 二人同時に見詰めてくる。女の人は真っ赤になってうろたえ、男の人は何事も無かった様に堂々としている。中々のイケメンさんだ。


「会社でお世話になっている藤堂と申しますが新井部長はご在宅ですか」


「父の会社の方ですか。ちょっと待ってください」

 勝手口に回って母を呼ぶ。約束が有った様ですぐに出迎える母。私もそのまま家に入って行く。


「結婚のご挨拶に見えたのよ」

 台所でお茶の準備をしながら母が教えてくれる。


「とっても感じの良いカップルね」


「そう? 今そこでチューしてたんだよ」


「やだ。由貴見たの?」


「見えちゃったの! 玄関先だよ。非常識過ぎ」


「上司の家に挨拶だもの。緊張してるんでしょう。大目に見てあげなきゃ」

 余り物のお茶菓子を摘みながら様子を伺う。何時もより機嫌の良い父が笑いながら話している。これまでも何人もの人が家に来たけれど母が『感じが良い』と言ったのは初めてだ。おばあちゃんが未婚で母を生み育て苦労の末に早死にして以来厳しい世の中を生きてきた母は人を見る目も厳しい。めったに褒めたりしない。

 最近人気のアイドルが何を見てもすぐに「かわいい」を連発する姿に呆れ返っている。度を過ぎたお世辞も大嫌いだ。


「あの、すみません。ご馳走様でした」

 飲み終わった湯飲みを片付けに盆を持って来てくれる。


「ありがとうございます」


「これお口に合うか分かりませんが良かったら食べて下さい」


「わあ、何ですか」


「ちらし寿司なんですけどお嫌いじゃなければ」


「好きです。遠慮なく頂きます」

 子どもの頃から厳しく躾けられてるので挨拶も完璧だ。もちろん、ちらしは好きだ。海鮮が沢山乗っているのが好みで錦糸玉子は外せない。

 風呂敷から出されたお重にはラップが掛けてあり具が見える。


「美味しそう! 錦糸玉子がいっぱいだー。……これ、手作りですか?」


「見よう見まねですけど」

 手作りの手土産も初めてだ。なんかちょっと感動したかも。


「素敵な家ですね。手入れがされていて人の温もりが伝わってきます」


「ボロ家ですけど私も凄く気に入ってます」


「藤堂くんから話は聞いていて楽しみにしていたんです。お母さんすごい美人だね」


「見慣れてるから良く分からないけど、そうかな」


「うん。あなたもとってもかわいい。いい家族だよ」


「でも父はろくに家に居た例もないし……いい家族かな」


「家を見れば分かるよ。お母さんが心を尽くして皆に居心地の良い場所を作ってる。私もこれからそう言う家庭を藤堂くんと築いて行こうと思うもの」

 なんだか照れる。

 このかわいい生き物はなんだろう。私より十も年上の女性をかわいいなんて思うなんて可笑しいけど、この人の言葉はストンと心に沁みてくる。

 幸せなんだな。

 幸せな人は周りの人も幸せにするのか。


 五体満足に生んでくれたのにそれだけでは飽き足らず、自分で自分を傷付け、母を悲しませた。叶わない願いを身体の所為にして全てを失ったかの様に嘆いて、聞き分けのない赤ん坊に逆戻りしてしまった。

 

 何かあるのかも知れない……。

 この先、私が必要とする大切な何かが待っているかも知れない。

 不貞腐れていても過ぎる時間が同じなら私も幸せを分けて上げられる人になりたい。


「私は由貴って言います。お姉さんお名前は?」

 雪解けを待つ新芽に静かに降り注ぐ光の様に笑うその人を見つめた。




 


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