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生きるか死ぬかの瀬戸際のお話。


「いってらっしゃいませ」

「いってらっしゃい、お兄にゃん!」


 朝、重い瞼を押し上げて、ご主人様がお出かけになるのを見送ります。

 昨晩、部屋の用意ができていないからとご主人様は猫娘とが一緒にベッドに入ったせいで、私とご主人様の部屋を隔てる壁に一晩中耳をくっつけていたせいで、悔しくて羨ましくて一睡もできなかったせいで、頭も重いですが、


 それでも、さてと考えます。

 さて、どこにしようかと。

 この猫をどこに埋めようかと。


 家の中を汚すわけにはいかないので、外に連れ出しての作業となります。

 なるべく森の奥がいいでしょう。

 木の根元を掘り返してバラバラにして埋めればいい養分になります。

 あとはご主人様がお戻りになるタイミングで家の周りを軽く走り回ってこう言うのです、


「アイタナさんが! アイタナさんがいなくなったんです!! 私が少しばかり目を離した隙に……私の、私のせいで……」


 泣き崩れる私。その頭にご主人がそっと手を載せます。


「大丈夫。きっと見つかるよ」


「ご主人様!」


 泣きつく私。

 もちろん、すでに有機肥料となりつつある猫娘は戻ってきません。

 そしてその晩、つまり今晩、私は枕を抱えてご主人様の部屋を窺います。


「アイタナさんが心配で眠れないんです。今晩一緒に寝てもいいですか?」


 あとはなりゆきで、よろしくな夜を過ごし、朝をチュンチュンと迎え、じきに家族が増えるのです。


 まあ、何にしてもご主人様がお戻りになるにはたっぷり時間があります。

 私はひとまず小休止と思い、椅子に腰を降ろします。

 しかし、私のお尻はいつになっても座面に触れず、触れないまま、とうとうそのままころんと床に仰向けになっていました。

 どうやら椅子は何者かによって引かれたようです。

 そして転がった私の視線の先には天井ではなく、あの猫娘の顔があります。


「何休もうとしてんにゃお前? あたいの部屋を用意するようにお兄にゃんに言われてるだろうにゃ?」

 

 私の口はあんぐり開き、頬に柔らかい素足の裏がねじこまれます。


「狼風情が何様のつもりにゃ? にゃぁン?」


 ちなみに「にやぁン?」は「あぁン?」というチンピラのようなニュアンスです。

 ひとまず私は自分の顔にのっているそれの足首を掴み、全力で引っぱります。

 すると呆気なく猫娘は床にゴンと後頭部をぶつけますので、すかさず背中のバネを使って起きあがった私は、彼女の喉元に足を入れゆっくり体重をかけます。

 かはっと空気を吐き出しながらその口元からよだれが溢れ、白目を剥く姿はユーモア満点。すばらしい隠し芸です。

 ここから喉骨がぱきゃっと心地よく砕ける感触を想像して私は目を瞑ります。

 少々驚かされましたが、思いのほか部屋も汚さずに用を済ませることができてよかったです。めでたしめでた……!


「っツ!」


 私のふくらはぎに激痛が走ります。

 見ると刃渡り二十センチほどの無骨な刃物が外から内へと貫通しておりました。

 その隙に猫娘は私の足元から逃れ、素早く後方に二回跳ねると私との距離を取ります。

 そして私のふくらはぎに刺さっているのとは別に隠し持っていた刃物を脇に構えると、猫ならではの週発力を最大限に活かして、


「死にさらせにやぁー!」


 と、怒号をあげながら彼女は突っ込んできます。

 もうその姿のどこにも愛らしさなどかけらも残っておりません。

 ただの小さなゴロツキです。


 ただ私もそこまで冷静に観察しておきながら、むざむざと刺されるつもりもありませんので、寸でのところで交わして鳩尾に膝を入れてやろうとぎりぎりまで引きつけます。


 ところがどっこいしょ。


「なーんてにゃ」


 と呟いたかと思うと、猫娘は手にしていた刃物をこちらに投げつけ、それと同時に床を蹴ります。

 咄嗟に刃物を掴んでしまった隙に、私の頭は飛び込んできた猫娘の両腿に挟まれたまま床に倒され、今度は私が後頭部をしこたま打つハメになりました。


 これで終わりとばかりに、猫娘は私の手にした刃物をとりあげると、そのまま振りかぶり……すぐに自分の落ち度に気付きます。


 猫を殺すに刃物はいらぬ、指が四本あればいい。

 素手で内臓を抜き取るのは私にとっては花嫁修業の基本のようなもの。

 慌てて逃げ出そうとする猫娘の体を左腕で押さえつけると、右手の四指を揃えて文字通りハートを頂戴すべく、胸を突き刺します。


「にゃっ……!」


 その声は一瞬でした。

 断末魔にも足りない、スタッカートの効いた短い声。

 声と言うのにも足りない、空気が漏れただけの音。


 そのあまりの事態に私の体中の血液が凍ります。


「ふにゃー……危なかったにゃ」


 そういって猫娘は盾に使ったそれをポイと放り投げます。

 部屋の隅まで滑っていったそれからこぼれる大量の血が、床にびゅーっとかすれた線を引きます。

 『それ』なんて言い方はいけません。ご主人様の愛猫のミミがぴくぴく痙攣しています。

 もう中身が四割方出てしまっていて、何をどうしてもこうしてもどうしようもならない感満載です。


 ミミは私よりご主人様との付き合いが長いです。

 ぶっちゃけ、ミミと天秤にかけられたらちょっと自信ありません。


「あ、あなタナたなたた……」


「舌が回ってないにゃん。あなたかアイタナかどっちかにするにゃん」


「何てことを……ミミはご主人様の大切な大切なお友達なのですよ!?」


「あたいは知らないにゃ。あたいは同類同士その猫と戯れていたらお前が急に襲って来たんにゃ。うにゃーん、せっかく友達になれたのにかわいそうにゃビビ」


「ミミですよ!」


「ああ、それそれ」


「第一、ご主人様にそんな理屈が通ると思っているのですか?」


「通るにゃん。あたいのほうがかわいいにゃ!」


 そう言って顔の横で招くようなポーズを取るバカ猫を無視して、私は二階にあがって四十秒で支度を整えます。


「きゅ、急にどうしたんにゃ?」


「逃げます。出来る限り遠くに」


「にゃんで?」


「ご主人様になら殺されてもいいとは思っておりますが、こんな形で殺されるのはまっぴらごめん被るのです。愛のない惨殺は私の理想ではないのです」


「おいおいおい、そんにゃにか? そんにゃににゃのか!?」


「以前、ミミにうっかり腐ったミルクを与えてしまったときがありました……あんな思いはもう……」


 太ももの内側を滑る汗に、一瞬失禁したかと思いました。

 いえ、綿の下着が強力吸収してくれているだけで、もしかしたら若干の粗相をしてしまっているかも知れません。


「だ、大丈夫にゃ! 同じ猫同士、あたいの血を飲ませればすぐに回復するにゃ!」


 私のただならぬ変貌ぶりにようやく焦り出した猫娘は、そう言ってすぐにミミの元へと駆け寄りましたが、その場でぴたりと動きが止まります。


「も、もう死んでるにゃ……」


「死んでしまってはもうダメなのですか?」


「ダメにゃ……」


 私たちはミミの死体を前に途方に暮れます。


「そう言えば……」


 その言葉で始まった猫娘、否、ここからは同士と認めてアイタナと呼ぶことにしましょう。

 私は彼女の発したその名案とも迷案とも取れるそれに明暗を委ねることにしたのです。


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