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91 トラウマは深く根を張り放さない

よろしくおねがいします。

時計の針が進む音と、不快な雷鳴しか聞こえない部屋。引いたカーテンの隙間がいっそう強く光った瞬間、轟音と共に電気が消えた。

窓に背を向け、ソファで膝を抱えていたあたしは恐怖に慄いた。


――あなた、要らないのよ


「違う!そんなことない!!」


――私の前から消えて


「いやっ。煩い!」


――愛してもいない男の子供を産む屈辱、あなたには分からないでしょうね……


「じゃあ、なんで産んだのよ!嫌うために、憎悪を向けるために産んだの!?私は貴女の人形じゃない!!」


母の顔が思い出された。あの日もこんな天気だった。大粒の雨が地面に打ち付けられ、窓を叩き、閃光と共に鳴り響く轟音。

近くに落ちた稲妻が、母の言葉と表情と共に目の奥に焼付いた。


――消えて。私の前から居なくなって。私から母親の愛情が貰えると思ったら大きな勘違いです。私はあなたを愛していた瞬間などありません。この世に産まれ落ちたあの日から……


自分の全てが否定され、拒絶された日。生まれ変わっても忘れられない恐ろしい記憶は、いつまでもあたしに纏わりつく。



寒い。辛い。悲しい……。

ここに居て良いって言って。必要だと言って。伸ばした手を払わないで。

誰か、助けて……!



「――な……!……こっ」


怖い。いや。独りはもう嫌だ。

いやだ、もう嫌……。もう嫌なの……。

助けて、四ツ谷先輩……!


――あなた、要らないのよ


「いやーーーーー!」

「菜子!!」


激しく揺さぶられ、ようやく目の前に誰かが居ると分かった。埋めていた膝は涙でぬれ、今もまだ止まる気配がなく流れ落ちる。

ナコってだれ?私は飯島蓮だよね?


「ナ、コ?」


それは誰だと目の前の人に尋ねた。その人は優しくナコと呼んだ私の髪を撫ぜている。

顔を覗き込んでくるこの人は、どうやらナコを心配しているみたい。


「どうした?大丈夫か?ゆっくりで良い、落ち着け。俺の言っていること、分かるか?」


ゆっくりと頷いた。

自分の呼吸に集中すると、段々落ち着きを取り戻していった。

この人は、四ツ谷海だ。その人が話かけているのは私……じゃない、あたしだ。そう、桜川菜子。

こんなに前世と現世が混濁したのは初めてだった。先輩が来なかったら、蓮に戻っていたかもしれない。

母に縛られ続けていた、飯島蓮に侵食されていただろう。



「先輩?どうして、ここに……」

「お前、苦手なこととか虚勢を張ってどうにかしようとするだろ?だからちょっと心配になって来てみた。良かったよ、来て。大丈夫か?震えてるぞ。寒いならこれ着てろ」


母の記憶に侵されていた時とは違い、暖かな涙が頬を伝った。

声を聴くだけで涙が出て、姿を見ると胸が締め付けられるほど愛しい。

初めての恋は切なくて、痛くて……。でも、嬉しくて幸せだった。

あたしが隣に居られなくても良い。笑顔を向けられなくても良い。ただ、先輩が笑っていてくれたら、それだけで心は春の木漏れ日のようにポッと温かく灯る。

誰かを好きになるという気持ちを教えてくれた大切な人……。


「好きです。四ツ谷先輩が好き」


差し出されたカーディガンを見つめ、気付いたら言っていた。

それは、絶対に伝えないと決めていた想いだった。当たり前のようにするっと口からこぼれた言葉に自分で驚く。

でも、先輩はそれ以上にショックだったのか、表情はこわばり、怒っているようにも、悲しんでいるようにも見えた。

こうなることは分かっていたはず。なのに、なんで言ってしまったのだろう。

気が抜けたせいだろうか。

想いを告げた目の前の人は、首を振って否定している。あたしの気持ちを……。


「……お前は、高天が好きなんだ。高天を好きじゃなきゃダメなんだ……」

「でも、あたしが好きなのは、四ツ谷先輩なんです」

「ダメだ。その気持ちは気のせいだ。もう二度と、そんなこと言うな……!」

「……先輩は?四ツ谷先輩の気持ちはどうなんですか?一条先輩ではなく、あたしは四ツ谷先輩の気持ちが知りたいんです。お願いします。どんな言葉でも構いません。教えてください」


この時のあたしは何も考えていなかったのだろう。とにかく先輩の本音が知りたくて、一条先輩を言い訳に自分の気持ちを隠す先輩にちょっと怒っていたのかもしれない。

言葉なら耐えられると思った。どんな答えでも、それが真実なら、気持ちが通じ合わなくても良かったんだ。


「……なんとも思ってない。菜子は、お前はただの生徒会の後輩だ。俺はな、利用したんだよ。高天がお前を好きになるように、お前が高天を好きになるように……。そうすれば、高天は独りじゃなくなる。高天には寄り添って支えてくれる人間が必要だった。だから利用した。……俺は好きじゃない。決して、好きにはならない。お前がどんなに想いを伝えても、俺は一生応えることは無い」


“お前”と呼ぶ声が温度を失い、突然冷たくなった。先輩の言葉は、まるで自分に言い聞かせているようだ。その端々から、一条先輩を裏切りたくないと伝ってくる。でも、それは一条先輩が望んでいることなのだろうか。

一番の友人として信頼している四ツ谷先輩にこんなふうに想われていると知ったら……。

二人の関係はまるで大道寺先輩と菅谷先輩のようだ。

お互いがお互いを想い過ぎですれ違ったあの二人のよう……。


「自分の気持ちを隠すのに一条先輩を利用しないでください。先輩は今まで誰よりも近くに居たのに分からないんですか?一条先輩は誰よりも強い信念と努力できる力を持った人です。そして誰よりも四ツ谷先輩を信頼しています。あたしは侑吾君にそんなことされたら怒ります。悲しいです」

「……隠していない。さっき言った言葉が本当だ」


いつの間にか涙は止まっていた。

もう、話すことは無いと、先輩が立ち上がる。引き留めようと手を伸ばすが、その手をパシンッと払われた。

あたしを見る目はまるであの時の母のように冷えていた。


「お前は、要らない。俺には必要ない……」


先輩は振り返ることなく行ってしまった。

ぱたんとドアが閉まる。雷は遠くに離れ、再び訪れた静寂が室内を支配した。

払われた手は前世の幼い頃と同じように、伸ばし、払われ、在りどころを失って彷徨い、固まったまま。


言葉なら、耐えられると思った。でも、伸ばした手を払われるとは思わなかった……。

ぽたりと涙が頬を伝う。そのとき、後ろから首筋を撫でられる感触がした。見えないその手は、そっとあたしの視界を覆い隠す。



真っ暗な闇の中、声を聴いた。


『また、要らないって言われちゃったね。可哀想な菜子。バイバイ、偽物のあたし。Game Over.だよ』



――お願い。伸ばした手を、払わないで……。


次回もよろしくおねがいします。

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