90 雷鳴がこだまするとき……
よろしくおねがいします。
三橋家に入ると二階から賑やかな声が家中に響いている。騒音と言っても過言ではないくらいの音。
恵さんと小父さんに挨拶を済ませ、侑吾君の部屋に向かう。侑吾君と彰君の部屋は続き部屋になっていて、間をスライドドアで仕切っていた。それが引かれている。
あたしに気付いた二宮君が僅かに手を挙げ「お帰り」と言った。その表情は疲れ切っていて、今すぐに眠りたいと訴えていた。
家中に響くほど何に盛り上っていたのかと思えば、侑吾君・彰君・奏君・椿の四人がゲームで対戦中。あたしに気付いても姿を見ることなく画面に夢中で、コントローラーを握りながら「お帰り」と言われるだけ。
正座でお説教コースかと思っていたけれど、杞憂に終わりそうだ。良かった。
二宮君の横でぐったりとベッドに凭れ掛かる美穂の隣に座った。
「ただいま。ごめんね、連絡しないで」
「お帰り~。ちゃんと四ツ谷先輩に送ってもらった?」
「うん、家の前まで送ってくれた」
四ツ谷先輩から連絡を受けた五嶋先輩から事情を聴き、あたしのうっかりに全員が納得したらしい。
そのうっかりとは、だいち君を抱っこしたのは良いが、連絡するのを忘れていて、いざ連絡しようとしたときには腕が捥げそうになっていた、と言うことに対して。
あまり納得されたくはないが、しょうがない。今までの所業を鑑みれば致し方ないと思おう。
もう一戦!と息巻く椿を美穂と一緒に力ずくでコントローラーから引きはがし、自宅へ帰ると順番にお風呂に入って寝た。
疲れていたあたし達はパジャマパーティーなどと言う余裕はなく、横になると瞬く間に睡魔に襲われ眠りについた。
翌日の夕方、まだ帰りたくないとごねる奏君を宥め、駅まで送って行った。彰君とまた遊ぶ約束をしていたので、二宮君は「また、付き合わされるのか……」と肩を落として帰って行った。
二宮君にとってこの花火大会は大変疲れるものであったらしい。可哀想に……。頑張れ、お兄ちゃん!
歩きなれた道を三人で歩く。日が沈み始めても暑さは相変わらずで、空から地面から容赦なく熱を放出している。
「なっちゃん、聞いて!今度は僕が奏君のお家に行くんだよ!」
「そうなんだ、楽しみだね」
「うん!兄ちゃんと、花楓君も一緒に遊ぶんだ!」
侑吾君よりもしっかりした面があると言っても、まだ小学三年生。昨日がよほど楽しかったのか、ずっとご機嫌だ。
可愛い。良かった。彰君に新しいお友達が出来て。二宮君は疲れ切っていたけれど、初めて友人の家に泊まった感想をこっそり聞いてみた。その答えは「悪くない」らしい。
大変照れながら言っていたから、有意義な夏休みになったんじゃないかな。なんせ、侑吾君大好きだし。
本人は認めないだろうけどね。
「菜子。俺、菜子が好きだよ」
急に、何の突拍子もなく言われた言葉。その言葉にあたしは笑顔で返した。「あたしも好きだよ」と……。
「この先、何があっても家族で居たい。侑吾君の代わりは居ないの。三歳のころからあたしにとって、侑吾君は絶対なんだ」
「俺もだよ。この先、何があっても俺は菜子の味方だ。ずっと大切な女の子で、大事な家族だ」
自然と手を繋いでいた、幼いころのように。どこに行くにも二人は一緒で、手を繋いで遊んだ。彰君が生まれてからは三人になった。
失うことを想像すらしたくない人の一人。大切で唯一の幼馴染は、この先も騎士のように護ろうとするだろう。だから、あたしが解放してあげなきゃいけない。
「だからね、侑吾君にとっての特別な人を見つけてね?あたしはもう、大丈夫だから」
ギュッと力の入った繋いだ手。少し間を置き、優しく微笑んだ。
何かしらの葛藤があったのかもしれない。いきなりこんな話をし始めたのにも、理由があるのだろう。でも、訊かない。これは訊かなくても良いことだから。
お互いに特別な人が出来ても、あたし達はきっと家族で居られる。そんな予感がする。
「僕もなっちゃんが大好き!兄ちゃんも、母さんも父さんも大好き!」
「あたしも彰君が大好きだよ」
彰君を真ん中に、三人で手を繋いで帰った。幼い日のあのころのように。
夏休みの最後の週、夏期講習が始まった。これが終わると次は実力テストだ。すっかり休みボケは消えていた。
午前は夏期講習。それが終わると午後、学園祭の準備も並行して行われる。
なんで一年間の行事の中で体育祭と学園祭があるのよ!と学園中、走り回ることになったあたしは心の内で悪態を吐く。
そんなのゲームだから。とプレイヤーの時は何も考えていなかったけれど、いざ当事者になるとシャレにならない忙しさだ。
誰だこのゲームのシナリオ造ったやつ!今すぐここに連れてきて!膝詰で説教してやる!!
「戻りました~。これ、各クラスの進行具合と予定予算。あと、特別教室の使用要望書です」
「ああ。そこに置いておいてくれ、後で確認する」
一条先輩の机には紙の束がどっさり置かれていた。その横のスペースにまとめた資料をちょこんと置く。
学園祭と言っても、上位クラスは出し物などほとんどしない。休憩所とか、研究発表みたいなことをやるらしい。うちのクラスはAクラスと合同で迷路。作るのは大変だけど、当日は係りが数名残れば事足りるので、これに決まった。
あたしと二宮君はなるべく参加できるようにすると実行委員に伝えてあるが、今の状況だと難しそうだ。嫌な顔をせず、受け入れてくれるクラスメイトに感謝した。
「ちょっと休憩しようか。菜子ちゃん、悪いけど何か飲み物煎れてくれるかな?」
「は~い。何でもいいですか?良いですよね?飲めれば」
訊いておいて答えを訊かず、冷蔵庫の中からアイスコーヒーと紅茶を取り出し紙コップに移す。椿が「勉強なんてやってられるかー!!」と連日の講習に壊れ始めたので、クッキーを作って宥めた。その残りを紙皿に広げる。
それらを用意している間、先輩たちと二宮君は机の上の整理をしていた。
あたしはもっぱら学園中を走り回る任に付いているので、机仕事はしていない。最初は走り回って嫌だと思ったけど、必死に次から次へと舞い込む紙束を見ていると、楽な役割を回してくれたのだと理解した。
準備ができ、声をかけると終わった順にソファに座り、飲み物に口をつける。そしてクッキーを食べ、体の力を抜いていた。
「は~。これが学園祭終わるまで続くのかと思うと鬱になるな……」
「しょうがないよ。地盤である僕たちがしっかり仕事をしないと、成り立つものも成り立たなくなるからね」
「もう少しすればこの状況も落ち着く。今だけだ」
と、二年目の先輩たちは余裕すら感じられる。そんな三人、特に一条先輩を尊敬の眼差しで見る少年は、入学当初から比べると、幾分幼さが抜けたように見えた。
今日で夏期講習も終わりだ。来週から新学期が始まる。高校一年の夏休みは、あっというまに過ぎて行った。
久しぶりに会った両親は新婚健在で、短くなったあたしの髪を見て「初めてあった頃の友希にそっくりだ」と思い出を語りだした。砂糖が口から垂れ流れ出るかと錯覚するような、砂糖と蜂蜜を混ぜたよりも甘々な会話を繰り広げる両親に、空気を読み自室へと退散。
夕食の時間になってダイニングに行くと並んで座ってラブラブだった。
帰るときも手なんか繋いじゃって……。何年経っても仲が良いのは娘として嬉しいが、恥ずかしくもある。
帰り支度をしていると、窓に雨が当たった。空は暗くなり、稲光が見える。
「降ってきちゃったね、今ならまだそんなに濡れずに帰れるかな」
「そうだな、急ごう」
「あ~、踏んだり蹴ったりだな。勉強に疲れた体に鞭打って仕事した褒美が雷雨かよ」
「そういえば四ツ谷先輩。珍しくサボりませんでしたね。だから雨が降ったじゃないですか?」
「……二宮、言うようになったな。誰に似たんだ?五嶋か?」
皆のやり取りが一切入ってこない。カーテンが空いた室内。遮るもののない窓が稲光を映し出し、雷鳴が轟く。床に固定されたように動かない足は、帰ることを拒否している。
カッと縦に走る閃光が見え、ビクリと身体震えた。
「桜川、どうした?忘れ物の傘があるからそれを差して帰ろう」
カサヲサス・カエル。今、一条先輩はそう言ったよね?
ダメだ。もう思考が正しく機能していない。
青白くなった顔色を自覚しつつ、いつも通りの自分を装った。
「あたし、もうちょっとここに居ます。もしかしたらこっちは酷くならないかもしれないですから。皆さんは先に帰ってください。大事な時期に濡れて風邪を引きたくはないので」
「じゃあ、僕も残ろうかな。菜子ちゃんを一人にするのは色々と不安だからね」
「そうだな、俺も残ろう。雨が酷くなっても夕立なら長くは降らないだろうし」
「大丈夫ですってば!それに勉強もありますし、終わってない仕事、持ち帰ってやるんでしょう?それに、一人で考えたいことがあるんですよ。寮じゃ一人になんてなれませんから」
一人になりたいと言うと、仕方なくといった様子で生徒会室を出て行った。学園祭の準備が始まって忙しくなり、いつも誰かが生徒会室に居るわけではなくなったので鍵を渡されていた。だから戸締りに関しては問題ない。
カーテンを閉め、ソファに座って耳をふさいで膝を抱えた。
これから来る恐怖から身を守るために。
次回もよろしくお願いします。




