89 気づいた気持ち
よろしくおねがいします。
花火が終わる時間が近づき、混雑する前に帰ることにした。先輩たちは一条家の車で帰るらしい。なにその上流階級的な帰路方法は。ああ、そういえばお坊ちゃまでしたね、あまりにも残念なことが多すぎて頭からすっぽり抜け落ちていましたよ。もちろん後輩組はえっちらおっちら徒歩で帰りますよ。
途中までは一緒にということで歩き出したが、浴衣の裾がくんっと引かれた。どこかに引っかけたのかと止まって確認すると、彰君よりのさらに幼い男の子が目に涙を一杯溜めてあたしを見上げていた。
どうしたのかと問おうとした瞬間、「ママじゃないーー!!」と泣き出す。慌てたあたしは助けを求めようとしたが、すでに誰の姿もなかった。
うそ~ん。置いて行かれた?というか、迷子ってやつですか……?
人通りがあるところに立ち止っているわけにもいかず、仕方なく人を避け、道の端に男の子を連れて行った。
「ごめんね、浴衣の色がママと一緒だったのかな?」
そう訊くと、しゃくりあげながら頷いた。
この幼さなら仕方ないけれど、泣き続けるだけで会話にならない。
でもこのままじゃどうしようもないので、最初に待ち合わせた小学校に連れて行くことにした。あそには迷子の案内所もある。
「大丈夫、大丈夫だよ。お姉ちゃんはね、菜子っていうの。君の名前は何かな~?教えてくれる?」
「……ひっく。……だいち」
「そっか~。だいち君だね。今日はママとパパと来たの?」
ゆっくり優しく話しかけ続け、ようやく落ち着いてきた男の子は、徐々に質問に答えてくれた。
この花火大会には両親と一緒に来たこと。ダメだと言われていたのに、好奇心に負けて繋いでいた手を離してしまい、迷子になったこと。年齢は5歳で幼稚園に通っていること。
「怖かったね、でも大丈夫だよ。お姉ちゃんがパパとママを探してくれるところに連れて行ってあげる。それまで頑張れるかな?」
「……うん」
「偉いね。はい、これ。と~っても偉いだいち君にプレゼント」
どうぞ、と渡したのは五嶋先輩からもらったリンゴ飴。もらった物を勝手に誰かに渡すのは失礼だけど、この場合は良いだろう。
手を繋いで案内所に行こうとしたが、先ほどより人が増えている。それもそのはず、花火大会終了のアナウンスが流れていた。
この人ごみの中を5歳の子供に歩かせるのは酷というもの。仕方なくだいち君を抱っこして小学校に行くことにした。
だいち君を不安にさせないために、あたしは持っている知識をフル稼働した。主に戦隊モノや、お子様向け教育番組の……。
良かった~。彰君が小さい頃は一緒に観ていたから、それが役に立った。いまじゃ教育番組は観ないけど、戦隊モノはたまに観ているから、会ったとき話が合うようにとチェックしていたかいがあった。
神様ありがとう!あ、シュラじゃないから。調子に乗らないように。ここ大事。
はぁ~。まだかかるなぁ。しかし、子供って重い。心なしか抱き上げた時より重みが増しているような……。
見てみればだいち君は寝ていた。
しょうがないよね。お祭りではしゃいで、あげく迷子。疲れ切っているに違いないもの。
だいち君を案内所に届けるのは良いとして……。あたし、侑吾君達に連絡するの忘れてた……。
あ~~!!なんで最初にメール送らなかった!バカか、バカなのか!?
どうしよう……。探してるよね。携帯はサイレントにしてるからバイブ機能も働いてないし、全然わかんない。でもきっと連絡が一杯入っているに違いない。
あ、もう腕も限界……。捥げる。感覚無い。痺れた。これ、捥げる……。
腕の限界と戦っていると、呼ばれたような気がした。でも、周りが煩すぎて見渡したが分からない。空耳かと気を取り直して歩き出すと、今度ははっきりと呼ばれた。
切羽詰まったような。祈るような……。真っ直ぐに届いたこの声を、あたしは知っている。
ああ、本当に何なの、この人は。突き放せば良いじゃない。自分の思い通りに行くように、その人を向かわせれば良かったじゃない。
なのに、なんで貴方はそんなに必死に、汗だくになりながら走っているの……?
人にぶつかって、謝りながら。それでも走ることを止めないのはなんで?
あたしを見つけたらきっと怒るだろう。でも、それ以上に喜んで優しくしてくれるんだ。
ずっとそうだった。本当は誰よりも優しく気遣いやで、例え自分が傷つこうと、恨まれ、嫌われようと相手の気持ちを大事にする友達想いな人。
素直になるのは恥ずかしいのか、お礼を言う時は二人きりにならないとダメな人。
そして、ただの後輩のあたしを必死に探し回ってくれる人……。
思わず泣きそうになった自分を叱咤し、その人を呼んだ。
こんな喧騒の中でもあたしの声に反応し、こちらに来た先輩は息を整える間もなく「バカやろうっ!」としかりつけた。
「連絡も入れずに何やってんだ!みんな心配してるんだぞ!……あ~、もう!!……良かった、無事で」
予想通りの反応に、笑みが出た。
先輩は存在を確かめるように頬に触れ、腕に触れ、背中に腕を回すと、ぎゅっと抱きしめた。
耳元で「良かった、無事で……。本当に良かった」と囁かれる。
甘く染み渡る声に体中が侵食されてしまいそう。
あたし、思わず涙が出てしまうくらいこの人が……、四ツ谷先輩が好きだったんだ……。
「なに笑ってんだ。こっちは本当に心配したんだぞ」
「いえ、ありがとうございます。勝手に居なくなってごめんなさい。連絡するのを忘れていて、思い出したときにはこの子、寝ちゃってて」
先輩は体を離して抱いているだいち君を見た。潰さないように抱きしめられたので、規則正しい寝息を立てて寝ている。寝ているのに手にはリンゴ飴が器用に握られていた。
「そういえば、誰だ、この子は?」
「だいち君です。迷子なので、案内所まで連れて行こうとしていました」
説明すると、四ツ谷先輩は額に手を当て溜息を吐いた。
呆れるよね~。自分でも抱っこしたまま、しかも寝ている子供を案内所まで連れて行こうなんて無謀だと思う。
「なるほど、分かった。分かっていないが、分かったことにしておく」
無理やり納得し、誰かに電話をし始めた。「菜子、捕獲」と……。
捕獲って、動物じゃないんだから他に言いようがあったでしょうが。
まぁ、今の状況じゃ分が悪いから何も言いませけど。
「五嶋に電話した。三橋達は先に家に帰るように伝えたから。ほら、代われ。もう腕限界だろう」
「ありがとうございます。正直言って、四ツ谷先輩が来てくれて助かりました」
好意に甘え、だいち君を起こさないように慎重に渡した。体勢が変わって少しぐずるだいち君の背中を優しくトントンすると、安心したようにまた寝始めた。
「へ~。慣れてるんだな」
「彰君が遊び疲れるとこんなふうに侑吾君に抱っこされて帰ることがあったんです。ぐずった時に背中をこうすると寝てくれたので」
「ふ~ん。意外とお姉さんしてるんだ。……迷子になるのに。高天が迷子にならないように手を繋いで公園に連れてきたくせに、自分が迷子になっちゃうくせに」
「……迷子迷子と言わないでくれませんか?大体、四ツ谷先輩が急に居なくなるのが悪いんじゃないですか!こんな場所にきたあの人が、どんな行動をするかは予測できていたはずです!なのに、全部あたしに丸投げして楽しんでいたのはどこの誰ですかねぇ……。あたしは全く楽しめなかったというのに……。どれほど神経をすり減らしたことか。ああ、可愛そうなあたし」
「ははっ。そうとう大変だったみたいだな。悪かったよ、今度埋め合わせしてやる」
「埋め合わせ……。本当ですか?また調子のいいこと言ってるんじゃないですよね?」
「ホント、ホント」
そう言って笑い、空いた手であたしの頭を撫ぜる。
……そうだ、これでいい。こうやってくだらない言い合いをする関係でいい。
これ以上を望んでも、先はないから。
気持ちを伝えたら困らせる。きっと離れて行ってしまう。
だから、そうならないように、すこしでも長く近くに居られるように、この気持ちは隠さなきゃならない。
深く深く沈めて、溢れてこないようにきっちり蓋をして……。
「どうした?急に黙って。気分悪くなったか?」
「大丈夫です。何も問題ありません」
「そうか?ならいいけど……」
いきなりまた心配させてどうする。
大丈夫だ。まだ、大丈夫。笑え!
笑顔を作って見せると、先輩も笑い返してくれたが、ツキンと胸が痛んだ。
案内所に着き、だいち君のご両親を探してもらおうとしていたら、慌てた様子の男女が駆け込んできた。男性は息をきらし、今にも崩れ落ちそうな女性を支えながら必死に説明している。
「うちの息子が迷子なんです。探してください!歳は5歳で、名前は大地と言います!」
ここまで聞き。あたしは先輩と顔を見合わせた。この人たちがだいち君のご両親だ。
「あの~すみません。もしかして、お探しのだいち君はこの子じゃないですか?」
声をかけてようやくあたし達の存在に気付いたらしい。泣いていた母親は驚いて四ツ谷先輩の腕の中で眠るだいち君に目をやる。
そして奪うようにだいち君を掻き抱いた。
「ああ!大地!よかった……!」
母親は抱きしめ、だいち君の小さな肩に顔をうずめて泣いていた。
「良かったですね、だいち君のご両親が無事に見つかって」
「そうだな、しかし……。あんなに感謝されると恐縮するよな」
確かに、と頷いた。
目が覚めただいち君は、一生懸命あたしのことを説明していた。四ツ谷先輩が来たときにはすでに夢の中だったので、知らない人がいつの間にか居て驚いていたが「お兄ちゃんもありがとう」とお礼をいい、ご両親もずっと礼を述べ続けていた。こちらが恐縮してしまうくらいに。
並んで家に向かっている途中、はたと気づいた。四ツ谷先輩は、どうやって帰るの?
「先輩!迎えの車は大丈夫なんですか!?確か、一条先輩の家の車で帰るって……」
「高天と五嶋には先に帰ってもらった。俺も今日は実家に帰るよ、お盆も近いからそのつもりで出て来たし」
あわわ!なんだかみんなを巻き込んでしまった。椿と美穂はおそらく三橋家に居ると思う。鍵は恵さんに預けているけれど、さすがに家人が居なきゃ上げられないし。
これは正座で説教コースかもしれない。
先輩は車で帰るはずだったのに徒歩になっちゃったし……。
「もしかして、ここからご実家ってかなり遠いんじゃ?」
「ん~、気にするな」
やっぱりーー!
最寄駅から学園までだって一時間かかるのに、さらに実家に帰るとなると一時間半?最悪二時間?
さーっと血の気が引く。
「ごめんなさいっ。ここは地元だし、迷子にならない自信があります!一人で大丈夫なので先に帰ってください。これ以上遅くなったらお家の方が心配しますし」
先に帰るように促すと、呆れ顔と共に盛大な溜息。そして「あいたっ」デコピンをお見舞いされた。
「ばーか。たとえ地元だろうがこんな夜遅くに一人で歩かせるわけにはいかないだろ。こういう時は、素直に送られていれば良いんだ」
「でも……。いえ、何でもないです。ありがたくご厚意に甘えさせていただきます」
大丈夫だと言おうとしたら、二発目のデコピンが襲ってきそうだったので言いなおした。意外と痛かったそれは、未だ額をジンジンと熱くしている。
夏休みの初日に二人で行った映画。そういえば、四ツ谷先輩と二人きりで外を歩いたのはあれが初めてのこと。そして今、あたしの隣には想いを自覚した相手――四ツ谷先輩がいる。
届きそうで届かない、わずかな距離。この距離が縮むことは無いかもしれない。でも、今はそれで良い。これで充分。
家までの道のりは他愛もない会話で盛り上がった。一緒に観た映画。一条先輩に未だ食べさせられ続けているホットケーキ。終わらない夏休みの課題。すぐそこに迫っている実力テスト。
その全てが大切な宝物になった。
近所に来ると、家に電気は灯されておらず、椿と美穂が三橋家に居ることが窺えた。門の前まで来ると、自然と無言になった。
別れ難い、そう思うのはいけないことだろうか……。
四ツ谷先輩の望む後輩で居る。そう決めた。だから、いつも通りの桜川菜子で居なくてはいけない。
見えないように唇を引き結び、隣に立つ先輩を見上げる。
「本当にありがとうございました。おかげで腕が捥げずに済みました」
「良かったな、腕が守られて。言っておくが、お前が迷子になっても毎回俺が見つけられる訳じゃないんだからな。今日で学習したろ?何か行動する前には連絡を入れるとこ。これ、大事!」
分かったか?先輩はあたしの頭にそっと手を乗せて言った。
大きく跳ねる鼓動。素直なのは心臓だけのようだ。
「分かりました。でも、今回のは迷子じゃない。決して、あたしは迷子になんかなってませんから!これだけは主張させていただきますっ」
「はいはい、分かりました。……菜子」
「なんですか?」
やけに真剣に名前を呼んだかと思ったら、乗せたままだった手で乱暴に撫ぜ始めた。椿にセットしてもらった髪がいとも簡単に崩れる。
「も~!本当に何なんですか!?」
「急に居なくなる時は一言でいい。ちゃんと言うこと。約束できるな?」
「……どこまで子ども扱いなんですか。分かりましたよ、約束します」
「よし、良い子だ」
良い子って……。子ども扱いにも程がある。
「また学校で」そう言って走って去る後姿を見えなくなるまで見送った。
次回もよろしくおねがいします。




