84 やっと見つけた
木陰に座っているだけなのにしっとり汗を掻く。そんな陽気なのに寒くて仕方がない。いつの間にか目には涙が滲み始めていた。いきなり取り乱し、涙を浮かべるあたしを見て先輩は珍しく動揺していた。
当たり前だ、先輩はあたしの前世を知らない。知っていたら面倒臭がって関わり合いになることを避けたはず。自分なら絶対にそうする。
自分のことは分かった。でも、好きにはなれそうもない。どうやって好きになれというんだ。
「……やっと、分かった気がします。自分の気持ちというか、内面が。そして益々嫌いになりました」
結局見えてきたものはくだらない、前世に捕らわれ続けるバカな女だった。
「五嶋先輩、先輩はあたしのどこに惹かれたんですか?」
そう聞くと「う~ん」と考え込み、そして笑った。
「最初はね、面白い子だなって思った。真面目で責任感が強くて優しくて、傍にいると飽きないしホッとする。でも気が付くと、どんどん危ないほうに走って行ってしまうから目が離せなくなった。僕が守ってあげたいと思った。そうしたらね、見えてきたんだ。笑顔の裏の寂しさというか、孤独に耐える菜子ちゃんの姿が」
ヒュッと息を呑んだ。鋭い人だとは思っていたけれど、まさかそこまで見えていたなんて。このことに気付いている人は他にも居るのだろうか。
見せないように、悟られないようにしてきたつもりだったけれど、人間関係に恵まれて気が抜けていたのかもしれない。それが良いことなのかあたしには分からなかった。
「自分を好きにと言った柳原さんたちが本当に伝えたかったことは、きっと“好きに”じゃなく、嫌いな自分を認めて欲しい、ということだと思うな」
「……認める?」
好きにならなくても良いってこと?それってどういう意味なんだろう。
先輩は子供に言い聞かせるように話した。
「嫌いなものを好きになるって余程のことがないと無理だと思うんだ。だから、認めて許してあげることが自分を好きになるってことに繋がると思う」
認めて許す……。でも、それって好きになる事と同じくらい難しい。
弱い自分を受け入れたら、もっとダメになっちゃう気がする。またアレを繰り返してしまうかもしれない。そんなことになったら、あたしは自分を保てる自信がない。
「菜子ちゃんが嫌いな自分も、今の菜子ちゃんを作った大切な欠片だし、それが欠けていたら僕は君を好きにならなかったかもしれない」
もちろん他の皆もね、と悪戯に笑った。
「……先輩は今の自分自身のこと。どう思っていますか?」
何度かした質問。以前、自分の気持ちほど分からないものはないと言っていたけれど、先輩は一つ見つけている。それがあたしに対しての好意というのが恥ずかしいけど。
先輩は遠くで遊ぶ子供たちを眩しそうに見てから視線を地面に落とした。
「以前は何とも思っていなかった。つまり無関心だね。僕、姉が一人居るんだけれど「あんたみたいな自分にも他人にも興味のない人間がどんな恋愛をするのか楽しみだ」って言われたことがあるんだ」
あれは衝撃だったなぁ~。とのんきに笑って頭を掻いた。
笑えるんだ。そんなこと言われて……。先輩も普通に言いそうだし、この姉弟の感覚は似ているのかもしれない。
弟の恋愛の行く末を心配するどころか、楽しみにしてしまう姉……。ちょっと、会ってみたいかも。
「言われた時は恋愛なんて馬鹿馬鹿しいって笑ったんだ。まるで興味が無かったから。で、いざ好きな人が出来たらこの体たらく。まさか僕が他人に嫉妬するなんて思わなかったし、必死になるなんて考えもしていなかった」
「必死になっていたんですか?そんな感じはしませんでしたけれど」
「そりゃ、情けない姿をわざわざ見せるわけがないでしょ」
うん、確かにこの人の情けない姿は見たことがないし、想像もつかない。自分の弱みになりそうなことを人に見せるわけがない。逆にそんな姿、お目にかかった日には貴重!と思うよりまず先に体調不良を考えてしまう。天変地異の前触れでも可。
「知りたくなかったことも確かにたくさんあるけれど、今が楽しいと思えるから。変わっていく自分を大切に思えるから。だから僕は嫌いな自分も受け入れられた。菜子ちゃんは?変わっていく自分、嫌い?」
そう言われて分かった。
あたしは前世の自分に対して申し訳ない気持ちになっていたんだ。蓮も菜子も同じあたしという一人の人間なのに、いつの間にか違う人間として考えていた。
菜子ばかりが両親に愛され、忙しいが楽しい毎日を過ごすことに罪悪感があった。心のどこかで蓮を裏切っているような気がして……。
誰と居ても、寂しさや悲しさが纏わり付いていたのはそういうことだったんだ。
だから無意識に変わってはいけないと思い、変化を受け入れようとせず、嫌うことで自分を保っていた。
何でそんなこと思っていたんだろう。
サァと風が吹いた。まるで心の淀みすら払うかのような心地よい風が……。
今まで見ていた風景が、さらに輝きを増したかのように感じる。
太陽の光を反射する水。風に揺れる草木。希望に溢れる子供の笑い声。
ああ、世界はこんなにも綺麗で眩しいものだったんだ……。
「変わっていくことは、まだ少し怖いです。でも、先輩の話を聞いて、少しだけだけれど自分を受け入れられたような気がします。これからはもっと良い方に変わっていける。そう、思えるようになりました」
そう言うと先輩は自分のことのように喜んだ。
並んで食べたお弁当の味。笑い合った記憶はこれから先、特別な人が出来ても忘れないと思う。そのくらい蓮と菜子にとって大切な時間になった。
そのようなことを伝えると、「菜子ちゃんて、本当に要らんこと言いというかなんというか……。天然だよね」と溜息を吐かれた。
訳が分からず首を傾げる。「分からなくて良いよ」なんて言うけれど、本当に良いのだろうか。
「進んだのか、下がったのか微妙なところだな」
ぼそりと呟いた言葉はあたしの耳には届くことなく消えていった。
目が合った。いつも見る黒い笑顔に戻っている。何故?
「と、いうことで、これからもガンガン行くから宜しく。僕、意外と諦め悪くてしつこいんだ」
「なにが、「と、いうことで」なのでしょうか?」
「なんだろうね~。さて、帰ろうか」
荷物を纏めてさっさと歩きだす。慌てて後を追い、追いつくと「追われるのって案外気分がいいね」と調子を取り戻した五嶋先輩が言う。
得体のしれない身の危険を感じた。これはいわゆる野生のカンというやつかもしれない。
今回はちょっと短かったですね。
やっと菜子寂しさの理由が書けました。
まだ続きますが、宜しくお願いします。