83 その先に見えたもの
翌日も雲は多いが晴れと言って差支えがない天気。あ~あ、毎日毎日、晴れ晴れ晴れ……。たまには雨が降ってくれないと農家の方々が困るじゃない。そうすると、打撃を受けるのは消費者のお財布なわけでして……。
と、人間の力じゃ解決出来ない天気を考えていても仕方ないので、寮内を動き回れる服装に着替え、食堂に朝食を取りに行くことにした。
食堂はいつもより人がまばらだ。夏休みだからゆっくり寝ている者、帰郷している者が居ないだけで意外と閑散とするみたい。
食事が終わるとお弁当を作るための使用許可をもらった。まだ時間があるので、その前に昨日作ったゼリーを佐々木先輩と大道寺先輩に渡さなくては。メインはこれだから。決して公園でお弁当じゃないから。
部屋に戻って二人の先輩に連絡し、100均で買った紙袋にゼリーを入れた。
直ぐに来てくれると言うことなので、あたしも急いで荷物を持ち、共有スペースに向かう。連絡を入れてから5分も経っていないのに、二人はもう椅子に座って談笑していた。
あれ、いつの間にか良い感じじゃないですか。
すっかり忘れていたけど攻略対象者の皆様方には、あたし以外の女性に目が向くようにしようと思っていたんだった。
だけど、周りの女性って言うのがなんというか……。その……、癖がありすぎて。特に先輩たちには家庭科部でお世話になっている橘先輩たちを、と思っていたんだけど、生徒会と家庭科部は顔を合わせると笑いながら青い火花を散らすものだから、いつの間にか諦めていたんだよね。
それにしても、お似合いだなぁ。なんか、羨ましい。
ちょっとおせっかい虫が顔を出したので、水族館のチケットを2枚減らし、何食わぬ顔で入っていった。
「あ、桜川さん。私達に用事って何?」
佐々木先輩がまず気付き、次いで大道寺先輩がこちらを見た。「お待たせしてすみません」と近づくと、「待ってないから大丈夫よ」と笑った。
本当に綺麗な人だと思う、内も外も。
「この間のお礼がしたくて。これ、もらってください」
「気を遣わせてしまったわね、ごめんなさい。でも、ありがたく受け取らせていただくわ。何かしら……。これはゼリーね」
袋を二人に渡すとお礼を言いながら意外とすんなり受け取ってくれた。まあ、返すのは失礼だし、返されても困るけど。
「ん、これはなんだ。水族館のチケット……?」
封筒から一枚の紙を取出して見る大道寺先輩。それはこっそり抜いておいた内の一枚。
「それなのですが、一枚ずつしか用意できなかったんです……。と、言ってももらい物で、あたしは行ったばかりなのでお二人にと思って」
若干演技が臭いと思いながらも、申し訳なさそうに言う。佐々木先輩も券を取出し、「嬉しい」と言ってくれた。
「私、水族館って好きなの」
「涼しげで良いな。……佐々木、行くか?」
「そうね、行きましょうか。ありがとう、桜川さん。このゼリーもとっても美味しそう。上手なのね」
褒められてちょっと照れてしまう。しかし……。こうも上手く行くとは思わなかったよ。意外とキューピット役とか向いているんじゃないの?あたしってば。
楽しんで来てくださいね、と言って部屋を後にし、次の予定消化に向かう。さ~てと、ちゃちゃっと作りますかね。
サイドイッチ用のパンを買ってきたのでそれを使います。メインはこれで、あとはあたしの好きなおかずを詰め込みます。これ、作り手の特権!
部屋に戻って着替えればちょうど良い時間になっていた。……はぁ~、行くか。嫌だけど、地獄の底から湧き出るような溜息が漏れてしまうけど……。
茹だるような暑さの中、歩くこと数十分。すでにめげそうです。日焼けをすると肌が真っ赤に焼けてしまうので、日傘を使用していても、照り返しの日差しが凶器のように容赦なく襲ってくる。
なんか、毎年ちょっとずつ暑くなっている気がする。こうやって地球は段々とおかしくなっていくのね……。
駅に着くと前髪を下ろした年相応の五島先輩が待っていた。あたしを見つけると、まるで大事なものを見つけた時みたいに特別な笑顔を見せるものだから、どうしたら良いのか分からなくなり、前に進む足が鈍る。
自分の荷物と、二人分のお弁当を入れた籠を持っているのに気づき、慌てて駆け寄ってきた。
「ごめん。こんなに荷物があるのなら、やっぱり寮から一緒に出るべきだったね」
「気にしないでください。見た目より重くないですから。それに、寮から一緒に出たら変な誤解されちゃう」
「僕はその変な誤解、大歓迎なんだけどなぁ。将を射んとすればまず馬を射よってやつだよ。外堀から埋めて、菜子ちゃんが落ちてくるのを待つのも良いよね」
なにそれ、絶対に嫌だ。それにこの人の場合、間違いなく馬を射るよりも将を射るタイプでしょ。しかも笑顔で確実に。落馬なんかしてやらない。死ぬ気でしがみ付いてやる!
「じゃあ、行こうか」とスマートに荷物を持ち、改札へと一緒に向かう。切符は先輩が支払いを済ませてくれている。今日はお昼代があたしで、その他の雑費は五島先輩が持つことになっていた。
まあ、これでイーブンだろう。
夏ということもあって車内は強めの冷房が入り、肌寒い。あたしはこんなこともあろうかと以前、一条先輩が選んでくれたカーディガンを持参していた。それを羽織り、ようやく寒気は収まった。
「可愛いカーディガンだね。菜子ちゃんに良く似合っているよ」
「どうも……」
口を滑らせて、「一条先輩が選んでくれたんです」なんて言ってみなさい。どんな言葉が返ってくるのか、想像もしたくない。
だからあまりカーディガンについては話さないようにした。のだけど……。
「それ、一条が選んだんでしょ?さすがセンスが良いよね」
「なぜそれを!?」
「僕の情報網を甘く見ないほうがいいよ」と、言葉に似つかわしくない笑顔で言う。
学園中に刺客でも放っているのか?いや、まさか。でもありえそうで怖い。
穿った見方をしていると、またもや見透かしたように声を出して笑った。
「本当に菜子ちゃんは面白いね。見ていて飽きないよ」
あなたを楽しませようとしたことはありません。あたしは日々、あなたに対して恐怖を覚えていますよ。その笑顔の裏に何を隠し持っているんですか?
あ、やっぱり答えなくていいです。よけい怖くなりそうなので。
「意外なようだけど、一条って意外と口が軽いんだ。他人のことに対しては言わないけど、自分のことは聞かれたら案外スラスラ答えてくれるよ」
「それって……」
どうなんだろう。あまり良いことではない気がする。自分のことだけだったら良いけど、誰かが関係していたら危ないのではないだろうか。
……でも、よく考えたらあたしが悩むことじゃないよね。相談されたわけでもないし。やめた、バカらしい。
と、一連の考えが終わり顔を上げるとニッコリ笑顔の五嶋先輩と目が合った。
いつも笑っているよなぁ、この人。何が面白いんだろう。
「本当に見ていて面白い生き物だよね、菜子ちゃんて」
はっ?面白い“生き物”?
「……人の顔をじっくり見るなんて、立派な変態さんですね」
ちょっとムカッと来たので言い返した。すると少し驚いたのか目を見開き、再び笑った。
「人は皆、何かしらの変態だよ。僕はたまたま菜子ちゃんに対してそれが表れてしまったみたいだね」
その、変態ですけれどなにか問題でも?発言に遠巻きに熱い視線を送っていた若い女性たちが、一斉に顔を背けた。
目を逸らしたんじゃないんだよ、顔ごと逸らしたの!
まるで少しでも関わったら大変なことでも起こりそうだから逃げておこう、みたいな雰囲気だ。
そんな微妙な空気の中「あ、着いたね」と爽やかに言ってのける五嶋先輩。
強い、あなたの心は強すぎる!まるでRPGの勇者並みの強度だよ!!
棒と何かの蓋があれば目つぶしを繰り出して経験値積みそうな勇者だな!
最近よく来ている気がする公園へ着いた。夏休みとあってか、子供連れが多い。園内の噴水では服のまま水遊びをしている子供もいた。
あたし達は木陰へと向かい、レジャーシートを敷くとそこに腰を下ろす。木陰は思ったよりも快適で心地よかった。
吹き抜ける風が髪を揺らし、火照った頬を撫でる。
近くでは限りある命の限り、精一杯鳴くセミ。少し離れたところでは元気にはしゃぐ子供たち。
「は~、気持ちいいねぇ」
隣に座る五嶋先輩が空気の抜けた声で言った。
「本当、気持ちいいですよね」
同じように感じる人がいる。嬉しいような、くすぐったいような。でも、どこか寂しくて、悲しい。
なんでこんなふうに感じるんだろう。相変わらず解らない自分の心……。
どうすれば自分の心を理解できるのだろうか。理解できたならば、あたしはどう変われるのだろうか。
隣に座り、生い茂る新緑のように輝く子供たちを見るこの人なら、答えをくれるのだろうか。
「四ツ谷と何かあった?」
前を向いたまま、唐突に五嶋先輩は言った。
ドキンッと跳ね上がる心臓の音が頭に響いた。
「え、急になんですか?」
隠し切れない動揺が声に表れてしまう。
先輩は少し寂しそうな瞳であたしを見た。
「今日のこと、四ツ谷に言ったんだ。そうしたら騒ぐでもなく普通に、本当に普通に「あ、そう」って返してきたんだよ。今までの四ツ谷ならあんな反応はしない。これは何かあったなって思った。そうしたら菜子ちゃんもどことなく元気がないしね」
「そう、ですか……?あたしなら元気ですよ、ほら!」
笑顔を作った顔を指さして言った。そうしたら先輩は「ごめんね」と一言。
「僕も今、気持ちがぐちゃぐちゃなんだ。こうして菜子ちゃんと居られて本当に嬉しい。なんたって初恋の想い人だから。でも、四ツ谷も大切な友人で心配なんだけど、強い嫉妬も覚える。菜子ちゃんがこんなに悩む相手が僕じゃないなんて、ってね」
先輩から受けた告白は嬉しかった。それは嘘じゃない。
自分を想ってくれる人が両親以外に居る。当たり前のようで奇跡に近いこと。そんな奇跡のようなことが起こった。
「分からないんです、自分の気持ちというものが。椿たちに自分を好きになれば分かるって言われたけど、自分を好きになるってどうしたら良いんですか?好きになったら本当に分かるんですか?好きになったら、自分の気持ちが分かったらっ!」
言ってからはっとした。言葉にならなかった続き、それは『両親は私を愛してくれましたか?』だ。
愛して欲しかったんだ。諦めた振りをしないと辛いから。平気な振りをしないと壊れてしまいそうだったから。だから自分の気持ちに蓋をして、理解することを拒んだ。自分を守るために。
いつかあの腕が私を包んでくれる日が来ることを夢見て、でもその手は差し伸べることすらしてくれなくて……。
気付かない振りをして、真実は愛に飢えた寂しさに身を固めた孤独な人間。だからゲームに理想を追い求めていた。
やっと見えた。寂しくて、悲しくて、苦しくて。自分で自分を抱きしめて蹲る小さな子供。それがあたし。今生も変わることのないあたし自身だった……。
読んでいただきありがとうございました。
次回もよろしくお願いします。




