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81 お酒は楽しく飲みましょう

朝起きてカーテンを開ければ文句ない快晴。朝露が日に照らされて輝いている。……今日も暑くなりそうだ。


人恋しくなったあたしは早速動き出した。まずは買い出し。

大道寺先輩と佐々木先輩へのお礼のお菓子は、夏なのでするっと喉越しの良いゼリーにしようと思う。各部屋に小さいながらも冷蔵庫が付いているので、要冷蔵品を渡したとしても問題ないでしょう。

大変不本意だけど、そのついでに五島先輩と約束したお弁当の材料も調達する。

そして明日、実行に移す。凝ったものなんて作りません。お米は高いのでサンドイッチで充分です。文句があるのなら食べなくてよろしい!自分で作りなさい!!世の中のお母さんもそう思ってるよ、きっと!


寮近くのスーパーは朝9時からの営業だから、それまでの時間を使って課題を進めてしまおう。太陽が真上に昇る前なら多少は涼しいからね、有効活用しなきゃ。……ほんと、涼しいのは多少だけどさ。


黙々と問題を解く。課題は半分以上を消化した。これが終わったら今度は休み明けの試験に向けての復習だ。

今更だけど、高校生活ってこんなに大変だったっけ?毎日遊んでいたような記憶しかないんだけど。どっちが普通の高校生活なんだろう……。まぁ、あたしにとっては両方とも本当の高校生活なんだけどね。


時間になったのでエコバッグ持参でスーパーに向かい、必要な物だけを購入した。特にお菓子コーナーは視界に入れないように。あそこには魔が住んでいると自分に言い聞かせながら、目的の場所を目指して店内を回った。

帰寮すると使うもの以外を冷蔵庫に入れ、荷物を持って学園の家庭科室へと移動することに。途中、職員室に寄り、家庭科室の使用許可を取る。

職員室に入ると終業式の日以来会っていなかった多門先生は、あたしの顔を見るなり怯え、目も合わせることなく使用許可をだした。どうみても挙動不審。


……なにをやった、十字先生。

あの捻くれまくってどうしようもなかった多門先生をここまで変えるとは……。恐ろしい!

ゼリー作り終わったら差し入れ持って訊きに行こう。



さて、目の前にあるのはゼリーの材料です。粉ゼラチン・フルーツ缶詰・砂糖・サイダー・レモン汁等々……。今日はスタンダードなみかんゼリーと、シュワット爽快サイダーゼリーを作ります。作り方は、溶かして混ぜてって感じですよ。んで、固まれば完成ってね。

最後は冷蔵庫に入れて終了。ふぃ~、達成感。完璧に固まるまで時間がかかるから、残り物でフルーツポンチ作って十字先生の所に顔だそう。

こっちはもっと簡単、切ってシロップ混ぜてサイダーを加える。あと、ミントの葉を乗せて終わり。ゼリーはっと、まだ固まってないから帰りにもう一度来て、部屋の冷蔵庫に入れて明日渡そう。


荷物をまとめて再び職員室へ。鍵は自分で持っているけど、お休み中の使用は許可がいるんだよね。いったん終わったことの報告に行くと、来るって分かっていたくせにまた怯えている多門先生。その先生にフルーツポンチのお裾分け。器は家庭科室にあったものを使用。後できちんと回収に来ます。

さぁ、思う存分食すがいい。

渡された器を手に持ったまま見つめ、固まる。ああ、スプーンがないのね。大丈夫、抜かりなく持ってきましたぜ、旦那。

使い捨てスプーンを渡すと、ようやく「ありがとう」と一言。

お、意外。お礼なんて言わない人だと思ってた。むしろ人の作った物は食べない主義の人だと思ってたよ。先入観はいけないね、改めなくっちゃ。


「どういたしまして。後で食べるのなら冷蔵庫に入れておいてくださいね」

「いや、今食べるよ。……その、桜川。兄に会ったと聞いたが……」

「はい、お店に行きました。お兄さんの料理、美味しかったですよ」


感想を伝えると、先生は自分のことのように誇らしげに眼を輝かせた。

お兄さんが大好きだったという十字先生の言葉に嘘はないようだ。

じっと見ていると、気恥ずかしそうに咳払いをし、「そうか」となにもなかったように装って言った。

……嬉しいくせに。でも、大人の男性の照れ隠しって何か来るものがあるな。これもいわゆる萌ってやつか?


「冷蔵庫にゼリーを入れてあるのでまた使用許可を取りに来ます。一度保健室に行って十字先生に会ってきます」


そう言って失礼しようとすると、「僕も行こう」と言いながら、まだ入ったままの器を手に立ち上がった。ゆらりと揺れてこぼれそうになる。

さんざん扱き下ろされたに違いないのに、自ら会いに行こうというのか……。マゾか、マゾなのか?マゾに目覚めてしまったのか!!それは求めていません!


「えっと、何をしに?」


多門先生が一緒に行くと、大人の飲みでどんなことがあったのか訊けないじゃない。要らない。今は激しく同行拒否したい。


「特に用はない。が、行くと言ったんだ。君に理由を言う必要があるのか?君は一々行動に理由をつけないと満足しないのか?君は――」

「もういいです!」


変わってない。変わってなかったよ、根本は!!

理由を訊くくらい良いじゃないか!いつまで自分が正しいと思ってんだこの男は。ピ――なんて取ってしまえ。多少は傲慢さも落ち着くだろうさ!

はっ、いけない。なんて下品なことを考えてしまったんでしょう。いけないわ、菜子。女性たる者いついかなる時も冷静でいなければ……。


「そうですね、失礼しました。先生がどこへ行こうが、何をしようが自由ですよね。じゃあ、行きましょうか」

「あ、ああ。行こうか……」


食いかかることもせず、淡々と流したあたしにすっかり毒を抜かれたようで、間の抜けた顔をして頷いた。

職員室から保健室までの短い距離。一言の会話もないまま前を行くあたしの後ろを静かに着いてくる。ドアをノックして中に入ると風が吹き抜けた。相変わらずここは風通しがいい。そして、相変わらず保健室の魔女は健在で、暑さなんて感じさせない出で立ちで出迎える。


「あら、ちんくしゃ……と、信ちゃん?珍しい組み合わせね。なに?愛が芽生えちゃった感じかしら?」

「……先生。ありえないと分かっていながら言うなんて、趣味が悪いですね」

「冗談が通じないなんて可愛くないわ。女なら笑って聞き流しなさいよ」


……そんなスキルいらない。聞き流すって危ないじゃん。否定とも肯定とも取られちゃうじゃない。

後ろにいた多門先生は「不謹慎だ」と小声で言っている。

言いたいならハッキリ言えば良いじゃん。大きな声で訴えれば良いじゃん。そんなに怖い目にあったのかなぁ。ますます興味があるわ。この際だからぐりぐり傷口えぐってやろう。

これこそ趣味悪いことだと思うけど、今までのこと考えたらイーブンだよね。


中に通されると適当な椅子に腰を下ろした。あたしはバッグの中から物を取出し、用意する。それをじっと見ている多門先生。でも気にしない。「何ですか?」とでも言えば煩くなりそうだから、ここはあえて無視。

十字先生と自分にフルーツポンチを、紙コップに蜂蜜とレモンの紅茶割を注ぎ、それぞれに配る。

まさか自分にも振る舞われると思っていなかったのだろう、変な顔で固まっていた。


「あんた、相変わらず準備がいいわねぇ。ま、ありがたくいただくわ」

「いえいえ、いつもお世話になっている十字先生に少しばかりの感謝のしるしです」

「そんなにお礼がしたいのなら、無償で私の手伝いしなさいよ。掃除でしょ、備品整理でしょ」


誰がやるか、そんな面倒なこと。前も言ったけど、委員会の生徒にやらせてください。

多門先生は聞いていないのか、興味がないのか黙々とフルーツポンチを食べていた。彼女に「話聞いてる?」と詰め寄られるタイプと見た。


「で、信ちゃんは何しに来たの……って、聞かなくても分かるわ。このちんくしゃにあのお店でのことを言われないか不安で着いて来たんでしょう?大丈夫よ、大人になりきれないガキみたいなプライドを後生大事にぶら下げている信ちゃんにだって、男としての意地ってものがあるでしょうし。蚤よりも小さい沽券は守ってあげるわよ」


……嘘だ。全然守る気なんてないよ、この人。さっきからズタボロに言いまくってるじゃないですか。あ~あ、多門先生撃沈。言い返したいのに何か言ったら、今以上に扱き下ろされるのは目に見えているもんね。

すっかり沈み込んでしまった大人の男性。それを高笑いで高みから見下ろし、満足そうに微笑む魔女。

怖い。今、背筋が寒くなった。

しかし、こうまで言っている十字先生から訊きだすのは無理だよね。同様に大澤先生も無理か……まぁ、しょうがない。蚤よりも小さい沽券を壊すわけにはいかないもんね。そこまで非道じゃありませんから、あたし。

変わったことに免じで許してあげようではないか。


「ところでちんくしゃ。あんた課題は進んでるの?こんなところで油を売っている暇なんてないのよ。この学園の試験、嘗めてんじゃないわよ」

「ご心配なく。課題はもう少しで終わります。後は予習と復習をするだけです。明後日には実家に戻るので、問題なく終わると思います」


実家に帰ったら帰ったでやることはあるから、集中できないかもしれないけれど、寮よりは進むと思う。疲れた時の癒しは確保してあるし。確保っていうか、章君なんだけどね。ああ、早くあの笑顔に癒されたい。


「あら、つまらない高校生活ねぇ。少しは遊びなさいよ」

「勉強しろって言ったり、遊べって言ったり。どっちなんですか?」

「両方よ。両方充実させてこそでしょうが。じゃないと、そこの男みたいになっちゃうわよ~」


と、指摘された男の多門先生は苦い顔をしている。

淹れてあげた紅茶で喉を潤し、「でも」と口を開いた。


「僕は後悔していない。あの日々があったからこそ、今の僕がいるのは間違いないですから。ただ……。十字先輩がおっしゃる通り遊ぶ時間も大切だったと、今なら少し思えます」

「少し、かぁ。あんなに切々と説いてあげたって言うのに……悲しいわぁ」


……うわぁ、楽しそう。説かれちゃったんだ、切々と。しかもお酒の席で……。そりゃ酔えないわ。ちょっと可哀そう。悪酔い確定?


「後悔していないのなら、それは多門先生にとって最善の選択だったのでしょう。でも、友人との時間の共有を少しでも欲しているのなら今からでも遅くはないと思います」

「友人……。居ない場合はどうしたらいい?」


おうっ!?まさかの答えが来ちゃいましたよ。と、思ったけど、ここに居るじゃない。多門先生にとっては不本意だろうけど。

あたしの視線の意味を理解した二人は顔を見合わせ、対象的な表情を作った。

十字先生は勝ち誇ったような顔で。一方の多門先生はこの世の終わりのような顔で首を激しく左右に振っている。

首、もげまっせ。


「いや、待て。おかしいだろう。先輩は先輩であって友人にはなりえない」

「なぜ?年上だと友人になれないと誰が決めたんですか?誰も決めてないですよ。多門先生は十字先生と大澤先生と食事に行ってほんの少しでも楽しいと感じる瞬間はなかったんですか?」


多門先生は腕を組んで考えている。すこし眉間に皺を刻んだ。


「最初は、嫌だった。兄を可笑しな道に誘い込んだ二人だったからな。だが、笑い合っている二人を見て、なぜか僕まで笑っていた。あれはとても不思議な瞬間だった。それを楽しいと言うのならば、そうなのかもしれない」


十字先生は「可笑しな道って、失礼ね」と臍を曲げている。


「あのね、何度も言ったけど、確かにきっかけは与えたわよ、それは認める。だけど選んだのは本人!啓ちゃんなんですからね!すぐそこに居るんだから会ってきなさいよ。なにを拗ねているの?僕を裏切ったとでも思っているの?だから会ってあげないの?あ~あ、なんてくだらない思い込み。啓ちゃんが可哀そう。私に会う度に「信次どう?」って訊く弟思いの兄なのに」


十字先生は傷口に塩を振って塗りこんでいるかのようにまくし立てている。


「裏切ったなんて思っていませんよ!僕はただ、置いて行かれたと思った……あっ!」


まずい、言っちゃったって感じでしょうか?

多門先生は慌てて手で口を覆った。今更遅いのに。十字先生はにまっと笑った。


「やっと言ったわね。よし!信ちゃんの本音が聞けたことだし、ちょうどお昼の時間だし、みんなで啓ちゃんのお店にランチに行きましょう」


そういうと返事も聞かず「ほら、さっさと出なさいよ」と背中を押された。要冷蔵な物を持っていたので保健室の冷蔵庫をお借りすることに。多門先生は「絶対に行きませんよ!」と言いながら机に齧り付いていたけど、無理やり引きはがされていて、ちょっと離れて見ていたあたしは思わず笑ってしまった。

だって、駄々をこねる子供を叱る母親のようだったから。

意地っ張りで素直になれない人には強引に事を進めてしまうのも、時には大切なのかもしれない。先に保健室を出て、職員玄関で待っていたあたしはそう思った。


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