80 ゲームのマジ体験は結構です!
いつもありがとうございます。
「さて、そろそろ帰ろうか」
「そうですね。あ、ブレスレット、改めてお礼を言わせて下さい。ありがとうございました」
立ち上がり、手を差し伸べる先輩の手を取りながら言った。憑き物が取れたような顔だったのだろう、先輩は繋がった手はそのままに、空いた手であたしの頭を優しく撫でる。
「そんなに何度も礼を言わなくて良い。俺が贈りたかったんだ。……これも自己満足だな。だが、悪い気はしない」
手を繋いだまま歩き出す先輩に、慌てて付いて行く。「まるで犬だな」と嬉しそうに笑った。離そうとすると「嫌か?」なんていつか見た悲しそうな眼をしたので、首を振って否定したらギュッと強く包まれる手。
……やられた。最近、あの眼は計算なんじゃないかと思う。
駅に着くと帰宅の人でごった返していた。電車も満員で、あたし達はドア付近に立っていた。潰れてしまわないようにと、先輩が守ってくれた。
そんなに軟じゃない大丈夫だと言えば、憐憫の眼差し……。絶対子ども扱いしてるよね!
電車が揺れる度に押されて、密着度が半端ない。ムギュっと目の前の胸に鼻が近づくと、爽やかなフレグランスが香った。あたしは思わず自分の匂いを確かめる。
……うん、多分大丈夫。でも気になるのは女として当然。無駄な努力と知りながらも、なんとか頑張って離れようとした。それに気付いた先輩は首を傾げ、耳元で「どうした?」と訊いてくる。
周囲に配慮しての行動だと分かってはいるが、囁かれた耳に熱が集中してしまう。
そして思いついたように頷き、あたしの首筋に顔を近づけるとスンっと匂いを嗅いだ。羞恥心で汗が出てくる。
なんてデリカシーの無い男なんだ!!
顔が赤いのを自覚しながら自分より上にある顔を睨んだが、先輩には悪びれた様子が見られない。そして、「臭くないぞ」と言った。
……今、動ける環境なら殴っていたと思う。
「そんなに気になるか?臭わないから安心しろ。そうだな……むしろ良い匂いだ。甘くて、思わず舐めたくなる」
「――っ、な」
何を言っているの、この人は!!
イケメンとは遠くから盗み見て、日々のおかずにする対象であって、体験するものじゃないんだって!!そんな甘い台詞は要りませんから!
あ、やばい。鳥肌が止まらない。拒否反応が半端ないけど、条件反射みたいなものだよね。
言葉もなく、口を開閉させた。
次の停車駅に付き、降りる人よりも乗り込む人の方が多く、開いたドアとは反対に居たあたし達を人の波は潰そうとする。
この恥ずかしい状況がさらに上乗せされ、しかも守るためとはいえ先輩に抱きしめられてしまった。
思考回路はパニック。小さいあたしが脳内で緊急会議。しかし、答えは出なかった。なぜならば、小さいあたしもパニックになっていたから。
抱きしめられたままの状況にも終わりが近づく。下車駅に着いたのです!
あ~良かった。これで解放される!!
背中に回された腕が解かれ、先輩の熱い視線があたしの眼を射抜いた。その真剣な表情にドキンと心臓が跳ねる。
強張ったあたしの体を気遣うように「行こうか」と優しく声を掛ける。ホッと息を吐くと、少し寂しげな眼をした先輩があたしを待っていた。
帰り道、何事もなかったかのように普段通りの先輩に、どう接して良いのか分からなくなったのはあたしの方だった。
上機嫌、なのにどこか上の空。でも、今日の最大の目的を忘れてはいけない。そう、あたしは招待券を頂くために一緒に出掛けたのだから!
思い切って前を歩く先輩に声を掛けると、いつものように「なんだ」と答えた。
「招待券のことなのですが……」
「ああ、大丈夫だ。忘れていない。部屋にあるから帰ったら渡そう」
「ありがとうございます」
良かった、これで最大のミッションはクリアだ。
「……なぜ後ろを歩くんだ?」
「え、別に深い意味はありませんけど」
「なら隣に来い」
そして公園の時のように手を差し出してくる。
手を取るべきか、取らざるべきか……。取ったら何かが変わる予感。
あたしは覚悟を決め、手を取った。繋がった腕で送られたブレスレットが揺れている。
クイッと引き寄せられ、隣に並んだ。繋がった手を見て次に先輩の様子を窺うと、恍惚の表情で見ていて、思わず顔を逸らす。
簡単に手を取って良かったんだろうか……。あたしは、何か間違った選択をしていないだろうか……。
寮に着き、名残惜しそうに手を離した先輩は待つように言うと部屋に戻り、招待券を持って来てくれたので、お礼を言う。
「また礼か?もう何度も聞いたぞ。謙虚なんだか強情なんだか、よく分からない奴だな」
「両親にありがとうとごめんなさいはちゃんと伝えなさいって言われて育ったので」
「そうか、立派なご両親だな。では、俺からも改めて礼をさせてくれ。今日はありがとう、楽しかった。花火大会も楽しみにしている」
「こちらこそです」
「……今日、帰りの電車内で桜川を抱きしめた時、離したくないと思った。ずっとこの腕の中に閉じ込めておけたなら……。いや、悪かった。変なことを言ったな」
先輩の言葉を受け、何も言えずに黙ったままのあたしの頭を優しく撫でると、先輩は男子寮の方へと戻って行った。姿が見えなくなるとあたしはその場にしゃがみ込む。
「……はぁ~~」
あの顔は卑怯だよ。なんでそんな眼で見るかなぁ……。
全然気持ちが追い付かない。なのに周りだけがどんどん先を歩いて行ってしまう。どこで間違えたんだろう。さっきの一条先輩の眼は、自惚れかもしれないけど特別な感情を向けていた。
それに答えるの?あたしが……?あたしなんかが……?
「何やってんだ?」
この世の終わりみたいな顔で蹲っていると、聞き慣れた声を掛けられる。
ああ、なんだ。四ツ谷先輩か……。相変わらずのほほんとした顔しちゃってさ。羨ましいったらないよ。
じと目顔で見ているとたじろぐ四ツ谷先輩は、同じようにしゃがみ込んできた。
「どうした、腹でも壊したか?」
……ここにも居た、デリカシー無し男。さすが幼馴染、嫌な所までそっくり。
「……今日、一条先輩と水族館に行ったんです。で、これ貰いました」
「これ?ああ、ブレスレットか。似合ってるじゃん、良かったな」
「ピンクは慈愛の色でこれはあたしなんだと。そんな出来た人間じゃないって言ったら打算的なのも、偽善で自己満足を得るのも人間なら普通だと言われました」
「そうだろうな。報酬が無きゃ人間は動かないだろう。等価交換ってやつじゃないのか?大きすぎる報酬は時として身を滅ぼす。だから人間は無意識に身の丈に合ったモノを求めるんだ」
成程、やっぱり同じ考えなのね。
はぁ~っとまた大きな溜め息が出てしまった。
「今度はなんだよ」
「いや、なんか、ちょと……。一条先輩って変わりましたよね。以前は冷たい印象しか受けなかったのに、今日一緒に居たら普通の男の子になってて。……何と言うか、異性として見られてどう対処したら良いのか……」
なにあたしべらべら喋っているんだろう。
なんでこの人に助けを求めているんだろう。
「そっか、高天が……。良かったじゃん、お前らお似合いだと思うぞ。なんせそのために俺は高天に菜子を会わせたんだからな」
「え、それってどういう意味?」
「べっつにぃ~。意味なんてないけど?……あ~腹減った。俺、夕飯食べに行って来る」
すくっと立ち上がった四ツ谷先輩は、さっさと食堂へと行ってしまった。
あれ、あたし今、はぐらかされたよね?しかも、何でショック受けてるんだろう……。
ギュッと心臓を鷲掴みにされたように痛い。
利用されたからだろうか。それとも、四ツ谷先輩の計画通りに動かされていたからだろうか……。
どの考えもしっくりこない。誰かに相談したかった、けど、椿は居ない。でも、これって相談して良い内容なのかも分からない。
部屋に戻ったあと、三人の先輩に会うのが気まずくて時間ギリギリに食堂へ行き、夕飯を済ませると、シャワーを浴びて深い眠りについた。
解らない時は寝てしまおう。それで気持ちと頭に余裕を作って、改めて考えよう。
椿の居ない部屋は夏なのに寒くて、無性に侑吾君に会いたくなった……。