70 大人で子供
週が明け、平日。
世間の学生は休みだけど、社会人ともなればそうはいかない。
例に漏れず黒白学園の教師陣もご苦労な事に、本日も定時に出勤していることでしょう。
多門先生に制裁を……。
とまではいかないけれど、その捻じり曲がった性根を叩き直してほしいあたしは朝食後、部活に行く椿を見送ってから学園に向かった。
今日も晴天。朝から茹だるような暑さの中、校庭では運動部が練習に精を出していた。
汗が輝いて眩しい……。
「……若いなぁ」
「お前も若いはずなんだがな、桜川」
思わず出た呟きに反応があった。声の主は我らが担任の大澤先生。
毎度の事ながらタイミングが良いのか悪いのか……。
ま、いいか。探す手間が省けたわ。
「せ~んせっ」
最上級の笑顔で以て呼びかけたのに、いつぞやのように手を前に突出し止められる。
「また厄介事に巻き込まれちゃかなわん。そこで止まれ」
「失礼な!今回は先生達じゃないと出来ないことだから頼もうとしているのに」
子供の問題は(大人も巻き込んだけど)子供で解決したんだから、大人の、しかも同僚の問題はそっちで解決してもらわなきゃ。
大澤先生は突き出した手を後頭部に移動させ、頭をガシガシ掻く。
どうしようか考えているみたい。
「はぁ~……。どんなことなんだ?」
「その前に、日陰か室内に移動しましょう」
暑くて気持ち悪くなってきた。
熱中症とかじゃなく、夏の“もわん”とした空気が苦手で息苦しい……。
少し火照った顔で言えば、「貧弱」そう言われた。
なんとでも言えば良いさ。苦手なモノを苦手と言って何が悪い!
移った場所は勿論、十字先生がいる保健室。外よりは涼しいけれど、やっぱり熱い。これからどんどん気温が上がって来ると思うと辟易する。
「暇人ねぇ」なんて言いながら冷蔵庫から冷えたスポーツドリンクを出してくれた。有難い。
一口飲めば体に染み渡る。
かぁ~!生き返るぅ。
「今度はどんな厄介なこと、持ち込もうとしているのかしら?このちんくしゃは」
「……ちょっとは成長したと思うんですけど」
言いながら自分の胸に両手を当ててみる。
寮住まいで椿と一緒に居るようになり早寝早起きで、しかも食事の量も増えた。身長は……残念ながらミリ単位でしか伸びていないし、体重も変わりないけれど、肉付きは良くなったと思うんだよねぇ。
「どれ?」言いながら十字先生が手を伸ばしてくる。それを大澤先生がバシッと叩き落とした。
「いた~い!なにするのよ、大澤ちゃん」
「くだらないこと話してないで、さっさと本題に入れ。こっちは暇な学生と違って仕事で学園に来てるんだ」
はいはい、すみませんでしたぁ。
「のり悪~い」十字先生は叩かれた手をヒラヒラさせ、椅子に座りなおした。
「お願いと言うのは多門先生のことなんです」
「信ちゃん?あなた、信ちゃんと接点あったかしら?」
「部活の顧問なんです。ちなみに家庭科部」
「ああ、成程ねぇ。でも、あの信ちゃんが顧問だなんて、しかも家庭科部のだなんて……。あはは、あ~可笑しい」
十字先生の高笑い……。凄く似合いますね、さすが魔女。
でも、あたしが気になるのはその“信ちゃん”呼びの方ですよ。
目尻に溜まった涙を拭きとり、自分で淹れたであろうブレンドティを飲んだ十字先生は漸く笑から復帰した。
「で、信ちゃんをどうしてほしいの?」
「あの捻じ曲がった性格をお二人に矯正して欲しいんです」
「成程。だが断る!」
静観していた大澤先生は強く言った。それは室内に響き、やがて静寂が訪れると校庭で練習に励む野球部の掛け声が聞こえて来た。
大きく溜め息を吐いた十字先生が「あのね」と口を開く。
「大澤ちゃんが信ちゃんを苦手にしているのは知っているけれど、確かにちんくしゃの言う通り、あの性格のままじゃ生徒には良くないと思うの」
「なら美晴がやればいい。お前、あいつのこと好きだろ?」
「好きじゃないわよ。私はただ、あの歪んだ性格を見ているのが好きなの。だって面白いじゃない?勝手に優劣を付けて、足掻いて。滑稽で見ていて飽きないの」
そんなふうに思っていたなんて……。これが十字先生なりの愛情表現?
いや、まさかこんな怖い愛情があっていいはずがない。
うん。聞かなかった事にしよう。
「相変わらず歪んだ思想してるな。ま、嫌いじゃない」
「あら、ありがとう。だから大澤ちゃん、一緒にあのガキを矯正しましょうよ」
「そうだな、そういう楽しみもあるか……。よし、今日飲みに誘うか」
「決まりね!強制参加よ~。飲むわよ~。楽しくなってきた!」
大人二人の会話を黙って聞いていたあたしは、お礼を言うべきなのか、お手柔らかにとお願いするべきなのかをわりと本気で悩んでいた。
でも、やる気に満ち溢れ、楽しみが出来たと鼻歌を奏でる十字先生を前に何も言えなくなっていた。
早まったかもしれない……。
今からでも遅くない。多門先生にそれとなく気を付けるように助言してあげようか。そんな考えを読んだかのように大澤先生は意地悪く笑った。
「俺達に任せたこと、後悔しているのか?大丈夫だ、任せておけ。後輩の躾はしっかりしてやるよ」
「そうよ~、任せておいて。あの子のプライドなんて木端微塵にしてあげる」
再びの高笑い。
きっと大丈夫だと思うしかない。二人の道徳心を信じよう……。
この空気に感化されたのかもしれない。長い夏休みが明けたら、多門先生の性格どうなっているのかあたしも楽しみになっていた。
用も片付いたので帰ろうとしたけど、十字先生の「暇なんでしょ?」の言葉でお昼までの時間、お手伝いをすることになった。
薬品・薬剤の使用期限の確認と足りない物の確認。
保健委員という存在が居ながら何故あたしを使うんだ!
訴えたらこう言われました「雑務をやらせるなんて、可哀想じゃない」。あたしは可哀想じゃないのか!
フグのように膨らませた頬を人差指で押され、間抜けな音が出る。
「嘘よ、嘘。いやねぇ、本気にしたの?生徒を信じていないって怒られることだけど、目を盗んで薬を持ち出されないように触らせていないの。危ないしね」
「……じゃあ、あたしは?」
「その点あんたは信頼してるわよ。あんた、自分にとって有害な事には一切手を出さないでしょ。例え友人に誘われてもハッキリ断れるんじゃない?」
「まぁ、確かにそうですけど……。普通そうなんじゃないですか?」
罪を犯したらそれがどんなに軽いものでも罪は罪。
良心の呵責と自分自身の罪の重さで押しつぶされるだろう。
そんなの割に合わないよ。だったら最初からしない方が良い。例えそれで空気の読めない女と思われても、痛くも痒くもない。
「甘いわね。悪いことを悪いと認識出来ない人間も確かに存在するのよ。それを気づかせるのが大人の役目なんだけど、こう生徒が多いと目が行き届かなくて……。本当は親が教えなきゃならないのに、今の親は子供に嫌われたくないからとか甘いこと言って……!」
本格的に怒り始めてしまった。
立ったまま腕を組んで、作業をするあたしの後ろで独り言を続ける十字先生。
そうとうストレス溜め込んでいたんですね。今日は多門先生を肴に飲んで騒いで日頃の鬱憤、晴らしちゃってください。
それにしても、子供に嫌われたくない親かぁ。桜川家の両親は極甘だけど、悪いことすると本気で怒ってくれたからなぁ。
それに引き替え飯島家の両親は一切子供に係ろうとしなかった。面倒は全部お手伝いさんが見てくれていた。
……中村さん。元気かなぁ。
お手伝いの中村さんは生まれた時から蓮の育ての親として甘やかし、時に厳しく接してくれた。
「中村さんが本当のお母さんだったら良かったのに」そう言ったら悲しそうな顔をして、ぎゅっと抱きしめてくれたっけ。
ずっと遠い過去を思い出していると、グ~っとお腹が空腹を訴えてきた。
それをしっかり聞いていた十字先生はクスクス笑う。
「そろそろお昼ね。ちんくしゃ、終わった?」
「終わりましたよ。あ~綺麗、完璧。自分の働きに惚れ惚れしちゃう」
「はいはい、お疲れ様。学園の近くに在るパスタ屋さんでお昼ご馳走してあげるわよ」
「ありがとうございます。美晴先生、大好き。超綺麗」
「現金な女ね……」
十字先生お薦めのパスタ屋さんは学園から近くにあったけど、とても分かりにくい場所に店を構えていて、一見普通の住宅に見えるものだった。
これは前を通っても見逃してしまうな。
カランコロンとベルが鳴る。奥から人の良さそうな、それでいてどこかぼやっとした男性が白いエプロンを身に付け、「いらっしゃいませ」と言いながら出て来た。
「なんだ、美晴じゃないか」
「美晴だって言ってるでしょ?」
あ、このやり取り久しぶりに聞いた。
美晴と呼んだ男性はあたしを見て、首を傾げる。
制服がまずかったのかな?
「美晴、いつのまに彼女を作ったの?しかも生徒……。犯罪だよ」
「どこに目を付けたらそうなるのよ、この安定バカ。雑務を手伝ってくれたお礼にお昼をご馳走しようと思って連れて来たのよ」
「私がこんなちんくしゃ、相手にする訳ないでしょ?」そう言えば「それもそうか」と答えやがった。
くそっ、言いたい放題言いやがって!
見てろ!いつか「ワンダフォ」って言わせてやる!!
「え!多門先生のお兄さんなんですか!?」
「うん、信次の兄の啓一です。よろしくね、えっと……ちんくしゃちゃん?」
「……桜川と申します」
「あはは!初対面の啓ちゃんにまでちんくしゃなんてよばれるなんて、終わったわね」
「ごめんね」と笑いながら謝罪されても響きませんが。
そもそもの元凶は十字先生だよね。全く悪びれた様子もなく、食後のデザートを優雅に頂くってどうなっているの?
店内にはあたし達だけしか居なくて、サービスだと言ってチーズケーキを持って来てくれた。そこから十字先生に男性の素性を明かされ、驚いた所に“ちんくしゃちゃん”……。
どうせあなた達の周りに居るような女性とは体形が違いますよ。悪かったわね!
「信次どう?ちゃんと教師としてやってる?」
「そうそう、そのことで来たのよ。ちんくしゃにね、信ちゃんの曲がった性根を叩き直して欲しいって頼まれたの。今日、飲みに誘おうと思って。良いわよね?」
「良いよ~、好きにしちゃって。えっと、桜川さん?ごめんねぇ、信次、面倒くさいでしょ?あれ、きっと僕のせいなんだ。元は家のせいなんだけど」
多門先生のお兄さんは隣のテーブルから椅子を一つ拝借して、十字先生の横に座って言った。
どいつもこいつも家のせいって……。あたしの周りにはまともな家庭環境の人間の方が少数派なのか!?
「僕の家は代々教師の家系なんだ。両親も祖父母も教師で、僕もその道に進むことに何の疑念も持っていなかった。でもさぁ、夏哉に会って考えが変わったんだ」
はて、“夏哉”さんとは?
訊いていいものかどうか悩んでいると、十字先生が教えてくれた。大澤先生の名前なんだって。
知らなかったよ、マイティーチャー。
最初のHRで自己紹介されているはずよ、と小突かれた。
確か、大澤先生は親の期待に応えようとしていたけど、そこに自分の意思が無いことに気付いて、お兄さんに甘えるなと怒られたんだよね。
と言うことは、多門先生のお兄さんも自分の意思とは関係なく、教師になる道を進んでいたってことだ。そこに気付いたのか。
「勉強にも身が入らなくなって、授業をサボって街に出ていたら、偶然入ったお店の店長さんに「悩め、青少年」って言われたんだ。で、悩んだ末辿り着いた答えは今の僕。親には反対されたけど、僕の人生だからね。好きにさせてもらうよ」
「信ちゃん、啓ちゃんのこと大好きだったものね。憧れていた優秀な兄が可笑しな道に進んだのは、私と大澤ちゃんのせいだって思ってるのよ。あ~、可愛い!」
「え、どのあたりに可愛い要素があったんですか?」
「子供のアンタには分からないかもねぇ。大人のくせに、思春期を拗らせてコンプレックスを膨らませて、誰彼かまわず八つ当たりしてんのよ、信ちゃんは。可愛いじゃない」
……いや、まったく理解できないのですが。
そうか、可愛いのか。
大澤先生の言う通り、歪んだ思想をお持ちのようですね。
十字先生にお支払いのお礼を言い、帰り際、多門先生のお兄さんに何でこの道を選んだのか訊いてみた。
サボっていたときに会ったお店がパスタ屋さんだったんだって。
流されやすい人なんだな……。大澤先生に会わなかったら当たりまえのように教師になっていたのだろう。
良かったのか悪かったのか……。
「今の仕事、楽しいですか?」
「うん、凄く」
そう答えた時の顔が晴々としていて、本当に好きなんだと思えた。
先生達に会えたから今のこの人がいるんだ。なら、良かったんだ。
そう思っていないのが弟とは、ちょっと悲しい。しかもお互いに相手を想っているのにすれ違っているんだもん……。
「十字先生、よろしくお願いします」
「任せなさい!」
「お手柔らかに」そう言うと頭に手を置かれ、ぐしゃぐしゃに撫でられた。
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