67 ご一緒に映画はいかが?
もういいさ、好きなように思うが良いよ。
開き直られたので開き直ったあたしは、やけ食いでデザートの追加を頼んで食した。
うむ、美味です。
口の周りを紙ナプキンで拭いて綺麗に畳んで置き、マスターにお会計をお願いする。マスターは終始笑いを堪えた顔で対応していた。
だから、あたしの為を思うのなら声出して笑って下さいってば。
五嶋先輩は「お金を支払ってもらう代わりって訳じゃないけど」と荷物を全部持ってくれた。ついでに「デートの件、忘れないでね」って笑顔付き。
別に二人で出かけるのが辛いとかじゃないけどさ、出来れば遠慮したい。
大して複雑とは言い難いけど、女心ってやつですよ。
次の日、寮の玄関先で一足先に実家に帰る侑吾君を見送る。
「じゃあ、菜子。何かあったら絶対連絡しろよ」
若干のデジャヴ感を拭えぬまま、「うん、分かった。気を付けてね」と笑って送り出した。
手を振っているあたしの後ろから足音が聞こえて来て、止まったと思ったら「あれ、三橋は帰るのか」なんて自然に声を掛けられる。
手を下ろして振り向くと、おしゃれじゃない寝癖頭の四ツ谷先輩が締まりのない顔で立っていた。
「おはようございます、四ツ谷先輩。寝起きですか?」
「おはよ、菜子。うん、起きたばっかり。だってやっと夏休みだぜ?早起きする意味が分からねぇよ」
きっとあなたには『早起きは三文の徳』って言葉、必要ないのでしょうね。
でも良い所に来た。
眠そうに欠伸をする四ツ谷先輩を見て思い出す。
暇ならば付き合って頂こう。昨日は五嶋先輩の黒い笑顔を引き出してしまったから、今日は控えめに。
「先輩、今日お暇でしたら映画をご一緒にいかがですか?」
ポイントは上目使いと首を傾げる仕草。
自分でも最近忘れ気味だけど、これでも乙女ゲームの主人公ですのよ?
中身は兎も角、外見には自信がありますの、おほほ。
なのに四ツ谷先輩ときたら……!
「菜子……。キモい」
「……行くの?行かないの?どっち!?」
「暇だから付き合えるけど、なに観るんだ?」
あたしは乱暴に携帯を操作しだした。
失礼な奴!今はどうだか知らないけど、一応あたしは貴方にとって想いを寄せる相手でしょう?なのに、キモいって……。
許すまじ、四ツ谷!!
検索した画面を見せると「え?」と尻込みした。
「これ、本当に観たいの?」
「はい。あたしの好きなジャンルの映画です。今日から公開なんですよ」
「……三橋は付き合ってくれなかったのかよ」
「侑吾君はご両親が共働きなので、彰君が夏休み中家に一人にならないように先に帰ったんです。あたしの両親は帰国するのがお盆頃だから、まだ帰る予定じゃないんです」
菜子を置いて行くのは気が引ける、とか言いながら帰った侑吾君。あなたはあたしのなんなのさ。保護者か?
四ツ谷先輩は嫌そうな顔をしながら、「分かった、行く」と承諾した。
「良かった。じゃ、30分後に玄関で」
「うん、分かった……」
そう言って肩を落とし、男子寮に消えて行った。
……ありゃ嫌いなジャンルの映画だったんだな。でも行くって言ったのは本人だし、腹を括って頂きましょうか。
最近ではあたしが生徒会の誰かと二人で歩いていても、何も言われなくなっていた。あの生徒会役員と普通に接することのできる奇特な人間、として尊敬の視線すら感じるようになってしまったさ。
みんな意外と普通な人だから、遠慮せずに話し掛ければいいのに。
憧れは遠くからが良いのかなぁ……。その気持ちは凄く分かる。夢は壊したくない。
身近な存在になったら、ファンの子達が生徒会メンバーに持つイメージが一瞬で瓦解する気がする。
会長は理解し辛い不思議っ子だし、副会長は裏表を使い分ける奴で、会計はお腹真っ黒……。
うん、知らぬが仏って言葉もあるし、このままで良いよね。
部屋に戻ってバッグに必要な物を入れ、部屋着から私服に着替えた。膝丈の桃色ワンピースにデニムの半袖ジャケット。靴は5センチヒールのミュール。
鏡の前に立ち上から下までチェックする。悪くも無いが良くも無い。無難な格好だろうと一人頷き、部屋を出た。
待ち合わせの玄関に行くと、不良座りで項垂れる先輩の姿を見つけた。
寝癖はワックスで整えられ、ネイビーのポロシャツにベージュのクロップドパンツで爽やかに纏められている。
ゆっくり近づいて顔色を窺うと、先ほどよりやつれたように見えた。
「そんなに嫌なら止めますか?」
「うわっ、いつ来たんだ!?」
近付く人の気配にも気づかないとは……。具合が悪くなるほど苦手なら約束はキャンセルしてくれていいですよ。承諾したのは四ツ谷先輩ですけど、嫌いな事を無理やり押し付けて喜ぶ趣味はないですから。それを喜んでやるのは貴方の友人、五嶋悠斗くらいです。
「大丈夫だ、行こう」
重い腰を上げた四ツ谷先輩は覚悟を決めた顔をしていた。
これから戦いに行くわけじゃないんだから、そんなに思いつめた顔をしなくても良いのでは?
そうしてやって来た映画館。さすがに混んでいたが希望の席を購入できた。
トイレに行って来ると場を離れた先輩をロビーの椅子に座って待っていると、知らない男の人に声を掛けられた。
なんだろう?そう思って見ると、女性受けの良さそうな大学生くらいの男性が居た。
「こんにちは、今日は一人で映画ですか?」
あからさまなナンパと違って本当に普通に話しかけるものだから警戒心も湧いてこない。だからあたしも普通に返してしまった。
「人を待っているところです」
「そうなんですか、それは残念だ。お互い一人なら一緒に映画を楽しもうと思ったのに」
優しそうな雰囲気を持っているが、押しが強そうだ。
ちょっと警戒しだした時、四ツ谷先輩が戻って来る姿を見つけ、あからさまにホッとしてしまった。その顔をみた男性が笑った。
「ああ、デートの最中でしたか。これは失礼しました」
「いえ、デートをするような関係ではないので」
「そうなんですか?でも僕には彼が視界に入った時、嬉しそうに見えました。お二人はこれからなんですね。羨ましいなぁ」
これから……?そうだよね、傍目には恋人に見えても可笑しくないよね。
意識したら恥ずかしくなってきた。カッと頬に熱が集まる。
「照れた顔も可愛いね」
「別に可愛くないですから」
熱を冷まそうと頬に手を当てた。傍まで来た先輩は遮るように間に立ち、男性からあたしを隠そうとする。
「どうも~。この子に何か用ですか?」
口調は軽いのに声色は重い。対面した男性は分かっていながらも、のほほんとしていた。
「一緒に映画を観られたらと思って声を掛けたんだけどね、恋人候補がいるとは思わなかったよ。可愛いね、彼女。大事にしなよ」
「じゃあね」そう言って手を振り映画館から出て行った。あの人はなんだったんだろう……。不思議な体験をしてしまった。
「このバカ!ナンパなんてはっきり断れよ!」
「間に入ってくれたのには感謝しますけど、その言いは酷いです!」
「酷くない!……トイレから戻ってあんな光景見せられて、心配したんだぞ」
急に真剣な声で言わないでよ、あたしが悪かったです。ごめんなさい。
「あいつも言ってたけど、菜子は可愛いんだよ。目は大きくて色白で、髪はフワフワ。まるで人形みたいだ。……あ、照れるなよ?言ってる俺が一番恥ずかしいんだから」
「はい……、ありがとうございます」
もの凄く恥ずかしい。こっちに注目している人は居ない、周りが煩くってよかった。
お互い赤い顔をしたままだけど、時間になったので案内に従って入ることにした。座席に着くと先輩は一度席を立ち、ブランケットを持って戻って来た。
「ほら、夏は冷房強いんだから持っておけ」
「ありがとうございます」
有難く受け取り、膝に掛けた。細かな気遣いに嬉しくなる。
普段はいい加減な事が多いけど、意外と優しい人だと思う。そう言えば菅谷先輩の事を新波先輩に訊いた時、誰かの為に動く力は強いと言っていた。それは周りを良く見ているから出来ること。
この人に好かれた人は幸せだろうな……。一条先輩がその代表だろう。
それから無言のまま映画が始まり、あたしはそちらにのめり込んでしまった。終わって館内が明るくなり、隣を見ると青い顔をした四ツ谷先輩が座っていた。
「そんなに怖かったですか?この映画」
「ああ、怖かったさ。だって『この夏一番の恐怖をあなたに』って宣伝してるんだぞ……。今日、風呂入れないかも」
「あはは、可愛い!大丈夫ですよ、だってフィクションですもん」
「男に可愛いって言うな」
「どうしても無理そうなら、五嶋先輩と入ったらいかがですか?」
想像した先輩は「そっちの方が怖い」そう呟いて重く長いため息を吐いた。