58 とりあえず一服。
サブタイトルって難しいですね……。
「本当に良かったよ。見た感じどこも可笑しくないけど、気にしていたのは間違いなく四ツ谷だからね」
にこやかなムードの中、そう言った五嶋はスッと笑みを消し「ところで……」と続けた。
皆、特に大澤は何を言い出すんだと訝しむ。
「菅谷はどうして来たの?」
ピクリと反応したのは当然大澤だが、丁度五嶋からは見えない位置に居たのが幸いした。菅谷と目が合い「言うな」と何とか伝えようとしたが伝わるはずもなく、「お節介な後輩に呼ばれたんだ」そう言ってしまった。
あちゃ~、と頭を抱えたくなった大澤。しかしそれをやればさすがに気付かれてしまう。“後輩”だけで気付くわけがないと、思いたかったが上手くはいかないものらしい。
「そう、後輩……。一年の途中で転校した菅谷に後輩、ねぇ……」
何かを企んでいる様な黒い笑み。それを見て拙いことを言ったのかと不安になった菅谷にすかさず、「お互い良い後輩を持ったね」と何事も無かったかのように返した。
ああ、これはバレタな。大澤は思ったが口を出せないでいた。
五嶋の言葉で点が繋がり答えが見えた気がした一条と四ツ谷は、今すぐに本人をここに呼んで説教したい気持ちに駆られたが、結果的に円満に導いたのはそのお節介な後輩なわけで、説教と言うのは違うのではないかと考えた。
「悪かったな、四ツ谷に汚れ役させて」
改めて言うと照れたように頬を掻き「気にすんな」、そう言って菅谷の肩に手を置いた。後ろに立つ大道寺と目が合うと、大道寺は気まずそうに目を逸らす。
事情を知らなかったとはいえ、殴って恨んで軽蔑してしまった相手に会わせる顔が無い。しかしそんな考えを読んだ四ツ谷は大きく息を吐く。
「あのなぁ、俺がもう良いって言ってんだ。いつまでも引きずることの方が失礼だと思わねぇのか?」
「それは……」
眉間に皺を寄せたじろぐ。背丈の変わらない二人なのに、四ツ谷のが大きく見えてしまう。
ここで口を初めて開いた一条は大道寺に向かって言った。
「誤解によってすれ違っていた時間が長い分、前の様な関係に成るには時間が掛かるだろうが、それはお互いを信頼していたからこその仲違いだろう?海の言う通りだ、いつまでも引きずるな。菅谷のためにもな」
「そうだね、これを仕組んだ子もそれを望んでいるだろうし」
敢えて誰とは言わない辺りが腹黒い。
場が纏り、先に戻ると言って席を立った大澤を菅谷が止めた。
「大道寺が体育祭で怪我したみたいなんです」
「おや、大変だね。保健室に行こうか」
わざとらしく言う五嶋。治療はしてあるからと断る本人を無視して五嶋は大澤に「一緒に来て下さいますよね?」と笑顔で言った。その顔を見て、――ああ、悪い桜川。俺にはこいつを丸め込む力は無い。と心の内で謝った。
勘が良く、頭の回転も速い五嶋は全て気付いていたようだった。
******
保健室で待つ間、手持ち無沙汰だったあたし達は十字先生のお手伝いを買って出た。と言ってもやる事は備品の整理やら掃除なので直ぐに終わったけど。
動いて居ないと余計な事を考えて、抜け出せなくなってしまいそう。どうなったんだろう、そう思っていたらドアが開いた。顔を出したのは大澤先生だ。
あ、終わったんだ。
ホッとしたのも束の間、先生は「すまん」と言って入って来た。先輩たちを引きつれて……。
サッと血が引く。
え、何で?報告しに来てくれたんじゃないの?
ニコニコ顔の五嶋先輩。渋い顔の一条先輩。気持ちの軽くなったように見える四ツ谷先輩。居心地悪そうな大道寺先輩。菅谷先輩の姿は無かったので帰ったのだろう。
どうなってんの!?大澤先生を見る。口を動かして「バレタ」と言ったのが分かった。
うん、何となく分かっていたさ。こうなるってね。だがしかーし!ここには事情を知らない二宮君と侑吾君が居る。さすがに話さないだろう。
「あれ、二宮たちも居たんだ」
「あ、はい。いけなかったでしょうか……」
心配そうに聞き返す。五嶋先輩は「まさか、問題ないよ」さらりと言った。
怖い、嵐前の静けさってこんな感じ?さっきから心臓が強く脈打って痛いくらいだ。
早く解放してほしい。って言うか、どうなったか訊きたい。
先生を見ると疲れ切ったかのように机に突っ伏していた。精神的な攻撃が効いた模様です。特に目の前に立つ腹黒男からのね。
企んだ顔しやがって。やるならさっさとやって欲しい。アンタの持っている刀の鞘、あたしが抜いてやろうか?
「ん?あれ、菜子。怪我してるじゃないか」
五嶋先輩と無言の腹の探り合いをしていたら、四ツ谷先輩が額の傷に気付いたらしい。見上げていたから前髪が分かれて見えてしまったようだ。
それを聞いた五嶋先輩はあたしの顔を舐めるように見つめる。
あたしの傷を指摘した四ツ谷先輩の後ろで、明らかに動揺している大道寺先輩の姿が目立った。
どうか、どうか振り向かないで!
「本当だ。消毒はした?」
「はい。新波先輩がしてくださいました」
新波先輩が苦手な一条先輩は名前が出ただけで眉間に皺が寄る。
ホント、意外と分かりやすい人なんだよね。
「そう、なら良いんだ」
あ、この顔は黒くない。笑顔の見分けがつくようになってきたことを喜んでいいのだろうか……。
「あ、ここも。そういえば……」
手の温もりが感じられる程度隙間を空けて唇の傷をなぞり、思い出したようにポツリと零す。
見ちゃダメ!
咄嗟に手を出したが間に合わず振り向いてしまった。当然そこには茹蛸になった大道寺先輩が居る訳で……。
「お、俺は知らない!」
「語るに落ちてるね、大道寺」
皆に何かされる前にあたしは疲れ果ててやる気を失った先生の元に駆けよった。こんなのでも多少壁にはなるだろう。
「何だ?」と状況が理解出来ていないようだ。
こういう時、過剰に反応するのは我らが会長。無言で薬品棚を物色し、消毒液を手に取った。
「桜川、来い」
「い、嫌です!」
そんな怒った顔で来いって言われて行くやつがいたら見てみたい。
先生の袖をギュッと掴んで体の影に隠れる。耳元で「諦めろよ」と囁かれたが絶対に嫌だ。
真っ直ぐに向かって来た先輩は無理やり先生から引き剥がし、水道へと連行。「擦り過ぎはダメよ~」なんて的外れな注意をする十字先生を睨みつつ、されるがままタオルで優しく傷口を拭われる。
「もう!新波先輩がしてくれたって言ったじゃないですか!!」
「俺がしてない」
知るかそんなの!
抗議の目を向けたらもっと怖い目と合い、うぐっと息を呑みこむ。
なんでこんなに怒ってるの??
洗浄に満足したのか水を止めた。これで終わった。そう思ったのは間違いで、今度は治療をするらしい。十字先生から道具一式を借り、手ずからやるつもりのようだ。
だが忘れちゃいけない。この人は以前レモンの蜂蜜漬けを作る際、レモンを握りつぶした前科がある。案の定傷テープが自分の手に絡まっている。
あ~あ、勿体ない。
見かねた大澤先生が手を出すが、「結構です」と言って断ってしまった。
「だめよ、大澤ちゃん。馬に蹴られて死にたいの?」
「……そういう関係には見えないけどな」
「一服してぇなぁ」と零す先生。じゃあ行けば?と言いたい。
これ以上ゴミを増やさない為に、あたしは先輩から傷テープを奪い取り、鏡を見て自分で治療した。最初からこうすれば良かった。




