57 同情の意味を履き違えてはいけない
深夜のテンションて怖い……。そんな内容になってます。
「菅谷先輩は……今どこに?」
先生は口寂しそうに唇に触れながら答えた。
今日は忙しくて煙草を吸えていないのだろう。そう言えば、ここまで近づいても先生から煙草の匂いがしない。
「一階の相談室に居る。あそこは部屋から校庭が見えるからな。アイツ等に見つからない様にするにはそうするのが一番だから」
「……それで今から先輩たちを?」
「ああ、会わせる。これは菅谷の頼みでもあるからな。……ちゃんと自分の口から言いたいんだと」
「そうですか……」
つっと背中を汗が流れ落ちた。その感触にゾクッと体が震える。
自分のしたことに後悔は無い。何を選んでも後悔するなら、自分の心が正しいと思う事をしたかった。だから、どんな結果になろうとも受け入れる覚悟はある。例えそれで冷たい目で見られるようなことになっても……。
でも、自分の選択の結果で誰かを傷つけることになるかもしれない。それが怖くて、衝動のまま自分の体を掻き抱いて泣いてしまいたくなる。
教室に戻る生徒や片付けの声で溢れかえる校庭。なのにあたしを包む空気はシンとして、まるで冬の空気の様に張っている。
俯いているあたしの頭に軽い重さが落ちて来た。それは先生の大きく温かい掌で、目は何かを咎めるようにあたしを見ている。
「おまえは言ったな、「覚悟は出来ている」と。なら目を反らすな。お前が目を反らした瞬間、菅谷の勇気を否定したことになる。だれが菅谷がここに来ることを望んだ?」
先生の言葉が痛かった。
そうだ。菅谷先輩に来てほしいと思ったのは、まぎれもなくあたし。そうなったら嬉しいと思ったのに、いざ現実になったら逃げようと言うの?
……馬鹿。本当にどうしようもないくらい馬鹿だ。
誰が一番菅谷先輩の勇気を応援しなきゃいけないのかなんて、考えないでも分かるのに……。
「ようやくいつものお前になったな」
顔を上げ、真っ直ぐに先生を見ると、優しく笑う先生の顔があった。頭に置きっぱなしにしていた手で髪をわしゃわしゃと乱暴に撫でる。
「着替えたら美晴の所で待ってろ。どうせ気になって帰れないだろ?話は通してあるから」
そう言って先生は先輩たちを連れて菅谷先輩の待つ校舎へ歩みを進めた。
皆の元に戻ると、心配した顔が並んでいる。ハンコを押したように同じ顔をしているものだから、思わず吹き出してしまった。
「……お前なぁ、こっちは心配していたんだぞ?大澤先生の真剣な顔見たのは初めてだし、後ろから見て分かるくらいお前は追い詰められたように俯くし」
不満げに言う二宮君にますます笑いが込み上げる。
ねぇ、菅谷先輩。友達ってね、自分が苦しいと一緒に頑張ってくれるんだよ。だから絶対大丈夫。あなたの為に誰かを殴っちゃうくらい友達思いな人が、軽蔑なんてしない。きっと全部丸ごと受け止めてくれるよ。
先輩たちの後姿はもう無かった。あたしは皆に「ありがとう」と感謝をして、一緒に校舎へと戻った。
そして着替えた後、保健室に行くと十字先生は普段と変わらない様子で仕事をしている。ほっと肩の力が抜けるのが分かった。
「あら?あんた達も来たの?」
十字先生の視線はあたしの後ろに居る二宮君と侑吾君へ向けられている。椿と美穂は先に帰ったが、二人は絶対着いて行くのだと言い張り、仕方なく連れて来た。
先生が目で「いいの?」と訊いてくる。あたしは苦笑いをして「良いんです」と答える。だって決めたら何を言っても貫くタイプだからね。
先生が淹れてくれたお茶を飲みながら、椅子に座ってただぼんやりと夕方の空を見つめていた。
******
大澤に連れられてきた一条達は口数少なく着いて行く。相談室の前まで来ると急に振り向いて頭をガシガシと掻いた。
「あ~……。何と言うか、この部屋にお前らに会いたいって奴が来ている」
この部屋で待っているのは過去へのチケットを持った菅谷。ずっと動かないでいた壊れた時計を動かせる人間。
何かを感じ取ったのか、一条達は静かにドアを見つめていた。
「開けて下さい。僕達はきっと、無意識にこの瞬間を望んでいたんだと思います」
そう言ったのは五嶋。大澤はドアを見つめている一条達を見て、静かに目を閉じた。
「分かった」そう言って目を開けた大澤はノックをし、ゆっくりとドアを開ける。そこには校庭を眩しそうに眺めている菅谷が居た。
そんな予感はあった。だが、いざ目の前に想像していた人物がいて驚きを隠せない面々は、声も出せずに突っ立っているのみ。
ドアが開いたことに気付き、振り返った菅谷は申し訳なさそうに笑い、「久しぶり」ただ一言そう言った。
カチッと針が動いた音がしたような気がする。そんな中、大道寺が手を伸ばし、走った。その手で恥ずかし気も無く菅谷を抱きしめた。
「――っ。……久しぶり……!」
自分よりデカい男の太い腕が回され、衝撃に驚いたのも一瞬。次の瞬間には菅谷も同じように泣いていた。
大澤に促され、未だ立ち尽くしていた一条達も部屋へと足を踏み入れる。
菅谷は大道寺の腕を外し、一条達に向き合うと深く頭を下げた。
「菅谷!なんでこいつらに頭をさげるんだ!」
「違うんだ!本当は全部俺が悪いんだよ!俺が……、俺が弱かったから。同情して欲しくないなんて、くだらないプライドなんて持っていたから……。ごめん、大道寺。本当は俺が退学にしてくれと頼んだんだ」
「……なんで、そんなこと……?」
四ツ谷が口を開こうとした時、菅谷が止めた。その強い眼差しに言葉が出なくなる。
一条達は全て菅谷に任せると決めた。それが今選べる一番の道。
「俺の両親が離婚しているのは知っているだろ?あの日の前日……、親父から手紙が届いたんだ。所謂絶縁状ってやつだった」
「父親がお前を捨てたって言うのか?まさか、そんな……!?」
大道寺は信じられないと言った顔で菅谷を見る。緩く首を振り否定した。
「世の中にはな、子供を捨てる親なんて一杯いるんだ。お前には信じられないかもしれないけど……。俺はどうすれば良いのか分からなくなった。気が付いたら馬鹿なことしていた。退学にしてくれと頼む俺に四ツ谷達は真剣に止めくれた。でも俺はもうこの学校に居るのがつらかった」
硬く握りしめた手は腱が浮き上がり、小さく震えている。今にも崩れ落ちそうな膝を叱咤し、懸命に問題と向き合う菅谷を誰にも止められない。
菅谷の勇気を信じるし事しか出来ないことに歯痒い思いが駈けめぐる。
大道寺も、もう静かに耳を傾けていた。そう言えば、こうやって心の内を聞くのは初めてだと感じながら。
「世間ってのは子供が居たら離婚はしない方が子供の為だ、なんて言うけど本人からしたらキッパリ別れてくれた方が良いんだよ。言わなくても伝わって来るんだぜ?「お前が居るから別れられない」って言葉がさ……。毎日両親の喧嘩を見て育つ子供がどんな思いをしているかも知らないくせに……」
「悪い、言いたいのはこのことじゃなくて……」大きく息を吸い、深く吐き出す。まるで思考の整理をしている様だった。一度話しだしたら濁流の如く溢れかえった想いや思い出が流れだしたのだろう。
皆、菅谷が落ち着くのを急かすことなく待っていた。
「心配される経験がほとんどなかったし、友達も居なかったから、大道寺や四ツ谷と過ごす時間は奇跡の様に輝いていた。まるで夢を見ている様だった。初めて友人と言いたいお前らに会って、本当に嬉しかったんだ……。だから、同情なんてして欲しくなかった。憐れんだ目で見られるのはもうたくさんだ!対等でありたかったんだよ……!」
ついに菅谷の膝が崩れた。今にも床に蹲って声を上げて泣き出してしまいそうだ。だが、泣くことは無く「悪い」「すまん」「ごめん」と謝罪の言葉を繰り返す。
ずっと黙って見ていた大道寺は、床に膝着く菅谷の背中に声を掛けた。
「だから四ツ谷に嘘を吐くように頼んだのか?俺が同情するから?」
ビクリと肩が跳ねた。「すまん」そう言いながら頷く背中に「ふざけんなっ!!」大道寺の怒声が響く。
「同情して欲しくなかっただと?同情するに決まってんだろ!同情てのはな、『同じ気持ちになって相手を労わること』を言うんだよ!友達なら思いやるのは当然だろうが!お前が今まで見てきた目はただ単に可哀想と思われていただけなんだよ。自分より不幸な奴を見て安心しようとしていた奴らの目だったんだ」
「俺が……、俺達がお前をそんなふうに見ると思ってんのか!?」大道寺が悔しそうに顔を歪ませ吐き出した言葉は、優しく菅谷に降り注いだ。
そう、菅谷もまた勝手に決めつけていたのだ。“憐れまれる”と信じて疑わなかった。そんな自分が恥ずかしくて、滑稽で……。今までそんな目で見てきた奴らと同じじゃないか、そう思ったら馬鹿馬鹿しく思えて来た。
皆すれ違い、背を向けたまま相手を探していたようなものだったのだ。
簡単だったのだ。気持ちを言葉にして伝えれば良かった。そうすれば悩むことなく、お互いを傷つけることなく変わらず友人で居られたのに。人はなんて不器用で空回る生き物なのだろう。
スッと四ツ谷が菅谷に手を差し伸べる。その手を取って、力強く握り返して立ち上がった。
ニッっと笑って四ツ谷が言った。
「おかえり!」
呆気に取られ、呆然とする。
段々可笑しくなって声を出して笑った。
「ただいま!」
それだけでもう、充分だった。
文字にすると上手く書けなくなるし、なんか書いていて偉そうだなとも思えてくる。なんでこんなこと書いているんだろうと不思議な気持ちです。
同情って良い意味で取ることは少ないけれど、「相手と同じ気持ちになって思いやる」ことなんですよね……。
日本語って難しい(-_-;)