52 曇天の中の祭り
「菜子。今日は遅かったね」
休日が終わり、忙しく過ごしているとあっという間に体育祭の前日になった。明日の体育祭の準備を終え、家庭科室で橘先輩たちと明日のお弁当の下ごしらえをしていたら、帰りが遅くなってしまったのですよ。
そんなあたしをストレッチしながら出迎えた椿が不思議そうに訊いてくる。
あ、これは本当に分かってないな。
「明日のお弁当の準備があったの」そう答えると、「ああ!」と前屈をしたまま顔を上げて納得する。
「そっかぁ、そうだったね。なんか悪いね」
「いいよ。それに今回は生徒会への部活動報告も兼ねているし」
あたしと橘先輩と石井先輩が作り、高橋先輩が写真とメモを取る。後日みんなでレポートを仕上げれば完成。
高橋先輩は写真を取ながらつまみ食いをしようとするので、小さな攻防が勃発したりした。
ちなみに費用は部費から出ている。
「ねぇ、菜子って姫だよね?衣装ってどんなの!?」
自分で可愛いものが似合わないから、愛でるのが好きだと言っていた椿がキラキラした目で訊いてくる。確かに椿には可愛いより綺麗な物の方が似合う。逆にあたしは綺麗な格好(お姉様系の服)が似合わないので、お互いを見てうっとりすることもしばしば。
教えてあげたいのはやまやまなんだけどねぇ、残念。当日までのお楽しみです。
「ちえっ」と唇を尖らせる椿。美人がやると絵になるのは何でだろう……。あたしがやったら子供っぽいって言われるのに。
翌日の体育祭本番の天気はまさに、曇天!!今にも雨が降り出しそうだが、舐めちゃあいけない。忘れるなかれ。ここはゲームを現実にした世界。どんなに雲が空を覆いつくそうとも、一滴も降りません!
いつもより早めに登校するとさすがに生徒の姿は無かった。普段なら運動部の生徒の声がしている校舎も、今は静まり返っている。廊下を歩くあたしの足音だけが耳に届いていた。それも一時間もすればお祭り騒ぎになるだろう。
今日はジャージでの登校が許可されているが、あたしの服装はスウェットにティシャツ。料理って意外と匂いが移るからね。終わってから着替えるのさ。
食べ物の匂いを纏ったまま開会式の列に並んだら、みんなに悪いし。
お腹が空くと機嫌が悪くなる人って本当に存在するしいし、もし近くに居たら怒られちゃう。
先輩たちと協力して手早く作り上げ、粗熱が取れるのを待ってクーラーボックスに入れた。体育祭中は鍵を掛けられてしまうからだ。
それから着替えて教室に行くと、異様な興奮に包まれていた。さすがにB組と言えど、学校行事は楽しみにしているみたい。
椅子を持って校庭に出る。1-Bの場所に置き、式の列に並んだ。
校長先生の長ったらしい挨拶が終わると次は生徒会長、のはず、なんだが……。
「なち!なんで一条先輩じゃなの?」
「あたしが訊きたい」
小声で美穂が訊いてくるが知らないものは知らない。生徒の前に立ってマイク片手に挨拶をしているのは新波先輩だ。生徒会の役員は教師と一緒に並んでいる。そっと様子を窺う。みんな知らん顔していた。諦めているようだ。
『さぁやって来ました体育祭!本日ナレーションを務めさせていただくのは私放送部の寺本と』
『新波です。日射病の心配はないだろうけど、熱中症には気を付けましょう。今注意をしているのにも係わらず魔女の手を煩わせると、嫌味を言われながらの治療になるわよ』
……うわぁ、なにあれ……。
放送席には新波先輩の姿があった。なんだが高笑いが聞こえて来そうな雰囲気だ。
あたしが出場するのは一種目のみ。姫の特典です。じゃなかったら姫なんてやってない。
学年別のリレーで第二走者。第一走者やアンカーじゃなくて良かったと、心から思う。
その競技が始まるので待っていると、あの放送が聞こえて来た。心底走りたくないと思いました。
しか~し!!あたしの心情とは裏腹にスタートは切られた。どんどん順番が迫ってくる。前の組が終わり。次がいよいよあたしの組の番。
ヤバイ、緊張する。
第一走者が走りだす。トラックを半周。アンカーは一周だ。
どんどん近づいてくる。バトンを受け取り、あたしなりに一生懸命腕を振り、足を前に出す。
『おっと!生徒会見習い庶務の桜川さんにバトンが渡ったぁ!!』
『走ってる姿も可愛いわ!子猫ちゃん!』
煩いんですけど!
うぬ~、あとちょっと!!
一人抜かれ、二人抜かれ……。気が付けば下から3番目になっていた。第三走者にバトンが……渡った!!
べちゃ。
……転んだ。しかも顔面から。
『おおっとぉ!?子猫ちゃん、顔面からダイブだぁ!あれは痛いぞぉ!』
『きゃー!私の子猫ちゃんがー!』
だから、あたしは新波先輩のものではありませんてば。
そして寺本、なぜあなたまであたしを子猫ちゃんと呼ぶ!?
隣に感化されんな!
とりあえず今はゴールした後で良かったと思おう。
「ドジねぇ……」
治療ブースのテントに行くと開口一番そう言われた。
ええ、知っていますが。何か?
幸い小さなかすり傷ですんだ。これ以上顔に傷を残したくはない。鋏で切られた傷はすっかり見えなくなったが、あたしは知っている。アルコールを摂取すると浮き出ることを……。
蓮の時代。お酒を飲むと体が赤くなる体質だったあたしは、小さい頃に転んで怪我をした傷が周りの皮膚より赤く目立っていた。アルコールが抜ければ分からなくなんだけどね。
菜子はどうなんだろう?蟒蛇だったりして……。まさかね?
一年の競技が終わり、次は二年の番だ。移動するのが面倒だったので十字先生と一緒に見ることにした。あの煩い実況はまだ続いている。
『さぁ!次は二年による借り物競争だぁ!』
『ちなみに、お題を考えたのは五嶋と四ツ谷らしいわ』
「……そりゃ真面なお題は期待出来ませんね」
実況の二人の言葉に対して思わず本音が……。でも十字先生も「そうね」と深く頷いていたのであたしの考えは間違いではないだろう。
『まずは……!のっけから注目の会長が登場だぁ!』
きゃー!と黄色い悲鳴が上がった。治療ブースは生徒の退場場所近くに設置されていたので、まだ多くの一年が残っていた。
いつもなら黄色い悲鳴を上げれば確実に冷たい目で見られるだろうが、今日は一種のお祭りだ。みんなここぞとばかりに声援を送っている。
一斉にスタートし、お題が置かれたテーブルに着くと一瞬みんな固まった。
ああ、やっぱり。絶対変なお題だったんだよ。可哀想に、二年生……。合掌。
『まず動いたのは注目の会長だ!ん?真っ直ぐゴールに向かって走っているぞ!?』
実況の言う通り、一条先輩は迷いなくゴールに向かって走っている。と、思ったらコースから外れた。
「ねぇ、ちんくしゃ。見間違いじゃなければあの子、こっちに向かって来てない?」
「あたしにもそう見えます……」
これは嫌な予感。
一条先輩はゴールではなく、あたし目がけて走ってくる。
に、逃げよう。
決めた時には時すでに遅く、背を向けた瞬間腕を掴まれた。
ひぃ!!
腕を振って掴んでいる手を離そうとするが、引っ張られてしまう。
周りで見ていた女生徒の目が怖い。
違う、これは何かの間違いだ。
「桜川。一緒に来い」
「嫌です!ぜ~ったいに、イヤ!」
「いいから走れ」
許可も得ず走り出した。
ちょっと待ってよ!身長差を考えてください。足の長さだって歩幅だって大きく違うんだから、あなたに合せてなんて、とてもじゃないけど無理ですから!
訴えが通じたのか足を止めた先輩は、何を思ったのか「ひょい」っとあたしを横抱きにして走り出した。
「ぎゃー!何するんですか!?」
「桜川に合せて走っていたら最下位になってしまう」
そうだけど、だからって抱き上げる必要無くないですか?
そのままゴールし、見事一位獲得。泣きそうになっているあたしに放送席から飛び出してきた寺本が『感想を一言!』とか言ってきやがる。
「消えてしまいたい……」
ぼそりと言った言葉が、マイクを通して校庭に流れた。




