37 親父と変態
陽が傾き、暗くなり始めた寮への道を二宮君と一緒に歩いていた。先輩たちと一緒に居るところを見られるのは警戒するけど、二宮君ならなぜだか大丈夫だと思ってしまう。それはやっぱり同級生だからだろうなぁ。
まぁ、中身は違うけど、16年近く人生やり直せば適応能力ってものが自ずと付くのだと思います。
「良かったのか、コーヒー代」
「付き合せちゃったお礼だって、気にしないで。どうしても気になるなら、今度あそこのコーヒーご馳走してくれればいいよ」
「……そうか。で、気分は晴れたのか?」
「うん、バッチリ!付き合ってくれてありがと!」
改めてお礼を言った時、けたたましく携帯が鳴り響く。
しまった、マナーにするのを忘れていた!
先輩と一緒の時には電源を切っていたが、駅で別れてから入れたのを忘れていた。慌ててバッグから取り出す。
名前の表示も見ずに出ると、耳元で五月蠅く喚く声が。
「どうした?」
「……聞きたい?」
あたしは携帯を二宮君の耳に当てると、直ぐに「うっ!?」と呻いて耳を塞いだ。
だよねー、そうなるよねー。
相手の許可も取らず、終了キーを押した。
「良いのか?絶対怒るぞ」
「良いの。どうせ帰ったら玄関で待っているだろうし。耳元で騒がれたら堪らないよ」
ああ、五嶋先輩。あなたの楽しみってこれだったのですね。あたしは帰るのが心底嫌になりました。せっかくいい気分だったのに台無しです。
二宮君には巻き込むと悪いから先に帰るように言ったけど、どうやら付き合ってくれるらしい。申し訳ない気持ちで一杯だが、一人よりは心強い。
歩きながら今日の事を言うと驚いたようだが、電話が掛かって来た事には納得していた。ついでにデートの定義を訊いてみたところ大変照れながら「知るかっ!」と怒られてしまった。この反応は経験が無いと見た。見ようによっては今のこの状況だって“デート”の部類に入ると思うけれど、それは気付いていないみたい。
寮の敷地に入り、玄関の灯りが見えた。その下に仁王立ちで何かを待っている人影が見える。あたし達は顔を見合わせ、お互い溜め息を吐くと覚悟を決めて向かう。
一歩近づく度に荒い鼻息でも聞こえて来そうな空気を感じた。
しかし……、なんであんなに怒ってるわけ?
あたしの姿を確認し、隣に二宮君が居るのが分かると眉根を寄せていたがそちらは後回しらしい。
門限に厳しい親父の如く憤慨して、仁王立ちで待ち構えていた四ツ谷先輩は開口一番「遅い!!」と言った。
「門限には間に合っていますので問題は無いかと思います。ですがここで捕まったら規則を破ることになりかねませんので先に帰寮報告したいのですが」
「……分かった、早くしろ」
寮監の先生に帰寮報告をしている間も、四ツ谷先輩は後ろに立って待ち構えていました。一緒に帰寮報告している二宮君はその無言の圧力に固まり、手元が震えています。
可哀想に、だから先に帰ってって言ったのに。
でも、その勇気に感謝。
報告が終わると待ち構えている先輩に向き直り、ご飯が食べたいと懇願。食堂が閉まってしまう時間までお説教喰らいそうなので先に食べてしまいたい。
「お腹すきました」「ご飯食べたいです」と、普段なら鳥肌必至の可愛い子ぶりっ子演技を炸裂。近くに居た二宮君は気持ち悪いのもを見るかのような目をしていたけど気にしない。
だってこれが上手くいかなかったらあたしも、きっと君もご飯抜きだよ?
たじろぐ四ツ谷先輩にすかさず潤目攻撃。無事許可を得、晩御飯にありつけた。
先輩に見張られるように食べていると、一条先輩と五嶋先輩がやってきた。五嶋先輩は明らかに楽しんでいる。だってこの状況が目に入った瞬間、つまり食堂に足を踏み入れた瞬間からニヤついている。
おまえか!お前の所為か!!
分かりきった事を問いつめたいが、それこそ奴の思う壺。これ以上喜ばせてなるものか!
食事が終わると今度は多目的ルームに移動。次は「疲れたんです」「眠いんです」とか言って逃げようとしたけど失敗。二度は通じないらしい。
多目的ルームには誰も居なかった。それもそのはず。なんとドアに『使用中』のカードが掛かっていたのだ!今までこんなの見たとこの無いあたしは一瞬呆け、ハッとして五嶋先輩を見るといつもの厭らしい笑い顔。
またアンタか!いい加減突っ込み疲れるわ!!
「説明してもらおうか……?」
低い声でそう言ったのは勿論、四ツ谷先輩。
説明もなにも、質問されていないことに対してどう答えろと?だからそれに待ったを掛けた。
「先にあたしから訊かせてください。先輩は何に対して怒っているのですか?そしてそれを誰に聞いたんですか?」
「何にって……。お前、五嶋と手繋ぎデートしたそうじゃないか。ほら、コレを見ろ」
やっぱり五嶋先輩の所為か。
四ツ谷先輩は携帯を取り出し、何やらファイルを開いた。それは写真の様で見たことのある色をしている。それもそのはず、だって今日行って来たところだもん。
その写真には、あたしが水槽に両手を添えて、見上げている姿が写っている。
何時の間に!?とかは驚き疲れるので置いておく。
……それにしても、気付かないあたしって……。どーよ?
「で?コレに対して先輩が怒る理由は?」
「決まってるだろ!こんなのと二人きりで出かけて、何かあったらどーするんだ!何かあってからじゃ遅いんだぞ!?」
「こんなのって、酷いなぁ」
そう言いながらも嬉しそうなのは何故ですかね、五嶋先輩?
「何かあったら自分でどうにかしますよ。そもそも先輩に怒られる謂れはありません。父親にでもなったつもりですか?」
「何かあってからじゃ遅いんだ!」
「う~ん。全く信用されていないね、僕。大丈夫だよ、菜子ちゃん。四ツ谷はただ羨ましいんだ、許してやって」
「そう仕向けたのは自分じゃないですか!どう始末付ける気ですか!?」
「あはは」
「笑い事じゃないですから!!」
あたし達三人が言い合っている中、不気味に黙っているのは一条先輩だ。最近の傾向から見るに、絶対四ツ谷先輩並みに騒ぐと思っていたのに。二宮君は離れた席に座り、呆れてこの光景を見ていた。
黙ったままの一条先輩に声を掛けたのはお父さん気分の四ツ谷先輩。「どうしたんだ」と訊かれてバツが悪そうに「すまん」と答える。
「何がすまないんだ?」
「俺も桜川とは出かけたことがあるからな……」
「……はぁ!?初耳だぞ!?……あーーー!!あのストラップ!お前があんなの付けるなんて可笑しいと思った!あれ、菜子と一緒に出掛けた時に買ったやつか!」
「……正確には貰った」
「へぇ、そうだったんだ。僕達も何かお揃いの物でも買ってくれば良かったね、菜子ちゃん」
「止めてください」
これ以上ややこしくしないでくれ。
あたしが無理やり付き合せたけど、結果として一緒に出掛けた事になる二宮君は目を合わせまいと必死だ。でもそれを目ざとく見つけ、問い詰める。目はおろか、顔まで逸らしたまま「僕はコーヒーを一緒に飲みました」と正直に白状した。
「おや、四ツ谷、遅れてるね」
「五嶋先輩、ホント黙ってください」
「……菜子。お前、俺は嫌いか?」
さっきまでの勢いはどうしたのか。急に苦しそうに、寂しそうに肩を落とした先輩はそう言った。部屋の空気も変わり、明るかった雰囲気は消え、静寂が包み込む。誰も何も喋らない。慌てたのはあたし一人。
「先輩!仲間外れなんかしてないですよ。嫌いなわけ、ないじゃないですか」
「……本当か?」
「本当です。そうだ!今度何か作ります。お菓子でも、料理でも。リクエストあったら言ってください」
「約束?」
「はい、約束です!」
「……菜子」
「先輩?」
駆け寄ったあたしの手を取り、じっと見つめてくる。
両手は先輩の手によって包まれ、向き合ったままだ。
ゆっくりと、でも確実に近づく顔。真剣な目に意識を吸い込まれ、逸らすことが出来ない。
このままじゃくっ付いちゃう……。でも体が動かない。微かな音も聞こえない。
「はい、ストーップ」
「むぐっ!?」
あたしは後ろから抱きかかえられるようにして五嶋先輩によって口を手で塞がれる。不満げな様子で目の前に立つ四ツ谷先輩はすっかりいつも通りだ。悲痛な面持ちなど、欠片も見当たらない。
「邪魔すんなよ、五嶋。あと少しだったのに」
「邪魔するに決まってるでしょ。一条を見なよ、顔面蒼白。余程ショックだったらしいね」
手を外され、ちらりと見ると本当に頬の赤みを失くした一条先輩が居た。端正な顔立ちの所為でまるでマネキンのよう。二宮君が駆け寄り、声を掛けるが「ああ」としか言っていない。
「あのね、菜子ちゃん。君、いい加減四ツ谷の性格分かりなよ。コイツが仲間外れにされたくらいで落ち込む訳ないでしょ。全部演技だよ」
「惜しかった。あと15㎝くらいか?唇、奪えたのに」
「騙したんですか!?酷い、心配したのに!」
「いや~。これまでの菜子の傾向を鑑みて、落ち込めば慰めてくれると思ってさ。正解だったな」
腹立つわ~!!
人の良心に付け込むなんて、なんて奴だ!
でも見破れなかったあたしもあたし……。てか、演技上手いな。思わず感心しちゃったよ。
唖然としているあたしを余所に、五嶋先輩は「そうだ」と何を思いついたのか自分の掌に口を付けた。
何をやってるんだろう。そう思っていたら「あー!」と四ツ谷先輩が叫んだ。
五月蠅いなぁ。演技でもいいからずっと落ち込んでいてくれないだろうか。
「変態!」
「悔しい?じゃあ四ツ谷もする?」
「ふざけるな、今やったらお前とキスになっちゃうじゃないか!」
その言葉で意識を取り戻した。それって間接キスってやつですか?
「キャー!変態!!拭いて拭いて!!」
「え~、勿体ない。それにもうしちゃった」
「菜子。俺にも手で良いからキスして」
「絶対にイヤです!!」
これだけ騒いでいるのに誰も来ないとは喜んでいいのか何なのか……。
部屋に帰る時、嬉しそうに四ツ谷先輩が言った。
「菜子、約束忘れるなよ」
「誰が守るか!」