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36 ほっと一息。

試験前、お世話になったのでクッキーをプレゼントした。そのお礼にと、今日五嶋先輩にデートに誘われた。

でも可笑しいと思っていた。形で返したいのなら、同じように物を渡せば済むことだ。なにのわざわざこうやって外に、しかも二人で出かける意味は何なのか?

それをずっと考えていた。

向かい合う先輩は、今日の子供っぽさは演技なんじゃ、と思わせる程学校での顔でそこに立っている。


「目的、ですか?」

「うん、そう。一つは僕自身の気持ちの確認。二つ目は一条達への挑発かな。三つ目はこれが一番重要で、君が恋愛を遠ざけている訳が知りたくてね」

「……別に訳なんてないですよ。今は興味が無いからしないだけで、」

「ウソ。君は嘘がとても上手い。裏を見る事が苦手な人間は騙されるだろう。三橋君は幼馴染なだけあって見破る目を持っている様だけど、こと恋愛に関しては難しいらしい」


怖い。この何でも見通す目を持つこの人が。

穏やかな口調とは裏腹に、一言一言内面を抉り取るような言葉だ。


「自分じゃ気付いてないようだけど、君は差し伸べられた手を取るのに躊躇する癖がある。好意を寄せられそうになると自然に距離を取り、存在を薄くする。……以前、家庭科室で色恋に興味が無いって言っていたけれど、アレは違うよね。興味が無いんじゃなく、怖いんだ。……違う?」


自信があるのだろう、先輩は逸らすことなく真っ直ぐあたしの目を見て言った。

嘘は……、通じないだろうな。この人には。

あたしは自嘲気味に笑って答えた。


「……良く分かりましたね。あたしだって気付くのに時間が掛かったのに」

「この世で一番難しいのは自分の心を理解することだと僕は思っている」

「ですね。数学の様に絶対決まった答えがあれば楽なのにと、何度思ったか知れません」


ゲームの様に取扱い説明書や攻略ブックが有ったら良かったのにと考えたことがある。そうしたらこんなに悩まないですむのに。

生まれ変わって恵まれた環境に身を置いて、いかに自分がつまらない人間だったか身に染みた。記憶をなくすことが出来たらどんなに良かったか……。

先輩の考えている通りだ、あたしは怖い。

望んだ愛が与えられない時の絶望を知っている。

差し伸べた手を払われた時の痛みを知っている。

もし、誰かを愛する時が来て、その想いを否定されたら?

そう考えると、与えられる愛情にすら不安を抱いた。

こんな考えのあたしが人を好きになれるはずがない。だからあたしは逃げていた。それじゃダメだと分かっていながら向き合おうとせず、逃げていたのだ。


「怖がっている理由、訊いたら答えてくれるかな?」

「……すみません、それは言えません」


こんな卑屈な考え、言ったら軽蔑されてしまう。

下を向いたあたしを包み込む腕があった。ゆっくり背中に回された腕は抱きしめるように胸に引き寄せ、ライラックの香りに包まれる。涼しい館内ではその温もりは暖かく感じることが出来た。

混乱していた思考が落ち着き、体から力が抜けていく。


「うん、そうだね。怖いって自覚していることを言えなんて、僕が酷かったね。でもどんなことでも受け止める度量はあるつもりだから、言いたくなったらいつでも言って欲しい」


きっと言う事は無いだろうと思いながらも、あたしは頷き「はい」と返事をした。

その後、閉館時間になったので水族館を出て再び公園を通って駅に向かった。今度は手を繋いでいない。これが今の見えない距離なのか、そう思うと悲しくなったけど、その距離を作り出しているのは他ならぬ自分自身。


「先輩、目的の一つ目。どうなりました?」

「さぁ、どうでしょう」

「……ずるい。教えてくれないんですか?」

「意地悪で教えないんじゃないよ、言ったじゃない『この世で一番難しいのは自分の心を理解すること』って。確認に来たはずなのにますます分からなくなった」


下ろした前髪を掻き上げながら言った。

邪魔なら切ればいいのに。

しかし……。人の裏を読むのが得意なこの人でも自分の事に関しては見失う事があるのか。好意を持たれても困るけれど、それ以外だと何を持つのだろう。敵意を持たれるのは嫌だな。絶対に勝てないから。


「二つ目は?」

「それは後のお楽しみ。いや~、楽しくなりそうだ」


いえ、全然楽しくありません。嫌な予感しかしない。




寮の最寄駅で別れ、別々に帰寮する。もう変な事は無いだろうけれど、念には念を。門限は19時で今は18時。まだ一時間ある。あたしは一人ふらふらと歩き出した。

視線の端に気になる影が映り、顔をそちらに向けると案の定美味しい人が。

あたしは声を掛けずに近付き、後ろから腕を取った。驚いてこちらを振り返ったのは二宮君。


「ちょっと付き合って」

「は?いきなりなんだ?」

「いいから!」



状況が呑み込めないまま引っ張って来たのは、細い路地を入った先にある喫茶店。学園に来て、生活のリズムが整ってき頃、寮の周りを探検していたら見つけた。素朴な外観で、中に入るのは戸惑われる外装をしているが、コーヒーの香りに誘われて中に入ると木の温もり溢れるレトロな内装で直ぐに気に入った。

何度か来ているが学園の生徒が利用しているのを見た事が無い。

ここは寮まで歩いて10分程の場所にある。門限ぎりぎりになって出ても急げば間に合うので使い勝手も良い。


「こんばんは、マスター」


カランカランとドアベルが鳴り、来客を知らせる。カウンター内に居た一人の男性、マスターがこちらを向いてお客であるあたし達を重厚な笑顔で出迎えてくれる。

マスターは豆を挽いていた手を止め、「おや、桜川さん。いらっしゃい」と言った。

口髭を生やし、哀愁漂う初老の男性で、とてもダンディだ。いつ来ても笑顔を絶やす事の無い素敵な人。マスターはここを気に入った一つの理由。

慣れた動作でカウンターに座ると、より芳醇な豆の香りが漂う。


「二宮君はブラック飲める?」

「ああ。それより連れて来た理由をだな」

「マスター、ブレンド二つお願いします」

「人の話を聞け!」



「酸味も無いし、苦みも強くない……、香ばしくてスッキリとした味だ」

「でしょう!」


あたしは文句を言いながらも付き合ってくれる二宮君を可笑しく思いながら宥め、飲んでみてと勧めた。

一口飲んだ二宮君の感想に、にんまり。あたしも一口飲んでホッと息を吐いた。


「ん~。いつも最高です、マスター」

「ありがとう。喜んでいただけて光栄です」


目元の皺を一層深く刻み、嬉しそうに笑った。

ゲームでは映らなかったこの喫茶店。出会えた事に感謝です。


「これはね、何も入れないで飲んでほしかったの。豆の香りを感じるでしょ?自分じゃどうやっても淹れられないお店の味だよね」

「確かに上手いな。コーヒーはあまり好んで飲むことはなかったが、これなら手元に置いておきたくなる」



思わぬ発見に満足したのも束の間、本来の疑問をぶつけて来た。確かに引っ張って来たあたしが悪いけれど、もう少し余韻に浸りたかったなぁ。


「別に、ムシャクシャしていたところに二宮君の姿を見つけたものだから引っ張って来ただけ」

「お前なぁ~……。もっとマシな理由は無いのか?僕はてっきり何かあったのかと色々推測してだな!」

「ごめん、なんか自己嫌悪。自分の事に責任が持てなくて、どうすれば良いのか分からなくなっちゃって……。自分て汚いなぁと思ったら真っ直ぐ寮に帰る気になれなかったの」


再びコーヒーを飲む。

マスターの入れてくれたブレンドはスッキリとした味なのに、あたしの内はスッキリしない。黒い靄が渦巻いて、重く漂っている感じがする。……気持ち悪い。


「責任は何か起こった時に取れば良い。何もしない内から考えて身動き取れないなんて馬鹿だろ。分からないなら積極的に動け、迷ったら周りを見ろ、見逃していることがあるかもしれない。自分が汚いと思うなら綺麗な自分を造り、そこに向かって努力しろ。……それに自分が崇高な人間だとでも思っていたのか?」


一気に言われて呆けてしまう。

キツイ物言いなのに、なぜだかスッと靄が晴れた気がした。

なぜ分からないんだ。という顔をしながら残りのコーヒーを美味しそうに飲む二宮君に、思わず握手を求めたい気分。「ありがとう、おかげで目が覚めたわ」ってね。


「確かにそうですね。迷ったら一旦立ち止まって周りを見ると、今まで見えなかった事が見えるようになることは良くあります。自分だけで解決するのではなく、たまには他の人の手を借りると良いでしょう。きっと手を差し伸べてくださると思いますよ」


マスターはあたし達の会話を聞いて、静かに落ち着いた様子でそう言った。

「でも、必ず手を取ってくれるとは限りません」あたしの不安はそこに在る。そんなあたしにマスターは「そうですね」と言い、カップを洗っていた手を止めた。


「行いは自分に返ってくるのもです。そこに見返りを求めればそれは善行ではない。当たり前に手を貸すことが出来る人には、同じように手を差し伸べてくださる。私はそう、思っていますよ」


優しい言葉と美味しいコーヒーを頂いたお礼を言い、お店を後にした。


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