30 有難いお言葉をいただきます。②
ゴー・ゴー!五嶋先輩!!
という感じです。
体育館に近いこの部屋は、球技大会で盛り上がる生徒の声が聞こえてくる。小会議室は職員が使う部屋ではなく、生徒が気楽に使える場所として作られた。らしい。そこらへんのことは良く知らない。
座ったままあたしは壁に凭れる五嶋先輩を見る。目を閉じ、珍しく眉間に皺を寄せ、考え込んでいる風だった。
「さて」そう言って目を開けた。その眼は静かな怒りを抑えている。
「君は僕たちの事を信用してくれなかったのかな?それとも何か考えがあってのことだったの?納得できる説明が欲しい所だね」
怒っている。もの凄く怒っていらっしゃる。
信用…、はしていなかった訳ではない。裏切ったりしない人達だと言うことはゲームを通してだけど知っている。だからこそやったことだったから。
それは許してくれるだろうという甘えが起こした行動だった。
「許せなかったんです、自分が。あたし一人なら良かったけど、庇ってくれた二宮君に怪我をさせてしまったことが。だからなんとしても自分で解決したかった。先輩たちに任せれば一番いい方法で収束するのは分かっていました」
「自分が犠牲になれば良かったと?それで怪我しても問題ないと?」
「違います!犠牲になるつもりなんてなかった」
「でも結果として君は足を挫き、頬を怪我し、髪を切られた。そこに犠牲は無かったと言えるのか?」
寄りかかっていた先輩は体を起こし、ゆっくり歩いて来た。
周りの空気が揺れ、気配が近づいてくる。
静かに抱える怒りを肌で感じ、ピリピリと痛かったが、不思議と恐怖は無かった。それは感情に任せた怒りではなく、あたしを想うからこその感情だからだと分かっていたから。
「君の友人にタオルを取に一人で戻ったと聞いた時、僕たちがどれ程動揺したか分かるか?きっと人目の付かない場所に居るだろうと探し回って、やっと見つけた時に頬から流れる血を見て……。どれ程自分たちの無力を嘆いたか分かる?」
「……ごめんなさい。自分を過信していたんです。どうにかなるって。でもその結果で先輩たちにご迷惑をお掛けしてしまって」
「違うんだ、ごめん。批難している訳じゃなく、ただ悔しかったんだ。守れなかったことが。僕達の方こそ過信していたんだよ」
先輩は今、無力を嘆き、自分の内で耐えている。
苦しみを抱えた表情の先輩を見て、保健室で十字先生に言われた言葉を思い出した。
――「守れなかったって傷つけるだけよ」
本当ですね、先生。謝ったら傷つけてしまいました。
あたしは真っ直ぐ先輩を見て、座ったまま深く頭を下げた。
「心配してくれてありがとうございました。あたしを想ってくれる先輩たちの気持ち、とても嬉しいです。だから自分たちのせいだなんて思うのは止めてください」
先輩は驚いた顔をしていた。そして笑ってあたしの頭に手を置き、撫でる。
伝わって来る怒りは消えていた。先輩の手は暖かく、陽だまりのように優しく包み込む。
そっと頬に触れる指は繊細な作業をしているみたいに慎重で、思わず摺り寄せてしまいそうになる。その衝動を抑え、動かずにじっとしていた。
「痛い?」
「痛くないです」
「傷跡、残ったら僕が責任取ってあげるよ」
「ふふ、大げさです。大丈夫ですよ、十字先生直伝のメイク術をマスターしますから。そしたらあたしも先生のように、少しは綺麗になれますかね?」
「残念。……桜川さんは今でも充分綺麗だよ。でも僕は君の事、可愛いと思う。思わず守ってあげたくなってしまう程にね」
責任を取るなんて本当に大げさ。でも和ませるための嘘だと分かっていても嬉しかった。その優しさが。
頬から手が離れたと思ったら「お疲れ」と先輩が言った。あたしはドアを背に座っていたので気付かなかったが、振り向くと四ツ谷先輩がいた。いつの間に来たのか分からなかったなんて、きっと五嶋先輩に魂吸い取られちゃったのね、あたし。
慌てて立ち上がろうとすると、それを見越して四ツ谷先輩は片手を上げ、止める。
「佐々木の事だろ?」訊く前に先輩は言った。黙って頷くと「安心しろ」と返ってきた。
「先輩。佐々木先輩には、なんて……?」
「だから、安心しろって言っただろ?大丈夫だ、菜子が許したのに俺がどうこう言う訳ないだろ。あいつ泣いてたよ。泣いて謝ってた。「ごめんなさい」って。「あの子に酷いことをしてしまった」ってさ」
本当に大丈夫なのだろうか。四ツ谷先輩を疑っている訳ではないけれど、気になって仕方がない。
落ち着きのないあたしを宥めるかのように、四ツ谷先輩は座るあたしの前に座り、膝で硬く握りしめていた拳をそっと包んだ。この温もりに触れるのは二回目だ。先輩は優しい。だからきっと大丈夫なんだ。
「菜子、あの部屋に佐々木を呼び込んだのはわざとだろ?あの教室は校舎の端に在って、音も外に漏れないから気付かれにくい。もし廊下であいつを追い詰めるようなことをして、お前を傷つけたら元の生活に戻れないと考えた。だからあの部屋を選んだんだ」
「違うか?」と訊かれ、小さく「そうです」と肯定した。
先輩はまだあたしの手を握っている。震えているのが分かってしまうだろうか……。
「そう思ってな、俺なりにあいつに立ち上がってもらうための言葉を掛けて来た。大丈夫だよ、男と違って女は強いだろ?だって菜子が強いもんな」
そして悪戯っ子の様に笑った。
うん、きっと大丈夫。罪を認める強さが在ったんだもの。もう一度立ち上がる強さを持ってるよ。だって時に謝罪は、感謝を伝えることよりも勇気の要る、難しい事だから。それが出来る先輩はまた笑えるはずだね。
「じゃ、そろそろ戻ろうか。二宮そのままにしてるし」
「そうだな。今頃、菜子の姿を探し回っているかもな」
「二宮君に限ってありえませんよ、それ。」
桜川!どこだー!!ってか?うわっ、絶対ないわ。そんなの見たら夢に出てきそう。……でも見たいかも。あの子の慌てふためく姿ってなんかそそるのよねぇ。
「あ、忘れてた」あたしがくだらないことを考えていると、後ろに立っていた五嶋先輩が言った。何を忘れていたんだろうと思っていると、何かが髪に触れた。短くなってしまって顔の近くに有る髪に、五嶋先輩が唇を落としている。
ええ!?何が起こってるの!?
パニック。パニックですよ、これ!
髪が顔の近くに有ると言うことは、キスをした先輩の顔も近くに在るという訳で……。
「うん。これで良し」
「あ、ずりぃ!」
顔が近づいて来た。かと思っていると、「ちゅっ」。今度は四ツ谷先輩の唇が傷の無い右の頬に触れた。
目的を果たした両名は晴れやかな顔で部屋を出て行こうとする。
うぉい!?ちょっと待って!!
この状況で置いてくかぁ!?
「待ってください!え、今の何?夢?」
「おい菜子。夢にするなんて酷いぞ」
「本当だね。せっかくの僕たちの気持ちは覚めたら忘れてしまう物だなんて悲しいよ」
え、何それ。あたしが悪い的な感じですか?まさかこれって……。
「やり逃げ?」
「……は?」
「ほぉ、聞き捨てならないね。良いよ、今度は覚めない夢を見させてあげよう」
怪しい光を目に宿した先輩が近づいてくる。
逃げなければ!あたしのなかの警鐘が鳴り響いた。
でも走れないので精一杯の抵抗は声でね。
「だいじょーぶです!!現実でした。覚えてます。なので夢は結構ですーー!」
一悶着あったと分かるまま保健室に戻ったあたし達を見て、十字先生は顔を引きつらせた。二宮君はベッドから起き上がり、先生が出してくれただろうお茶を飲んでいた。
よかった、元気そう。
「あんたねぇ……。怪我、治す気あるの?あんた達も無茶させんじゃないわよ……」
『あんた達』とは、あたしを挟んで立つ四ツ谷先輩と五嶋先輩の事だろう。
お、怒ってる?声が若干震えてますけど?それになんか最後の方、声色がおかしかったような気が。そう思ったのは間違いではなかったようで。
「車じゃなく、お姫様抱っこで寮まで帰るか?この馬鹿共!生徒の笑いものになってみるか!?」
「お!良いね、それ。ローテーションすれば行けるだろ」
「そうだね、桜川さん軽いし。出来なくはないね」
「先輩方、それくらいで止めておいた方が……」
二宮君が二人を止めるも虚しく、十字先生の重低音ボイスが轟いた。
何を言ったかは規制。と言うか、その日一番怖かった出来事だったので脳が記憶の抹消を望んだんです。
結局寮には十字先生が出してくれた車で帰れたけど、優しく抱きしめてくれた先生は幻と消え、着くまでず~~~っとお小言をいただくはめになった。
まるで姑…。いや、お局のほうが合ってるかも。
その日の夜、寮の部屋に美穂を呼んで椿にも説明をした。捻挫だけなら誤魔化しようがあるけど、目に見える頬の傷と、短くなってしまった髪は隠しようが無かった。
全てを話し終えた時、美穂は泣いていた。「ごめんね」と謝るあたしに「違うでしょ!?」と怒りながら。
「謝られたって嬉しくないよ!何で言ってくれなかったの?」
「本当だね。あたし達に心配掛けたくないとか、巻き込みたくないと思っての事なんだろうけど、後から知らされる身にもなってほしかったよ」
「そうだよ!あたし達だって、なちを守る力くらいあったよ?言って欲しかった!!」
「うん、ごめん。心配してくれてありがとう」
三人でいっぱい泣いた後、美穂は言った。
「罰として、勉強会ではあたしと椿の好物、作ってね」
あたしは「勿論」と言って今度は笑い合う。
いっぱい泣いて、いっぱい笑って、人の優しさを知って……。また一つ大切な事を学んだ一日になった。
キスはする位置によって意味が違うのだそうです。
五嶋先輩の髪→ 思慕
四ッ谷先輩の頬→親愛
逆かなと思いましたけど、五嶋先輩ってなんとなく手が早そうなので。