02.早お昼
どうやら昨日座った場所でそのまま眠っていたらしい。居間から少女の私室と思われる部屋に肩から先が突っ込んでいた。
何と言えばいいのだったか。昨日を思い出しながら、主人である少女に向けて声を出す。
「何とお呼びすればよろしいでしょうか」
「ガキとかバカとかじゃなければいいよ。ついでに名前はメア。よろしく」
「よろしくお願いします」
どれくらいの期間をこの少女の元で過ごすのか。一年か、十年か。それとも一生?
「お腹空いてる?」
メアの声で意識を現実に戻す。 空腹か、と問われれば微妙な所だった。
「そこまでではありません」
求められていた返事と違う気もするが、これが正直なところだった。
「そうかそうか」
メアは頷くと、彼女の位置とは反対の、廊下に繋がるドアをを指差した。
「部屋を出て、廊下の左のドアを開けると風呂があるから。シャワー浴びてきて」
「はい」
「その服は、うーん、取り敢えず洗濯機に入れといて」
「はい」
まだぼんやりする頭を振りながら言われた通りに動く。部屋を横切り、廊下に出て左のドアを開けると、洗濯機やカゴが置かれた空間がある。洗面所も兼ねているのだろう。中に入ってドアを閉めると、服を脱いだ端から洗濯機に放り込む。風呂場に足を踏み入れると、鏡に写った自分がいた。染めていない黒い髪。少し伸び気味かもしれない。
特に考えることもなく蛇口を捻ると、冷たい水が降ってきた。
「うっわあ!」
思わず声を上げて水から逃げる。寒さに震えながらしばらく待つと、出てくる水から湯気が上がり出す。用心して手で触ると、十分に暖かかった。
何をするでもなく、ただ頭からお湯を浴びていた。そうしていると、頭の中がすっきりしていく。
ごんごんと洗面所のドアを叩く音がした。
「お邪魔しまーす」
振り向くと 不透明なプラスチック製のドアの向こうにぼやけた影が見えた。
「着替えの服、ここに置いとくから。シャツと肌着も。タオルの場所分かる?」
「洗濯機の横にある台の下」
「ピンポーン。シャンプーとか石鹸も好きに使ってねー。ごゆっくりー」
メアが出て行った後、シャンプーと石鹸で体を洗った。意外と髪がベタついていたことが分かった。
***
ふんふんと鼻唄を歌いながら料理を作る。とはいっても大した物ではない。野菜と卵のスープにパンを焼くだけ。スープにしても、野菜の切り方は適当だし、味付けは殆んど調味料に頼っている。
スープを一口飲んで味を見る。塩ひとつまみと胡椒を適当に入れて、また一口飲んでみる。
「これでいいかな」
うん、と頷くと二つのカップにスープを注いでいく。
「コンソメは便利だねえ」
カップを居間のテーブルに持っていく。オーブンを覗くとパンに焼き色が付いている。こちらも皿二枚に取り分けてテーブルへ。カップと皿が二組だけでも、一人暮らし用のテーブルは賑やかになる。
「時間的に早お昼だね。これは」
敷物の上に座ると、居間のテレビを点けてチャンネルを適当に回す。特に面白そうな番組もないので、電源を切る。
「あっと、スプーンがないね」
アパート暮らしはこういう時に便利だ。台所や部屋がとにかく近いので移動が楽。代わりに狭いと言われればその通りだが。
スプーン二本を取り出すと、念のために出しておいた缶詰が目に入った。一応それも持って居間に戻る。
タイミング良くドアが開いて、少年が顔を出した。
「おお、丁度良かった。ご飯できたよ。座って座って」
「え、あ、はい」
なぜか驚いた様な顔をした少年は、服を変えたり、髪が湿ってまっすぐになったせいか、全体的にこざっぱりした印象になった。
「素材が良いから何でも似合うねえ。あ、お茶飲む?」
「頂きます」
立ったままで答えた。結局、こちらが座るまでそのままだった。
***
昨日と同じように、メアが台所、自分が壁に背を向けて座っている。
「あの、聞きたいことがあるんですが」
「はいはい、何かな」
風呂から出たら、なぜだか食事になった。今のところ、考えていた未来の生活とはかけ離れている。小さなテーブルを挟んで座る少女は、どういうつもりで自分を買ったのだろう。
「普通、奴隷の待遇ってここまで良いものなんでしょうか」
目の前に置かれた料理はあまり減っていない。「吐かないように、ゆっくり、無理しないで食べてね」とのお達しが下ったからだ。胃が弱っているところに急に食べ物を入れると胃が受け付けなくて吐くらしい。パンもスープに浸して食べている。
店にいた頃は一食がパン一つとかろうじて水ではないというスープが一杯というのが基本だった。パンとスープという品目こそ一緒だが、中身は雲泥の差だ。
「普通って言われてもね。私も奴隷を買うのは初めてだから。多分もう買わないし。詳しい事は分からないけど、他所は他所、うちはうちじゃ駄目かな」
「……いいです」
そう言ってスープと一緒にふやけたパンを啜りこむ。卵がとても旨かった。
食事を終えると、メアは手早く食器を洗ってしまった。それこそ自分がやるべきだったんじゃないかと思った。
食事の量はそこまで多くなかったが、少し腹が重かった。過去数年間の食事は確かに胃を弱らせていたらしい。
「あと三時間位したら出かけるよ。それまでは、まあ、休んでて」
「はい」
休んでてと言われると、途端に眠気が襲ってきた。
横になるのは流石にまずいだろうと、壁に背を預けた。
「はいよ」
何か降ってきた。頭からつま先まで覆ったそれは、昨晩もお世話になった毛布で、やっぱり昨晩と同じように体が左に倒れた。
眠気でぐちゃぐちゃの頭の中で、沢山の疑問が渦巻いている。
いつもあんなに旨い食事を食べているのか。結局どう呼べばいいのか。この後は何をするのか。この服はどうしたのか。形になったのはこれくらい。
左手首の枷が横っ腹に当たって痛かった。