大将はとんでもない紳士です。
同時刻、摩天楼司令室にて
司令室の巨大な液晶画面に白い騎士と赤く光る女性が背中を合わせて映し出されている。マッケンバウアー大将はその様子を満足そうに見つめていた。灰色の竜の皮のイスに深く腰掛け、利き手で不ぞろいな髭を撫でていた。マッケンバウアー大将は先ほど下仕官に入れさせた紅茶を口に含んだ。
「こいつは美味い!!」
透明度の高いその琥珀色の液体を口にした瞬間、マッケンバウアーは思わず声を出した。しっくりと落ち着いた味の中に、まろやかさが表現され、好ましい酸味と気品漂う香りが口中に広がっていく。
「明日から毎朝これにするか……」
もう一度それを体の中に流し込んだ後、ベンザ卿は隣で直立不動のノア大佐に笑顔で紅茶を勧めた。
「君もどうだね? 世界で一番すばらしい飲み物だよ?」
「いえ、私は結構です」
本来上官からのこのような誘いは断り辛いものなのだが、ノア大佐はその誘いを何所吹く風かと、キッパリと誘いを断った。ノアはコーヒー派の人間だった。そんな葉っぱ汁のどこが美味いのかとそれが本音だった。それにマッケンバウアー大将はノアがコーヒー派の人間と知っていて声をかけている。もう10年も上官と補佐官の関係なのだ、知らないはずがない。大将からすると黒豆汁のどこが美味いのかと、2人の好みは正反対だった。
マッケンバウアーはやれやれと小息をもらすと、残りの紅茶を飲み干して、椅子に沈んだ体の重心を少し移動させた。
「ノア大佐? 彼女のほうはどうかね?」
「先ほど本体の居場所がつかめました、摩天楼から東に13キロの地点です」
それを聞いた瞬間、マッケンバウアーは野性的な笑みを浮かべノア大佐に目を向けた。ノア大佐はこの司令室に入った瞬間から直立不動で、動いているのは目蓋程度だ。マッケンバウアーはこの機械のような部下を大いに気にっていた。
「なら早く捕まえてきてくれ、そして私の前に引きずりだすんだ」
「ずいぶんマラサイに執着なされていますね?」
珍しくノア大佐が話に興味を示した。マッケンバウアーがノアに向かってする話はいつもとても下らない話か、とんでもなく下品な話の2択で、聞き手のノアもスル-orスルーの二択だ。マッケンバウアーは欲望に燃える眼球を大きく見開いた。
「私は美しいものを集めるのが趣味なんだよ、それに玩具もね」
ノアはその下劣な笑みを横目で刺しながら、冷静に言葉を選んだ。
「玩具なら貴方の個室に大勢いらっしゃるではないですか?」
「もう全部飽きてしまったよ……」
ため息をつきながらそう答えたマッケンバウアーを横目に「だろうな」と、ノアは内心そう呟いた。彼の個室から持ち出される黒い袋は日に日に増えていた。そしてその中身を極秘に処理するのはノアの仕事だ。そろそろ新しいものをほしがることは予想できていた。
「あれほどは天界にも人間界にもいない、小生はぜひ彼女を手に入れたい」
『美しい女性』
その点については珍しくノア大佐も同意だった。
ノアが初めて彼女の姿を目にしのは10年前、冥界、天界の貴族、王族が集まっての、パーテイ会場だった。当時19歳で少尉だったノアは、マッケンバウアー准将の後を、まるで金魚の糞のようにくっ付いて回っていた。当時はそのような華やかな場所に呼ばれるのは初めてで、どのように立ち振る舞えばよいか、わからなかったためだ。自分にはこの空気は合わない、そのようなことを頭の隅で思いつつも、失礼の無いように常に気を引き締めなければならない。そんなプレッシャーのせいで多めの酒を口にしたせいか、はたまた会う人合う人に酒を進めれ断れなかったせいなのか。大量の酒を口にしたノアは完全に酔いが回ってしまい、風に揺られる草木のようにゆらゆらとパーティ会場を歩き回っていた。
見かねたマッケンバウアーが「夜風に当たれ」とテラスを指差したので、ノアはおぼつかない足取りでテラスに向かった。
その場所には先客がいた。
腰まで伸びた真紅の髪は月光に照らされ輝きを増しており。背中を大きく開いた赤のロー・バックのドレスからは、真珠のような白い肌を露出させている。つまらなさそうに夜空を見上げているその顔立ちは、まるで彫刻のように整っていた。
ノアは思わず息を呑んだ。気がつけば吸い寄せられるようにそのシルク背中を凝視しており。すっかり酔いは冷めていた。
それから数分が過ぎただろうか、急に肩に重いものがのしかかりノアはギョッと背筋を震るわせた。
「君も美しいと思うだろう? 冥界人は年を取るのがとても遅いんだ、あれでも私の数倍年上だよ」
何かを愛しむ甘い声と共にノアは肩にかけられた手に力が入るのを感じた。
「もし彼女を手に入れることができたら、その美しさを永遠に楽しむことができる。どんな男でも彼女を一目見れば手に入れたいと思う。勿論私も例外ではない……」
マッケンバウアーは食い入る様に彼女を見ていた。そしてノアはその時のマッケンバウアーの視線を今でも忘れることができない。熱く、欲望と野生をむき出しにしたその目を……
(そうだ、あの時と同じ目をしている)
ノアはそんなことを思い出しながら再び腰掛けているマッケンバウアーに目を向けた。マッケンバウアーは勝手かつ一方的にマラサイについて熱く語っていた。
「彼女にはきっと、いや確実に黒のベビードールが似合う。真紅のリボンで彼女を後ろ手に縛る。彼女はプライドが高いから恐れを知らぬ眼差しで私を睨んでくるはずだ」
ノアが聞いていようといまいと関係のない様子だ。マッケンバウアーは何度か足を踏み鳴らし、さらに熱く自分の願望を語った。
「そこで小生の出番だ。彼女にたっぷりと教えて差し上げるのだよ、自重というものを、女性の品というものを。最初は反抗するかもしれないが、それはそれでとても楽しい趣向だ。2,3回もすれば静かになる、私の命令を素直に聞くようになるのだよ、これが支配というものだ」
熱烈にそう語り終えると、一人うんうんと頷いた。
「どうだね? 彼女を手に入れた時には、君にも私が『それ』をすました後に、部屋に送り届けようじゃないか?きっと楽しめると思う」
一瞬の間をおいてノアが答えた。
「結構です大将」
「まったく、つまらん男だ」
(クソっ!!)
ノアは心の中でそう悪態をついた。それはこの変態野郎に対してでは無い。自分に対してだ。マッケンバウアーの下劣な誘いに対して、一瞬でも答えを考えてしまった自分に。
そんなことを考えながら今は他にやるべきことがあるだろう、と自分に言い聞かせ、ノアは目の前の巨大画面に集中した。画面に映し出された2人は先ほどから、何やら話し込んでいる様子だ。
「ラブラブの2人には悪いがそろそろ終わりにしよう」
マッケンバウアーは椅子の肘掛に置いてあったマイクを口に近づけた。
「さあ何か遺言はあるかね~~?」
マイクを通して、マッケンバウアーの声が摩天楼中に轟き、全部隊に緊張が走った。マイクを切ったマッケンバウアーは、無言で手を2度前に振って一斉攻撃の準備をさせる。ノアが再び画面に目を向けると、2人の会話はさらに熱を帯びてきているように見えた。
「やつらが何を話しているか聞きたい」
マッケンバウアーは下士官に合図を送り、マイクの感度を上げさせた。先ほどまで蚊の鳴くような雑音だったそれが、まるで自分が彼らの隣で声を聞いているかのごとくクリアに耳に届いた。
――――――――――――――――――――――――――――――
「そんな時間は残っ……いない」
「しかしこのままでは蜂の巣です!! それにベンザ卿……」
「あんなものはかすり……そんなことより君は大丈夫なのか……」
「これは幻影です。私は……場所にいます!! そん……今はいいですベン……」
「そうじゃない、……しなければ君が捕まってしまう」
「そんなことよりベンザ卿のほうが心配です!!」
――――――――――――――――――――――――――――――
多少ノイズが入ったものの会話の内容は9割がた理解できただろうマッケンバウアーはカップルを茶化すかのような目で2人を見つめた。
「熱烈だね~まるで私が悪人みたいだ。そう思うだろ?」
この問いに対してノアは『はい』でも『いいえ』なく、『聞こえなかったことにしょう』という第三の選択肢で対応した。
――――――――――――――――――――――――――――――
「私を信用してくれ、安心しろ秘策がある。だから今は自分のことを考えなさいマラサイ」
――――――――――――――――――――――――――――――
「面白いことを言うじゃないか? 秘策? 実に面白い!!」
マッケンバウアーは『フンッ』と鼻で笑うと、ゆっくりと立ち上がった。鬼火のように揺らめく瞳はしっかりと画面の中のベンザ卿を捕らえており、まるで今から捌きを与える全知全能の神のような立ち振る舞いで、右手を天井に向けて突き上げた。画面の2人は話し合いが終わった様子で、やがてマラサイの幻影が蝋燭の火ように切なく消えた。マッケンバウアーは再びマイクのスイッチを入れた。
「秘策ね~。ベンザ卿~君は嘘が下手だな」
低く冷たい、まるで氷のような声だった。
――――――――――――――――――――――――――――――
「よく言われるよ」
――――――――――――――――――――――――――――――
間を置かずにベンザ卿が鼻で笑いながらそう返事をした。それを聞いたマッケンバウアーは満足そうな表情を浮かべて、口の端をつり上げた。マッケンバウアーが腕を振り下ろす。
『パチン』指の鳴る音が司令室にこだました。
評価をポチットしていただけると幸いです。
面白くなかった、ここが悪い
面白かった
作者の励みになりますなんでもお書きください。