第8節 金剛石
森を抜けると、東の空はすでに青みがかっていた。
目の前には小さな森に抱かれているように建つ白い建物。原石神殿だ。
安全な場所が見えて緊張の糸が緩む。
念のため神殿の裏から敷地内へ足を踏み入れる。ひと気がなく、すべてが眠っているような静けさ。
ミステイルの追手はここへ来ていないようだ。
「宿泊施設のほうへ参りましょう。部屋が空いているといいのですが……」
神殿から伸びる回廊の先に、神殿と同じ石造りの建物が建っていた。
クラルスが扉を開けると、明け方にもかかわらず、受付に女性がくつろいだ様子で本を読んでいる。
僕たちに気がつくと会釈をしながら本を閉じた。
「ようこそ。宿泊のご利用ですか?」
「はい。部屋は空いていますか?」
「全室空いております。最大宿泊日数は三日ですので、お忘れなきようお願いします。それではご案内しますね」
部屋へ案内されている間、女性が施設の説明をしていたが、何も頭に入ってこなかった。
彼女はクラルスへ部屋の鍵を渡すと、受付に戻っていく。
室内には机と椅子、ベッドが二台。簡素な部屋だ。
近くのベッドへ歩み寄り腰を下ろす。クラルスは周りにひと気がないことを確認して扉を閉めた。
「ひとまずご安心いただける状況です。今はお休みになって……」
クラルスの言葉を聞いて深く息を吐くと、温かい雫が頬を伝った。
視界がにじんで揺らめく。
息が詰まるたびに流れだし、自分の意思では止められなかった。
安堵、悔しさ、悲しさ、絶望。胸の奥で混ざり合い、涙となってあふれ出る。
「……リア様」
あのとき、魔法が使えていたのなら、母上と父上を助けられたかもしれない。
素直にガルツへ名乗り出ていれば、二人は死なずに済んだかもしれない。
後悔の念だけが胸に降り積もっていく。
「何で……僕が生きているの。やっぱり僕は厄災の元なんだ……。生きている……意味なんて……なかった」
生まれたときから、僕には価値も意味もなかった。
『厄災の元』、『穢れを溜める子』と言われても、母上と父上が居場所を与えてくれた。前を向いていられた。
大きな手で頭をなでてくれた父上。優しく抱きしめてくれた母上。
二人の笑顔が浮かんでは消えていく。
今の僕に生きている意味はあるのだろうか。
クラルスは隣へ座ると、何も言わずにそっと抱き寄せる。
彼の温かさに包まれながら、嗚咽をもらして泣くことしかできなかった。
窓から差し込む太陽の光で目が覚める。いつのまにか眠ってしまったようだ。
身体の脱力感がひどい。喉がからからだ。
少しのめまいと頭痛を感じながら起き上がる。
「お目覚めですか、リア様」
すぐにクラルスから水の入ったコップが渡される。
「ありがとう」とかすれた声が出た。
冷たい水を流し込むと眠気が去っていく。
「こちらでお顔を冷やしてください」
水を含んだひんやりとしたタオル。
鏡がないのでわからないが、きっとひどい顔をしているのだろう。
目元につけると、冷たさが心地いい。ぼんやりとしている思考が澄んでいく。
「温かい飲み物が必要でしたら、仰ってくださいね」
「……大丈夫。クラルス、取り乱してごめんね」
「お気になさらないでください。リア様の心中お察しします」
彼は穏やかに目を細めた。そして、視線が僕の左手へ落ちる。
母上との約束が胸をよぎる。でも、目の前で魔法を使った以上、もう隠す理由はない。
「……気になる……よね。僕が宿している宝石」
「無理にお話しにならなくても大丈夫ですよ」
「ううん。君には知っておいて欲しい。わかっていると思うけど……月石……なんだ」
「……えぇ。陛下が宿主ではなかったのですね……」
「うん。自分に月石が宿っていると知ったのも最近なんだよ」
母上から教えてもらったことを話すと、クラルスは頷きながら聞いていた。
昨晩は城の出来事で混乱していたが、徐々に頭が働き始める。
考えなければいけない。セラとの合流を。
「クラルス……。セラはどこにいるんだろう」
「セラ様はルシオラとご一緒でしょう。ルシオラなら、騎士団が駐屯している都市へ向かい、保護を求めると思います」
「ここからだと遠いけど、僕たちもセラと合流したほうがいいよね?」
「そうですが、まずは正確な情報を入手しましょう。憶測での行動は危険です」
原石神殿の南にはセノパーズという小さな街がある。そこでセラの手がかりを探したほうがいい。
夜が明けて城の情報が外部に出回っているかもしれない。
「……り……リア様。爪が……」
「えっ?」
左手を見やると、爪が淡い白藍色の光を放っている。なぜだろう。
じっと見つめていると、ある方向から温かい波のようなものが伝わってくる。
不思議な出来事に戸惑いながら、波が来るほうへ目を向けた。
「クラルス、あっちの方向って何か……ある?」
「……神殿のほうですね。もしかすると、ここに安置されている原石と月石が呼応しているのかもしれません」
「行っていいかな? 月石について、何か新しいことがわかるかもしれない」
クラルスは二つ返事で了承してくれて、僕たちは神殿へ向かう。
日が傾き始めている空を見ながら回廊を歩き、神殿内へ足を踏み入れた。
物音ひとつしない、自分の呼吸音が聞こえそうなくらいの静寂。
白を基調とした壁に大理石の床。壁に掲げてあるランタンの光がうるんで、神秘性を際立たせていた。
神殿がまとう空気そのものが、ここは神聖な場所なのだと告げていた。
廊下には僕とクラルスの足音だけが響いていた。
「奥のほうから感じる……」
「宝石室かもしれません。ここにはダイヤモンドの原石が安置されているのですが、今は“流星の日”の期間ではありませんし……」
流星の日。原石が、原石欠片や欠片といった下級宝石を生み出す期間。実際に見たことはないが、どういうものなのだろう。
クラルスは本当にいろいろな知識を持っていて感心する。彼の横顔を見ると、憂いを帯びた表情。
どうしたのだろう。
クラルスに問おうとしたとき、最奥に部屋が見えてくる。
開いている扉の前に神職の装いをした女性が立っていた。
僕たちに気がつくと、女性はじっとこちらを見つめてくる。
「……やはり、来ましたね。天運を紡ぎし者……ウィンクリア」
「……えっ? どうして僕の名を……?」
「部屋の中をご覧なさい」
原石神殿に着いてから正式な名前で呼ばれた記憶はない。彼女は何者なのだろう。
女性に促されて部屋の中をのぞくと、台座の上にこぶし大のダイヤモンドが宙に浮いていた。
どういう原理なのだろう。神秘的な光景。
台座の周辺には小さなダイヤモンドがたくさん落ちている。
一定の間隔で脈打つ光の波を見て、これだったのかと気づく。
「今は、流星の日の期間ではありません。原石が呼応したのですね」
「あの……あなたは……」
「私はこの神殿の斎主です」
そのとき、ダイヤモンドから強い光の波動が放たれる。
それと同時にひとつのダイヤモンドが、原石から分離するように生まれた。
周りに落ちているダイヤモンドとは違う強い輝き。そして温かさのようなものを感じる。
「原石が……。そう……」
斎主様は生まれたばかりのダイヤモンドを拾い上げると、クラルスの前まで歩いてくる。
「クラルス。原石が天運を紡ぎし者の守護者として、あなたを選びました。ダイヤモンドの原石欠片。これを宿す資格があります」
「私が……宝石を? それに、そんなに希少性の高い宝石は……」
斎主様はすべてがわかっているのだろうか。
天運を紡ぎし者とは何なのか。それがクラルスにも関係が。
斎主様の手のひらにあるダイヤモンドはクラルスの返事を待っているようだ。
「啓示に従い宝石を授かれば、あなたの運命が大きく動き出します」
「……皮肉なものですね」
「運命の岐路です。決めなさい、クラルス」
天運を紡ぎし者。守護者。めまいがする。
僕は何を課せられているのだろう。そして、クラルスにまで。
クラルスを見やると、真剣な眼差しでダイヤモンドを見つめていた。
「斎主様。わかっておられるのでしょう。その言葉はあまりにも優しく、残酷です」
「……私は道を示しただけ。決めるのはあなたですよ」
少しの沈黙のあと、クラルスの低い声が響く。
「斎主様。宝石をお願いします」
「……クラルス。左手をこちらへ」
クラルスの左手の甲にダイヤモンドが置かれる。
斎主様が手をかざすと、波打つような光があふれた。
ダイヤモンドは溶けるように、クラルスの体内へ吸い込まれる。
同時に中指の爪へ刻印が浮かび上がり、淡い白銀色に染まっていく。
幻想的な光景に思わず息を呑んだ。
「ダイヤモンドは、守ることに長けています。あなたの心にきっと応えてくれるでしょう」
「これで……魔法が……」
クラルスは爪の刻印を見つめていた。
本当にこれでよかったのだろうか。
「遙か昔から宝石には司る言葉があります。ダイヤモンドは永遠の絆。そして、月石は未来への希望です。宿しているあなたたちに宝石の加護がありますように」
斎主様は僕たちに背を向けると、廊下の奥へ歩き出す。
「ま……待ってください! 天運を紡ぎし者とは何なのですか! なぜ僕が月石を宿していることを知っているのですか! 教えてください!」
斎主様は立ち止まると、横目で僕を見やる。
すべてを知っているかのような澄んだ瞳に射抜かれ、その場から一歩も動けなかった。
「時がくれば自ずと知ることになりますよ。ウィンクリア」
彼女はそう言い残して、奥へと消えていく。
足は縫いつけられたように動かなかった。
斎主様が立ち去ったあとの廊下を眺めていると、肩に手が置かれる。
「リア様。お部屋に戻りましょうか」
「……クラルス、本当に宝石を宿してよかったの? 君のことが心配だよ……」
天運を紡ぎし者の守護者。
僕がクラルスに背負わせてしまったようで、胸が締めつけられる。
「これは私の意思です。リア様がお気になさることはありませんよ」
クラルスは優しく微笑んでくれた。
自分の左手を見ると、爪の光は消え、刻印だけが浮かんでいた。
まるで役目を終えたように静かだ。
神殿を出ると、西の空が茜色に染まっていた。
ふたつの影を見つめていると、目の前にクラルスの腕が伸びる。
「クラルス?」
唇に人差し指を当てていた。
彼の視線の先を追うと、正門にミステイル王国の兵士が数名いた。
神官の男性に何かを渡しているようだった。
兵士たちは神殿内には入らず、敬礼をすると立ち去っていく。
「……とうとう来ましたね」
「神官に何を渡したんだろう」
一枚の紙を見ながらこちらに歩いてくる神官。
僕たちは足早に彼のもとへ歩み寄った。
「すみません。先ほどの兵の方たちは何を……?」
「あぁ。ルナーエ国で謀反があったそうですよ。手配書を渡されました」
「謀反?」
神官の言葉に違和感。
同盟国が攻めてきたのだから“襲撃”や“夜襲”という言葉を使用するはず。
まさか、自国の者がミステイル王国と内通していたのだろうか。
考えを巡らせていると、神官が手配書を見せてくれた。




