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プリムスの伝承歌―宝石と絆の戦記―  作者: 天花るい
第1曲 黎明の伝承歌
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1/19

第1節 同盟国

「リア様! 下がっていてください!」


「クラルス……! 君、一人じゃ……!」


 背後からの気配に振り返る。

 こすれる金属音。

 相手の武器を弾き飛ばし、剣を振り下ろした。

 短い叫び声。床に広がる血。

 兵士から目が離せない。動きが、止まるまで。


「クラルス……僕……僕は……」


 肉を切る感触。耳にこびりついた叫び声。

 これを、僕が。



***



 そよ風が、ひとつに結った僕の長い月白《げっぱく》色の髪を揺らした。

 木漏れ日が差し込む回廊を歩いていく。向かっているのは母上の執務室。

 個人的に呼び出されるのは珍しい。


「リア様。ご気分がすぐれませんか?」

「ううん。大丈夫だよ、クラルス」


 少し振り返ると、彼はまだ何か言いたそうな目をしていた。

 僕の専属護衛として五年。これだけ長い時間を一緒にいると、隠し事はできない。


「リア!」


 背後から僕の名を呼ぶ弾んだ声。

 ぱたぱたと軽快な足音。振り返ると、妹のセラが笑顔で走ってくる。

 その後ろから、ルシオラが追いかけてきた。

 勢い任せにセラが抱きつく。

 深紅《しんく》の長髪がふわりと鼻先をくすぐった。


「こんなところで会えるなんて思わなかったわ! 今日はクラルスと剣の稽古はないの?」

「今、母上に呼ばれているんだ。そのあと稽古かな……」

「……また視察?」

「わからないけど……。そうかもね」


 セラは顔をしかめる。

 先月、視察で一週間ほど城を空けていた。

 目を潤ませたセラに出迎えられたあの日が頭に浮かぶ。


「リアが城から出る公務が増えるのかしら……」

「そうかもしれないけど……。大丈夫、必ず帰ってくるから」


 髪を優しくなでると、彼女は菜の花色の目を細めた。

 そのとき、ルシオラがセラの肩を軽く叩く。


「セラ様。そろそろ帝王学のお時間なので、ご準備をしましょう」

「もうそんな時間なのね。もう少しリアといたかったわ」

「セラ様は次期女王です。お時間は貴重なのですよ」

「わかっているわ。ルシオラは専属護衛というより、厳しいお姉さんよね」


 ルシオラは小さく咳払いをした。

 セラは腕を解いて僕を見つめている。


「セラ。勉強、頑張ってね」

「リアも次期騎士団長なんだから、稽古で無理して怪我しないようにね」


 セラは僕の手を取って爪を見た。


「この痣、まだ消えないのね」

「うん。小さいころからあるし、もう消えないかもね」

「私たち双子なのに似てないところがあるわよね」


 セラは僕の手をそっと離すと、少し寂しそうに微笑んだ。

 ルシオラにせかされて、セラは急ぎ足で自室へと向かっていく。

 帝王学で忙しいはずなのに、セラは疲れた顔を見せない。僕も見習わないと。

 彼女たちを見送ると、クラルスからくすりと笑い声がもれた。

 彼の暗緑《あんりょく》色の髪が小さく揺れる。


「セラ様はリア様のことを慕っていらっしゃいますね」

「僕にとって、セラは特別だよ。双子だからというのもあるのかな……」


 ふと、評議室のほうから話し声が聞こえてきた。貴族たちの会議があったのだろうか。

 「王子」と単語が耳に入り、足が縫いつけられた。


「女王陛下は王子殿下に公務を行わせたらしいぞ」

「男性王族など、早々に嫁がせてしまえばいい。なぜ政を……」


 女王君主制のため、僕に王位継承権はない。

 父上の騎士団長の地位を継ぐことになっているが、貴族はそれすら嫌がっている。


「男性王族は厄災の元だ。今も穢れを溜め込んでいる。いつ私たちに厄災が降りかかるか……」

「昔は間引いていたものを、慈悲で生かすなど。陛下は国民のことをお考えなのか?」


 貴族たちはいつもこうだ。

 国に悪いことがあれば僕のせい。自分の不幸も僕のせい。

 毎日、毎日、耳を塞ぎたくなる。

 男性王族がいた時代には必ず災いが起きた。それが僕を『厄災の元』と呼ぶ理由。

 だからといって僕が何をしたというのだろう。

 小さくため息をついたとき、背後からの殺気に気がついた。

 後ろに控えているクラルスが貴族たちを刺す勢いで睨んでいる。

 貴族たちの声は止まらない。

 仕方なく、僕たちは彼らがいなくなるのをじっと待つ。

 いつ終わるのだろう。柱に身を預けようとしたとき、クラルスの手が耳に触れる。


「しばらく触れることをお許しください」


 貴族たちの会話が遠のいた。

 彼の手のあたたかさを感じながら目を瞑る。

 貴族たちが立ち去ったのか、手が離れた。


「ありがとう。クラルス」

「あの者たちの話など、お気になさらないでください」

「……慣れているよ」


 心配をかけないように笑ってみせた。


「リア様。陛下がお待ちです。参りましょうか」

「うん。そうだね」


 僕たちは母上が待っている執務室へと足早に向かった。

 重厚な扉の前まで辿り着き、一呼吸おいて声を出す。


「陛下、ウィンクリア参りました」


 二人の従騎士が扉を開ける。僕とクラルスは一礼をして執務室へと足を踏み入れた。

 母上は窓際にたたずんでおり、月白色の髪が太陽に照らされている。

 振り返ると、母上の表情が和らぐ。


「リア、無理に陛下と呼ばなくていいのですよ。クラルスも楽になさい」

「い……いえ。公務のお話ですよね。公私の区別が必要です」

「……そうですね。リアはもう十四ですね。よい心がけです」


 母上は少し寂しそうにつぶやく。

 自分の母ではあるが、女王であり、公務の話。クラルスがいる手前で、砕けた言葉遣いはできない。

 机の前まで静かに歩くと、僕たちを見据えた。


「リア。一週間後、あなたにはミステイル王国に親書を届ける役目を果たしてもらいたいのです」

「ミステイル王国……。十五年前に同盟を結んだ国ですよね?」


 東の国、ミステイル王国。七年前に親善会があったはず。

 幼かったので記憶は曖昧だ。


「よく覚えていますね。同盟を結んで長い月日が経ちました。再び我が国で親善会を開催しようと考えています」


 僕にとっては初めての外交公務。先月、国内の初公務をしたばかりだというのに。

 母上の期待に応えたい。

 しかし、不安もあった。

 七年前の親善会の記憶を辿る。

 今回はおそらく貴族が参加する夜会にも僕とセラは出席しなくてはいけないだろう。

 『穢れを溜める子』『厄災の元』と陰で言われるのは想像できた。

 それに、僕が少しでも失態を犯せば母上が責められてしまうかもしれない。

 そう思うと胸が重くなる。


「リアは、初めての外交ですね」

「……そうですね。陛下の名代《みょうだい》なので、王族の名に恥じぬよう心がけます」


 母上は小さく頷いた。


「リア、失敗してもかまいません。たくさん経験を積みなさい」

「はい。このような機会を与えてくださり光栄です」

「クラルス。我が王子の護衛をお願いします」

「かしこまりました」


 母上はクラルスへ下がるように命じる。彼だけ退室させるのは珍しい。

 首を傾げている間に、クラルスは一礼をして執務室から去る。

 部屋には母上と僕の二人だけが残り、静まりかえった。

 何があるのだろう。

 母上は憂いの色を瞳に浮かべる。


「……リア、ここに来るまでに何かありましたか?」

「えっ……い、いえ何も……」


 たしかに貴族の陰口を聞いて気落ちしていたが、顔に出ていたのだろうか。

 母上と目を合わせると、目を細める。

 なんとなく察しているようだった。


「リア、次期騎士団長として、セラとともにルナーエ国を牽引してほしいと思っているのですよ」

「でも……僕が国にいると……」


 厄災が起きるのでは。

 言いかけた言葉は喉で止まった。ふいに母上が僕の髪をなでたから。


「私は厄災の伝承など信じていませんよ」


 肩に降りて来た母上の左手が視界に入る。中指の爪には月石を宿している証である刻印があった。

 母上が宿しているのはルナーエ国の女王が代々守り、身に宿してきた最上位の『原石《プリムス》』。宝石には階級があり、原石《プリムス》を宿せる者は歴代女王でもごく限られている。


「母上の月石の刻印はきれいだね」


 刻印は魔法が使える証。

 体内に宝石を取り込んで魔法を使うとは、どのようなものなのだろう。


「宝石は魔法の力や美しい刻印を授けてくれる反面、とても重いものです」


 母上は小さなため息をついて、左手の刻印を見つめている。


「大丈夫だよ母上。ルナーエ国の伝承だと、原石《プリムス》を宿した女王がいるとき、大繁栄期になると伝えられているんだよ。母上が宿してから有事はないから、きっと母上のおかげだね」

「良い伝承は信じたくなりますね。……伝承は無垢な知恵ですが、時には『呪い』にもなりうるものです」


 母上の言葉が重くのしかかる。僕にとって厄災の伝承は『呪い』なのかもしれない。

 いつのまにか母上は女王の顔になっている。

 同時にぴんと空気が張り詰めた。


「……リア、いずれお話ししたいことがあります。ゆっくり話したいので、時間が作れましたら呼びますね」

「うん。わかったよ」


 改めて僕への話とは何だろうか。母上の瞳に決意が見える。

 母上は硬い表情を緩めると、そっと僕の頭に手を置いた。

 温かな手の感触。

 ほんの数秒のことだったが、ぬくもりがまだ残っているような、ふわふわとした気持ちになる。


「行きなさい。クラルスを待たせてしまっていますから」


 僕は温かさと少しの不安を胸に、執務室をあとにした。


 ミステイル王国へ旅立つ日。

 朝日を受けて輝く水面が眩しい。目を細めながら船に乗り込む。

 空を見上げると、澄んだ青空が広がっていた。

 旅路は三日間、河川を進んで国境まで行き、そこからはミステイル王国が用意してくれている馬車に乗り換える予定だ。


「殿下! おはようございます」


 快活な声が背中に届く。振り返ると、よく知っている女性騎士が立っていた。

 周囲の騎士たちの顔がこちらを向く。

 リヴとクラルス、星永《せいえい》騎士の二人が同行するため、緊張した面持ちの騎士たちが多い。


「おはよう、リヴ。天気が晴れてよかったね」

「殿下、初外交とお聞きしましたよ! 張り切って参りましょうね!」


 僕の弓術の師リヴ。四年間、毎日のように習っていた。

 慣れ親しんでいる星永《せいえい》騎士の同行は、きっと母上の配慮だ。


「リヴ様。よろしくお願いいたします」


 クラルスは深々と頭を下げた。丁寧な礼にリヴは満足そうだ。


「クラルス。最近、殿下の稽古の時間を独り占めしていてずるいわ」

「……リヴ様、人聞きの悪いことを仰らないでください」


 リヴのおしゃべりは止まらず、クラルスがうろたえていた。

 クラルスがかわいそうになってきた。そろそろリヴを止めないと。


「リヴ、そのくらいにしてあげて。クラルスが困っているよ」

「つい、おしゃべりに夢中になってしまいました」


 クラルスは苦笑して肩をすくめた。


「リヴが同行してくれると心強いよ。長旅だけどよろしくね」

「そう仰っていただけると、うれしいですね。さあ出航しましょう、殿下!」


 リヴの合図で真っ白な帆が一斉に張られた。

 風を受けた船はミステイル王国へと進んでいく。

 どんな国なのだろうか。外交は上手くできるだろうか。



 港に着くと、ミステイル王国からの使者が来ていた。

 すでに紋章入りの壮麗な馬車が用意されている。


「長旅お疲れ様でした、ウィンクリア王子殿下。王都まで安全に送迎いたします」

「よろしくお願いします」


 一言交わしただけでも、手がじんわりと汗ばんだ。

 馬車へ乗り込み、柔らかい座席に腰を下ろすと、リヴが耳打ちをする。


「殿下、移動している間は身構えなくても大丈夫ですよ。外交官は別馬車ですから」

「ありがとうリヴ」


 向かいに着席しているクラルスは、小さく頷いた。

 馬車に揺られること半日。ミステイル王国の王都へ辿り着く。

 がっしりとした囲壁と、門を行き交う人々。

 商人や荷馬車の多さに商業の都という評判にも納得がいった。

 都の奥に見える城は赤茶色を基調としており、白を基調とした自国の外壁とは違う重厚な雰囲気。

 馬車はゆっくりと門をくぐっていく。


「これが……ミステイル王国」


 街並みを見ていると自国と建物や街並みの違いが目に入り、新しい発見に胸が高鳴る。

 何もかもが新鮮で輝いていた。


「……リア様、身を乗り出すと危険ですよ」


 クラルスの声を聞いて我に返った。大切な公務なのに浮かれている場合ではない。僕は姿勢を正して前を見据えた。

 隣からリヴのくすりと笑う声が聞こえる。

 彼女を見やると目を細めていた。


「殿下に国外はいい刺激ですね」


 一連の行動を見られていたようだ。幼い子どものような振る舞いをしてしまい頬が熱くなる。


「ごめん……。少し浮かれていたよ」

「王子殿下の年相応のお姿は微笑ましいです。でも、お城に着きましたらご公務ですよ」

「うん。母上の名代で来ているから、しっかりしないとね」


 リヴは満足そうに頷いた。

 やがて馬車は門をくぐり、玄関前に止まる。

 扉の前に、正装をした初老の男性が立っていた。

 クラルスの手を取って、馬車から降り立つと、男性は頭を下げた。


「お待ちしておりました、ウィンクリア王子殿下。謁見室にご案内いたします」

「お出迎え感謝いたします。よろしくお願いします」


 初めての外交に緊張が高まる。馬車の中でクラルスから「いつもどおりで問題ございません」と言われたが、落ち着かない。

 案内された謁見室の絢爛《けんらん》な扉が開くと、玉座に国王が座していた。

 威厳のある存在感に気圧されそうになるが、目をそらすことなく国王を正視する。

 外交の重圧が全身にのしかかる。

 赤い絨毯《じゅうたん》の上を歩き、上段の手前で足を止めた。僕は国王に一礼し、クラルスたち星永《せいえい》騎士はひざまずく。

 僕は右手を胸に当てて言葉を紡いだ。


「ルナーエ国第一王子ウィンクリア・ルナーエです。国王陛下、お久しぶりでございます」

「時が経つのは早いな。そなたはもう礼節のあるあいさつができるようになったのか。あのときはたしか……」

「……七年前ですよ父上」


 謁見室に響いた低い声の主は第二王子のガルツ・ラディー。

 赤紅《あかべに》色の瞳は僕を値踏みするように見据えていた。

 冷ややかな視線に血の気が引いていく。

 国王とは異なる、上から押さえつけられるような威圧感。

 なぜだろう。友好国の王子なのに。


「ご不快にさせて申し訳ありません、ウィンクリア王子」

「いえ……。……アエスタス女王陛下より拝命し親書をお持ちしました」


 僕の言葉でリヴが立ち上がり、側近の者へ親書を手渡す。


「ご苦労だった。ここまでの道のりは長く、疲れたであろう。部屋を用意させた。ゆっくり休むといい」

「ご配慮、感謝いたします」


 謁見は滞《とどこお》りなく終了した。

 再び控室に戻ると、静かなため息が漏れた。

 これから、晩餐《ばんさん》会にも出席しなくてはいけない。

 未成年とはいえ要人なので大人と同じ扱いをされる。

 これも王族の務めだ。

 扉がノックされると、ガルツ王子が姿を現す。


「ウィンクリア王子、お疲れ様です。晩餐会までお時間がありますので貴賓《きひん》室へどうぞ。護衛の方々もご一緒にお部屋へご案内します」

「ありがとうございます」


 個室で休めるのはありがたい。僕はみんなに気づかれないように短いため息をついた。

 ガルツ王子の少し後ろをついていきながら城内を歩く。

 美しく剪定《せんてい》された木々が並ぶ中庭や、廊下を彩る調度品《ちょうどひん》の数々が、目に飛び込んでくる。


「貴賓室から中庭まで近いので、ご自由にご覧くださいね」

「あとでゆっくり見学させていただきます」


 ふと、近くにいた侍女が慌ただしくガルツ王子のもとへ駆け寄ってきた。


「ガルツ王子殿下。取り急ぎご確認したいことが……」

「何だ?」


 侍女は僕のほうをちらちらと見た。不思議に思っていると彼女は声をひそめる。


「あ……あの、ルナーエ国の王子殿下がいらっしゃるとお聞きしていたのですが……。お見かけしたところ王女殿下のようでしたので、ご用意したものをお取り替えしたほうがよろしいかと……」

「……そのままでいい、下がりなさい」


 侍女は僕とガルツ王子を交互に見て、「大変失礼いたしました」と頭を下げると、そそくさと廊下の奥へ立ち去った。


「申し訳ありませんウィンクリア王子」

「い……いえ、お気になさらず」


 鏡に映る自分の姿を思い浮かべる。母上に似た月白色の髪と翠《すい》色の瞳、華奢な輪郭。女性に見えても仕方ないのかもしれない。

 自国でも時々間違えられることがあったから、慣れているはずなのに。

 無音のため息を吐いた。


***


 晩餐会は無難な会話で終えることができた。長く息を吐き出す。

 今日、粗相をしなかったことに身体の緊張が解けていった。

 時計の針が刻む音を聞きながら寝返りを打つ。なれない部屋のため、なかなか寝付くことができない。

 無理やり寝ることを諦めて、ベッドから這い出る。

 窓から見える中庭は月明かりに照らされており、眠っているつぼみたちが頭を垂れていた。

 そこにたたずむひとつの影。ガルツ王子だ。

 ガルツ王子も眠れないのだろうか。そう思っていると、彼の赤紅色の瞳と視線が交わる。

 まるで「こちらへ来なさい」と無言で誘っているようだ。

 窓から離れ、扉へ向かう。ガルツ王子と話してみたい。足が自然と動く。

 扉を開けてすぐに向かいの扉が開き、クラルスが姿を見せる。


「リア様? どうなさいましたか?」

「少し中庭に行こうと思って……」

「ご一緒いたします」

「大丈夫だよ。それに友好国で僕が護衛をつけていると、相手を信頼していないと思われかねないからね」

「……承知いたしました」


 クラルスは一礼をすると、部屋へ戻っていった。

 中庭へ続く広く薄暗い廊下を歩いていく。深夜なのでひと気もなく、城内は静まりかえっていた。

 月明かりを頼りに進むと回廊へ出る。

 ほどいた月白色の髪が、夜風にもてあそばれた。芝についた夜露が月の光を弾いている。

 ガルツ王子は僕に気がつくと口元を緩ませた。

 一度、裾を握ったあと、彼の傍へ歩み寄った。


「ガルツ王子……。眠れないのですか?」

「そうですね。ウィンクリア王子はどうなさいましたか?」

「少し眠れなくて……」


 隣に並ぶと、ガルツ王子は見上げる高さ。

 彼の目は僕を見ていなかった。


「そちらの耳飾りはルナーエ国の象徴の宝石を象《かたど》ったものですか?」


 指摘されて自然に手が耳に触れる。三日月型の耳飾りはセラのしている太陽型のものと対になっている。

 ルナーエ国には太陽石と月石というふたつの象徴の宝石がある。

 それらを象った耳飾りを誕生日に贈られた。


「これは……母から妹とお揃いで贈られたものです。とても大切にしています」

「母からの贈り物はうれしいものですね」


 表情を曇らせるガルツ王子。ミステイル王国の王妃は僕が生まれる前にはすでに逝去している。

 瞳には憂いの色の他に、何か底知れないものが潜んでいるようだ。

 短い沈黙のあと、ガルツ王子の低い声が響く。


「ウィンクリア王子。国の平和を維持するために必要なものは何だと思いますか?」


 なぜ、そのような質問をするのだろう。僕を試すような、さぐるような声色に息を呑んだ。


「……そうですね。国民あっての国ですので、皆の意見を聞いてよりよい政を行っていくことでしょうか」


 ガルツ王子は僕の答えを聞くと、薄笑いを浮かべた。


「私は“力”だと思います。この地に強大な国を作り、ひとつの権力でまとめる。それが争いが起こらず、平和を維持できると思いませんか?」

「そう……かも、しれませんが……」


 しかし、そのためには。


「それは……他国を侵略することになりますが。つまり、戦争を仕掛けるということ……ですか?」

「それ以外、何があるのですか?」


 ガルツ王子は氷のように冷たい瞳を向けていた。思わず身体が強張り、服の裾を握りしめる。

 自分の息が震えていた。夜風の冷たさなのか、ガルツ王子の威圧感なのかわからない。


「平和的に同盟を組めばいいのではないでしょうか? 戦争は人々に負担をかけます」

「初期投資ですよ。それに、同盟などただの書面上の約束事。相手国のさじ加減でいつでも反故《ほご》にできるのですよ? 長期的に見れば争いの種を消してしまったほうがいいでしょう」


 僕には受け入れられる考えではなかった。ガルツ王子から目をそらし、月を見つめる。


「……僕にガルツ王子の考えは賛同しかねます」

「理想を掲げる純粋さはいいものですね」


 理想。僕の考えは理想なのか。政に関わったのは、つい最近のことだ。時が経つにつれて、ガルツ王子と同じ考えを持つようになるのだろうか。

 僕は人々を戦火に晒すようなことはしたくない。今はそう思っている。


「ウィンクリア王子には少々刺激的な話でしたね。以前、我々の国が抱えていた問題なので、つい長々と話してしまいました」

「いえ……ミステイル王国も大変な時期がありましたよね」


 ルナーエ国と同盟を結ぶ前、ミステイル王国は近隣国との戦争を頻繁にしていた。

 そのとき、ルナーエ国は同盟国ではなかったので静観していたはず。

 とはいえ、ミステイル王国は戦争をしたくてしているわけじゃない。

 そうでなければ、ルナーエ国と同盟を組もうとしない。

 戦争をする理由がなければ、平穏に過ごしたいと願うのは、どこの国も同じだろう。


「……夜風が冷たくなってきました。あまり長居しますとお体に障りますよ」

「そうですね。そろそろ戻ります」

「あなたと話ができてよかったです。おやすみなさい」


 ガルツ王子は回廊の闇へ溶け込んでいった。


 ミステイル王国から帰還した日。

 母上への謁見を終え、報告書をまとめる。いつのまにか夜も更けていた。

 残りは明日にしよう。

 すっかり冷めてしまっている紅茶を飲み干す。そのとき、自室の扉がノックされた。

 返事をすると現れたのは母上だった。夜中に僕の部屋を訪ねてくるなんて珍しい。


「リア。名代の務め、ごくろうさまでした。疲れているところごめんなさい」

「大丈夫だよ、母上」


 母上の柔らかい笑みを見て、肩の力が抜ける。

 母上に椅子を用意し、僕はベッドに腰掛けた。


「リヴからいろいろ聞きましたよ。立派に務めを果たしましたね」

「未熟な部分はたくさんあるけど、これから学んでいくよ」

「リアとセラは私たちと異なる色の騎士団長と女王になるでしょう。それを見届けることがとても楽しみです」


 母上との何気ない会話の時間に頬がゆるむ。

 ふいに母上は表情を引き締めた。僕が首を傾げていると、翠色の瞳がこちらを向く。


「リア。以前、話したいことがあると言ったのを覚えていますか?」


 僕は答えるように頷いた。

 母上が改まって話したいこととは何だろう。


「一度しか言いません。そして今から話すことは他言無用でお願いします」

「……うん。わかったよ」


 母上の口調から重大なことだと察する。姿勢を正して母上からの言葉を待った。


「ルナーエ国の象徴である宝石は知っていますね?」

「太陽石と月石だよね。ふたつとも原石《プリムス》で、月石は今、母上が宿している……」


 母上は月石が宿っている左手を差し出す。中指の爪にきれいな刻印が浮かび上がっていた。


「魔法ってどういうものなんだろうね。母上は魔法を使ったことあるの……?」

「私は魔法が使えません」


 どういう意味だろうか。母上は右手で刻印がある爪を強く擦り、再び前に出す。

 その手に視線を落とすと、爪にあるはずの刻印が消えている。

 どうして刻印が消えているのか理解できなかった。まるで爪の上に描いていたみたいに消えるなんて。

 母上にかける言葉が見つからない。

 胸がざわつく。母上を見やると真剣な表情を向けていた。

 そして静かに紡がれた言葉。


「私に月石は宿っていません。宿っているのは……リア、あなたです」

「えっ……」

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