マイスイートハート
テーマが二転三転した結果、途中放棄したお話。
短編の一つとつながっている設定です。ご了承ください。
「ねぇ、ダァリン。愛しているわ」
最近、よく何気なく過ぎてきた時間を考える。
俺の種馬は俺を含めた俺の生んだ女に興味がなかった。俺を産んだ女は種馬にも俺にも興味がなかった。自分の生き方に必要な手形を求めた男と、自分の美しさを永遠に愛し続けた女はいかにも似合いの夫婦だった。
俺を育てたのは男が雇った家政婦だった。男を慕い女を嫉んだ家政婦は最終的に俺に「愛情を注いだ」。家政婦は舐めるように俺を保護し、時には厳しく俺をしつけた。「間違っていた、だけれど私は彼を実の子として愛した。全ては神様の手違いだった」後に俺を誘拐し捕まった女はそう泣いたらしい。全身に爪でみみずばれをこしらえていた俺は病院のベットの中、テレビを眺めてその言葉を聞いていた。
その後も無関心な両親に代わって叔父夫婦が俺を引き取った。聖職者だった叔父は俺に生まれてきた意味を説いた。俺は神様に愛されて生まれた子だといった。神様に望まれ生まれてきたのだいった。叔父さんと一緒、兄弟なのだと微笑んだ。叔父は小学校にあがるころ、強姦罪で捕まった。叔母は冷えた口調で呟いた。「あんたを助けてくれない神様でも拝んでなさいよ」
再び両親の元で暮らし始めた俺は極めて平穏に暮らしていた。必要な金と環境は与えられていたから特に何かに困ることもなかった。
ただ、何事にもやる気のない俺を見て中学三年時の担任は時折、眉をひそめて呟いた。
「―――お前がいつか、」
何だというのだろう。思わせぶりな担任はいつも最後の一言を濁した。叔父のような瞳で、家政婦のような口調で担任は何とも言えない顔をしていた。
いつか、それが何だ。いつかなんて言葉を百回繰り返しても現実は極めて平静に日常を繰り返す。繰り返した日常の果てをいつかだというならば、その言葉にどれ程の価値があるのだろう。
俺は平穏な日常を愛している。そしてこうして生きている限り平穏は続くに違いない。人生の前半にドラマチックな出来事を体験し尽くしたから、もうさらさらあんな出来事はないだろう。
そう思っていたんだけど―――。
「ねぇ、マイダァリン」
「ダァリンは今日は何に怖がっているの」
教室の真ん中、HRという名の自習時間に堂々と乗り込んでいる後輩はくすりと笑った。ふわふわの黒髪、華奢な体に小さな顔に大きな目。容姿が一際整っている後輩こと俺の恋人は今日も甘い声と細い指先で俺の頬を突く。授業はどうしたんだ。
「や、別に……っていうか……ダァリンって本当にやめていただけませんか」
「もう!またごまかすのね。いいわ当てちゃうから」
「話を聞いてくださいお願いします」
周囲の視線が痛い。男の理想のような顔立ちをしている少女の恋人に対する嫉妬的なあれこれな視線かとおもいきやそれは三割。七割は同情だ。多分。たまに「がんばれ」とか言われるし。友達いないからよくわからないけど。
「分かりました! ダァリンはどうせまたダァリンの面白い過去を愚にもつかずあれこれ考える無駄な行為を繰り返しているのね!」
「なにこの人本当に怖い……」
言ってること酷いけどまさにそんなようなことを考えていた俺は本気で戦いた。なんか頭おかしいと思われそうな色々な可能性を一瞬本気で口にしそうになった。
因みに彼女は俺の過去を知っている風に言った。実際は風ではなく本当に知っている。怖い。結構前に金と人脈にものを言わせて調べさせたって自己申告された。怖い。挙げ句、俺ですらしらないような事実まで載ったファイリングされた俺・資料を渡された。怖い。
そもそも俺の父親もなかなか金と権力で物言わせるタイプであるが、この恋人はそれを爪先で突いて吹っ飛ばす程度の家の跡取りらしい。風の噂に聞くところによると、小さい頃、何かに腹を立てたときは当時の与野党党首数名に土下座させたらしい。なんでそんな事態になるんだ。土下座なんて生まれてこの方したことはあってもされたことはない。
そんな恋人は、ビビって身を引く俺に更に身を寄せて、っていうか近い近い近い近い!
「―――ねぇダァリン、貴方って本当に、お馬鹿さんでゾンビでわがままで口先ばっかりのどうしようもない人よ」
甘い口調で罵ってくる彼女が何を考えているかなんて、考えたくもない。
「それでもね、ダァリン。お腹抱えて笑っちゃうような過去を持ったダァリン。それでも必死になってない脳みそを絞って、持っていない感情を拾って、一生懸命考え続けるような貴方を愛している」
「………そーですか、」
俺は今、告白されているのか罵倒されているのか。
「理解しようと近づこうと足掻く様は誰でもできるものではないと私は思っているの。さも当然のように誰かの意志を自分の暗号に当て嵌めて解読する人間の多いこと!」
「あー……はぁ」
最近、よく何気なく過ぎてきた時間を考える。過ぎてきた時間のなかに置き去りにされてきた言葉を幾度となく繰り返す。
この恋人と出会って意識したことがあるとすればそれは、言葉には力があるということで。
「まぁ、ダァリンの場合、大前提とすべき思考の平衡が経験上察するに狂っているから大抵の条件下では全て無駄なんだけれど。でもそんなに無駄な努力に勤しむダァリンも素敵」
「……ええー」
人の考えていることをなんで彼女はこんなに読んでいるんだ。とか考えながらも近づく唇が頬に触れた。
「怖がりなダァリン。大丈夫よ。貴方が過去に失った時間も経験も感情も取り戻すことはできないけれど、」
これから重ねていけるでしょう?
そう言ってふわりと微笑む彼女を見て、顔を伏せる。
「ダァリン焦らなくてもいいの。貴方が私を愛してくれるまで、いつまでだって待つわ」
柔らかい手の平が柔らかく頭を撫でる。
そして。
「―――安心して。私、今まで手に入れられなかったものなんてないわ」
「……それもどうなの……」
スイートハート、なんて馬鹿げた言葉を言う気は更々ないけれど。言葉の力で心臓は今日もまた甘ったるい痛みを訴えるのだ。
そうして今日もまた、俺の平穏な日々はまた一つ遠ざかる。
おばかなダァリン。
私はダァリンのつむじを突きながら小さく笑った。幼少期、歪んだ生活を送っていたダァリンは頭が少しだけおかしい。うーん、これには語弊があるわね。ダァリンの思考回路はかなりおかしい。
ダァリンは自分の両親は自分に興味がないと思っている。ダァリンは家政婦にとって自分は父親の愛と母親への憎悪を発散する玩具だったとおもっている。ダァリンは叔父は綺麗事を言っている犯罪者で叔母は叔父を嘲笑って捨てたと思っている。
でも事実関係にしか興味がない私から見ればまたそれは違った話になるんだけれどまあ、それは野暮ってもので当人たちが一生懸命試行錯誤しているのに手を出すほど暇な人間じゃない。
それにしても。
(一律的な見方しかできない人間ってこうなるんだわ)
耳を赤くしたダァリンに微笑みながら私はそう感心する。
ダァリンは必死に自分の過去を浚っている。今まで無関心に看過してきた出来事を浚ってはそのたびに自分への否定に打ちのめされて無気力になっている。面白い人だ。それでも必死に何度も何度も言葉の意味を考えるダァリンはとんだ被虐趣味でそこがまた可愛いのよね。
―――ダァリンが打ちのめされる世界の見方はそのまま、ダァリンの「自分への絶対的な否定」が根底にある歪んだ世界だ。そこに何を積み上げてもそこにあるのは自分への否定だけ。ダァリンの思考には常に無意識下で絶対的な自分への不信がフィルターかかっている。
自己中心的という言葉がある。一般的に自分のことしか考えない人間に使うような言葉のようだ。一方で似た言葉に自己中心性というものがある。こちらは学術用語で幼児の心理学においてよく知られる特性を指す。
幼児は、自分の見方しか分からない。反対側から見てみても自分の見ている世界と同じ風景があるとおもっている。違う視界が存在していることを知らない。自分の見ている世界がそのまま世界の姿となっているのだ。
普通、当然のように成長していく過程で出会う新しい世界に塗り替えられるはずの特性。けれどもダァリンの心理においては成長が止まってしまっている。
眺めている水槽の裏側から見れば、同じように魚が泳いでいると思いこむ子供の姿はそのまま、ダァリンの姿だ。ダァリンは自分が存在していることを嫌っているから、どの人間も自分を否定して当然だと思っている。
でもそこで私が出てきた。私はダァリンを無条件で愛している。お馬鹿さんなところも卑屈なところも無様なところも乙女なところも、過去も現在も含めて承知されて愛される。疑い信じなかったダァリンはけれども、それを信じざるを得なくなってそして今、世界が根底から覆される不安におびえているのだろう。
でもまぁ、普通は厭われるだろう私の愛情を怯えながらも貪るダァリンは破れ鍋に綴蓋ってことで丁度いい。結局、そう結論付けた私は赤い耳元に囁いた。
「愛してるわ、ダァリン」
三話にしようと思ったけれど書いている途中で面倒になってしまいました。
マイダァリンの設定を連ねたようなメモ書きで、酷い有様に。
自己中心性はピアジェの発達心理学における意味で用いています。心理の状態の比喩として用いていますが本来は幼児の認知の特徴だったような気がします。心理学は齧っただけの素人なので間違っていたら申し訳ありません。
いい加減、面白い話を作りたいです。精進いたします。