表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ふたりの世界の終わり方  作者: 後藤翠
第一章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/11

7.白い部屋で

 回廊を抜けるまでが、やけに長く感じた。


 フィオナは侍女の腕を捻ったまま、迷いなく進む。

 新とカンナはその後ろを歩いた。足音だけが、王宮の石床に薄く返る。


 角を曲がったところで、ようやく人影が現れる。

 フィオナの部下だった。二人。息を切らしている。


「フィオナ様!」


「拘束者を引き渡す」


 フィオナは即座に侍女を押し出した。


「殿下の間で襲撃があった。この侍女は内通者だ」


 短く告げると、部下二人の目つきが変わった。


「このまま地下の留置所へ。まずは独房に入れて、誰にも会わせないように」


 言いながら、侍女の手首が逃げない角度のまま押さえられていることを確認する。


「口封じが来る可能性が高い。毒を仕込んでいるかもしれないし、自害もあり得る。身体検査をして、拘束は解かないこと。見張りは二重に」


 そこで一拍置き、声だけを落とした。


「聞き出したいのは誰の指示で動いたか。通した経路も、関わった人間も。他の刺客がいた場合は焦って潰すよりも、できるなら生かして確保を優先してくれ」


「私が戻ったら、こちらで改めて取り調べる」


 フィオナは、部下の顔を一度だけ見た。


「回廊の警備は」


「今、確認中です。倒れている者が……」


「回収して医務室へ。生きているなら最優先で運べ」


 フィオナは言い切って、視線だけで状況を測る。


「それと、回廊を封鎖。通路の出入りを止めて、配置を組み直してくれ」


「増員を回して、殿下の動線は二重に。誰も近づけさせるな」


「はっ!」


 部下は踵を返し、駆け出した。

 足音が石床を打って、すぐに遠ざかる。


 フィオナはそれ以上は言わなかった。

 顔が言っている。今ここで、足を止める時間はない。


 新は無意識に自分の腕へ目を落とす。

 血はもう、ほとんど止まっている。

 裂けていたはずの痛みも、遅れて薄れていく。


 これを、誰かに見られたらまずい。


 フィオナも同じことを考えたのだろう。

 新の視線の動きだけで察し、声を落とした。


「医務室へ行きます」


「手当て、いるんですか」


 新は思わず口にしてから、後悔した。

 自分でも分かる。いまの身体は、普通じゃない。


 フィオナは視線を逸らさずに答える。


「必要に見せるためです。あなたの怪我が勝手に塞がるところを、王宮の誰にも見せない」


 新の喉が鳴った。


 カンナは一歩遅れて、フィオナを見た。

 何も言わない。ただ、その判断を否定しない目だった。


「……分かった」


 カンナが短く言う。


「誰にも会わずに通れる道を」


 フィオナは淡々と返し、進路を変えた。


 人気の少ない廊下、扉の多い区画。

 そこまで来て、新はようやく気づく。


 ここは、王宮の裏側だ。

 目立たないように動くための道が、最初から用意されている。


 いくつかある扉の一つの前でフィオナが立ち止まった。

 扉の向こうに気配がある。


 フィオナは、ノックをしない。

 静かに取っ手へ手をかける。


 医務室の扉を押し開けた瞬間、薬草と消毒の匂いが鼻を打った。


 中には医務官が一人。

 棚の整理をしていた手を止め、こちらを見上げる。


「……殿下?」


 医務官が立ち上がりかけた、その動きをフィオナが一言で止めた。


「動かないでください」


 声が低い。

 命令というより、状況を押さえ込む声だった。


「軽い傷だ、処置は私が行う。殿下の身の安全が最優先だ」


 医務官は言葉を失ったまま、立ち上がるタイミングを逃す。


 フィオナは続ける。


「見ないでください。何も確認しないで、外へ。廊下へ出て、この部屋の前に立ってください。誰が来ても通さないで」


「し、しかし……」


「これは命令です」


 医務官の口が閉じる。

 迷いが消える。


「……承知しました」


 医務官は視線を落とし、何も見ないように身体ごと向きを変えて扉へ向かった。

 すれ違いざまに、カンナにも新にも目を向けない。


 扉が閉じる。


 フィオナはそのまま扉の内側に立ち、耳を澄ませた。

 外の足音が一つ、定位置で止まる気配。


 フィオナはようやく息を吐くように言う。


「これで、余計な目は入りません」


 新は寝台の端に立ったまま、腕を見下ろした。

 もう血は滲んでいない。布も裂け目も、さっきほど目立たない。


 ……それが余計に、気味が悪い。


 カンナは椅子へ腰を下ろしていた。

 背筋は伸びたままなのに、指先だけがわずかに震えている。


 カンナは椅子に座ったまま、いったん目を閉じた。

 呼吸を整えるように、胸が小さく上下する。


 そして、ゆっくりと新を見た。


「……さっきは、ありがとう」


 声は静かだった。

 けれど、あの一言に、さっきの部屋の空気がまだ残っている。


フィオナも新へ向き直り、深く頭を下げた。


「……私からも言わせてください。殿下をお守りいただき、感謝いたします」


 それだけ言うと、すぐに顔を上げる。

 礼で終わらせる気はない、という目だった。


 新は言葉に詰まる。

 礼を言われる準備なんて、していなかった。


「俺は……勝手に動いただけで……」


「それでも、命を賭けて前に出たのは事実です」


 カンナは遮らずに、けれど否定もしないまま言った。


 視線が逸れない。

 王女としての強さじゃない。

 ちゃんと、人として見ている目だった。


「あなたは、困っている人を見捨てられない。そういう心の持ち主なんだと思いました」

 

 少しだけ間を置く。


「……信頼に値する、と」


 その言葉が落ちると、室内がほんの少しだけ静かになった。


 カンナは続ける。


「だから、今から話すことは、あなたにも聞いてほしい。あなたにだけは、隠して話すのは違うと思う」


 新は喉の奥で息を呑んだ。

 軽く頷くしかできない。


 カンナは目を伏せずに言った。


「……私が狙われる理由の話です」


 話すべきことがある時の声。今まで何度も聞いた、現実の重さが乗る声だ。


「……はい」


 カンナは一度、視線を落とした。指先が膝の上で、布を軽く掴む。力を入れていないふりをしているのが分かる。


「評議会の枢機卿たちから、私は旅をやめるように言われている」


 新は息を止めた。


 評議会。枢機卿。言葉は知っているのに、つながりがまだ頭の中で固まらない。


 カンナは続けた。


「理由は簡単よ。王族の血を、薄めないため」


 新は、喉の奥がひりついた。


 意味は分かる。

 分かるのに、理解したくない種類の話だった。


「枢機卿たちは、王家の系譜を正しく保つことを、国の指針だと思っている。……私が動けば動くほど、外と混ざる可能性が増える。だから止めたい」


 カンナは淡々と続ける。淡々としている分、積もった時間が見える。


「そして、その代わりに、父上、ユリウス陛下と、子を成せと」


 新の胃がひっくり返りそうになった。


「……は?」


 声が出た。変に掠れて、自分の声じゃないみたいだった。


 カンナは、顔を上げる。


 逃げない。


「私は断っている。ずっと。何度言われても」


 フィオナの表情は変わらない。だが、指先がほんの少しだけ動いた。怒りを押さえ込む癖みたいな動きだった。


 新の喉が鳴る。


「……なんで、そんな……」


 言葉が続かない。


 カンナが、短く息を吐いた。


「だから……今日のことも」


 新が言いかけると、カンナが頷いた。


「おそらく。誰かが、評議会の中の誰かが、私を動けなくするために動いた」


 カンナは言葉を選ぶように、一拍置いて、言い直す。


「連れ去って、逃げ道を塞いで。……望まない形に追い込むつもりだったのだと思う」


 新の視界が一瞬だけ狭くなる。


 さっき、部屋で刃が迫った時、動けなかった自分。


 それが、また戻ってくる。


 違う形で。


「……胸糞悪い」


 思わず口から落ちた。


 この場にふさわしい言葉じゃないのは分かっている。でも、他に言いようがなかった。


 カンナは、わずかに目を見開いた。驚いたのか、傷ついたのか、判断できないくらい一瞬。


 けれど、次の瞬間には小さく笑った。


 笑った、というより緊張がほどけたみたいな息だった。


「……そうね」


 短い同意。


 フィオナが低く言う。


「殿下は悪くありません。悪いのは、それを正当化する者たちです」


 カンナは頷く。


 そして、新を見た。


「アラタ。あなたに、今日のことを負わせたくはない。でも……あなたは巻き込まれた。もう、無関係ではいられない」


 その言い方が、どこか責任を取ろうとしている人の言い方だった。


 新は、歯を噛んだ。


 巻き込まれた。確かにそうだ。


 でも、それを理由に目を逸らすのはもっと嫌だった。


「……俺、戻りたいです。元の世界に」


 新は言った。


 カンナの目が揺れる。肯定も否定もできない揺れだ。


「でも、戻るまでの間……」


 言葉を継ぐ前に、息を吐く。胸の奥の気持ち悪さを、押し込めるために。


「カンナさんを放っておけないです」


 カンナが瞬きをした。


 フィオナも、わずかに目を細める。


 新は続けた。言い訳っぽくなりそうで嫌だったけど、言葉にしないと、自分が自分を信じられない気がした。


 自分で言って、少し恥ずかしくなった。

 でも、事実だ。


 カンナの命が狙われた瞬間、身体が勝手に前へ出た。あれは勇気じゃない。理屈じゃない。たぶん、反射だ。


「それに……」


 新は視線を落とした。布に滲む赤が、まだ少しだけ残っている。


「ここに来てから、食事も、寝る場所も……義務だとしても、ちゃんと与えてもらった。放り出されてもおかしくなかったのに」


 カンナの指先が、膝の上でほどけた。


 新は言った。


「だから、せめて、今のうちは俺にできる範囲で返したいです」


 それが、恩返しになるのかは分からない。


 でも、何もせずに守ってもらってるだけは嫌だった。


 カンナは、しばらく言葉を探していた。


 そして、ようやく口を開く。


「……あなたは、優しい人なんですね」


 新は首を振りかけて、やめた。


 優しいとか、そんな綺麗なものじゃない。


 ただ、気持ち悪いものを見て、気持ち悪いと思っただけだ。


 フィオナが淡々と言う。


「殿下。今の話は、アラタに決意を迫るものではありません。ですが、知った以上、彼が考える材料にはなります」


「分かっています」


 カンナは頷いてから、新へ向き直った。


「アラタ。あなたがどうするかは、あなたが決めていい。私は、あなたに守れとは命じません」


 その言い方が、妙に刺さった。


 命じない。


 命じないけれど、それでも彼女は、ここに座っている。逃げられない立場で。逃げないと決めて。


 新は息を吸って、吐いた。


「……じゃあ、俺が勝手にやります」


 カンナが目を見開き、次に、口元が少しだけ緩んだ。


「勝手に、って……」


「はい。勝手に。俺の都合で」


 新は言い切った。


 今の自分に言えるのは、それくらいだ。


 フィオナが、ほんのわずかだけ口元を緩めた。


 すぐに戻したけれど、見間違いじゃない。あれは、安堵の顔だった。


「……良いでしょう」


 フィオナは言う。


「ただし、勝手に動くなら、勝手に壊れないでください。殿下の盾になる前に、あなたが折れたら意味がない」


 新は苦笑した。


「折れないようにします」


「意気込みは分かりました。でも、必要なのは根性じゃなくて、動き方です」


 フィオナの言い方は容赦がない。けれど、妙に安心する。


 カンナが静かに言った。


「……ありがとう、アラタ」


 今度は、さっきより少しだけ長い。


 感謝の言葉として、ちゃんと形になっていた。


 新は頷いた。


 その瞬間、ふと気づく。


 さっきより、腕が軽い。


 布の下の熱が、すっと引いている気がする。痛みが消えたわけじゃない。でも、さっきまでの刺す感じが薄い。


 新は何も言わなかった。


 説明される必要はない。


 自分で確かめて、自分で理解する。


 そういう順番でいい。


 フィオナが扉へ視線をやり、低く告げる。


「殿下。王宮内の調査が終わるまで、予定はすべて白紙にします。評議の間へは行きません」


「ええ」


 カンナは頷く。


 その頷きに、怒りも恐怖も混じっているのが分かる。

 でも、それ以上に何かを決意した顔だった。


 新は、その横顔を見て思った。


 自分はまだ、何も分かっていない。


 この世界のことも、王宮のことも、評議会のことも。


 ただひとつ、分かったことがある。


 ここには、胸糞悪い現実がある。


 そして、それに飲まれないために、立っている人がいる。

 だから、自分も立つ、戻るまでの間だけでも。

 少なくとも、今日の自分が嫌いにならないように。


 医務室の静けさの中で、新は拳を握り直した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ