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ふたりの世界の終わり方  作者: 後藤翠
第一章

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6.回廊の影

 訓練場を出ると、王宮の空気がやけに静かに感じた。

 背中の鈍い痛みは消えない。けれど、さっきまでの激痛ほどではない。


「今日はここまでです」


 フィオナが言う。


「続きは、明日。あなたが決めるために必要な分だけ」


 新は短く頷いた。

 そんな時だった、控えめな足音が横合いから近づく。


「アラタ様」


 声をかけてきたのは、昨日、王女との食事前に呼びに来た侍女だった。


「殿下よりお言付けでございます。評議の間へ向かわれる際、アラタ様もご一緒に来てほしい、と」


「……評議って、何ですか」


「聖樹教の枢機卿が集まる場でございます。殿下が出席なさいますので、形式がございます」


 聖樹教。枢機卿。

 また、よく分からない単語がでてきたが、軽い用事じゃないのは伝わった。


「……俺も、そこに?」


「はい。ですのでその前に、客室でお整えを。評議の間は形式がございますので、襟元と髪を少し」


 なるほど、と頭では理解したのに、心のほうが追いつかない。

 新は反射で聞き返しかけて、結局、短く頷いた。


 新が視線を向けると、フィオナが先に口を開いた。


「殿下からの命ですか」


「はい」


 侍女は少し間を置いて続けた。


「それと、フィオナ様には回廊の警備に一度目を通していただきたいと。評議の間へ向かう前に、配置の確認を、とのことです」


 フィオナは一瞬だけ視線を遠くへ置いた。思案というより、段取りを頭の中で組み直しているような間だった。


「……承知しました。すぐ戻ります」


 そう言って、新へ目線だけ送る。


「アラタ。あなたは先に客室へ。呼ばれた以上、待たせないほうがいい」


「……分かりました」


 フィオナが踵を返し、別の廊下へ消える。

 金属の擦れる音が遠ざかっていく。


 侍女はその背を見送ってから、新へ向き直った。


「こちらです、アラタ様」


 柔らかい声だった。


 案内された客室は、昨日と同じように整っていた。

 侍女は手早く襟元の歪みを直し、髪を指で梳く程度で済ませる。時間を引き延ばす気配はない。


「……これでよろしいかと」


 新が息をつく間もなく、侍女は続けた。


「それから殿下が、場所を変えて、少しお話をなさりたいと」


「場所を変えて?」


「はい。昨夜、お食事をされた部屋へ。人の出入りが少なく、落ち着いて話せるので」


 言われてみれば、あの部屋は広いのに静かだった。

 評議の前に、何か確認しておきたいのかもしれない。新は頷く。


「分かりました。案内してください」


「承知しました」


 廊下へ出る。


 歩くほどに、王宮の空気が薄く静かになる。

 遠くの水音は変わらないのに、足音だけがやけに響く。使用人の姿も、さっきより少ない。


「この先です」


 案内されたのは、昨夜食事をした部屋へ続く回廊だった。柱の間から庭の緑が見え、昼の光が床に薄く落ちている。


 扉の脇には警護の兵が二人。槍を持ち、背筋を伸ばしている。


「殿下が、お話があるそうです」


 侍女はそう言って、扉の前で立ち止まった。

 新と近づくと、片方が一歩だけ前へ出て視線を走らせた。


「……こちらの者は?」


「アラタ様です。殿下のご指示で、中へお通しします」


 侍女は迷いなく答えた。


 兵はそれで納得したらしく、扉の前から半歩退いた。

 木と金属が噛み合う鈍い音のあと、扉が静かに開いた。


「どうぞ」


 侍女が控えめに手を添える。

 新は息を整え、部屋へ足を踏み入れた。

 次の瞬間、背後で扉が閉まる。

 続けて、金具が噛み合う鈍い音がした。

 外の音が、すっと遠のいた。


 部屋の中は整っていた。

 昨夜と同じ円卓。壁際の飾り棚。窓から差す光が、床の木目を淡く照らしている。


 そして、部屋の奥。

 椅子に腰を下ろしたカンナが、こちらを見ていた。


 いつものように背筋が伸びている。

 表情は穏やかだが、どこか硬い。


「来てくれてありがとう、アラタ」


 カンナが言う。


「……呼ばれたので」


 新は、言いながら自分の声が少し乾いているのに気づく。


 カンナは新を一度見てから、部屋から出ようとしていた侍女へ視線を移した。


「温かいものを。落ち着く香りの」


「かしこまりました」


 侍女は一礼し、部屋の奥へ下がった。

 食事室の端には、簡素な給仕台と水場がある。薄い金属のポット、蓋つきの器、乾いた香草の小瓶、昨夜も使われていたのだろう。

 侍女は慣れた手つきで器を並べ、準備をしている。


 新はちらりとカンナを見る。

 カンナは背筋を崩さないまま、低く息を吐いた。


「……少しだけ話したかった」


 そう言ってから、もう一度、新の顔を確かめるように見た。


 カンナの視線が新の背後へ動いた。


「フィオナは?」


「警備の確認を頼まれたって……すぐ戻るって言ってました」


 そう答えた瞬間、カンナの眉がわずかに動いた。


 嫌な予感が、胸の底で形になる前に外で、何かが倒れる音がした。


 鈍い衝撃、続けて、短い悲鳴。

 そして、途切れる。


 新の背筋が冷える。


「……今の」


 口に出しかけた新を、カンナが制した。


「静かに」


 声が低い。

 王女の声というより、状況を読む者の声だった。


 部屋の空気が変わる。

 光は同じなのに、影が濃くなったように感じた。


 その直後、扉の向こうで金具が擦れる音がした。


 新の視界の端で、侍女の肩がわずかに揺れる。


 次の瞬間、扉が乱暴に開いた。


 黒い影が、三つ。

 頭からフードを深く被り、口元まで黒布で覆い、目だけが光っていた。


 一人が鍵を閉め、残り二人が左右に割れて詰めてくる。


(……なんだ、これ)


 頭が認めたのに、身体が追いつかない。

 新の指先が、冷たくなっていく。


 カンナが椅子から立ち上がる。

 逃げるためではない。位置をずらし、視線を合わせるための動きだ。


「……誰の差し金」


 カンナの声が、震えていない。


 返事はない。


 代わりに、床を蹴る音がひとつ。


 黒い刺客の一人が一気に距離を詰めた。

 狙いは迷いなくカンナ、喉元へ一直線。


 新の頭が真っ白になる。


(動け……)


 命令しても足が前に出ない。

 息だけが浅くなり、時間が引き延ばされる。


 刃が光る。

 カンナの首元に届く、その直前。


 身体が勝手に動いた。


 新は踏み込み、カンナを自分の背中側へ引き寄せた。

 刃の線を、身体で塞ぐ。


「っ……!」


 金属が肉を裂く感触が、腕の外側を走った。

 熱い。遅れて痛みが来る。


「……っ」


 カンナが息を呑む音がした。

 新の腕に落ちた視線が、すぐ刃へ移る。


 刃が新の腕を裂いた。

 だが、その分だけカンナの喉は守られた。


 同時に、二人目が横から入ってくる。

 狙いは新、今度は腹を目掛けて斬りかかってくる。


 新は反射で身を捻った。

 しかし遅かった。


 鈍い衝撃が脇腹に入る。

 切っ先が浅く走り、布が裂け、血が滲む。


「っ、ぁ……!」


「アラタ……!」


 カンナの声が、ほんの少しだけ揺れた。

 立ち上がりかけた気配がある。だが、それを踏み止めた。


 膝が揺れる。


 それでも新は、倒れなかった。

 倒れたら、背後が空く。


 背後にいるのはカンナだ。


 三人目が、回り込むように距離を詰めた。

 狙いはカンナ、逃げ道を潰す角度。


 新は歯を噛みしめ、カンナを背に押し込むように位置を変えた。

 机の端を背にする。


 カンナの息が一瞬だけ乱れる。

 それでも、目は死んでいない。


「アラタ、下がって」


 カンナが言う。

 命令ではない。必死に止めようとしている声だ。


「……無理です」


 言葉が短くなる。

 余裕がない。


 先頭の刺客が、もう一度踏み込んだ。

 今度は新の胸。確実に殺す軌道。


 新は腕を上げた。

 さっき裂かれた場所が、焼けるように痛む。


 刃が腕に食い込み、骨の手前で止まる。

 金属が皮膚を擦り、熱と痛みが一気に押し寄せた。


(やばい、これ……)


 力負けする。

 押し切られる。


 その瞬間だった。


 扉が、破裂するように開いた。


 冷たい風が一筋、部屋へ吹き込む。

 次の瞬間、銀の鎧が滑り込んできた。


 フィオナだった。


 目に入ったのは、刃が新の腕へ食い込む光景。

 新の呼吸が詰まっていることも、カンナの位置も、黒装束の刺客の数も一息で読み切る。


 そして、迷いがない。


 フィオナは突入と同時に踏み込み、剣を横に払った。


 短く、鋭い。

 軌道が終わる前に、黒布の首元がほどけるように裂けた。


 新の腕を押さえていた力が、ふっと消える。

 刺客は声も出せず、膝から崩れ落ちた。

 床に落ちる音だけが遅れて響く。


「遅くなりました、殿下」


 声が低い。感情がないのではなく、怒りが沈みきっている声だ。


 新とカンナを背に置き、残りの刺客と向き合う位置 二人と刺客の間に、銀の鎧が楔のように立った。


 二人目が、刃を返して飛び込む。

 フィオナは受けない。半歩ずらし、肩口をかすめるようにかわす。


 返す刃が、今度は真っ直ぐだった。

 突き、短い軌道で胸元を貫く。


 刺客の身体が跳ね、息が漏れる。

 前のめりに倒れ、動かなくなる。


 残り一人が、カンナへ向けて跳んだ。


 新の身体が反射で動きかける。

 だが必要はなかった。


 フィオナは一歩で追いつく。

 


 フィオナは一歩で追いつき、背後から襟元を掴むように引き倒した。

 床に叩きつけられた刺客の喉元へ、剣先が沈み、刺客の身体から力が抜けた。


 そして、短く言った。


「終わりです」


 新はようやく息を吐いた。

 喉の奥が痛い。自分がいつの間にか息を止めていたことに気づく。


 腕が熱い。脇腹も。

 だが、それより先に、目の前の現実が遅れて刺さってきた。


 床に転がる黒布の塊が、もう人に見えない。

 それでも、布の隙間から覗いた肌の色で、身体が遅れて理解した。

 死んでいる。

 胃の奥がひくりと跳ね、新は反射で視線を逸らす。

 考えるな。今は、考えるな。


「……外が……」


 視線を逸らした先で扉の外が見えた。

 倒れている警護の兵の影があった。


 言いかけた新を、フィオナが遮る。


「見ないでください。殿下」


 カンナへ向けた言葉だった。


 フィオナは視線だけで状況を読み、扉の外へ一度だけ目をやる。


 そして、扉の脇に立っていた侍女へ視線を戻した。


 侍女は、部屋の隅で固まっていた。

 顔は青い。息も浅い。震えている。


 普通なら、そう見える。


 だがフィオナは近づかなかった。

 距離を一歩も詰めないまま、声だけを落とす。


「……そこの侍女。こちらへ来るんだ」


 侍女は一瞬、反射で頷きかけた。

 次の瞬間、踵がわずかに後ろへ滑った。


 逃げる足。


 フィオナの目が細くなる。


 侍女が身を翻した。

 袖の内から何かが光る、短い針のような。


「っ!」


 新が声を上げるより早い。


 フィオナは滑るように踏み込み、侍女の手首を掴んだ。

 捻る、というより折る手前まで回す。


 侍女の手から小さな刃が落ち、床で跳ねた。


「やはり……」


 フィオナは侍女を壁に押しつけ、片腕を背に回して拘束した。

 鎧の金具が鳴る。侍女の息が詰まる。


「誰の指示だ」


 侍女は歯を食いしばったまま、答えない。

 目だけが動く。部屋の外を見ようとしている。


 フィオナは侍女の視線の先を遮るように立ち位置を変えた。


「殿下。離れてください。アラタも」


 言われて、新は足を動かした。

 今度は動ける、さっきまでの硬直が嘘みたいに。


 カンナはすでに机の端へ下がっていた。

 息は乱れているのに、姿勢は崩れていない。


「……フィオナ」


 カンナが低く呼ぶ。


「はい。お怪我は」


「私は大丈夫。アラタが……」


 カンナの視線が、新の腕へ落ちる。

 新は気づいていなかった。血が、袖を濡らしている。


「浅いです」


 フィオナは一瞬だけ新を見て言った。


「ですが座ってください、治りはします。それでも、今は身体が追いついていません」


「……はい」


 新は椅子へ腰を下ろした。

 膝が笑う。今さら、震えが来る。


 フィオナは侍女を壁に押さえたまま、扉の外へ短く声を飛ばした。


「誰か来い! 回廊の警備を!」


 返事がない。


 静かすぎる。


 フィオナの眉が、ほんのわずかに動いた。

 新にも分かった。外は、まだ終わっていない。


 フィオナは舌打ちを飲み込み、声の温度を変えずに言った。


「……内部の仕業です」


 新が顔を上げる。


「え……?」


「外の警護が倒されている。けれど、王宮に刺客が入り込むなら、通る場所は限られます」


 フィオナは侍女の腕をさらに固定し、動けない角度にしたまま続ける。


「誰かが通した。あるいは、見逃した。配置を確認させる名目で私を遠ざけたのも、それです」


 新の喉が鳴った。


 目の前で起きたことが、一本の線になる。

 偶然じゃない。最初から段取りだった。


 カンナが息を吸う。

 それを吐くまでの間が、妙に長く感じた。


「……評議の間へ向かう予定は」


「取りやめます」


 フィオナは即答した。


「殿下が動くべき状況ではありません。ここも危険です。別の経路で移動します」


 カンナは頷いた。

 頷きは小さいのに、迷いがない。


「……分かった」


 短い返事。

 だが、その声の端がわずかに揺れていた。


 新はその揺れに、ようやく気づいた。

 強がりじゃない。王女として折れないための、呼吸の仕方だ。


 カンナは新へ視線を向ける。

 真正面から、逃げずに見た。


「……ありがとう。助かりました…」


 それだけだった。

 言葉は少ないのに、胸に落ちる重さがあった。


 新は答えようとして、言葉が出ない。

 代わりに、頷いた。


 フィオナが侍女の腕をねじったまま、低く言う。


「連れて行きます」


 侍女が歯を食いしばる。

 涙か汗か分からないものが頬を伝った。


 フィオナはそれを見ても、表情を変えない。

 ただ、さらに冷たく言った。


「ここまで王宮内部に侵入されている。手引きは一人ではありません。殿下、急ぎます」


 カンナが短く頷く。

 そして、ほんの一瞬だけ新を見た。


 その視線が言っていることは、ひとつだった。


 生きていてよかった。


 新は腕の痛みを無視して立ち上がる。

 身体が遅れて抗議してくるのを、気合いでねじ伏せた。


 怖い。

 さっきの刃の光景が、まだ目の奥に残っている。


 でも、あれが、現実だ。


 フィオナは侍女を引きずるように動かし、扉の外へ視線を走らせた。

 死体の影。血の匂い。静かすぎる回廊。


 新はその光景を見て、胃の奥が冷たくなる。


 王宮の中なのに、護衛がいるはずなのに。


 それでも、ここまで来る。


(……マジかよ)


 声に出す余裕はない。

 ただ、歯を食いしばって一歩を出した。


 フィオナが言う。


「殿下。こちらへ」


 カンナが動く。

 新も続く。


 その背後で、倒れた刃が床に転がり、光を失っていった。


 そして、新は遅れて思う。


 自分の身体が動いたのは、勇気じゃない。

 考える前に、勝手に前へ出ただけだ。


 なのに、その勝手が、今は怖かった。


 次も同じように動けるのか。

 次は、間に合うのか。


 答えはないまま、足音だけが回廊に響いた。

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