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ふたりの世界の終わり方  作者: 後藤翠
第一章

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3.仮初の宿にて

 部屋の扉を閉める直前、フィオナは足を止めた。


「一点だけ、お伝えしておきます」


 振り返らず、しかし聞き逃されることのない声音で言う。


「城内と、城下の一部であれば、自由に散策して構いません」


「……自由に?」


 思わず聞き返すと、フィオナは小さく頷いた。


「客人として、です」


 そう言って差し出されたのは、細い革紐に通された木製の小片だった。

 掌に収まるほどの大きさ。表面は滑らかに磨かれ、中央には焼き印のような紋様が刻まれている。


 円の中に描かれた、大きな樹。

 管理人と言われる人物から渡された紙に書いてあった印と同じ形だ。


「これは……?」


「通行印です。王宮に滞在する客人であることを示すものになります」


 身分証みたいなもの、ってことか。

 

「これを見せれば、無用な詮索はされません」


 そう告げてから、フィオナは言葉を切った。


「ただし、城の外へ出ることは許可されていません。そこだけは厳守してください」


「……分かりました」


 新は木札を受け取った。

 軽いはずなのに、不思議と指先に残る感触がある。


「無理に外へ出る必要はありませんが……」


 少しだけ間を置いてから、フィオナは続けた。


「ひとりで考える時間が必要そうだと、見受けました」


 図星だった。


「では、私はこれで」


 それだけ言い残し、フィオナは静かに立ち去った。


 扉が閉まる音が、思った以上に大きく響いた。



 新はしばらく、その場に立ち尽くしていた。


 守られている。

 だが、放っておかれてもいる。


 そんな、微妙な距離感。


(……自由、ね)


 完全な自由ではない。

 だが、閉じ込められているわけでもない。


 新は通行印を握り直し、部屋を出た。


 回廊は静かだった。


 人の気配は確かにあるが、誰も新に声をかけてこない。

 通行印が効いているのか、それとも王宮ではこれが普通なのか。


 歩いているうちに、建物の構造が少しずつ分かってくる。

 壁も柱も木材を基調としているが、どれも古びた様子はない。

 人の手で、長い時間をかけて手入れされ続けてきたのだと分かる。


(……落ち着かないな)


 ふと、開けた場所に出た。


 中庭だった。


 石敷きの地面。

 周囲には訓練用だろうか、木製の支柱や、使い古された棒状の道具が立てかけられている。


 新は、無意識にその一本に手を伸ばした。


 ただの棒だ。

 武器ですらない。


 それでも、握った瞬間に身体が、勝手に反応した。


 左足が半歩前へ出る。

 背筋が伸び、視線が一点に定まる。


(……あ)


 構え。


 考えるよりも先に、身体が覚えている。


 道場の床、踏み込む音、正面に立つ相手の気配。

 

 新は、棒を軽く振った。

 風を切る音が、乾いて響く。


「……で、これが何になるんだよ」


 思わず、独り言が漏れる。


 ここは日本のいつも練習していた剣道場じゃない。

 この世界で、剣道の感覚が役に立つとは思えなかった。


(……やっぱり、場違いだ)


 棒を元の場所に戻し、中庭を後にする。



 歩いていると、香ばしい匂いが漂ってきた。


 腹が鳴る。

 そういえば、何も食べていない。


 匂いの元を辿ると、調理場らしき場所に行き着いた。

 扉は半開きで、中の様子が見える。


 樹人族と思しき調理人たちが、手際よく作業をしている。

 鍋、食材、器具、どれも見慣れないが、用途は何となく想像できた。


 包丁の音、湯気の立つ鍋、香ばしい匂い。

 そこまでは、普通の調理場だ。


 だが、新の視線は、ひとりの動きに引き寄せられた。


 調理人が、鍋の下の炉へ手を差し出す。

 そこには、細く割られた薪がきちんと組まれていた。

 まだ火は入っていない。


 何かを取り出すでもなく、ただ、手をかざすだけ。

 次の瞬間、淡い光が走った。


 薪の隙間に、火が移る。

 ぱち、と乾いた音がして、炎が立ち上がった。


 火の熱が、遅れて頬を撫でた。


「……え」


 思わず、声が漏れた。


 火打ち石も、火種も見当たらない。

 息を吹き込んだわけでもない。

 手をかざした、その動きひとつで薪に火がついた。


 驚くより先に、頭が追いつかない。

 理解しようとして、途中で止まる。


(いや……今の、どういう……)


 仕掛けだ、と考えかけて、すぐに首を振る。

 道具を使った様子がない。火を移した様子もない。


 それに、別の調理人も、同じように炉へ手をかざし、当たり前みたいに火を起こしている。

 誰も特別なことをしている顔じゃない。


(……今の、何だ)


 誰も説明してくれない、でも、見れば分かる。


(普通じゃない)


 頭の片隅で、ありえない単語が浮かぶ。


(……魔法?)


 すぐに、現実感のない言葉だと思った。

 漫画やゲームの中の話だ。実在するはずがない。


 けれど、目の前では確かに火が揺れている。


(……いや、でも)


 新は無意識に、自分の手を見た。


 同じようにやったら、どうなるんだろう。

 そんな考えが、するりと浮かぶ。


(……俺も、できたりするのか?)


 好奇心が、胸の奥で小さく疼く。


 だが、すぐに視線を調理場全体へ向けた。

 人の目が多すぎる。

 仕事場だということも分かる。


(ここでやるのは、さすがに違うな)


 もし何か起きたら、説明できる気がしない。

 逆に、何も起きなかったとしても、気まずい。


(……場所、変えよう)


 試すなら、誰もいないところで。

 それくらいの分別は、まだ残っていた。


 新はそれ以上踏み込まず、静かに踵を返した。


 回廊を抜け、人気のない場所を探す。


 人の気配が途切れた先、中庭の外れ、壁際に寄せられた石の灯火台の影に、新は立ち止まった。


 足元に落ちていた乾いた小枝を拾い、灯火台の縁にそっと置く。

 さっきの薪と同じだ。

 火さえつけば、分かる。

 

 周囲を見回す。

 誰もいない。


(……よし)


 新は、さっき見た光景を思い出す。

 手をかざすだけで、火が灯ったあの動き。


 深呼吸ひとつ。


 掌を、小枝の上へかざす。

 調理人の動きを真似て、指先に意識を集める。


「……えーっと」


 何をすればいいのか分からない。

 呪文も、イメージも、何も教わっていない。


 とりあえず、「出ろ」と念じてみる。


 ……何も起きない。


 もう一度。

 今度は、少し集中して。


 それでも、変化はなかった。


「……だよな」


 思ったより、あっさり口から出た。


 がっかりした、というよりは、

 どこかで予想していた結果だった。


(俺が見ただけでできるなら、苦労しないか)


 手を下ろすと、肩の力も一緒に抜けた。


 火も、光も、熱もない。

 ただ、いつも通りの自分の手がそこにあるだけだった。



 部屋へ戻る。


 扉を閉めると、ようやく一息つけた。


(……分からない)


 守護者。

 聖樹。

 この世界。


 魔法のような現象。

 自分の立場。


 何ひとつ、繋がらない。


 だが、ひとつだけ確かなことがある。


(何もしなかったら、何も分からない)


 新はベッドに腰を下ろし、天井を見上げた。


 木目が、静かに視界に流れる。


 夕刻が近い。

 フィオナの言葉が、頭の隅で引っかかっている。王女殿下との食事。


 答えは、まだ出ない。

 だが、この世界に足を踏み入れた以上、避けられない何かが待っている。


 分からないまま。

 考え続けるしかないまま。


 やがて、廊下の向こうから足音が近づいてくる。

 迎えだ。たぶん、食事の時間だろう。

 

 新は立ち上がり、服の皺を軽く払った。

 胸元を整えて、短く息を吐く。


(……まあ、これ以上はどうしようもないか)


 深く息をひとつ。

 扉の前で、止まった足音を待った。


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