2.帰路のない部屋
玉座の間を後にし、長い回廊を歩く。
新の隣には、女騎士フィオナが無言で並んでいた。
鎧が擦れる音ひとつ立てず、歩調は一定。
その背中を見ながら、新は自分が置かれている状況を必死に整理しようとしていた。
さっきまで、日本にいた。
道場に向かって、いつも通り歩いていた。
それが、今は王宮の中だ。
理解が追いつかない。
夢にしては感触が生々しすぎる。
「……その」
声をかけると、フィオナは前を向いたまま応じる。
「はい」
「俺……」
言葉に詰まる。
「さっきまで、別の世界にいたんです。
急にここに来て……正直、頭が追いついてなくて」
弱音に近い言葉だった。
だが、フィオナは否定しなかった。
「無理もありません。あなたは、この世界の理に沿って生きてきた方ではない」
その言い方が、逆に現実味を帯びさせる。
「ここにいて、本当に大丈夫なんですか?」
改めて問う。
フィオナは歩みを止めず、淡々と答えた。
「殿下が保護すると明言なされた以上、あなたの安全は保証されます。この国では、国法よりも王命が優先されますので」
「……そう言ってもらえると助かります。ただ、まだ頭が追いついてなくて」
「そうでしょう。急に理解できる状況ではありません。ですが、ここにいる間は、少なくともあなたの身に危険が及ばぬよう、私は務めを果たします」
冗談とも本気とも取れる声だった。
回廊は高く、外光を多く取り込む造りになっている。
それでも薄暗くならないのは、壁や柱に埋め込まれた緑色の結晶が、淡く光っているからだった。
「……あれ、ライトみたいなやつですか」
「ライト?が何かは分かりかねますが、あれは翠晶石と言われるものです。聖樹の近くで産出される鉱石で、建材として使われています」
「建材が光るんだ……」
口に出してから、自分でも間抜けだと思った。
でも、驚くしかない。
フィオナは、それ以上は説明を足さなかった。
やがて、フィオナは一つの扉の前で立ち止まった。
「こちらが、あなたの滞在部屋です」
扉の向こうは、木材を基調とした簡素な部屋だった。
落ち着くが、見知らぬ場所であることは否定しようがない。
「ちゃんと寝られそうなのは助かりますけど……」
「当面、身を休めるための部屋です。先のことは、殿下と話されてからでも遅くはありません」
はっきりした答えではなかったが、突き放されたような気もしなかった。
新はベッドの端に腰を下ろす。
「俺、この世界のこと……ほとんど何も分からないんです。守護者って言われても、実感がなくて」
言葉にすると、不安が一気に溢れてくる。
フィオナは少し間を置いてから口を開いた。
「あなたが異邦の者であることは、ほぼ確かでしょう。ですので、最低限のことだけお話しします」
「お願いします」
「ここはユグドライン王国。聖樹ユグドラインを中心に成り立つ、樹人族の国です」
「……樹人族?」
聞き慣れない言葉に、新は眉をひそめた。
「外で見た、耳の長い人たちのことですか?俺の世界だと……エルフって呼ばれてる御伽話の人たちに似てるんですけど」
「呼び名の違いでしょう」
フィオナは淡々と頷く。
「この国では、聖樹と深く関わる民を樹人族と呼びます。王女殿下もその一人です」
「じゃあ、フィオナさんは?」
「私は人族です」
即答だった。
新は小さく息を吐く。
「……他にも、種族はいるんですか?」
フィオナは一瞬だけ考える素振りを見せ、それから答えた。
「はい。すでに話に出た樹人族、人族のほかに、獣人族、竜人族、巨人族、亜人族が存在します」
「……結構いますね」
思わず率直な感想が漏れる。
「外見や性質は異なりますが、この世界では共に生きているという点では同じです」
「争ったりは……」
新が言いかけると、フィオナは視線を逸らさずに言った。
「あります。過去にも、今も。ただ、完全に断絶している種族は多くありません」
新は小さく息を吐いた。
「……じゃあ、街で色々な人が混ざってたのも」
「ええ。特別なことではありません」
その答えは簡潔で、感情を含まなかった。
「どの種族かよりもどの国に属しているかの方が、重く扱われる場面も多いのです」
「国……」
(日本やアメリカみたいな国もあったりするのか?)
「ここ以外に、どんな国があるんですか」
フィオナは、簡潔に答えた。
「樹人族のユグドライン王国。人族のシーグラス帝国。獣人族のアースガル王国。竜人族のデュラハル王国。巨人族のアリアス王国。亜人族のフィルス連邦。大きくは、その六つです」
「……日本とかアメリカみたいな国名はないんですか?」
「多分、それはあなたの世界の国名であって、この世界では聞いたことがございません」
あっさり言われて、新は小さく息を吐いた。
(そりゃそうか。戻るとか戻れないとか言ってる時点で、同じ世界てあるわけがないし、同じ国があるわけもない)
少し間を置いて、新は改めて尋ねた。
「じゃあ……守護者って、この世界では、どういう扱いの存在なんですか?」
新の問いに、フィオナはすぐには答えなかった。
ほんのわずか視線を伏せ、言葉を選ぶ。
「守護者は、種族や身分で語られる存在ではありません」
「……役職、みたいなものでもない?」
「はい。聖樹管理人が“必要”と判断したときにだけ現れる存在です。神官でも、兵士でもなく、役目のためだけに現れる例外とされています」
「例外……」
新はその言葉を反芻した。
「歴史上、守護者が現れた記録は何度かあります。大きな災厄の前触れとともに現れ、そして……役目を終えた後、姿を消しています」
「消える……?」
「はい」
フィオナの声は淡々としていた。
「その後どうなったのか、元いた場所に戻ったのか、あるいは、別の形で存在し続けているのか。それについては、何も分かっていません」
「……じゃあ」
新は少しだけ喉を鳴らし、恐る恐る続けた。
「俺も……役目が終わったら、消えるんですか?元の世界に、戻れるんでしょうか」
フィオナはすぐに肯定も否定もしなかった。
「……分かりません」
「……」
「守護者が消えたという事実しか、記録には残っていないのです。行き先までは、誰も知りません」
その言葉に、新は思わず視線を落とした。
「……それ、安心材料なのかどうかも分からないですね」
「そうでしょう」
フィオナは否定しなかった。
「守護者という存在は、希望として語られる一方で、常に不確かなものとして扱われてきました」
少し間を置いてから、静かに続ける。
「ですから、あなたに選ぶ自由があるとは私は言いません」
新は顔を上げる。
「ただ」
フィオナは真っ直ぐに新を見た。
「守護者であるからといって、あなたの意思や感情まで否定されるわけではありません」
「……」
「あなたが何を恐れ、何を望むのか。それを無視していい存在ではない、というだけです」
新は小さく息を吐いた。
「……なんか、余計に重くなった気がします」
「当然です」
フィオナは即答した。
「世界の均衡に関わる役目なのですから」
そう言い切ったあと、ほんのわずかだけ声の調子が落ちる。
「今は、役目が何であるかすら、明確ではありません。終わりを案じるには、早すぎます」
「……今は、ですか」
「はい」
その一言が、新にとっては奇妙な慰めのように感じられた。
少しの沈黙のあと、新は思い切ったように口を開いた。
「……じゃあ」
フィオナの視線を受け止めながら、続ける。
「俺が守護者として呼ばれたってことは……、この世界は今まさに災厄に襲われてるんですか?」
言い終えた瞬間、胸の奥がざわついた。
「どんな災厄なんですか?戦争なのか、災害なのか……、それとも、もっと別の何か……」
フィオナは、はっきりと息を吸った。
そして、首を横に振る。
「その問いには、私からはお答えできません」
即答だった。
「……答えられない、じゃなくて?」
「答えません」
言い切りだったが、拒絶の色はない。
「それは、あなたを軽んじているからではありません。むしろ逆です」
新は眉をひそめる。
「どういうことですか」
「あなたが守護者として関わる本質に関わる話だからです」
フィオナは静かに言った。
「それを語るのは、この国の王女殿下、カンナ様の役目です」
「……カンナさんが?」
「はい」
フィオナは一歩だけ距離を取り、騎士としての姿勢に戻る。
「災厄が何であるのか。なぜ、あなたが選ばれたのか。そして、これから何が起きようとしているのか」
一つひとつ、区切るように続けた。
「それらはすべて、殿下ご自身の言葉で語られるべきものです」
新はしばらく黙り込んだ。
(つまり……かなり重い話、ってことだよな)
「……じゃあ、それを聞くまで」
新は小さく笑った。
「俺は、何も知らないままここにいろってことですか」
「今は、そうなります」
フィオナははっきりと肯定した。
「ですが、それは知らなくていいという意味ではありません」
「?」
「知る準備を整える時間が必要だという意味です」
その言葉に、新は少しだけ肩の力を抜いた。
「……分かりました」
完全に納得したわけではない。
だが、無理に踏み込んでも答えが返らないことは理解できた。
「じゃあ、その話は……カンナさんから、ですね」
「はい」
フィオナは短く頷いた。
「夕刻になれば、お目通りが叶います。
それまでは休んでください」
新は天井を見上げた。
(急に、別の世界に来て……、世界を守れ、消えるかもしれない、って……)
現実感が追いつかないのも当然だ。
それでも、もし役目を終えた先に戻れる可能性があるのなら。
「……考えるしかない、か」
その呟きは、誰に向けたものでもなかった。




