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ふたりの世界の終わり方  作者: 後藤翠
第一章

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2.帰路のない部屋

 玉座の間を後にし、長い回廊を歩く。

新の隣には、女騎士フィオナが無言で並んでいた。


 鎧が擦れる音ひとつ立てず、歩調は一定。

 その背中を見ながら、新は自分が置かれている状況を必死に整理しようとしていた。


 さっきまで、日本にいた。

 道場に向かって、いつも通り歩いていた。

 それが、今は王宮の中だ。


 理解が追いつかない。

 夢にしては感触が生々しすぎる。


「……その」


 声をかけると、フィオナは前を向いたまま応じる。


「はい」


「俺……」


 言葉に詰まる。


「さっきまで、別の世界にいたんです。

 急にここに来て……正直、頭が追いついてなくて」


 弱音に近い言葉だった。

 だが、フィオナは否定しなかった。


「無理もありません。あなたは、この世界の理に沿って生きてきた方ではない」


 その言い方が、逆に現実味を帯びさせる。


「ここにいて、本当に大丈夫なんですか?」


 改めて問う。


 フィオナは歩みを止めず、淡々と答えた。


「殿下が保護すると明言なされた以上、あなたの安全は保証されます。この国では、国法よりも王命が優先されますので」


「……そう言ってもらえると助かります。ただ、まだ頭が追いついてなくて」


「そうでしょう。急に理解できる状況ではありません。ですが、ここにいる間は、少なくともあなたの身に危険が及ばぬよう、私は務めを果たします」


 冗談とも本気とも取れる声だった。


 回廊は高く、外光を多く取り込む造りになっている。

 それでも薄暗くならないのは、壁や柱に埋め込まれた緑色の結晶が、淡く光っているからだった。


「……あれ、ライトみたいなやつですか」


「ライト?が何かは分かりかねますが、あれは翠晶石と言われるものです。聖樹の近くで産出される鉱石で、建材として使われています」


「建材が光るんだ……」


 口に出してから、自分でも間抜けだと思った。

 でも、驚くしかない。


 フィオナは、それ以上は説明を足さなかった。

 やがて、フィオナは一つの扉の前で立ち止まった。


「こちらが、あなたの滞在部屋です」


 扉の向こうは、木材を基調とした簡素な部屋だった。

 落ち着くが、見知らぬ場所であることは否定しようがない。


「ちゃんと寝られそうなのは助かりますけど……」


「当面、身を休めるための部屋です。先のことは、殿下と話されてからでも遅くはありません」


 はっきりした答えではなかったが、突き放されたような気もしなかった。


 新はベッドの端に腰を下ろす。


「俺、この世界のこと……ほとんど何も分からないんです。守護者って言われても、実感がなくて」


 言葉にすると、不安が一気に溢れてくる。


 フィオナは少し間を置いてから口を開いた。


「あなたが異邦の者であることは、ほぼ確かでしょう。ですので、最低限のことだけお話しします」


「お願いします」


「ここはユグドライン王国。聖樹ユグドラインを中心に成り立つ、樹人族の国です」


「……樹人族?」


 聞き慣れない言葉に、新は眉をひそめた。


「外で見た、耳の長い人たちのことですか?俺の世界だと……エルフって呼ばれてる御伽話の人たちに似てるんですけど」


「呼び名の違いでしょう」


 フィオナは淡々と頷く。


「この国では、聖樹と深く関わる民を樹人族と呼びます。王女殿下もその一人です」


「じゃあ、フィオナさんは?」


「私は人族です」


 即答だった。


 新は小さく息を吐く。


「……他にも、種族はいるんですか?」


 フィオナは一瞬だけ考える素振りを見せ、それから答えた。


「はい。すでに話に出た樹人族、人族のほかに、獣人族、竜人族、巨人族、亜人族が存在します」


「……結構いますね」


 思わず率直な感想が漏れる。


「外見や性質は異なりますが、この世界では共に生きているという点では同じです」


「争ったりは……」


 新が言いかけると、フィオナは視線を逸らさずに言った。


「あります。過去にも、今も。ただ、完全に断絶している種族は多くありません」


 新は小さく息を吐いた。


「……じゃあ、街で色々な人が混ざってたのも」


「ええ。特別なことではありません」


 その答えは簡潔で、感情を含まなかった。


「どの種族かよりもどの国に属しているかの方が、重く扱われる場面も多いのです」


「国……」


(日本やアメリカみたいな国もあったりするのか?)


「ここ以外に、どんな国があるんですか」


 フィオナは、簡潔に答えた。


「樹人族のユグドライン王国。人族のシーグラス帝国。獣人族のアースガル王国。竜人族のデュラハル王国。巨人族のアリアス王国。亜人族のフィルス連邦。大きくは、その六つです」


「……日本とかアメリカみたいな国名はないんですか?」


「多分、それはあなたの世界の国名であって、この世界では聞いたことがございません」


 あっさり言われて、新は小さく息を吐いた。


(そりゃそうか。戻るとか戻れないとか言ってる時点で、同じ世界てあるわけがないし、同じ国があるわけもない)


 少し間を置いて、新は改めて尋ねた。


「じゃあ……守護者って、この世界では、どういう扱いの存在なんですか?」


 新の問いに、フィオナはすぐには答えなかった。

 ほんのわずか視線を伏せ、言葉を選ぶ。


「守護者は、種族や身分で語られる存在ではありません」


「……役職、みたいなものでもない?」


「はい。聖樹管理人が“必要”と判断したときにだけ現れる存在です。神官でも、兵士でもなく、役目のためだけに現れる例外とされています」


「例外……」


 新はその言葉を反芻した。


「歴史上、守護者が現れた記録は何度かあります。大きな災厄の前触れとともに現れ、そして……役目を終えた後、姿を消しています」


「消える……?」


「はい」


 フィオナの声は淡々としていた。


「その後どうなったのか、元いた場所に戻ったのか、あるいは、別の形で存在し続けているのか。それについては、何も分かっていません」


「……じゃあ」


 新は少しだけ喉を鳴らし、恐る恐る続けた。


「俺も……役目が終わったら、消えるんですか?元の世界に、戻れるんでしょうか」


 フィオナはすぐに肯定も否定もしなかった。


「……分かりません」


「……」


「守護者が消えたという事実しか、記録には残っていないのです。行き先までは、誰も知りません」


 その言葉に、新は思わず視線を落とした。


「……それ、安心材料なのかどうかも分からないですね」


「そうでしょう」


 フィオナは否定しなかった。


「守護者という存在は、希望として語られる一方で、常に不確かなものとして扱われてきました」


 少し間を置いてから、静かに続ける。


「ですから、あなたに選ぶ自由があるとは私は言いません」


 新は顔を上げる。


「ただ」


 フィオナは真っ直ぐに新を見た。


「守護者であるからといって、あなたの意思や感情まで否定されるわけではありません」


「……」


「あなたが何を恐れ、何を望むのか。それを無視していい存在ではない、というだけです」


 新は小さく息を吐いた。


「……なんか、余計に重くなった気がします」


「当然です」


 フィオナは即答した。


「世界の均衡に関わる役目なのですから」


 そう言い切ったあと、ほんのわずかだけ声の調子が落ちる。


「今は、役目が何であるかすら、明確ではありません。終わりを案じるには、早すぎます」


「……今は、ですか」


「はい」


 その一言が、新にとっては奇妙な慰めのように感じられた。


 少しの沈黙のあと、新は思い切ったように口を開いた。


「……じゃあ」


 フィオナの視線を受け止めながら、続ける。


「俺が守護者として呼ばれたってことは……、この世界は今まさに災厄に襲われてるんですか?」


 言い終えた瞬間、胸の奥がざわついた。


「どんな災厄なんですか?戦争なのか、災害なのか……、それとも、もっと別の何か……」


 フィオナは、はっきりと息を吸った。


 そして、首を横に振る。


「その問いには、私からはお答えできません」


 即答だった。


「……答えられない、じゃなくて?」


「答えません」


 言い切りだったが、拒絶の色はない。


「それは、あなたを軽んじているからではありません。むしろ逆です」


 新は眉をひそめる。


「どういうことですか」


「あなたが守護者として関わる本質に関わる話だからです」


 フィオナは静かに言った。


「それを語るのは、この国の王女殿下、カンナ様の役目です」


「……カンナさんが?」


「はい」


 フィオナは一歩だけ距離を取り、騎士としての姿勢に戻る。


「災厄が何であるのか。なぜ、あなたが選ばれたのか。そして、これから何が起きようとしているのか」


 一つひとつ、区切るように続けた。


「それらはすべて、殿下ご自身の言葉で語られるべきものです」


 新はしばらく黙り込んだ。


(つまり……かなり重い話、ってことだよな)


「……じゃあ、それを聞くまで」


 新は小さく笑った。


「俺は、何も知らないままここにいろってことですか」


「今は、そうなります」


 フィオナははっきりと肯定した。


「ですが、それは知らなくていいという意味ではありません」


「?」


「知る準備を整える時間が必要だという意味です」


 その言葉に、新は少しだけ肩の力を抜いた。


「……分かりました」


 完全に納得したわけではない。

 だが、無理に踏み込んでも答えが返らないことは理解できた。


「じゃあ、その話は……カンナさんから、ですね」


「はい」


 フィオナは短く頷いた。


「夕刻になれば、お目通りが叶います。

 それまでは休んでください」


 新は天井を見上げた。


(急に、別の世界に来て……、世界を守れ、消えるかもしれない、って……)


 現実感が追いつかないのも当然だ。


 それでも、もし役目を終えた先に戻れる可能性があるのなら。


「……考えるしかない、か」


 その呟きは、誰に向けたものでもなかった。

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