10.シルヴァン
翌朝、まだ空気の冷たさが抜けきらないうちに、客室の扉が控えめに叩かれた。
「アラタ様。お迎えにあがりましたー」
昨夜の護衛、いや、今日から稽古相手になる男の声だった。
新が扉を開けると、そこに立っていたのは、昨日名乗った通りの男だ。鎧は着ていない。代わりに動きやすそうな軽装で、肩の力が抜けている。なのに背筋はまっすぐで、立ち位置も死角を作らない。
「おはよ。寝れた?」
昨日とは打って変わって、いきなり敬語がない。
「……おはようございます。まあ、なんとか」
「よし。じゃ、行こっか。修練場」
軽い。軽いのに、歩き出すと足音が静かで、周りの様子を見る目が忙しい。昨夜と同じだ。ふざけた人間じゃない。ただ、言い方が砕けているだけだ。
(この人、フィオナさんの部下だよな……?)
新が内心で首をかしげていると、男が横目で見てくる。
「なに。変な顔して」
「いえ……フィオナさんの部下って聞いてたんで、もう少し堅い人かと思ってました」
「あー、よく言われる。真面目に喋ると疲れるだろ? 俺は楽な方がいい」
そう言って、男はにっと笑った。
「改めて。俺の名前はシルヴァン。今日から一か月、お前の稽古担当。よろしくな」
「新です。よろしくお願いします」
「よし。でさ、さっそく決めとこうぜ」
「何をですか」
「呼び方」
シルヴァンは親指を立て、当然のように言った。
「俺のこと、シル師匠って呼べ」
新は歩きながら、足が止まりかけた。
「……それ、まだ何も教わってないのに師匠は……ちょっと早いです」
「そこ!? そこ引っかかる!?」
シルヴァンが大げさに肩を落とす。
「いいじゃん、師匠。憧れなんだよ、師匠って呼ばれるの。分かる? こう……弟子を育ててる感じ。尊敬されてる感じ」
「……いや、尊敬は、これからするかどうか決めます」
「これからされる予定! 予定だから!」
新は息を吐いた。昨日までの緊張が、変な方向に崩れていく。
(調子が狂う……)
「じゃあ……普通にシルヴァンさんでいいですか」
「それもダメ」
即答だった。
「さん付けは固い。でも、呼び捨ては距離が近すぎる」
「……都合よすぎません?」
「呼び捨ては俺が考えてら呼び方と近さの種類が違うんだよ!」
シルヴァンは楽しそうに笑って、ぽんと新の肩を叩いた。叩いた後にすぐ手を引いて、何かを決めたような顔でこちらを向いた。
「よし、決まり。シル兄」
「……はい?」
「シル兄。これが一番いい。俺が一番うれしい」
「俺が、って言っちゃってるじゃないですか」
「そう。俺がうれしいのが大事。ほら、言ってみ」
「……シル兄」
シルヴァンは満足そうに頷いて、ついでみたいに言った。
「じゃ、俺はお前のことアラタって呼ぶわ。堅いの苦手だから」
「わかりました」
「よし!決まり!」
やたら満足そうだ。呼び方がそんなに重要なのだろうか、新の呼び方はそのままなことについて、もう突っ込む気力は削れていた。
そんな中、シルヴァンは周囲を確認しながら、ふっと声の調子を落とし言った。
「……で」
新の横顔を見る。
「お前、守護者なんだろ」
新の背中が固まった。
心臓が少し遅れて跳ねる。昨日の医務室のことが頭をよぎる。
「……なんで、それを」
「顔に出てる。分かりやすいな、お前」
シルヴァンは前を向いたまま言う。声は軽いままなのに、言っていることは鋭い。
「俺はフィオナさんから信頼されているからなぁ」
なぜか、得意げにそう言ってくる。
「……フィオナさんから聞いてる。お前が守護者だって」
新は言葉が出ない。
シルヴァンは少しだけ真面目な顔になる。
「安心しろ。言いふらす気はない。あの人が俺に言ったってことは、必要だからだろ」
「……そう、ですか」
新はようやく息を吐いた。
「よし。ここからが本題」
シルヴァンは指を一本立てる。
「旅に出るまで一か月しかない」
新は頷く。昨日ギヨームが言っていた。評議会が一か月後。そこでカンナの旅を通すために根回しをする、と。
「だから、普通の稽古はしない。時間がねえ」
「普通の稽古、って……どういうやつですか」
「型をゆっくり覚えて、足さばき直して、素振りして、じわじわ実戦に寄せるやつ。あれは半年とか一年とかかける」
シルヴァンは言い切った。
「お前は守護者だ。怪我しても戻る。なら、その特性を使う。実戦形式でみっちりやる。フィオナさんからそう言われてる」
新の喉が鳴った。
実戦形式。みっちり。怪我を前提にする言い方。
「……しごく、ってことですか」
「みっちり、しごいてやる」
シルヴァンは悪い笑みを浮かべながら頷く。
「勘違いすんなよ。殺す気でやるって意味じゃない。危ない線は外す。そこは俺も分かってる」
新は少しだけ安心した、と思ったが、続きが来た。
「でも、痛い目は見る。必要だ」
軽い声のまま、言葉は重い。
新は返事ができず、ただ歩いた。
やがて修練場が見えてくる。開けた場所に木の床が広がり、壁際には武器が整然と並んでいる。朝の光が差し込み、空気が乾いていた。
修練場に入った瞬間、シルヴァンは空気を切り替えた。笑いは残っているが、足取りが戦う者のそれになる。
「よし。まずは確認」
シルヴァンが顎で示す。
「構え、見せてみろ」
「構え……ですか」
「剣を持て、普通に。自分が一番やりやすい形でいいから」
新は壁際へ行き、木剣を手に取った。握った瞬間、手が勝手に位置を覚えている。重心が落ちる。足が自然に開く。
自分でも驚くほど、迷いがない。
シルヴァンはそれを見て、少しだけ目つきが変わった。
「……お前、剣を普段から触ってたな」
新は一瞬、言うか迷ったが、ここで嘘をつく意味もない。
「……ええ。やってました」
「何だそれ。なんかの流派か?」
「いえ……競技みたいなやつです。型があるやつで剣道って言うんですけど」
「へぇ。名前は分からんが、癖は分かる」
シルヴァンは新の周りをゆっくり歩く。距離を測るというより、癖を拾っている。
「悪くない。握りも変じゃない。腰も落ちてる」
褒められているのに、次が来ると分かった。
「でも」
シルヴァンが止まった。
「固い」
「固い……ですか」
「型に寄りすぎてる。綺麗にやろうとしてる。相手に読まれる」
新は眉をひそめる。何が悪いのか、まだ飲み込めない。
シルヴァンは木剣を一本取り、軽く構えた。新とは違う。雑に見えるのに、隙がない。
「ここでの稽古は戦場寄りだ。相手は礼なんかしない。間合いもルールもない」
シルヴァンが木剣の先を少し揺らした。
「お前の構え、相手に『次はこう来る』って教えてる」
「……そんなつもりはないです」
「つもりは関係ねえ。相手が得するかどうかだ」
新は口を閉じた。言い返せない。
シルヴァンはニヤッと笑った。
「だから直す。一か月で直す。シル兄として」
「そこでもう一回押してくるんすね」
「当然」
また軽口だ。だが、目は真面目だった。
シルヴァンは木剣を肩に乗せ、あっけらかんと言った。
「とりあえず、実践形式で打ち込んでこい!」
新は目を丸くする。
「え、いきなりですか」
「いきなり。迷ってる時間がもったいない。まず来い。俺が受ける」
シルヴァンは一歩下がり、床を指で叩いた。
「ほら。一本目。遠慮すんな。お前の『いつもの』をそのままぶつけろ」
新は息を吸った。
握り直して、足を前に出す。
(……やるしかないか)
木剣が、乾いた音を立てて振り上がった。




