義妹を溺愛する義兄は、彼女の幸せだけを願っている
煌びやかなシャンデリア、磨き抜かれた大理石。
華やかな空間に似つかわしいように思い思いに着飾った貴婦人と紳士がそろう貴族の社交場で、似つかわしくない怒声が上がっていた。
「マルティーヌ・ブルゴーニュ! 貴様との婚約を破棄する!!」
招待された侯爵家の夜会の席で、ジェニアの義妹のマルティーヌに婚約破棄が突き付けられた。
招待客の中に紛れていた彼は眉を潜める。「どうしてですか?!」と声を上げる義妹の悲痛な声が痛ましい。
「貴様は私という婚約者がいながら、他の男と浮気をしている! そんな尻軽は公爵令嬢だろうがお断りだ!」
強い口調で告げるのはマルティーヌの婚約者の侯爵令息のテレンスだ。
彼はマルティーヌの浮気の証拠は揃っているとさらに言い募る。
「テレンス様! わたくし浮気などしておりません!」
「うるさい! 私はこの目で見たのだ! 貴様が知らぬ男と親しげによりそっているところを!!」
一方的に言い募り、マルティーヌの言い分を聞く気はないらしい。
あまりに義妹が哀れな様子にジェニアはその場に割り込むことにした。
眼鏡の奥から冷え切った眼差しを送る。
「アスカリッド侯爵令息、少し落ち着かれては」
テレンスとマルティーヌの間に割り込むように身体をすべりこませる。
片手を義妹の肩に置く。落ち着くように仕草で伝えると、マルティーヌは深く息を吸い込んだ。
「義妹を見かけたのはいつですか」
「二日前! 貴族街の商家だ!」
割って入ったジェニアを気にする様子もなく、彼は胸を張る。
公爵家の失態だ、と言いたげな彼の言葉に、テレンスはため息を隠せない。
「その日、マルティーヌは私と共にいました。浮気などできません」
「妹を庇いたいのだろうが無理を言うな! あの日、金髪の男と共にいたのを見たのだ!」
「金髪……?」
「そうだ!!」
テレンスの言葉にマルティーヌが眉を寄せる。
心当たりがあるのかと、周囲がひそひそと会話を交わし、その様子を見たテレンスが勝ち誇ったように笑う。
ジェニアはずれてもいない眼鏡に触れて、二度目のため息を吐く。
「それは私です」
「……なに?」
「ですから、変装をした私です。その男はこういう外見をしていませんでしたか?」
ぱちん、と指を鳴らすとジェニアの少し青みかかった銀の髪の色が変わる。
伏せていた視線を上げれば、瞳の色もまた空のような澄み渡った色から、燃えるような赤へと変化していた。
「なっ?!」
「幻影魔法の一つです。公爵家を継ぐ身として、警備が厳重なのが煩わしい時に使うのです」
眼鏡を外せば、そこには『氷の貴公子』と呼ばれる冷徹な公爵令息ではなく、いかにも遊び人と言った貴族の子息が佇んでいる。
彼は義妹の肩に置いていた手を腰に回し、体を密着させる。
「恐らく、貴方は私が妹にこのように手を回しているのをみた、と言いたいのでしょう」
「誤解を招く行動をとる貴様たちが悪いのだ!!」
完全な責任転嫁と共に震える指を突き付けてきたテレンスに、手元で眼鏡を弄びながらジェニアは肩をすくめる。
「あの日、妹が転びかけたところを咄嗟に支えたことは認めましょう。ですが、なぜそのシーンだけを的確に見ていたのか伺っても?」
「たまたま通りかかった!」
「無理がありますね。あの通りは貴族は皆馬車で通る。近くの店に用事でもあったのですか?」
「その通りだ!!」
さらに声を張ったテレンスに、ジェニアは小さく噴き出した。
くすくすと笑う彼の様子に、テレンスが「何が可笑しい!」と怒鳴る。マルティーヌは抱き寄せられたまま、じっと彼を見上げている。
聡明な義妹は、この時点で様々なことに気づいているのだろうとジェニアは内心で微笑む。
「あの通りは再開発計画地です。私たちが訪れた商店以外はすでに移転済みのはずですが」
「っ」
言葉に詰まったテレンスに、ジェニアは再びぱちんと指を鳴らす。
姿を変えていた幻影魔法を解いた彼は、義妹の腰から手を放して、レースに包まれた手を取る。
「帰ろう、マルティーヌ。これ以上ここにいても意味がない」
「はい、お義兄様」
「まて!!」
ジェニアが促すと、先ほどまで取り乱していたマルティーヌも大人しく頷く。
そのまま踵を返した二人に追いすがるようにテレンスの声がかかったが、ジェニアはもちろんマルティーヌも振り返りはしなかった。
「あんな人、こっちから願い下げです!!」
帰りの馬車の中で憤慨しているマルティーヌにジェニアは苦笑をこぼす。
目じりに涙をためている彼女の肩には彼の上着がかけられている。
「いくら変装していたからといって、お義兄様の付き添いを浮気だと勘違いするなんて!」
「そうだね」
「しかもあの口調では私のあとをつけていたようではありませんか!!」
「そうだね」
うんうんと相槌を繰り返す。
義妹が怒っているときに下手に口を挟むのはよくないと、十年の間、義兄として過ごして学んだのだ。
「婚約を破棄したかったのであればっ、このような手段をとらずとも……! 公爵家に正式な書面を、いただ、けれ、ば……っ」
とうとう目元の涙が決壊してぽろぽろと頬に伝う。
真珠のように美しい涙をこぼす義妹の姿に、そっと手を伸ばす。
よしよしと頭を撫でると、マルティーヌは甘えるように体を寄せてくる。何歳になっても愛らしい義妹だ。
「こんなのっ、あんまりですわ……!!」
両手で顔を覆って泣き始めたマルティーヌは、確かにテレンスを愛していた。
それを知っていたからこそ――ジェニアは彼女を嫁がせるわけにはいかなかったのだ。
(可哀そうなマルティーヌ。お前のことは、私が守ろう)
公爵家までの帰宅の間、泣きじゃくる義妹を抱きしめて彼は幼い頃に固めた決意をさらに強くした。
ジェニアはマルティーヌと血が繋がっていない。
ブルゴーニュ公爵家は国で一番の名家であったが、跡取りの男児に恵まれなかった。
マルティーヌを生んだブルゴーニュ公爵夫人は、産後の肥立ちが悪く、子供を望めない体になったという。
王家から降嫁した王女であった夫人が、子供を産めないとはいえ存命のうちに妾を迎えるわけにもいかず、ブルゴーニュ公爵は一人娘に婿を取らせることで公爵家の存続を決めた。
だが、幼い子供は簡単に死ぬ。
十歳を超えるまでは油断してはいけない、というのが王国での暗黙の了解だ。
だからこそ、万が一を考えて公爵は娘に万一があったときの保険をかけることにした。
そういった事情を踏まえて、養子にとられたのがジェニアだ。
幼い頃から神童と呼ばれるほど抜きんでた頭脳と魔法の才をもっていたジェニアは元々男爵家の子供だった。
とはいえ、貴族とは名ばかりのほとんど平民のような暮らしをしていた。
金に困っていたのだろう。
両親はあっさりと金銭と引き換えにジェニアを手放すことを決めた。
彼がどんなに泣いて縋っても、もう決まったことだ、お前の幸せのためだ、と心にもない言葉を告げられるだけだった。
(あの時の痛みは、いまでも鮮明に覚えている)
引き取られた公爵家での暮らしは、一言で言うなら地獄だった。
睡眠時間を削って、マナーを叩き込まれ、一通りマナーが見につくと専属の家庭教師によって虐待のような教育を受けた。
毎日の睡眠時間は一時間あればいい方で、高熱を出しても勉強を休むことは許されない。
そんな彼にとって、唯一の安らぎが冷たい屋敷の中で無邪気に慕ってくれたマルティーヌと会話をすることだった。
『おはようございます、おにいさま!』
ジェニアが八歳で公爵家に引き取られたとき、マルティーヌはまだ五歳だった。つたない言葉で必死に話しかけてくる義妹が可愛くて仕方なくて、なによりまっすぐに向けられる親愛の情が心地よかった。
彼はすぐに義妹の虜になった。なにがあっても守るのだと強く決めたのは、十歳になる前だったように思う。
本来、ブルゴーニュ公爵家を継ぐのはマルティーヌのはずだった。
だが、卓越した才能を見せたジェニアを公爵が惜しみ、紆余曲折の末に彼が跡取りに据えられた。
自身が継ぐはずだった公爵家を取り上げられて、侯爵令息との婚約が決まったとき、マルティーヌは文句ひとつ口にしなかった。
ただ「お義兄様なら素敵な公爵になれますね!」とにこにこと笑っていた。
(出来た妹だ)
ジェニアにはもったいないほど、心が強いマルティーヌは心が強い。
だが、それでも。
テレンスの浮気を知れば、きっと義妹は傷つき泣くだろうと予想できた。
だからこそ。
(マルティーヌに知られない形で婚約を破談に持ち込まなければならない)
テレンスは表向きは好青年だ。
聡明なマルティーヌが恋に落ちるような良き人物を演じている。
一方で、裏の顔は女好きの酒好きである。
酒におぼれ、酔った勢いで手当たり次第に女に手を出す悪癖持ち。
ジェニアがその事実を知ったのは、マルティーヌが十六歳の成人を迎える前に徹底したテレンスの身辺調査を行ったためだ。
彼が屋敷に仕えるメイドをはじめ、マルティーヌ不在の夜会で酔って令嬢に声をかけてると知った。
その中には、遊んだ末に妊娠した令嬢もいると知って、放置はできなかった。
だからこそ、尾行されているのを知って放置し、勘違いをするように仕向けた。
プライドばかりが高いテレンスは自身は浮気をしながらも、マルティーヌの浮気を容認しないと踏んだからだ。
屋敷についても涙が止まらない様子のマルティーヌを部屋に送り届け、自室に戻ったジェニアはどさりとイスに座って足を組む。
月が見える大きな窓を見上げて、義妹に思いをはせる。
(あの子は世界で一番幸せにならなければいけない。その幸せのためなら――私は悪魔にでも魂を売ってみせる)
涙を流す姿すら美しい義妹の姿を脳裏に描き、彼は執務机の鍵付きの引き出しから一枚の書類を取り出す。
「父上の言質はとっている」
ジェニアを跡取りに据えることに異を唱えたのはブルゴーニュ夫人で、彼女は王家の尊き血を持つ実子が公爵家を継がないことを認めなかった。
夫婦の間には意見の相違で亀裂が入った。
王家との関係の悪化を恐れ、どうにか修復を、と願う公爵にジェニアは悪魔のささやきをしたのだ。
(私とマルティーヌは血が繋がっていない。婚姻は認められる)
公爵との間に交わした誓約書、それはジェニアが一度家を出て公爵家の親戚筋の辺境伯の元に養子に入ったうえで、公爵家の跡取りとして――マルティーヌの婿として戻ってくることに同意するものだ。
満足気に口元に笑みを浮かべて書類を鍵付きの引き出しに戻す。きちんと鍵をかけたことを確認し、彼は再び夜空を見上げた。
本当はマルティーヌが幸せになれるのであれば、口を出すつもりはなかった。
テレンスが誠実に彼女を愛したのならば、こんな手段は使わなかっただろう。
だが、いくら相手の有責とはいえ一度結んだ婚約が破談になれば、令息はまだしも令嬢の二度目の婚約は難しい。
愛する義妹が傷物として腫れもの扱いされることが、ジェニアには許せなかった。だから。
「私が幸せにする。必ず」
この先の未来を思い描いて、彼はうっとりと目を細めた。
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