第2章 その10 帰ってきた放蕩息子・4
「随分と美味しそうな匂いですね」
台所でポトフを仕上げていたレオンの背後から声が掛けられた。
魔王妃の侍女であるグールゼットが、籐編みのバケットを掲げて見せながら入口に立っていた。
「ご所望の追加のパンと、卵を少しお持ちしました」
「わざわざありがとうございます」
塩と少量の胡椒で味を整えたレオンは、新しい小皿にポトフのスープを少し取り分けた。
「味見、してみませんか?」
「宜しいのですか」
差し出された小皿に、グールゼットは戸惑った。
「かまいませんよ」
グールゼットはバケットを台所のテーブルの上に置くと、おずおずと小皿を受け取った。軽く匂いを嗅ぐと、意を決してスープを口にする。
「何と言うか、滋養に富んだ味がしますね」
「お口に合いませんか?」
「いえ、今まで食べたことのない味ですが大変美味しいです」
「それはよかった」
レオンはポトフの鍋に蓋をして、一旦火から下ろした。
「これは、腸詰と野菜を煮込んだ『ポトフ』という料理ですね。食材の味がスープに溶け出し、それが野菜に染み込んで優しい味になる。香辛料も使っているから、華やかな味わいも加わる」
「ポトフですか。これと似たような料理を魔王妃様も召し上がる事がございます」
グールゼットは目を瞬かせて驚いた。
「元々は、有り合わせの食材を余すこと無く使い切る為のごった煮かな。ただ、材料が揃えば王侯貴族が日常的に食べるにもなる優れた調理方法だ」
「レオン様は、まるで料理人のようでございます」
「味音痴・料理音痴の多いパーティーだからな。自然と腕前が上がっただけだよ」
小皿を受け取り、水を張った洗い桶に沈めた。
レオンがグールゼットに味見を勧めたのは、城に務めている者たちの食料事情を探る意図が合ったからだ。
魔王妃付きの侍女も、匂いから美味しそうだと感じ取れてもその味は知らなかった。この一点だけを見ても、魔王国の食文化の水準が『向こう側』と比べて相当低いことが確認できた。
「手が空いているなら、お茶と焼き菓子をマリーゴールドの所に持っていってくれるかな?彼女が望むなら、話し相手になって欲しい」
隠された意図などおくびにも出さず、レオンは仕事を押し付けた。
いつ現れるか分からないナーガ対策として、マリーの精神安定剤が必要だと感じたからだ。
「承知いたしました」
グールゼットは、簡単に受け合ってくれた。
グールゼットを送り出し、台所の片付けが終わりかけた頃。俄に外が騒がしくなった。
「ナーガが来ましたよ」
台所の入口からひょっこりと頭だけを出したリッテルが事実だけを伝えて食堂の先へと消えていった。
片付けを急いで済ませ『客室』の応接室に向かうと、呆れて突っ立っているリッテルの視線の先に、興奮気味のナーガを宥めるバランと実力行使も辞さない態度で控えるファーレンが居た。
「おぉ、レオン。聞いてくれよ」
「話を聞いてほしければ、先ずは座れ」
仁王立ちになったレオンは、ナーガに対してクイッと顎でソファーを指し示した。
「嫌なら、お前用に充てがわれた寝室が有るからそこに篭っていろ」
声こそ荒げないが、最大限の威圧を込めた声が呪詛の様に零れた。
ファーレンもリッテルも、この声を無視した人間の末路を知るだけに、小さく身震いした。
「おっ、おう。分かったってばよぅ」
過去、レオンによって痛い目にあっているナーガも気勢を削がれてたどたどしく歩いて身を縮こませてソファーに身体を押し込んだ。
「リッテル、済まないが残ってるケーキ全部とお茶をナーガに出してやってくれ」
重い溜息を一つ零し、レオンはナーガに正対するソファーに腰を下ろした。




