第2章 その5 元上司とその元部下 その1
賢狼のバランは魔王城の中を闊歩した。城の中なら、狼人族も居るのでその姿は目立たない。賢狼とは、優れた知性を備えた狼人の事なのだから外見だけでは判別はつかない。
ことバランは筋骨が発達しており、同族の兵士と比べても遜色の無い体格なので目立つ事などありはしない。
城の各所にある通用門には番兵がおり出入りの者を吟味しているが、バランは貸し出されている最上位の魔法付与された通行札で表の区画は不自由無く通過できた。
懐かしさで彼方此方と歩き回りたいが、何かの拍子で見咎められるかもしれないので、目的地を目指す。そこは城内の中心区画近く、高級文官が執務室を構える一角だった。
セリム将軍に会う為、秘書官に到着を告げると、壁際の椅子を示された。先客は三人。少し待たされることになるだろう。
先客の三人は、皆知らない顔だった。おそらくは、バランが城から離れていた間に出世したり新たに登用された若い者たちだろう。組織として、下の者が育っていることは喜ばしい事だ。
先客の一人が秘書官によって執務室に通された際に、秘書官は何かしらの指示を受けている。
秘書官が所定の机で書類仕事を始めた頃合いで、新たな面会希望者がやって来たが、二・三の遣り取りの後で諦めたように首を横に振り、帰り際にバランに刺すような視線を送りながら部屋を出ていった。
おそらくは、午前中に滑り込む様に面会を申し込んだのだろうが、すでに枠が一杯なので午後に出直せと言われたのだろう。
実際、バランとセリム将軍の話し合いは長引く可能性があるので、悪いことをしたなと思いつつも身を縮みこませながら順番を待つ。
かつてのバランは、セリム配下の中では中堅クラスの人材と目されていた。魔術に関する探求心は旺盛だが、組織内での肩書争いには一線を引いていた。魔術研究に対する一定の裁量は必要なのでそこそこの地位は必要だが、何処かの派閥に入ったり、自身が派閥を率いて権力争いをするのは不要の事と割り切っていた。
ただ、セリム将軍配下の『使える駒』として認識され、必要な時に必要な場所に配置されて必要な結果を出す。その成果は、バランを配置したセリムのものとなり、バラン自身は煩わしい権力争いから守られる事が褒賞の様な物っだった。
回りには『セリム将軍の懐刀』などと揶揄する者もいたが、そんな事はあるまい。折れたら捨てるだけの何本も在る刃物の一本、それもさして切れ味の良い刃物でもないというのに。
そんなバランだからこそ、魔王夫妻の一人娘マリーゴールド様の教育係の一人に選ばれたんだと思う。
今代の魔王様には後ろ盾となるような勢力は居ない。強いて上げれば先代の魔王様自身だが、地位を禅譲されてからは沈黙を保たれている。
魔王様は後ろ盾が無いからこそ、魔王領全体に対して最大の利益が出る施策を実行できた。いくつか在る有力な種族や氏族が短期的な利益の目減りを被ろうとも、他の種族や氏族が反発を抑えた。そして、実際に施策が軌道に乗って利益が魔王領全体に行き渡ることでそれまでの不平不満を黙らせることが出来た。
そんな中で生まれたマリーゴールド様だからこそ、特定の種族氏族の影響下にある者を近づける訳にはいかなかったのだろう。魔王自身に絶対的な忠誠を誓っている者や、たとえ変わり者でも他者の干渉を跳ね除ける意志の強い者がお付きとされた。
たとえセリム将軍の配下とはいえ、どこの派閥にも属さない文官という立ち位置は、十分に役立つと思われたようだ。たとえバラン本人がその命令を伝えられて天を仰ごうともだ。
つらつらと、昔の事に思いを馳せていた所に秘書官が声を掛けてきた。
どうやら順番が回ってきたようだ。
昨日も通されたセリム将軍の執務室の扉を潜る。
「妙な雲行きになった」
開口一番、セリムは切り出した。執務机を離れ、バランに応接セットの椅子に座るように指示する。
「妙な、という事柄にも色々ございますが」
バランは軽く探りを入れる。伏魔殿の様な魔王城の政治闘争には極力関わり合いたくはないのだが。
「率直に聞く。マリーゴールド様は、共にこの城に来た人種の冒険者と将来を共にする気があるのかという点についてだ」
「はぁ」
ずいぶんと核心を突く、それでいて難しい事を聞いてくる。
「恋愛感情というのは他人が口をはさんでどうこうなるものでは分かっている。だが、立場が立場ゆえ婚姻となれば政治的な思惑が絡んでくる」
慎重なセリムにしては、性急な話の進めようだ。
「政治的な話は一旦横に置く。その上で確認するがマリーゴールド様はあのレオンという人物をどの程度好いておるのかね?」
軍政の専門家らしからぬ、下世話な話である。




