閑話二 橋の巨人と呼ばれた日
デイルがやんちゃだった頃のお話
デイルがその日に参加した戦闘は、なんてことのない小規模戦闘のはずだった。
剣を振るい、生き残れば今日の稼ぎで酒を飲む。ただそれだけの、いつも通りの一日。
すでに戦闘は大勢が決し、敵兵は散り散りに逃げ始めていた。戦場を覆う土煙の向こうで、悲鳴と怒号が混じり合い、鉄の匂いに血の臭気が勝っていく。
「よし、我々の勝利だ! 逃げた敵を殺せ!」
高台に馬を止めていた現場指揮官が声を張り上げた。銀飾りの兜を戴いたその男は、貴族にしては珍しく戦場で人気があった。冷酷だが頭は切れる。
デイルも嫌いではなかった。下手に見栄や激情で引き際を誤り、部隊を全滅させる指揮官を、彼はいくらでも見てきた。
だが、この男は違う。捨てると決めた部隊には容赦なかったが、そうでない部隊の消耗は最小限に抑えた。負け戦も無理に引き延ばさず、見事に退ける。
――大勢の見極めが、異常なほど早く、正確なのだ。
ただ、どれだけ有能な人間でも人生で一度や二度の失敗はあるものだ。今日がたまたまその時だったのだろう。
「隊長、大三部隊より伝令! 北から敵軍の増援! その数――二千!」
一瞬、戦場の喧噪が遠のいたように思えた。
伝令の声が兵たちの鼓膜を打ち、意味が脳に届いた瞬間、どよめきが爆ぜる。
「北から二千だと!?」
「嘘だろ……もう勝ち戦のはずじゃ……コッチは五百ちょっとしかいねえ」
「クソ、このままじゃ挟み撃ちだ!」
さっきまで勝利の歓声を上げていた兵士たちの顔から血の気が引いていく。槍を握る手が震え、足を踏みしめる音が乱れ、列がじわじわと崩れていくのが見えた。
敵は敗走したのではない。――囮だったのだ。
土煙の向こうで、整然とした隊列が現れる。槍の穂先が一斉に陽光を弾き返し、まるで鉄の壁が押し寄せてくるようだった。
そこに至って伝令以来、腕を組み瞑目して沈黙を守っていた指揮官がようやく口を開く。
「キンブリーの部隊百名を殿として橋に残す、残りは撤退の準備だ」
殿を言い渡された中隊長は覚悟を決めた目つきに変わる。流石指揮官だ腹心だろうと容赦無く切り捨てるか。絶対に裏切らない奴を殿に選んだ
「隊長さんよう」
デイルは手を上げ背を向ける指揮官に言っ
た。指揮官は振り返るとデイルを睥睨する。
「何だ傭兵?私は時間が無い早く用件を言え」
苛立つ指揮官にデイルは不適に笑いながら言った。
「敵さんの数は二千飛び道具はどれぐらいだか情報はあるかい?」
デイルの問いかけに一瞬訝しげな顔をする指揮官だが伝令を持って来た兵士に話を聞く。
「わかるか?」
突然指揮官から話を聞かれた伝令は一瞬落ち着くが「正確かは分かりませんが」と前置きして言った。
「斥候の話では近接兵の数の多さが目立ち。魔法兵や弓兵の姿は殆ど確認できなかったようです」
伝令の報告を聞いたデイルはニヤリと笑う。成る程、殆どが近接兵士で構成されてるなら悪くない。なに、情報の正確性など気にしてたら前線なんて出てられない。間違ってたら死ぬだけだ。
「そいつはいい。勝ちの目が見えてきましたぜ指揮官殿。キンブリーの奴に俺もご一緒したいんで許可をいただけないかい?」
指揮官は不適に笑うデイルを暫く睨め付けていたがやがて興味を失った様に視線を外す。
「死にたければ勝手にすればいい」
そう言って指揮官はデイルに背を向けて去っていった。
ーー
指揮官が去っていくのを見送ったデイルが振り向くと、怒りを露わにしたキンブリーがデイルの前に立っていた。
キンブリーはデイルに詰め寄ると語気を荒げた。
「馬鹿野郎が!お前が来る必要なんてなかったんだ!」
「キンブリー、俺はお前が好きなんだ。死なすには惜しい」
「お前、こんな時になにを……」
赤くなるキンブリーの兜をデイルは笑いながら叩く。
「馬鹿野郎赤くなるなよ気色悪い!俺にそっちの気はねえよ。お前の事は気に入ってるってだけだ。危険を分かち合ってもいいって程度にはな。それによ……」
呆気に取られるキンブリーにニヤリと笑いかけたデイルは獰猛な笑顔を浮かべて言った。
「戦争ってのは数だけで決まるもんじゃねえ。勝算はある」
「勝つ気か?」
キンブリーの声は震えていた。諦めた命に光明が灯されたのだ。嘘でしたなら許さない。
「いったい、どうやってーー二千と百だぞ?」
「キンブリー、お前は真面目だな。まぁ、そんなところが気に入ってんだがな」
何が面白いのか豪快に笑うデイル。そして低い声でいった。
「二千人?違うな。戦争はビビったら負けるんだよ」
ーー
デイルとキンブリーの部隊は指揮官の指定した橋の上までやってきた。敵はすぐそこまで迫っている。常識外れに巨大な大鎚を持ったデイルはその先頭に陣取り。キンブリーの部下達に対して自分の部下の様に指示を出した。
「よし、お前らの中で練度の高い者から前に出ろ。デカイ盾と槍を持て!持ってない奴は持ってる奴からぶん取れ!」
突如変わった指揮系統に若干の戸惑いを見せる部隊だが、デイルが余りにも堂々と指示を出すのでやがてその通りに動き出した。
暫しの隊列変更の後、デイルの言う通りに練度の高い兵士が前に出てきた。どの兵士も精悍な顔つきをしていた。
「よし、お前らいい面構えだ。お前らの仕事は簡単だ。大盾構えて亀みたいに丸まれ!敵が来たら何も考えずに槍を突き出せ!」
デイルの余りにも単純な指示に場がどよめいた。
「ファランクスは一方向からの攻めには確かに有効です橋の上と言う事もあり暫くは持ち堪えられるでしょう。しかし、数が違い過ぎます」
「ああ?ファランクス?なんだそりゃそんなの知らん!お前らは俺が打漏らしたクソを串刺しにすりゃいいんだよ」
デイルの物言いにさらに場がどよめく。目の前の大男はなにを言っているのだと、中にはデイルを馬鹿呼ばわりする物も出始めた。
「お前らいいじゃねえか!気に入ったぞ!そうやって暫くイキリ立ってろ!イチモツおっ立てて、俺のケツに見惚れてるかぎり!絶対に生かして返してやる!俺の活躍を肴に今夜は美味い酒が飲めるぜ!」
デイルの啖呵に対する反応は、どよめき、そして沈黙。しかし、死地に赴く悲壮な沈黙とは質が違う。二千人に百余名で挑もうという集団はその沈黙に静かな高揚を感じていた。
「後、後列のカカシどもから武器ぶんどって俺の後ろに置いておけ!」
デイルの指示にもたつく兵はもういなかった。
ーー
隊列を組み、兵たちの間に緊張が走る。ーー敵が見えた。遥か彼方軍靴の音を響かせ迫る隊列を見た兵士の呼吸が荒くなる。
動揺が兵士中に伝播しようとしたその時、デイルが持っていたが大鎚の柄尻を橋に叩き付ける。轟音がなり石造りの橋が小さく砕け破片が飛んだ。兵士達が先程とは違う理由で動揺する。
「俺のケツをしっかり見とけ!俺のケツが見えてる限りお前らは、死んでねえ。黙って見惚れて俺の糞を喰らってろ!だがこれだけは言っておく!」
居住まいを正し。真面目な様相のデイルに兵たちはツバを飲み込む。
「俺のケツが魅力的だからって掘るんじゃねえぞ!流石に後ろからの不意打ちは俺も防げん!」
兵たちの間に小さな笑いが起こる。
「いいか!戦争はビビった方が負けだ。俺を見てビビるんじゃねえぞ!奮い立て!俺がテメエらを英雄にしてやる!」
デイルの啖呵を聞いた兵士達の間に暫しの沈黙そして……
「行くぞテメエら!準備はいいか!」
『うおおおおおおお!!』
大地を震わせる鬨が戦場に響いた。
やがて、両軍は対峙する。二千の大軍勢に対するは僅か百余名。圧倒的優勢な敵軍の士気は当然高い。しかし劣勢な筈のデイル達の士気は敵軍を凌駕していた。
対峙して分かる異常性。敵軍の将もこの異常は認知するに至っていた。しかし……
(決死隊の破れ被れか……その士気ごと蹂躙してやろう)
読み違えた。
そうして、敵軍の第一派に突撃の号令が下る。目を血走らせ、デイル達を蹂躙しようと殺到する敵、兵たちは盾を構え徹底防御の構えを取る。そうして最前列のある兵士はデイルの言いつけ通り、デイルの臀部を凝視する。デイルの臀部がブレる。
臀部がブレて停止した後、何かがぶつかり合う轟音と敵軍の悲鳴が聞こえてきた。
(一体何が起こった?)
今度はもう少し。上を見る。そこにはひしゃげた敵の死体と足を止めた。敵軍の第一派が映った。
ーー
最前列の生真面目な兵士は見た。殺到する敵に対してデイルがやった事を。至極単純だった。大鎚を構え、大きく薙いだ。それだけの動きだった。
槌の先端が音を置き去りにする程の薙ぎ払いだと言う事を除けば……
気が付く鮮血と共に鎧ごと変形した敵が宙を舞っていた。騎馬の突撃を受けてもああはなるまい。
ゾクリとした悪寒が走る。デイルは確かに言った「俺にビビるなと」あれは言い間違えでも誇張でもなかった。 何故なら彼はデイルに恐怖していた。敵軍二千人よりも橋に陣取り背中を見せる巨漢にだ。しかし、それだけではない。自身がこれ程恐れる存在と対峙している敵軍たるや……気持ちを想像するのも気の毒だった。そんな存在の後ろで共に戦っている。そんな高揚も確かにあった。
デイルの一薙ぎで戦場の空気は一変した。敵軍の数に任せての突撃が止む。皆前に踏み出そうと足を出す。そして引っ込める。周囲を伺い誰か先に行くものを探す。誰しも自分は死にたくない。誰かが死に役、美味しい所は頂きたいとデイルと対峙した兵士の誰もが考えた。故の硬直。
そんな事を知ってか知らずかデイルは自分の後ろにあった武具の中から適当に剣を拾い上げた。そして獰猛な笑顔を浮かべ、それを力任せに投げた。
「あぐ…………っ!」
投擲された剣は兵士の一人に突き刺さって絶命する。
「ああああああ!!」
仲間の死に様を見た兵士の一人が剣を振りかざしてデイルに走り寄る。その動きにつられた兵隊が遅れてデイルに殺到する。
「いいぞーー来るならいっぺんにだ」
真っ先に斬りかかる兵士に対してまずは頭上からの一撃。水気を含んだ、ぐしゃりという音を立て、鮮血と脳漿が弾け飛んだ。続いて殺到する後詰に対して、すさまじい速さで槌を引き戻すと、またしても大きく薙ぎ払う。
鉄と鉄とぶつかり合う音と鎧の内部がひしゃげ、砕ける音がなる。そうして、ある者は血反吐を吐きながら。ある者は体が弾け飛びながら四方へと散っていった。
これらのデイルの作業は敵の戦意が挫けるまで続いた。とは言え、先に散った兵達の余りに凄惨な死に方。そして難攻不落の橋に佇む巨人姿が敵の士気を挫くのは早かった。
「嫌だ!もう嫌だ!」
誰かが持っていた武器を取り落として叫んだ。逃走を始めた。
その声が合図だった。誰も彼も我先にと逃走を始めたのだ。デイルから逃れようと橋から飛び降りる者も出始めた。
「逃げるな。戦え!!」
馬に跨った隊長らしき人物が激を飛ばすも、その声に従う物は居なくなりかけていた。
「もう一押しか」
デイルはまた自分の後ろの武器から適当な斧を取り上げ、部隊の潰走を止めようとする指揮官目掛けて投げ放った。
斧は隊長格の兜を叩き割って頭に突き刺さる。馬の上でビクンと短く痙攣すると、力なく馬から崩れ落ちた。
「ひっ!」
投擲の斧で頭を叩き割られたものの隣にいた兵が短い悲鳴を上げる。
前線の指揮系統を失った兵たちはいよいよもって恐慌状態に陥る。
見晴らしのいい平原に掛かった橋の上での惨状だと言うのもいけなかった。全ての将兵にデイルの行いが見えていたのだ。紙細工の様に吹き飛ぶ人間も、デイルが槌を振るうたびに弾ける肉片や血煙も。
そんな理由もあり最前列の士気の崩壊は瞬く間に全軍に伝播した。
そして見事全軍の士気崩壊からの潰走と相成ったのである。
潰走する敵に背を向けるデイルは呆気に取られる兵達に向き直ると、悪戯っぽく笑って言った。
「な!戦争はビビった方の負けだろ!」
言って豪快に笑うデイルを唖然と眺めているだけだった味方の兵の誰かがぽつりと言った。
「橋のーー巨人……」
伝説には若干の誇張はあれど、その日を境に、橋に立った巨漢を人はこう呼ぶようになった。
――「橋の巨人」と。
橋の巨人の補完エピソードです。




