三話 薬草採取
ギルドでのリサの心配をよそに、来た道を戻ったデイルは、町外れのエリナの家へ辿り着いた。
扉を叩くと軽やかな足音が近づき、ゆっくりと扉が開く。
「はーい……あ、デイルさん?」
顔を覗かせたエリナに、デイルは無言で依頼書を差し出した。
「依頼を受けた。だが薬草の見分けも摘み方も知らん。助けてくれ」
エリナはきょとんとしたまま羊皮紙とデイルを見比べ、しばし呆然とする。やがて理解が追いつき、大きく頷いた。
「ああ、薬草採取ですね……受けてくださったんですか」
ふわりと嬉しそうな笑みが広がる。
「助かります。実はさっき魔物に邪魔されて採取が中断しちゃって……。少し待っててくださいね、すぐ準備しますから」
ぱたぱたと奥へ引っ込むエリナ。
一人残されたデイルは周囲を眺め、切り株に突き立つ斧に目を留めた。
――武器になるか?
抜き取って素振りし、重心を確かめる。そこへ戻ってきたエリナが目を丸くした。
「お、お待たせしまし……た」
「ああ、済まない。いい斧だと思ってな。薪割り用か?」
「え、ええ……これから冬支度に使うので」
デイルは肩を落とす。
「そうか。なら使えん」
「……使えない?」
「魔物に備えられると思ったが、壊せば薪が割れんだろう」
(な、なるほど……よかった。てっきり、もっと物騒なことを考えてるのかと……)
エリナは胸を撫で下ろす。口には出さなかったが。
「でしたら!」
思いついたように駆け戻った彼女が抱えてきたのは、革の鞘に収まった一本の剣だった。手入れが行き届き、刃もまだ鈍っていない。
「これを使ってください。……主人が生前に使っていたものです」
「いいのか?」
「はい。私一人では持て余すだけですし、魔物から守ってくださった方に使っていただけるなら、主人もきっと喜びます」
デイルは剣を見つめ、重さを確かめる。鉄の質量だけでなく、背後にある記憶も手に伝わるようだった。
「……借りる」
そう告げて受け取ると、エリナがくすりと笑う。
「じゃあ無事に返してもらわないといけませんね」
窓の外ではノルンが拗ねた顔でこちらを覗いていた。デイルは首を横に振る。少女の肩がしゅんと落ち、エリナが優しく声をかけた。
「いい子で待っててね。ちゃんと帰って来るから」
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森に入ると、エリナが小さな青い花を指差した。
「これが〈メリア草〉。薬湯にすると熱を下げてくれるんです。必ず根ごと掘ってくださいね」
小さなナイフを受け取り、デイルは不器用な手つきで土を掘る。
「……根を傷つけると効き目が落ちます。そうそう、優しく」
戦場で命を奪うばかりだった手が、いまは小さな草を守ろうとしている。その感覚が奇妙だった。
「きれいに掘れましたね。十分使えます」
エリナの笑顔に、デイルは短くうなずく。
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「これは〈オロロ草〉。傷薬に効きますけど、匂いがきつくて“オロロ”って言っちゃうからこの名前なんです」
鼻に近づけた瞬間、デイルは顔をしかめる。
「……っ。まるで死骸の匂いだな」
「ふふ、慣れれば平気です」
「本当に効くのか、こんなものが」
文句を言いつつも、指先は丁寧に草を包んでいた。
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やがてデイルが紫の葉に触れようとしたとき、エリナが慌てて止める。
「待って! それは〈シビレ草〉。汁がついたら半日手が動かなくなります」
「……危なかった」
「毒消し草とそっくりなんです。間違える人も多くて」
「似すぎだろ。罠みたいな草だ」
渋い顔をしながらも、今度は慎重に避けて進むデイル。その横顔を見て、エリナは小さく笑った。
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気づけば辺りは暗くなっていた。
「これで当分は大丈夫です。本当に助かりました」
「いや、説明しながらで遅くなったろう」
「いえ、安全に集められて私のほうこそ助かりました」
「……覚えた。次からは一人で取れる」
「ふふ、頼もしいですね」
森を渡る風が葉をさらさらと鳴らし、穏やかな一日の終わりを告げる。
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無事に家へ戻ると、デイルは剣を差し出した。
「助かった。返す」
「差し上げます」
「だが――」
「いいんです。主人も喜びます。それより……デイルさんが持つと小さく見えますね」
確かに片手剣がダガーのように見えた。
「大丈夫だ、いい剣だ」
よく分からない言い訳を口にしつつ、結局「もう少し借りる」とだけ言って立ち去ろうとする。
「デイルさん! サイン、サイン!」
忘れていた。依頼書へのサインだ。慣れない作業に疲れていたのかもしれない。
赤く染まる夕暮れに紛れて、デイルの頬もわずかに朱を帯びる。気づかぬふりをして、エリナは笑みを押し殺しながらサインを書き込んだ。
「はい、お疲れさまでした。本当に助かりました」
エリナはノルンの待つ家に入っていった。その姿を見送り、デイルはギルドへと向かう。依頼達成の報告をせねばならない。
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急ぎ足でギルドへ戻ったデイルだったが、到着した頃には既に日はとっぷりと暮れ、宵闇が世界を塗りつぶし始めていた。
扉を開けると、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っている。
暗いギルドの中で、カリカリと羊皮紙にペンを走らせる音が響いていた。
奥のカウンターでリサが書き物をしている。デイルが一歩踏み込むと、床鳴りが小さく響いた。
書き物に没頭していたリサがビクりと肩を揺らし、音のした方を振り返る。
「誰?」
不安げな声。昼間の快活さはない。デイルは両手を上げて敵意のないことを示した。
「昼間、冒険者の登録をしたデイルだ。依頼達成の報告に来たんだが……大丈夫か?」
その声で緊張が解け、リサの体から力が抜ける。
「なんだ、デイルさんですか。びっくりさせないで下さいよー。まぁ戸締まり忘れた私が悪いんですけど」
そう言ってリサは自分の頭をコツンと叩いた。
「不用心だな……」
呆れた様子でデイルが言うと、リサはバツが悪そうに視線をそらす。
「いやぁ、ほら集中してると、時々あるじゃないですか。ありますよね?」
同意を求めるように上目遣いで見るリサに、デイルは素っ気なく答える。
「……無いな」
「ええーー!?」
不貞腐れた声に、さらに追い打ちをかける。
「無いな」
「二回も言わないでいいです!」
リサは頬をぷくっと膨らませ、子どもみたいに机をトントン叩く。
「もういいです! そんなこと言う人の完了報告は見てあげません! 業務時間外です!」
「分かった。明日また来る」
あっさりと背を向けるデイルに、リサは慌てて叫んだ。
「ま、待ってください! 嘘です! 冗談です! ちゃんと見ます!」
「業務時間外も嘘なのか?」
「そ、それは嘘じゃないですけど……大丈夫です! こういうことも、よくあるんで!」
「よくあるのか」
「そうです。だから早く、こっち持ってきてください」
机をポンポン叩きながら催促するリサ。
「そうか。済まないが頼む」
エリナのサインがされた羊皮紙を渡すと、リサはぶーたれたように口を尖らせながらも、目はしっかりと依頼書を追っていた。
――やはり、仕事ぶりは確かだ。
「はい、確かに。薬草はエリナさんに?」
「ああ、本人の目の前で集めたからな。間違えようが無い」
「本当に連れて行ったんですね……」
「ああ、まずかったか?」
「ああ、いえ、今回は私の胸に止めときますけど本来なら一般の方を伴って危険地帯に行くのは護衛依頼になるんです。依頼のお金も変わってきますし護衛依頼は本来Cランク以上の冒険者さんのお仕事なんです。だから、よほどのことがない限りギルドを通さない依頼内容の変更とかは控えて下さい。バレると色々問題になるんで」
「成る程、気を付ける」
デイルが短く答えると本当に?とでも言いたげな目をするリサ。
「……善処する」
「なんで返事がグレードダウンするんです?」
「……現場は生き物だ」
「それ、冒険者がやらかした時の言い訳ワースト3に入ります」
ー
リサとのやり取りを終え、ギルドを出ると、夜の町はすっかり闇に沈んでいた。
昼間の喧噪が嘘のように消え、ただ風の音と犬の遠吠えだけが耳に届く。
その時、背後の路地から――砂利を踏むような微かな音がした。
デイルは立ち止まり、振り返る。
人影はない。だが確かに、誰かの視線が背をなぞった気がした。
獣か、酔客か、それとも……。
しばらく耳を澄ましたが、やがて静寂だけが残った。
不用心に一人残したリサの姿が脳裏をよぎる。
宿に泊まる金など、そもそもない。
「……なら、ここでいい」
デイルはギルドの入口の壁際に腰を下ろした。
背を預け、膝を立て、外套をすっぽりとかぶる。
冷たい石畳は容赦なく体温を奪っていくが、慣れたものだった。
眠るというより、目を閉じて耳を澄ます。
気配はもう遠のいた。だが、まだ夜気の奥に潜んでいるような曖昧さが残る。
――やがて、ギルドの扉が開く音がした。
リサが姿を現す。戸締まりの確認にでも出てきたのだろう。
「……えっ?」
視線の先、ギルドの前で外套にくるまって座り込む大男。
リサは目を瞬かせた。
「ちょ、ちょっと……何してるんですかデイルさん!?」
慌てた声に、デイルは片目だけ開けて答える。
「……宿代も無い。ここで寝る」
「いや、えぇぇ……」
言葉を失ったリサが、困ったように頭を抱えた。
なんとも言えない沈黙が夜の町に落ちた。




