王太子に嫌われたジメジメ水魔法使い公爵令嬢は、美貌の龍魔王様に溺愛されて魔王妃となる
突然に頭からかけられた水は、主にわたくしの髪、肩をじっとりと濡らしていた。
一瞬、何が起こったのかは分からなくて。
けれども、クスクスと忍び笑いが聞こえたことで理解した。
わたくし、ヨランダ・ヴァーテルは、婚約者であるこの国の王太子のオーウェン・オルドリッジ殿下が浮気している事実を、とっくに知っていた。
ヴァーテル家は「龍の姿をした魔王の寵愛を受ける一族」。
数百年に渡る盟約で、ヴァーテル家に生まれた女子は必ず王家か魔王家に嫁ぐと決まっている。
過去にご先祖の令嬢を奪い合って戦争になったらしくて。
ただし、戦いになるほどに愛されたご先祖様とは違い、オーウェン様はわたくしのことが、ちっともお気に召さないみたい。
この黒髪と焦げ茶の瞳も、水魔法の魔力が強いばっかりに雨女だったり、たまに湿気で「しっとり」してしまったりすることも、強く嫌っている。
「私はお前との婚約を認めない!ここにいるのも、父上の意向に従っているに過ぎない!くっ、貴様に近づくとジメジメする!不愉快だ!」
それが初顔合わせの日のお言葉。
そのせいもあって、殿下は浮気する令嬢には「晴れた空に似た水色の瞳にピンクブロンド」という、軽やかな色合いの令嬢を選んだらしかった。
相手はノーリーン・ウォムブラント男爵令嬢。
とても可愛らしい顔立ちの方。
そしてたった今、学園の中庭の手入れ中の庭師が使っていた手桶の水を奪い取って、ベンチに座っていた私にぶちまけて下さった方。
「あら、ヨランダ・ヴァーテル筆頭公爵令嬢様じゃないですかぁ。そこにいらっしゃったんですねっ。申し訳ありませぇん、私、全然気づかなくって~」
「でも、ノーリーン。ヨランダ様ってば、たいていいつも湿気ていらっしゃるから、多少濡れたところでさしてお変わりないっていうか……ねぇ?」
「あは、やだ、レイチェル様ってば、さすがに言い過ぎですよぉ~」
明らかにわざと。
そして、ノーリーン様だけじゃなく彼女の友人のレイチェル・アルマン伯爵令嬢様も、最近はわたくしへの嫌がらせに荷担してきている。
「早く乾かしに行った方がいいんじゃないですかぁ?そのままだと風邪引いちゃいますよぉ?」
「ですわねぇ。それでは私たち、これで失礼しますわ。ご機嫌よう、ヨランダ様~」
キャハハ、と笑いながら2人は立ち去った。
その後ろ姿を見送ってから、わたくしは恐る恐る、自分の手のひらの中を見た。
そこにいるのは、一匹の小さなトカゲ。
……ではなく。
貴族学園内に龍そのものや亜人としての姿でいるのは目立つからと、小さなトカゲの姿に擬態した、若き龍魔王・ズメイン様、その人だった。
「……ほう?やってくれたではないか。小娘ども」
声と同時に、わたくしとズメイン様の身体から一切の不要な水分が消えていく。
あっという間に不快さはなくなった。
それは強大な魔力をまとう彼だけが使える、無詠唱かつ複雑な構成の魔法。
勢いは強すぎず、けれどもしっかりと温かくて心地よい風が私の髪をさらさらと揺らす。
「ずいぶんと舐めた真似をしてくれるな」
今はトカゲの姿だけれど、ズメイン様は普通におしゃべりする。
その声には、行き場がない怒りが渦巻いていて。
まさに「水を差された」という状況。
何しろ、わたくし、デートに誘われている最中だったのだ。
そこにバシャーッと、あの無粋な水が……。
「ふふ。まずは、あの者共の名を俺に教えてくれるか?ヨランダ」
ズメイン様はそうおっしゃった。
あらら、今はトカゲだから、表情は分からないけれども、笑っていらっしゃるということは……。
これは答えないわけにはいかないみたい。
「ピンクブロンドの髪の方がノーリーン・ウォムブラント男爵令嬢、オリーブグリーンの髪の方がレイチェル・アルマン伯爵令嬢です……」
これはノーリーン様、そしてレイチェル様も、やってしまわれましたわね。
わたくしへの嫌がらせだったはずが、外交問題になってしまいました。
「国王陛下に何と申し上げたらいいのかしら。魔王と認定された方に対してここまでやらかしてしまった貴族の者が、2人もこの国から出てしまったなんて……」
困っていると、ふわりと足元に魔法陣が浮かぶ。
あら、と思っていると、周囲の景色が先ほどの貴族学園の中庭からすっかり変わった。
「ここは……王城の庭園?」
「そうだ。早速だが、オルドリッジの王に会う」
「え……っ」
声に振り向くと、そこには立派な龍の角はそのままに、人に寄せた姿を取ったズメイン様が立っていた。
まるで闇から現れたかのような漆黒の長い髪は丁寧に整えられて、飾り紐で後ろでひとつに結ばれている。
そして、見るととろけて吸い込まれてしまいそうな気持ちになってしまう、切れ長の目。
瞳も闇の色だ。
そしてその顔は人間離れした美しさで、魔法をかけずとも、ただそこに立つだけで魅了の効果をもたらす。
戦いを好み「力こそが正義」と考える者が多い魔族を束ねる者らしく、王国の近衛騎士の方よりもがっしりと鍛えた体つき。
そこに加わる、人の王に会うことを前提とした魔王家の者らしい、漆黒に金のボタンや刺繍が映える装い。
ズメイン様は母国で魔族たちの前に出る時はもっと龍そのもののお姿だそうだけど、人間と相対する時には警戒させないように、この姿になるそうだ。
「あの者たちの態度は看過できん。早急にこの国の王と話をつけよう、ヨランダ」
ズメイン様は既にそう決めてしまったらしかった。
するりと伸ばされた指が、私の髪の毛先を捕まえる。
そこにキスを落として。
ズメイン様は、まるで懇願するような声で私を呼ぶ。
「もう、一刻も早くお前をあの王子から奪い去りたい……早く婚約を破棄させたい。一体どれほどの間、俺がお前の声や姿形を思い、恋い焦がれてきたと思う……?」
「あ……っ」
覗き込む闇色の瞳は熱っぽくわたくしを見つめていて、溢れる魅了の魔力がいっそう強く私の心を震わせる。
わたくしただ1人を、まるで狙い打つように、その腕の中に堕とそうとしていて。
「早い者勝ちのようにヨランダを奪ったくせに、宝物として扱うならまだしも、このような不遇な扱いを強いるなど……!」
そしてこう憤慨する通り、ズメイン様はその手で、まるで壊れ物を扱うかのように優しく、髪を撫でて下さった。
オーウェン様が嫌う黒髪を。
その感触を心から心地いいと感じるのは、たまたま優しく扱って下さる紳士が他にいらっしゃらないから?
それとも……。
わたくしはまだ、ズメイン様からの好意を受け止めるだけで精一杯で、うまく気持ちを返せてはいない。
「王の返答次第では、この国を滅ぼすこともやぶさかではない」
「ズメイン様、それは……」
けれどもズメイン様のこの言葉には、それだけはとどまって欲しいとこの首を振る。
すると、ひどくもどかしげな視線が返ってきた。
わたくしがまだ幼かった頃に息子に断りなく婚約を申し込んだ陛下の方が、ズメイン様からの申し込みよりも一足早かった。
そしてまだ一応、わたくしはオーウェン殿下の婚約者。
それを、ズメイン様はとても不満に感じていらっしゃる。
だからこそ、今すぐにでも陛下に会い、早めにわたくしとオーウェン様の婚約を破棄させたいのだ。
「初代の魔王・ズメインは、ヴァーデルの令嬢を戦いの末勝ち取ったという。後継らしく、あの愚かな男を今すぐにでも殺して奪い取ることは、簡単ではある」
小声で言われた言葉はとても不穏だ。きっとこの方にはそれがたやすくできてしまえる。
「だが、なるべく、人の王との交渉をもって解決したい。俺はお前に関わる全てを、なるべく血なまぐさいものにはしたくない」
けれども、わたくしのために、ズメイン様はその手段を封じるという。
わたくしの気持ちを失いたくないと思って下さっているから……。
美しく整えられた庭園、その芝生に、ズメイン様は片膝を折って跪く。
そうして、少しゆっくり一息、大きく深呼吸をして、気持ちを整えるようなそぶりをしてから、わたくしを見つめた。
その緊張感に、自然とわたくしの胸の鼓動は大きく跳ねて、背筋も伸ばすことになる。
「ヨランダ。俺と結婚してほしい」
口走ったその様子は、魔王の立場としては、絶対にあり得ない、無防備に首を晒すような姿だった。
弱みを見せるような姿は決して他者に見せないはずの龍の血族であり、魔王というお立場でもあるのに。
まるで「お前は今、俺をどうにでもできる」と伝えてくるような態度だった。
慌てて立って頂けるようにとお願いしようとするわたくしの手を取って、まるで乞い願うかのようにズメイン様は続ける。
「俺を、選んでくれ。あの愚かな男が与えた悲しみを忘れるためにも、俺を利用するといい」
何もかも、わたくしのため。
魔族の方なのに、わたくしの気持ちを安らげようと寄り添って下さっている……。
その指先が、小さく震えているのが分かった。
強そうな立派な角と自信に満ちた強者らしい見た目とは裏腹に、とても繊細な心をお持ちな方……。
「ズメイン様は、とてもお優しい方なのですね……」
わたくしは両手で、わたくしのよりもずっと大きな手のひらを包み込む。
するとズメイン様は少し驚いて、ビクリと手を震わせて戸惑った表情になる。
「優しい、か。他の者を蹴落とし殺し尽くしてお前を娶る魔王としての権利を得た、この俺が。ただお前が欲しくて必死なだけだ」
普段言われ慣れてない評価だったらしくて、ソワソワと視線を漂わせているその様子は、少し、可愛らしい。
……不思議だわ。
こんなに強そうな魔族の方なのに、可愛らしいと感じるなんて。
「その俺の優しさとやらに、惚れてくれるか?」
心が動いたその瞬間に問われてしまったから、まるで心を読まれてしまったように感じて、わたくしも恥ずかしくなってしまう。
「はい。是非そうありたいと、心から思い始めています」
「そうか、そうか……!」
私の答えに、ズメイン様喜びを隠しきれないといった様子で微笑む。
だからわたくしも、自然と笑顔になった。
すると、どこから取り出したのか、ズメイン様の手の中にコロリと指輪が現れた。
「今日の誓いの証として、受け取って欲しい」
改めて私の手を取って、ズメイン様はその指輪を私の左薬指に嵌める。
日光を反射して、まるで闇の結晶のようなその石はいっそう深く暗く輝いた。
「ズメイン様の色……素敵です」
指輪に嵌め込まれた宝石はおそらく強い魔力を含んだ魔石で、それは魔王家としての格式に則ったとても価値があるものなのだと、分かる。
けれども、格式や高価さ自体よりも、その色と輝きがズメイン様の髪と瞳の闇色そのもので、それを身につけることを許された事実が、まるでズメイン様のお気持ちそのものを贈って頂いたみたいで……。
「ふ、やっと、笑った顔を見せてくれたな」
嬉しい、と思った途端に、指摘されてしまった。
恥ずかしい、すっかり表情に出ていたみたいね……。
「愛する方の色をこの身に纏うことは、わたくしにとって長年、手が届かない憧れでした。だから、嬉しくて……」
「そうか……。俺がしたことにヨランダが笑ってくれる、それだけで、こんなに嬉しくなるものなのだな」
その呟きとともに、オニキスのような漆黒の光沢を放つその瞳が柔らかく私を見た。
「魔王国は、人の身には多少厳しい場でもあるが……。ヨランダの美しい瞳は、なるべく穏やかで美しいものだけを見ていて欲しい。そのためなら、俺はどんなことでもして守ってみせよう」
ズメイン様はそれからすぐに陛下と話をして。
そして話し合いの結果、私とオーウェン殿下の正式な婚約破棄、そしてズメイン様との婚約発表は今週末行われる王家主催のパーティにて公表されることになった。
「念のために、ヨランダの番人に少し我が魔力を与えておこうか」
別れ際、ズメイン様はそうおっしゃって私の水魔法の力の現れである、スライム状の番人様に、力を与えて下さった。
これはヴァーデルの血統の娘の前にだけ現れる「守護者」で、この守りがあるからこそ、わたくしも水魔法使いとして大きな力を振るえるのだ。
◇
そして、パーティ当日。
朝から雨が降り続いていた。
まるで祝福の拍手のように、雨音はずっと途切れることなくこの耳に聞こえ続けていた。
わたくしはお父様のエスコートで入場しているし、当然のように殿下はノーリーン様をエスコートしていらっしゃった。
オーウェン殿下の、火炎のような鮮やかな髪色と金の瞳の色に合わせるかのように、ノーリーン様のドレスも華やかな朱赤に見事な金糸の刺繍が輝く。
そして、オーウェン殿下も、身に纏っているのは王家の格式に沿った衣装ではあったけれど、ノーリーン様のピンクブロンドの髪とブルーの瞳、それとほぼ同じ色の宝石であつらえた耳飾りをつけていた。
ノーリーン様のドレスの金糸の刺繍は、この国の紋章である「いばらに獅子」のいばら。
その意匠を使えるのは王族の妻だけ。
オーウェン殿下の耳飾りも、愛の証に愛する者の色の宝石を耳に飾るという、この国の貴族男性の伝統。
それはかつて、わたくしが強く憧れていたもの、そして今は、全く必要ががなくなったもの。
婚約者であった私には、どちらも殿下の意向で許されなかったわね。
それだけ、二人は愛し合っていらっしゃるってことね……。
大勢の貴族たちが、わたくしたちを囲むようにしてざわめいている。男爵令嬢のドレスの意匠と、公爵令嬢と、殿下、三者の顔を見比べて。
まるでこれからこの三人の間で何が起こるのかを察しているかのように。
勇気を頂くかのように、自分の指を見つめた。
わたくしもまた、わたくしを愛して下さっている方の色を、身に付けている。
だから――この先の展開を、もう恐れはしない。
そして貴族たちが想像した通り、キッとわたくしを見据えたオーウェン殿下は宣言した。
「ヨランダ・ヴァーテル!!私は貴様と婚約破棄し、ノーリーン・ウォムブラント嬢と新たに婚約を結ぶ!!貴様のようなジメジメと気持ち悪い令嬢、耐えられるものか!」
その途端、貴族たちは一切の私語を慎んで、事態を見守る状況となった。
しんと静まり返った中、雨音だけがずっと響いている。
陛下は、私とオーウェン殿下の婚約が解消される手筈だという話を、殿下本人にはまだしていないらしい。
きっとそれは、この場に確実に2人を呼び寄せるため……。
私は二人の前に進み出て、カーテシーをする。
正式な作法に則った、王族に対する挨拶。
18歳になるまでの約10年ほど、将来王妃になるのならと、幼い頃から必死に学んできたものだ。
けれども、その積み重ねた学びも、オーウェン殿下には何一つ届かなかった。
その過去を吹っ切るように、私も殿下の言葉に応える。
「ご自分の意志で決められたのですね。それならば、私はこの婚約破棄を受け入れましょう」
この方たちとこうして話すのも、きっとこれで最後。
魔王様に水をかけたノーリーン様に対しては、魔王国から引き渡し要求がされているそうで、ここで拘束した後に魔王国なりの方法での処罰が行われることになっている。
そして、オーウェン殿下も……。
「陛下。本当によろしいのですね?」
私は王族席の一番奥、この国を統べる国権の最高権力者、そして殿下の父であらせられる陛下に最後の確認をする。
「……ああ。かまわん。もう」
答えられた陛下も、王妃様も、第二王子のジャック様も、悲しみに沈んでいる。
とうとう泣き出してしまった王妃様の嗚咽が雨音に混じる。
「オーウェン。我が息子よ。お前は最期まで、手がかかる息子であったな」
ため息混じりの陛下の語りかけは、とっくに別れが前提で、私の胸も傷む。
痛むけれど……それでも、魔王妃となる私が王国からの正式な使いとして、オーウェン殿下とノーリーン様を魔王国に引き渡す必要があった。
「父上……?さいご?一体、何を仰って」
「ヴァーテルとの盟約を果たさぬという言葉、二言はないのだろう?」
「はい!私は命を賭けてこのノーリーンとの愛を貫きます!」
殿下たちはまだ、自分たちが置かれた状況を理解していない。
これが最後の機会だったのに。
ノーリーン様と別れるなら、殿下は命までは失わずに済んだのかもしれない。
けれども、反省もしないしノーリーン様を諌める気もないと、ここで示してしまった。
「……そうか。撤回はなしか」
陛下も、これで吹っ切れてしまったらしかった。
王妃様の嗚咽がひときわ大きくなる。
ジャック殿下は意思を固めた表情で斜め下を見ていた。
居並ぶ貴族たちもうつむいている。
「命を賭けるか。よろしい。第一王子・オーウェンは廃嫡とする。よってこれより第二王子・ジャックを王太子とする」
「は?」
宣言した陛下の言葉を、やっぱりオーウェン殿下は理解できなかったようで。
大きく見開かれた目が、何度も瞬きを繰り返す。
隣のノーリーン様も同じように驚いていた。
「ち、父上?!何故私が廃嫡に?!」
「愚かなオーウェンと男爵令嬢よ、この期に及んでも理解はしておらぬか」
陛下自ら、「何故血を分けた息子に処分を下すのか」の詳細を説明されるさまが、居たたまれない……。
「ヴァーテル家はかつて魔王・ズメインに愛された娘の一族。ヴァーテル家の娘は必ず王家か魔王領に嫁ぐ。それが王家・魔王・ヴァーテル家、三者の間で交わされた盟約。例外は一切認められない。ヴァーテル家を貶めることとは、魔王の妻を貶めることに等しい」
そう、単に私を貶めたからという理由のみで、オーウェン殿下は死に至る。
けれども、私はもう、泣いたり不安そうな表情にはなったりはしない。
魔王妃としてふさわしくないから。
「しかし、お前たちはヨランダ嬢を貶め、冷遇した。見よ。天が震えている。魔王・ズメインの怒りの現れであろう」
ズメイン様の名を陛下が口走った、その瞬間だった。
激しい雨音と空気が震えるほどの音、そして強い稲光が会場内を照らし、そして、一切の明かりが消えた。
天井のシャンデリアだけでなく、部屋の各ポイントを照らしていた明かりも。
闇が辺りを支配する。
やがて宮廷魔法使いの方々が呪文を唱えて、最低限の明かりが戻ってきた。
「我は王として、この国の未来のために、我が息子とその娘の命を捧げると決めた」
「な……っ、バカな!我らを切り捨てるおつもりですか、父上!」
「ヒッ、命を……!?」
薄明かりに照らされる、決して父ではない、王としての陛下のお顔……。
陛下がその視線を、横に控えていた近衛騎士隊長に投げる。
すると指示が出されて、騎士たちがオーウェン殿下とノーリーン様を囲み始める。
貴族たちも、それを沈痛な面持ちで見守っていた。
「ヴァーテルを国母として選ばず、次の王としてふさわしい振る舞いをも選ばなかった。盟約は貴族学園の教育課程にさえ含まれているというのに。まさか知らなかったなどというのではあるまいな、オーウェン?」
ヴァーテル家に関しては、教科書に書いてある。
ただ、わたくしは自分でもその記述の意味を理解していなかった。
お父様からは「嫁入りの年には必ず、理解できていない者が炙り出されるそうだ」と聞いていたけれど、本当にそうなるなんて思っていなかったし、その「理解できていない者」の中に殿下が含まれるとも、思いたくなかった……。
「ヴァーテル家は魔王の寵愛を受ける、この国の筆頭公爵家である。この事実はゆめゆめ忘れず、子々孫々まで伝えるべし」
「「「「「ヴァーテル家は魔王の寵愛を受ける、この国の筆頭公爵家である。この事実はゆめゆめ忘れず、子々孫々まで伝えるべし」」」」」
でも。
陛下の声に合わせて、貴族たちが唱和する。
教科書の記述通りに。
大勢の人々による合わさった唱和はビリビリとした響きで、わたくしは感激に震える。
「皆様……」
唱和することで、たくさんの方がわたくしとヴァーデル家を肯定して下さっているのだと伝わってきて、また少し勇気を頂いた気持ちになる。
「学ぶこともなく、傲慢に振る舞ったお前たちこそが、自らこの国の王族として生きる未来を捨てたのだ。魔王を怒らせたそなたたちの後ろ楯となる者は、もはやこの国のどこにもいまい」
皆様の視線が、陛下が言う通りだと語っていた。
もし殿下が先にわたくしに婚約破棄の手続きを提案して下さった上でノーリーン様を選んだなら、わたくしは悲しくてもそれを穏便に受け入れた。
けれども、不実の証拠を先に龍魔王様直々に握られてしまっては、どうしようもない。
「くっ……まだだ、逃げるぞ、ノーリーン!」
オーウェン殿下はノーリーン様の手を引いて、テラスに向かおうとする。
すると、陛下が私に頭を下げられた。
「……全く、手がかかる息子たちで、すまぬな。ヨランダ嬢」
「いえ。それでは陛下、御前、失礼致します」
私は陛下の前から辞して一歩前に出てから、番人様にお願いする。
「……番人様。『嘆きの水牢』」
そう唱えると、大きく膨らんだ番人様が、そのスライム状の膜の中にオーウェン殿下とノーリーン様を包み込む。
「ぶはっ、ガボッ……!!」
水牢と名付けられた通り、膜の内側には水が満たされているため、2人はガボガボと口から空気を吐き出しながら息を乱して必死に暴れていた。
「ぎゃあ、ぐぶ、あ、ああ!!」
「いだいっ、ふぐっ、いだい、いだい……!!」
「うああっ、溶ける!」
「顔が、私の、可愛い、顔が……!」
切れ切れに悲鳴が聞こえる。
けれども、逃がせない……許せもしない……。
2人の捕縛は、魔王国側から魔王妃となるわたくしに要求された、忠誠心を確認するための試験でもある。
お父様にも「ヴァーテル公爵令嬢としての力と、ズメイン様への忠誠を示せ」と言われている……。
――と、そこまで考えたところで、わたくしはふと首を傾げた。
あら……?
番人様、透けていない?
これまでなら、番人様の中は透けて見えていた。
けれども、今は白くミルク状に濁っていて、中は見えない。
もしかして、先日ズメイン様が力を与えたことで性質が変化したのかしら?
けれども、対象を捕獲することは変わらずできているので、私はほっとする。
このまま魔王軍の四天王の方にしっかり引き渡さないと……。
「やめよ、ヨランダ」
突然、声が響いた。
背後から。
だから一瞬、びっくりして集中力と魔力が途切れそうになってしまう。
「まぁ。ズメイン様。いらしたのですか」
「ふ、一刻も早く、お前を我が城に迎えたかったからな」
耳元の声が、甘いわ……。
皆様が見ていらっしゃるのに……。
思わず頬が赤くなってしまう。
けれども、深い闇色の瞳は直後、スッと冷たく細められた。
「そして、もののついでに、愚か者の顔を拝みにきた。国王よ、この件、俺が預かる」
「御意に。魔王様」
陛下に対しても、毅然とおっしゃるズメイン様。
そうすることで「王太子だとしても、盟約を破る者に救いはない」と示していらっしゃるんだわ……。
ズメイン様は番人様の水の膜の向こうに視線を投げた。
「ほう、貴様らか。俺のヨランダの顔を曇らせたのは。そして学園の中庭での逢瀬を水を差して邪魔したのは、女、お前だな」
白濁りの向こうはこの場の人間の誰も見通せないけれど、ズメイン様にはお見通しみたい。
ズメイン様はその人差し指で、番人様の真下に巨大な魔法陣を描く。
するとそこに、巨大で重々しい金属製の扉が召還された。
「我が魔王妃・ヨランダよ、その者どもを寄越すがいい。俺が自ら処断してやろう。あらゆる責め苦を受けさせてやる。なに、この扉は特殊な空間に繋がっていてな。時間は永遠にある……」
ゴゴゴ、ときしみながら両開きの扉が開く。
これがわたくしの魔王妃としての、最初のお仕事なのね……。
そう察したわたくしが番人様を操って扉の奥にお2人をお送りすると、すぐに大きな金属音を軋ませながら扉は閉まって、魔法陣も消えてしまった。
「魔王様とヴァーテル家と我が王家に祝福あれ。この国にとこしえの祝福あれ」
「「「「「魔王様とヴァーテル家と王家に祝福あれ。この国にとこしえの祝福あれ」」」」」
皆様が唱和する。
それは魔王家にヴァーデルの者が嫁ぐ時に必ずこの国の王家と貴族から贈られるという、祝福の言葉。
「ヨランダ。お前はこの俺のものだと、この国の王家と貴族が認めた。これで正式に婚約が成ったことになる」
「ええ」
差し出されたズメイン様の手。
エスコートのためのそれが、とても嬉しい。
皆様に祝福されている今は、増して。
指先に落とされたズメイン様のキスが心にくすぐったくて、私は自然と微笑んでしまう。
「俺と……魔王と共に、生きてくれるか?」
どこか不安げな問い。
その呼び掛けに、わたくしは深くうなずいた。
じっと目を見つめてくる必死さに、私の中でも「この方を愛しい」と思う気持ちがあふれて止まらなくなる。
魔王はその強さで多くの魔族たちを従え、魔王国を統治していかなくてはならない。
そんなこの方を魔王妃として隣で支えて、共に生きていきたい……。
これが今、新たに生まれた、わたくしの夢となった。
だから、わたくしはその気持ちを伝えたくて、触れ合うズメイン様の指先をぎゅっと握り返した。
「この命続く限り、お側にありたく思っております。ズメイン様」
「ああ、ヨランダ……愛している。もう離さない」
ふわ、と心から安心したと言いたげにズメイン様は微笑んで、わたくしの唇にそっと触れるだけのキスを落とした。
雨の音は変わらず、祝福の拍手のように、遠くこの静寂に鳴り響いていた。
【おわり】
面白いと思って頂けましたら★~★★★★★で評価お願いします。
※この作品を男爵令嬢・ノーリーン視点で描いたホラー短編「それは私が王妃となる日の話」はこちら→
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