第17話 魔王、現る
黒い霧が夜の空に満ちた。
その空間は、風が止まり、匂いが凍る。
そんな中、勇者はひとり、パンを焼いていた。
火のそばで、真剣な目でこねた生地を成形し、オーブンにくべる。
「……この膨らみ。悪くない」
「最後の仕上げは、世界を焼く覚悟だ」
「――そうか。ならば、その覚悟をこの我が確かめよう」
静かに、闇の中から一人の男が現れた。
黒衣に身を包み、地を踏むたびに空気が震える。
目を合わせた瞬間、誰もが「これはただ者ではない」と理解できるほどの“圧”。
「……貴様が、パンで七つの街を救ったという、勇者か」
「……焼きたてだが、いるか?」
「聞いてるか!? 私は魔王ディアボロスだ!!」
「魔王……そうか、君が。パンを踏みにじった張本人か」
「いや、別にパンだけを狙っていたわけでは――」
「……地獄で焼かれたいようだな」
「話が飛びすぎて怖いんだが!?」
⸻
「だが、なるほど……貴様が“パンで討伐している”というのも納得だ。異常な気配を感じる」
「粉は魂。酵母は生命。そして――バターは暴力だ」
「誰か今の訳してくれ!!」
「勇者よ……お前は、なぜパンで戦う?」
「なぜ? パンしかないからだ」
「……真顔で言うな、怖いから」
「お前が滅ぼした谷の村……最後に残されたパン屋の炉から、俺は生地の声を聞いた」
「えっなにそれオカルト?」
「……『焼かれたがっていた』」
「もうやめて!そのパン霊感エピソードやめて!!」
「次に会うときが最後だ。貴様の、パンという“愚かなる執念”――この手で終わらせてやる」
「ふむ、ならその時までに……新しい粉を試しておこう」
「……最後まで聞けや!!」
魔王は苛立ちの声を残し、黒き翼を広げて空へ消える。
その手には、いつの間にか――
勇者が焼いた焼きたてのバターロールが握られていた...
村人(心の声):
「結局パン食って帰ってるじゃねぇか」
「ていうか、敵の陣営も焼きたてに弱すぎでは?」
「……魔王すらパン屋のペースに巻き込まれる世界って何……?」