最悪のファーストコンタクト
大通りの賑わいを置き去りにして、私――エリーゼ・フォン・アストラーゼは、迷宮のように入り組んだ路地裏を奥へ奥へと進んでいく。
先導する従者のシルヴィアに置いていかれないよう、普段の歩調以上の速さで足を前に出していく。
まだ昼過ぎだと言うのに、周囲は乱立する集合住宅群により薄暗く、そして何より埃っぽくて、それだけでむせ返りそうになる。
生まれてから十七年もの間、この王都で生活して来たが、このような場所が本当に存在していることに驚きを隠せなかったし、ましてや自分がこのような場所に足を踏み入れることになるとは思いもしなかった。
「お嬢様」
物珍しさに周囲へ視線を巡らせていると、前を歩くシルヴィアが落ち着いた、それでいてどこか棘のある口調で呼び掛けてくる。
その短い響きだけで、彼女から教育を受けた身が縮こまってしまう。
シルヴィアがこちらを叱責する際にいつも放ってくるトーンに身構えていると、案の定彼女の口からは、
「あまり挙動不審にならないでください。素性を隠していても余所者だとすぐにバレてしまいます」
事前の説明をもう忘れたのですかと、トドメの一言で返す言葉をなくしてしまう。
これから私達が向かう場所のことを考えれば、シルヴィアの危惧は理解出来る。
貧民街。それは、王都の外周部や平民街の一角に存在するとされる無法地帯――華やかな王都に潜む闇の側面と呼べる場所に足を踏み入れようとしているのだ。
余所者、それも貴族の身分と知られたら、何をされるか分かったものではないと、シルヴィアから再三にわたって忠告されていたことを思い出す。
貴族としての装いを隠すために薄汚れた外套を羽織っているので、側から見ればカモフラージュは出来ているのだろうが、物陰からこちらの様子を伺っている視線に気付き、危機感がようやく機能し始める。
改めて首元で生地を握り締めフードを目深に被りなおす。
視線は少し先の足元――シルヴィアの下半身を捉える位置で固定する。
「到着いたしました」
石畳に靴音響かせること十数分。シルヴィアの動きが止まったことで目的地に辿り着いたことを悟る。
顔をもたげさせて、脇に寄ったシルヴィアより前に歩み出る。
路地の突き当たりに位置するそこには、一軒の家屋が佇んでいた。
年季の入った木造住宅で、その入り口にはこれまた時間の流れを感じさせてくれる看板が掲げられていた。
「よろず屋、テンペスター……」
刻まれている文字を口に出し、ここが目的の場所であることを確認する。
巷で噂されている、貧民街の解決屋。報酬さえ支払えば、種族や身分に囚われずに依頼を請け負ってくれて、その達成率は100%と評されているらしい。
――流石に盛りすぎじゃないかしら……
胡散臭さを感じずにはいられなかったが、今の私は手段を選んでいる場合ではなかった。
それに、困り果てた私を鑑みて、風の噂で聞き付けたらしいよろず屋のことを教えてくれたシルヴィアには全幅の信頼を寄せている。彼女がわざわざ教えてくれたのだから、多少怪しくても滅多なことはないはずだと思いたい。
「よろしいでしょうか?」
目の前の家屋を見上げたまま、動きを止めてしまっていた私を促すようにシルヴィアが声を掛けてくれる。彼女へ振り返り、小さく頷いてみせる。
「では、参りま――」
シルヴィアの声が途切れたかと思うと、彼女がこちらを庇うように私の前へと躍り出る。
何事かと心配になるが、その原因はすぐさま判明することとなった。
「――――! ――――!?」
「――――――――!!」
よく聞き取れなかったが、建物の中で誰かが叫んでいるようだった。
ただならぬ何かが起きているのではと身構えたところで、中から何かが破裂する音が聞こえてきた直後、
「煙!? まさか火事なんじゃ――」
扉や窓の隙間から煙が漏れ出てくるのを見て、思わずシルヴィアの腕にしがみつく。
だけど、慌てるこちらとは裏腹に、シルヴィアは落ち着いた様子で、状況を正しく見極めようとしているようだった。
中にいる誰かと誰かが言い争っているような様子が耳に入ってきて、いよいよ何か対応を迫られるのではと感じたところで、
「――――ッ!?」
勢いよく開け放たれた扉の音に全身を跳ね上がらせていると、
「お嬢様!」
シルヴィアの鋭い呼び掛けが届いたかと思うと、彼女がこちらを覆い被さるように何かから守ろうとしてくれるのが見えた。
何が起こっているのか分からない状況で、突如身体全体に何かがぶつかるような衝撃を受けた。
シルヴィアの身体越しに伝わってきた強い衝撃に、為す術もなく吹き飛ばれる。
「な、何が……起きたの?」
地面に打ち付けられる覚悟をしたが、どうやらシルヴィアがこちらを抱きとめてくれたお陰でか、痛みが襲ってくることはなかった。
状況を確認しようと、横たわった身を起こそうとしたら、
「ギド爺のやつ無茶しやがって――って、悪いな嬢ちゃん、どこも痛くはねぇか?」
「え……?」
予想していなかった声に思わず息を呑む。
先程からの煙が周囲に充満してきたせいか、周りがよく見えない状態だけど、声の主がシルヴィアではない誰かであることは確かだ。シルヴィアはこんな口調ではないし、そもそも声の低さからこちらを抱きかかえてくれているのが男性であると理解する。
おそらく、こちらにぶつかってきた人物が、こちらに怪我をさせまいと庇ってくれたのだろう。
「あ、ありがとう……」
「――いや、礼なら十二分に受け取らせて貰ってるぜ」
「どういうこと――ぅ、ん!?」
男性の言うことがよく分からず、問い掛けようとしたところで、不思議な感覚が全身を駆け巡り、言葉を紡ぐことが出来なかった。
――な、何なの、これ!?
今まで経験したことのない感覚に、戸惑いが隠せない。
心臓――胸の辺りから全身の至る所にまで走る何かに怯えていると、次第に煙が晴れていき、
「むしろ、礼を言うならこっちの方だな」
視界が明確になってきたことで男性の姿をはっきりと捉えることが出来た。
中性的な顔立ちに、見るからに手触りが良さそうな銀髪。夜明け前の空を連想させる深い瑠璃色の瞳がこちらを見つめていて、気恥ずかしく感じてしまい、思わず視線を逸らしてしまう。
そこでようやく気付いたことがある。
私を抱きとめてくれていた彼の右腕が、こちらの胸を鷲掴みにしていることに――
そして、
「素晴らしいぺぇを揉ませてくれてありがとな――だから思いっきりやってもらっても、構わねぇぜ?」
股間を覆う下着一枚だけというあられもない姿に、防衛本能が全力で警鐘を鳴らしてくる。
目一杯に空気を吸い込んだ肺から絞り出すように声を張り上げて、不安定な体勢でありながらも、渾身の一撃を放つ。
「いやあぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーー!!!!」
頬を張る音が薄暗い路地裏に反響していく。
これが、私とラウル・テンペスターとの全くもって運命的ではない、物語の幕開けだった。




