準備
交渉が終わり、一息つく間もなく、シマが口を開いた。
「疲れているところ悪いが、報告がある」
マリウス、アンソニー、カレマルがシマに視線を向ける。
「明日くらいには、例の奴らがリーガム街にやってくるだろう」
シマの声には、冷たい怒りが滲んでいた。
「イグアス・フォン・アンヘル第二王子、スニアス侯爵家の親書を携えた商隊だ。……中身は奴隷だ」
一瞬、空気が張り詰める。
「鉄格子の中に入れられていた。およそ20~25人、5台の馬車に分けられてな。」
沈黙が落ちた。
「……どこでその情報を?」
アンソニーが慎重に問いかける。
シマは短く答えた。
「実際に確認した」
アンソニーは目を見開き、カレマルも椅子の背にもたれながら驚嘆の息を漏らす。
「……本当に君たちには驚かされてばっかりだよ」
マリウスが苦笑しながらも、シマの言葉を疑う様子はなかった。
「シマがそういうのなら間違いないね」
マリウスはすぐに次の行動を決めた。
「領軍団長マニー・シモンズ、副団長ギーヴ・コーエン、リーガム領憲兵司令官・クリヤー・シャハリにも伝えた方がいいね」
彼は側近の三人を見て、指示を出す。
「呼んできてくれ。せっかくだから昼食がてら話をしよう」
側近たちは頷き、すぐに部屋を出ていった。
マリウスは疲れた顔をしながらも、すぐに思考を切り替え、シマに問いかける。
「馬車の中にいた奴隷たち……年齢層は?」
「子供が中心だった。10歳以下が半数近く。男女混ざっていた」
「……最悪だな」
マリウスが顔をしかめた。
カレマルが腕を組みながら唸る。
「第二王子の名を使っているということは、王都の貴族絡みか?……面倒な話になりそうですなぁ」
「スニアス侯爵の名前も出ている以上、ただの商隊ではないでしょう。王都や他領との繋がりを警戒すべきだろう」
アンソニーが渋い顔をする。
「……違法業者か、それとも抜け道を使っているのか…親書を携えているというのが厄介ですな」
「それを調べるのが憲兵と軍の役目だ…だけど心配いらないよ」
マリウスは静かに言った。
「そのことは昼食を取りながらしっかり話し合おう。その後、役所に行って富くじに関する正式な書類を作成し、締結する」
領主館の会議室に静かな緊張感が漂う中、マリウスは執事長クレメンスに目を向けた。
「例の物を」
クレメンスは深く一礼し、すでに用意されていた品を持ってくる。
彼がテーブルの上に置いたのは二つ。
ホルダー男爵家の家紋付きの身分証明書と100金貨。
マリウスはそれを軽く押しやり、シマの方を見た。
「約束したものだ」
シマは無言のままテーブルの上に視線を落とし、手を伸ばす。
エイラが素早く金貨を数え、シマは身分証を手に取る。
一枚ずつ確認しながら、名前を読み上げる。
「シマ、ジトー、ザック、クリフ、サーシャ、ケイト、ミーナ、メグ、エイラ、ノエル、リズ、ロイド、トーマス、フレッド、オスカー」
一通り確認した後、ふと眉をひそめた。
「……出身地がアンヘル王国リーガム領になっている」
シマは思わずマリウスを見た。
「どういうことだ?」
この世界では、身分証明書は発行された場所が記載されるということだった。
「……そうか」
シマはマリウスを見つめ、静かに言った。
「ありがとう」
「約束だからね」
マリウスは笑い、シマの手を握った。
そして、その時。
扉の向こうで、足音が響いた。
領軍団長マニー・シモンズ、副団長ギーヴ・コーエン、リーガム領憲兵司令官クリヤー・シャハリ。
マリウスは軽く手を振り、リラックスした様子で言った。
「形式ばった挨拶はいらないよ。席についてくれ。」
「ハッ!では失礼して。」
領軍団長マニー・シモンズを筆頭に、副団長ギーヴ・コーエン、リーガム領憲兵司令官クリヤー・シャハリが席につく。
彼らの動きは軍人らしく、無駄がない。
「まだ昼食は食べていないだろう? 今、用意させているから。」
「助かります、マリウス様。ちょうど腹が減っておりました。」
マニーが腕を組みながら言う。
そのやり取りを見ていたギーヴ・コーエンが、ふとアンソニー・ギデンズとカレマル・イガナに目を向けた。
「……お二人とも、お疲れのようですね…マリウス様もお疲れの様子だ。」
その言葉に、マリウスは苦笑しながら肩をすくめた。
「彼らと交渉が終わったところでね。」
「手強い相手でしたよ。」
アンソニーがため息混じりに言うと、カレマルが深く頷いた。
「毎回この様な交渉をしていたら、寿命が縮まりますな。」
会議室にはくつろいだ笑いが広がる。
昼食が運ばれるまで、しばし雑談が続いた。
その中で、シマがマリウスに話しかけた。
「大広場にあるステージのことは聞いているか?」
「ああ、その件なら問題ないよ。」
マリウスは微笑み、続けた。
「いっそのこと、そのまま残そうかと協議している。」
「そうか、それはいい考えかもしれないな。」
シマは軽く頷いた。
イベントのたびに設営する手間を考えれば、常設しておくのも悪くないだろう。
ちょうどそのころ、料理が次々と運ばれてきた。
焼き立てのパン、香ばしいロースト肉、新鮮な野菜のサラダ、スープ、そして果物の盛り合わせ。
マリウスの側近であるポプキンス、ハインツ、ビリャフも席につき、賑やかさが増していく。
エイラがふと躊躇いながらも言った。
「……ワインを頼んでもいいかしら?」
マリウスは少し驚き、興味深そうにエイラを見た。
「おや?晩餐会の時は飲まなかったのに。」
「ええ、ちょっと興味があって、酒場で飲んでみまして。そうしたら……結構いけたんです。」
エイラは少し照れくさそうに笑う。
「なるほど、それは良いことだ。では、皆で一杯やるとしよう。」
マリウスが笑顔で合図を送り、ワインが注がれる。
昼食を囲みながら、彼らの会話はますます弾んでいく。
昼食が進み、場がほどよく和んできた頃合いを見計らい、マリウスが重い話題を切り出した。
「さて――」
彼はナイフを皿に置き、場の空気を一瞬で引き締める。
「リーガム街に、違法な奴隷売買を行っている商隊がやって来る。」
この一言で、食卓にいた全員の表情が引き締まる。
「しかも、ご丁寧にイグアス・フォン・アンヘル第二王子とスニアス侯爵家の親書を持っているそうだ。」
マリウスはそこで一旦言葉を切り、ワインを一口含んだ。
「中身は確か……『馬車の中を検めるな、詮索するな』だったかな?」
そう言って、執事長クレメンスに視線を向ける。
クレメンスは無言で恭しく書簡を差し出した。
「今朝届いたものだ。ブランゲル侯爵家からね。」
マリウスは封を解き、書簡を広げると、ゆっくりと読み上げた。
「……『徹底的に検めろ。ケツは拭いてやる』」
その言葉に、領軍団長マニー・シモンズと副団長ギーヴ・コーエンは互いに目を見合わせ、苦笑いした。
「あの方らしいな……」
「実に分かりやすいお言葉だ。」
彼らは何度かブランゲル侯爵と関わっているらしく、その豪胆な性格をよく知っているのだろう。
そこへ、リーガム領憲兵司令官のクリヤー・シャハリが口を開いた。
「……で、いつ頃こっちに来るのでしょうか?」
マリウスは軽く頷き、静かに答える。
「明日には来るみたいだよ。」
「規模はどれほどのものですか?」
ギーヴ・コーエンが尋ねると、マリウスはシマを見る。
シマはナイフを皿に置き、落ち着いた口調で説明した。
「馬車10台。御者や護衛を含めて、およそ30人。」
「……?少なすぎないか?」
カレマルが眉をひそめる。
「ふむ……よほどの腕を持つ護衛たちなのだろう。」
マニー・シモンズが腕を組み、冷静に分析する。
しかし、シマは首を振った。
「違う。連中は、野盗と言っても過言ではない連中だ。」
「……ほう?」
マニー・シモンズとギーヴ・コーエンが興味深そうにシマを見つめる。
「戦い慣れしているかもしれないが、規律もなければ、傭兵団としてのまとまりもない。」
「つまり、統率は取れていないということか?」
ギーヴ・コーエンが確認するように尋ねると、シマは頷く。
「ああ。…この街で新たに護衛を集めるつもりらしい。」
その言葉に、場が再び静まり返る。
「……傭兵団の名前は分かるか?」
ギーヴ・コーエンが鋭く尋ねた。
「そこまでは分からない。」
シマの言葉に、マニー・シモンズは顎に手を当て、しばらく考え込んだ後、ゆっくりと頷いた。
「……ならば、こちらも迎え撃つ準備を整えなければな。」
「奴らがリーガム街に入る前に、捕まえたいな。」
マリウスが言うと、クリヤー・シャハリが頷く。
「憲兵隊に指示を出し、門前は封鎖しましょう。」
「それがいい。私のほうでも、護衛募集の情報を密かに探らせよう。」
カレマルが提案すると、ギーヴ・コーエンも同意する。
「領軍側でも、街の警戒態勢を強化しておく。」
「いいね。では、皆で役割分担をしていこう。」
マリウスは席を立ち、テーブルに地図を広げた。
「……さて、どう料理してやるか。」
彼の言葉に、誰もが真剣な表情になった。




