交渉とは
リーガム街の領主館会議室は、静かな緊張感に包まれていた。
部屋には、領主のマリウスを中心に、三人の側近、執事長クレメンス、使用人、メイド数名が控える。
加えて、商人組合代表のカレマル・イガナ、役所代表のアンソニー・ギデンズ。
そしてシマとエイラが一堂に会していた。
議題は——「富くじの運上金」
最初は和やかな雑談から始まったが、やがてマリウスの表情が真剣なものへと変わる。
彼はゆっくりと姿勢を正し、静かに口を開いた。
「——さて、本題に移ろうか」
部屋の空気が引き締まる。
「僕たちが協議した結果、結論を出した」
マリウスは一息つき、慎重に言葉を選びながら続ける。
「運上金は1%、支払い期間は10年間。
これはシャイン傭兵団へと支払われるものとする」
エイラは眉をひそめたが、すぐに問い質すことはしなかった。
マリウスはその反応を見越していたように、指を組んで話を続ける。
「理由は三つある。一つ目——20年間という契約は長すぎる」
「街の財政状況によっては、この契約が重荷になる可能性がある。
未来の財政のことも考え、無理のない範囲での契約にすべきだと判断した」
「二つ目——富くじの売上が増えれば増えるほど、君たちの取り分も増える」
「結果として、いずれシャイン傭兵団の影響力が男爵家の支配を脅かすことになりかねない」
シマは目を細めた。
「三つ目——いずれ他の領地でも同様の制度を導入するところが出てくる」
「つまり、リーガム街だけの特権ではなくなるということだ。
その時に、この契約が基準として縛りになってしまう可能性がある」
言い終えたマリウスは、視線をエイラへ向ける。
「以上が、1%・10年間という決定の理由だ」
エイラは微かにため息をつき、口を開いた。
「……ご指摘の通りですし、言いたいこともわかります」
そう前置きしつつも、彼女の目には不満が滲んでいる。
「——ですが、こちらが要求した額の半分というのは、いささか横暴ではありませんか?」
エイラは冷静な口調で続けた。
「『絶対に損することがない』富くじというものを提案したのはこちらです。
運用方法、注意点をすべて教え、安定した利益を約束したのですから、もう少し加味していただいてもよろしいのではないでしょうか?」
商人組合代表のカレマル・イガナが口を挟む。
「君たちの貢献は認めるが……君たちの影響力が強くなりすぎることを懸念している」
「財政を支える重要な資金源を、民間勢力が握るというのは危険な話だ」
すると、役所代表のアンソニー・ギデンズが穏やかな口調で口を挟んだ。
「……この件については、役所としても非常に感謝しています」
「しかし、自治領の統治者としては、マリウス様のお考えも十分に理解できます」
エイラは静かに考え、少し間を置いてから言った。
「ならば、こちらも提案をさせていただきます」
彼女はマリウスをまっすぐに見据える。
「私たちは富くじの運営に一切関与しない」
「その代わり、運上金を2%、支払い期間は20年間ではいかがでしょう?」
マリウスは目を細めた。
「……ふむ、つまり君たちは運営から完全に手を引くが、取り分は増やすということか」
「はい」
「しかし、それでは君たちが長期的に利益を得る形になる。
その影響力は、逆に長く続くことになるのでは?」
「それは領主館側の管理次第でしょう」
「……ほう」
エイラは微笑みながらも、一歩も引かない。
「富くじの管理を完全に領主館に移し、私たちは資金を得るだけの立場になります。運営に関与しなければ、私たちはただの受益者であり、政治的影響力はほとんどなくなります。ですが、その分のリスクも増えます。運営の仕方によっては売上が下がる可能性もありますし、私たちにはもはやそれを改善する手立てがなくなります。ならば、私たちの取り分を増やすのは当然ではありませんか?」
エイラの提案に、マリウスはじっと考え込んだ。
これは単なる金の話ではない。
——どちらが、長期的により大きな影響を持つか。
静謐な空間の中で、今まさに言葉の戦争が繰り広げられていた。
ひとつの失言が命取りになりかねない。
慎重に言葉を選び、隙を見せず、相手の矛盾を探し、突く。
交渉の構図は明確だった。
マリウス(領主代行)、アンソニー・ギデンズ(役所代表)、カレマル・イガナ(商人組合代表)
対
エイラ。
言葉はあくまでも丁寧だ。
しかし、その裏では容赦ない攻防が繰り広げられていた。
時間が経つにつれ、部屋の空気はさらに張り詰めていく。
一時間が経過した。
交渉は一歩も譲らないまま膠着状態に陥る。
その時、執事長のクレメンスが静かに言った。
「……一息入れましょう」
一瞬の沈黙。
その後、まるで張り詰めた弦が解けたように、マリウスたちは大きく息を吐いた。
「……そうだね」
マリウスがようやく頷く。
会議は休憩に入ることになった。
マリウス、アンソニー、カレマルは、それぞれの席を立ち、離れた席に腰を下ろした。
マリウスは自分の額を拭う。
いつの間にか汗が滲んでいた。
カレマルが軽く笑いながら呟く。
「……手強いですな」
アンソニーが大きく息をつきながら頷く。
「ふぅ~、これが本当の交渉というやつですか。息が詰まるとはこのことですな」
マリウスは静かに手を組み、目を閉じる。
「……正直、君たちがいて助かったよ」
本音だった。——僕一人では……危なかった……!
相手が悪すぎる。
エイラの交渉術は鋭く、冷静で、時に大胆だった。
まるで交渉そのものを楽しんでいるかのように見えた。
そんな中——エイラは優雅にお茶を飲んでいた。
まるで何事もなかったかのように、上品な仕草でカップを傾ける。
それを見たシマは、苦笑しながら呟いた。
「……エイラ、悪りぃな。この場では力になれそうもねぇ」
エイラはちらりとシマを見て、微笑む。
「……ってか、お前楽しんでねぇか?」
シマの指摘に、エイラは目を細めた。
「——あら?」
カップを置きながら、彼女は微かに微笑む。
「そんな風に見えた?」
彼女は静かにシマの目を覗き込む。
その表情には、自信と余裕が滲んでいた。
「……そうかもしれないわね」
そして、ふっと楽しそうに笑う。
「交渉は任せて」
シマは苦笑しながら頷くしかなかった。
休憩が終わると、再び交渉の場に戻る。
マリウス側とエイラ側、それぞれの主張はすでに出し尽くされた。
次に求められるのは——「妥協点の模索」
互いの利益を守りつつ、どこで折り合いをつけるのか。
第二ラウンドが始まってから、さらに二時間。
激しい攻防が繰り広げられた。
言葉の刃が交錯し、互いの譲れぬ点を主張し合う。
時には静かな沈黙が走り、
時には笑顔の裏に鋭い探り合いがあった。
そして——ついに、妥協点が見出された。
運上金は2%
- 支払い期間:10年間
- シャイン傭兵団は、ホルダー男爵家から年間売上の2%を受け取る。
富くじの運営権
- ホルダー男爵家が主導する。
- シャイン傭兵団は運営には関与せず、表向きは男爵家主導の事業とする。
- ただし、運営に関する改善点や意見を求められた場合、シャイン傭兵団は無償で協力する。
- これにより、表立っての影響力を抑えつつ、間接的な影響を維持する形となった。
他領への拡散禁止
- 今後10年間は、他の領地に富くじの仕組みを広めない。
- これはマリウス側が特に強く主張した条件だった。
- 富くじの成功が広まれば、他領も導入を求める可能性がある。
- そうなれば、ホルダー男爵家の収益が減り、シャイン傭兵団の取り分も減る可能性があった。
- しかし10年後は、この制約は消える。
長きに渡る交渉が終わり、ようやく会議室に静寂が訪れる。
マリウスは深く息を吐いた。
「……長かったな」
アンソニーもカレマルも、どっと疲れたように背もたれに体を預ける。
「いやはや、まるで戦場でしたな」
カレマルが苦笑しながら呟く。
「戦場より疲れるかもしれん」
アンソニーが冗談めかして言うと、マリウスも苦笑した。
彼らのシャツは汗で背中に張り付いており、精神的な疲労が色濃く出ていた。
その一方で——エイラは相変わらず優雅にお茶を飲んでいた。
まるで戦いの余韻すら感じさせない落ち着きようだった。
シマはそんなエイラを見て、呆れたように言う。
「……お前、本当に楽しんでただろ」
エイラはカップを置き、軽く微笑む。
「さぁ、どうかしら?」
そして、静かに言った。
「……まぁ、悪くない結果だと思うわ」
「だな。」
マリウスたちにとって、今回の交渉結果はほぼ勝利と言えるものだった。
運上金を2%に抑えた
富くじの運営権を独占した
他領への拡散を防いだ
一方で、シャイン傭兵団にとっても悪い結果ではなかった。
運上金の支払い期間を10年間で固定した(将来的な交渉の余地を残す)
間接的に富くじ運営に関われる立場を確保した
10年後には他領への展開が可能となる
双方が譲歩し、納得のいく形で交渉がまとまったのだった。
交渉が終わり、マリウスは椅子から立ち上がった。
「……とにかく、合意に達したな。お疲れ様」
シマもまた、ゆっくりと立ち上がる。
「エイラ、お前すげぇな。」
シマは心からそう思った。
言葉の剣を巧みに操り、マリウスたちを翻弄し、最善に近い結果を引き出した。
エイラは肩をすくめる。
「当然よ。交渉は戦いなのだから」
彼女のその言葉に、誰も反論できる者はいなかった。




