動き出す
夕暮れのリーガム街——広まる疑惑
リーガム街に暮れる夕日が差し始めるころ、街中では奇妙な噂が飛び交っていた。
「教会の神父は寄付金を着服しているらしい」
「救済孤児たちに食べ物を与えていないそうだ」
「神父が太っているのは、実は贅沢なものを食べているかららしい」
誰が言い始めたのかはわからない。
しかし、その噂は瞬く間に街の隅々まで広がっていった。
「だから孤児たちはあんなに痩せ細っているのか…」
「私たちが寄付したお金や食材はどこへ行ったの?」
「俺たちは神父を肥えさせるために寄付したわけじゃねえぞ!」
怒りを募らせた住人たちが、次々と教会へ向かい始める。
初めは数人だったが、次第にその数は増え、やがて群衆となった。
「神父を出せ!」
「寄付金の使い道を説明しろ!」
教会の前では住人たちの怒号が飛び交う。
扉の内側からは、神父が怯えた様子で助祭と話し合っている声が聞こえた。
「どうする?このままでは…!」
「ひとまず門を閉めておきましょう…」
しかし、一度燃え上がった不信感は簡単には消えない。
酒場に響く怪しい話
一方で、リーガム街のとある酒場では、もう一つの噂が広まりつつあった。
「ドノバン家宰とルダミック商会、ドロコソ商会、商人組合が結託して街の経済を混乱させようとしてるらしい」
「ルダミック商会って王都の大商会のことか?」
「そうみてえだな。そことドロコソ商会、商人組合が手を組んでるみたいだぜ」
「ドロコソ商会か…あそこならやりかねえな」
「前から評判が悪かったしな」
ルダミック商会は王都でも名の知れた大商会。だが、ドロコソ商会は悪評が絶えない。
「そんでよ…でけえ声じゃ言えねえが、こんな話もある」
「…?」
「家宰のドノバンさまが領主さまを殺したって噂があるんだ」
「……は?」
「おいおい、冗談だろ?」
「俺も噂で聞いただけだがな…ここ最近、領主様の姿を見ねえのはそのせいだって話だ」
酒場の空気が一瞬にして重くなる。
「知り合いの屋台の親父がぼやいてたぜ、場所代が急に上がったってな」
「俺の知り合いの露天商の奴も同じこと言ってたなあ」
「…つまり、商人組合もグルってことか?」
「…ドノバン様も、な」
静かな怒りが、人々の間に広がっていく。
噂が噂を呼ぶ——混乱の街
一度広まった噂は、止まることなく街中を駆け巡った。
「教会の寄付金はどこへ行った?」
「孤児たちはどうなっている?」
「ドノバン様が領主様を殺したって本当か?」
「ルダミック商会とドロコソ商会の狙いは?」
日が落ちるころには、怒りと不安が街のあちこちで渦を巻いていた。
「このままじゃ俺たちの街があいつらにいいようにされちまう!」
住人たちは集まり、街の緊張が高まっていく。
教会の門の前には、ますます人が集まっていた。
「孤児たちを見せろ!」
「神父は説明しろ!」
教会は扉を閉めたまま、住人たちの怒りをどう鎮めるか迷っていた。
「このままでは暴動になりかねません…」
「神父様に相談を…!」
しかし、神父は青ざめた顔で首を横に振るばかりだった。
市場では、商人たちが次々と不満を口にしていた。
「場所代が上がりすぎだ!」
「商人組合は一体何を考えてる?」
露天商の間でも、ドノバン家宰や商人組合に対する不信が高まっていた。
「このままじゃ、商売ができねえ!」
酒場ではさらに疑惑が広がる
「ドノバンが領主様を殺したって話、どう思う?」
「さあな…けど、ここ最近、領主様を見ねえのは事実だ」
「それに商会と手を組んで、街を私物化しようとしてるんじゃねえか?」
一つ一つの噂が、やがて確信へと変わっていく。
「俺たちの街を守るために、何かしねえとダメだ!」
一部の住人たちは、次第に行動を起こし始めた。
まずは教会へ
「このままじゃ納得できねえ!俺たちが直接確かめる!」
一部の者たちは、教会に押し入ろうと扉を揺さぶる。
「神父を引きずり出せ!」
群衆の勢いは止まらない。
市場では、商人たちが対抗策を考え始める
「このままじゃ、商会に支配されちまうぞ!」
「場所代の引き上げに従う必要はねえ!」
露天商たちが商人組合の支配に反発し始める。
そして、領主館の前にも人が集まり始めた
「領主様に会わせろ!」
「本当に生きてるのか!?」
警備兵たちが門を固めるが、人々の不信感は高まる一方だった。
リーガム街はどうなるのか
噂が広まり、不満が怒りに変わるとき、街は混乱へと突き進む。
リーガム街が不穏な噂と怒りに包まれた一日が終わり、ようやく夜の静けさが戻りつつあった。
日付が変わる頃、街の騒ぎも少しずつ収まり、人々も疲れ果てて家路につく。
しかし、そんな中、領主館の一室では、密やかな話し合いが進められていた。
シマは領主館の中にあるマリウスの部屋にいた。
広々とした部屋には書棚や机が並び、薄暗い蝋燭の灯りだけが揺れている。
会話はなく、筆記でのやり取りが交わされる。
マリウスは机の上に羊皮紙を広げ、ペンを取るとすぐに書き始めた。
『噂を流したのは君たちだね?』
シマは静かに頷いた。
『これからどう収拾をつける気だい?』
シマは紙を手に取り、さらさらと文字を綴る。
『簡単さ。マリウスが収めればいい。』
マリウスは一瞬ペンを止めた後、少し困惑したように筆を走らせる。
『僕には権限がないとエイラに伝えてあったはずだけど?』
『その話なら聞いている。だが、街を守る覚悟もあると聞いた。』
マリウスの目が鋭くなる。
『具体的には?』
シマはためらうことなく次の一文を書いた。
『明朝、信頼できる者と行動を起こせ。領軍を動かし、教会、ドロコソ商会、ルダミック商会を名乗る商人、関係者、そして家宰ドノバンを拘束しろ。公衆の面前で公開裁判をするんだ。』
マリウスは深く息をつき、少し考え込んだ後、筆を走らせる。
『無茶苦茶だね君たちは。だけど、やるしかなさそうだね。』
シマは口元に微かに笑みを浮かべながら、新たな一文を記す。
『これ以上の混乱は避けたいだろう?』
マリウスはシマをじっと見つめ、再び羊皮紙に書いた。
『誰のせいなのかな?』
シマは少し肩をすくめ、淡々と筆を動かす。
『街の住人たちにお前の覚悟を見せてやればいい。奴らに言い訳ができないような質問を今のうちにまとめておけよ。』
マリウスは沈黙したままペンを握りしめていた。
決断の時
マリウスは深く息を吐いた。
この混乱を収めるために、自ら前に出るしかない。
『明朝、全てを動かす。』
そう書かれた紙をシマが確認すると、彼は静かに頷いた。
リーガム街が静寂に包まれる深夜——。
月明かりが街の外壁をぼんやりと照らし、冷たい夜風が石畳を撫でる。そんな中、一つの影が教会の裏口から音もなく抜け出した。
助祭ズーク。
彼の腕には、取っ手のついた黒革のケースがしっかりと抱え込まれていた。
その中には、大事な書類、公にできない文書、そして相当な額の金が詰まっている。
ズークは慎重だった。
音が漏れぬよう、金貨や書類は十重二重に布袋へ包み込まれている。
足音一つ立てず、まるで闇に溶け込むかのような動き——ただの助祭ではないことは一目瞭然だった。
外壁へと向かい疾走する彼は、迷いのないものだった。
「どこに行こうとしてるのかしら?」
——その声が、耳元で囁かれた瞬間、背筋に冷たい悪寒が走った。
襲撃
ズークは反射的に腰からナイフを引き抜き、薙ぎ払うように腕を振った。
しかし——手応えはない。
「ッ…!」
それでも彼はスピードを緩めず、すぐに態勢を立て直す。
ジグザグに走り、緩やかなカーブを描くようにして動くことで、相手の攻撃を避けようとする。
——だが、彼を狙う影は、まるでその動きを見透かしていたかのようについてくる。
「随分とつれないじゃない。」
その甘く囁く声に、再び身の毛がよだつ。
ズークは再び腕を振るった——が、次の瞬間、轟音のような衝撃がみぞおちを直撃する。
「——ッ…!!」
息が、できない。
吸えない、吐けない、肺が締め付けられるような地獄の苦しみ。
鈍い音を響かせながら、ズークの体が宙に浮く。
彼は気づいた時には地面を転げまわっていた。
——囲まれている。
三つの影が、三方向から忍び寄る。
ズークは歯を食いしばり、必死に呼吸を整えようとする。
だが、全身が痙攣し、痛みに苛まれ、うまく身体を動かせない。
月明かりが、彼を囲む三人の姿を浮かび上がらせた。
メグ、ノエル、リズ。
三人の女性たちは、どこか楽しげな表情を浮かべていた。
「…随分と大切そうな荷物を持っているわね?」
メグが、ズークの抱え込むケースをちらりと見下ろしながら言う。
「…ハァ…ハァ…」
ズークは何とか立ち上がろうとするが、痛みで思うように動けない。
「無駄よ。」
ノエルが低く言い放つ。
「私たちは、逃がすつもりはないもの。」
リズがズークの足元にゆっくりと歩み寄る。
「…チッ…!」
ズークは再びナイフを構えたが——
次の瞬間、メグの蹴りがズークの手首を捉え、ナイフが宙を舞った。
「終わりね。」
ノエルが呟くと同時に、リズが容赦なく拳を振り下ろした。
ゴッ——!
ズークの意識が、闇へと沈んでいった。
ズークが倒れるのを見届けると、メグがしゃがみ込み、ケースを開けた。
「…やっぱり、かなりの金額が入ってる。」
「証拠も揃ってるわね。」
ノエルが中の書類をざっと確認し、頷く。
「これで、教会の悪事を暴く証拠が手に入ったってわけね。」
「ふふっ、いい夜になったわね。」
リズが小さく笑う。
三人は静かに立ち上がると、荷物を手にし、ズークをす巻きにして引きずり、夜の闇に消えていった。




