確認
沈黙を破りエイラは王家特別監察官たちに向けて、王都に戻った後も身辺には十分気を付けるよう注意を促した。
彼女の言葉には、ただの警告以上に何かを察知しているかのような重みがあった。
王家直属の監察官たちですら、安全が保障されるわけではないということを示唆しているのかもしれない。
その後、エイラはマリウスに確認を取る形で質問を投げかけた。
「奴隷売買についてですが、基本的に衣食住は保証され、人権もある程度守られているはずです。また、奴隷が犯罪を犯した場合、その所有者にも責任が及ぶ。この点について、間違いはありませんか?」
マリウスは静かに頷いた。
「その通りだ。」
エイラは続けた。
「借金奴隷、犯罪奴隷、戦争奴隷、そして奴隷商による売買。これらが基本的な奴隷制度の枠組みだと理解していますが、違いはありますか?」
「大筋で間違いはない。」
マリウスはそう答えた後、奴隷制度の詳細について説明を始めた。
「借金奴隷は、債務を返済できない者が一定期間、奴隷として労働することで債務を返済する制度だ。ただし、期間が定められ、債務が清算されれば自由の身となる。犯罪奴隷は、重罪を犯した者が刑罰として奴隷に落とされるもの。戦争奴隷は、戦争捕虜や降伏した敵兵などが奴隷として扱われる場合だ。そして、奴隷商による売買は、合法的な市場での取引を指す。」
エイラはマリウスの言葉を受け、さらに問いを重ねた。
「では、違法奴隷とは何でしょう?」
マリウスの表情がわずかに険しくなる。
「違法奴隷とは、正当な手続きを踏まずに奴隷とされた者のことだ。たとえば、無理矢理契約を結ばせる、攫う、あるいは奴隷狩りと称して非人道的な行為を行うこと。これらはすべて違法とされる。」
「…例えばの話ですが」
エイラは慎重に言葉を選びながら続けた。
「教会が救済孤児を奴隷に落とした場合、それは違法にあたりますか?」
マリウスは即答した。
「当然違法だ。」
「では、それが発覚した場合、どのような処罰が下されるのですか?」
「教会といえども、法を破れば裁かれる。孤児を保護すると称しながら奴隷市場に売り払った場合、関与した聖職者は処罰されるし、教会の信用も大きく揺らぐことになる。ただし、権力のある組織が関与している場合、取り締まりが難しくなることもある。」
エイラは静かに頷いた。
彼女の目には、すでにこの問題を追及する決意が宿っていた。
「つまり、法の建前では違法だが、実態としては取り締まりが甘い可能性がある……そういうことですね。」
マリウスは表情を崩さずに答えた。
「そういう側面もある。しかし、だからといって見過ごしていい問題ではない。」
エイラは深く息をついた。
「王都に戻ったら、…出来る範囲で王家監察官方たちにも改めてこの件について調べてもらいたいですね。違法な奴隷取引がどこまで広がっているのか、王家の監視下であっても安心はできませんから。」
マリウスは静かに頷いた。
「その方がいいね。…くれぐれも慎重に。」
エイラとマリウスの間で交わされたこのやり取りは、単なる確認にとどまらず、違法奴隷問題の根深さを示すものだった。
王都に戻ったとき、果たして何が待っているのか――エイラの警戒心はより一層強まっていた。
エイラは改めてマリウスに向き直った。
「マリウス様、まだお話がありますわ。ただし、王家特別監察官方には聞かせられません。」
その言葉に、キャシーが食ってかかろうとするが、ジトーとトーマスが鋭い視線を送る。
キャシーは歯ぎしりしながらも一歩引いた。
班長であるジャンが肩をすくめながら言う。
「仕方あるまい……今までのことを考えると…我々も上役に質問されたら答えなければならんからな。」
「帰還命令が出ている。我々は帰路につく。」
ジャンはマリウスに向き直り、敬意を込めて一礼する。
「マリウス様、どうかご無理をなさらぬよう。」
監察官たちが去る際に、ジャン・クレベルはエイラたちに目を向けた。
「お前らは……心配するだけ無駄か。」
それに続くように、モーガンとワーレンが苦笑しながら言う。
「おまえらとは敵対したくないな。」
「そうなったら俺は逃げるけどな。」
エイラはその言葉にわずかに微笑みながら、マリウスに再び向き直った。
「それでは、本題に入りましょう。」
市場ではバランスが崩れている。乳製品の価格が突然上昇し、穀物が高騰する一方で、別の商会が安価で売り出している。
さらに布や鉄材は暴落し、一部の商会だけが安値で買い占めるという不自然な市場の動きが見られた。
「意図的に操作されています」
エイラの言葉に、マリウスは静かに耳を傾ける。
「考えられることは四つあります。市場の混乱、街の住人の不安を煽る、違法な奴隷売買から注意を逸らす陽動、そしてお家の乗っ取りです」
「…なるほど、合点がいくね」
マリウスは小さく息を吐いた。
「ドノバンの背後にはスニアス侯爵家がついているということだね。違法な奴隷売買が終われば、すみやかに街の安定を取り戻す。そして、その混乱を収束させたことで、ドノバンの影響力と信頼が益々増すというわけか…」
エイラはゆっくりと頷く。
「さらに、領主であるお父上は病に伏せ、あなたは騎士学校を卒業したばかりの年若い嫡子。頼りないと思わせれば、周囲はスニアス侯爵家に従わざるを得なくなるでしょう…聞けば、マリウス様には兄弟姉妹がいないとか。お母上もすでに他界されている…」
「ええ、その通りです」
マリウスは自嘲気味に微笑んだ。
「頼りになるのはブランゲル侯爵家。ブランゲル侯爵と父上、デシャン・ド・ホルダーは戦友でした。20年前の戦争で共に戦い、功績を挙げたことで、父上は封爵され男爵になった。しかし、それゆえに、他の貴族とはあまり親交がない…そして、ブランゲル侯爵家は第一王子派。一方、スニアス侯爵家は第二王子派。対立関係にあります」
「つまり、この街の混乱は単なる経済的な問題ではなく、王位継承を巡る貴族派閥の争いの一環でもあるわけですね」
マリウスは静かに頷いた。
「…そういうことになるね。ドノバンは、スニアス侯爵家の意向を汲みつつ、この街の実権を握ろうとしている。そして、それを達成するためには、僕の立場をさらに弱体化させる…」
エイラは鋭い目を向ける。
「ならば、我々がすべきことは明白ですね。違法奴隷売買の証拠を掴み、ドノバンとスニアス侯爵家の影響力を削ぐ。そして、街を安定させることです」
マリウスは苦笑した。
「…相手は強大だよ?」
「…俺たちとしても、貴族の陰謀に巻き込まれるのはご免被りたいところだが」
ジトーが肩をすくめる。
「まあ、俺たちが動いたところで、どうせ厄介ごとに巻き込まれるんだろう?」
「それが運命ってやつかもな」
トーマスが軽く笑った。
エイラは一歩前に進み、マリウスを見つめる。
「マリウス様、あなたはこの街を守る覚悟はありますか?」
マリウスは短く笑い、「覚悟なんてものはとっくの昔に決めてるさ」と答えた。
エイラは満足げに頷き、シャイン傭兵団とマリウスの連絡体制は慎重に整えられた。
連絡は一日一回、午前0時に行うこととし、領主館の2階にあるマリウスの部屋にて、傭兵団のメンバー1人が外部から侵入する。
その際、マリウスは事前に窓を開け、カーテンかロープを垂らして合図を送る。
基本的に会話は禁止され、筆記による情報交換のみが許される。
これにより、不用意な騒音や聞き耳を立てられるリスクを最小限に抑える。
マリウスから得るべき情報として、領主館内で信頼できる人物、領軍の戦力、そしてマリウス自身の人望が挙げられる。
信頼できる人物として、執事長のクレメンス、メイド長のオーラ、側近の3人――ハインツ、ポプキンス、ビリャフがいる。
彼らは幼少期からマリウスを支えており、領主館の内情にも詳しい。
特に執事長クレメンスは冷静沈着であり、館内の動きに細心の注意を払っている。
領軍の総数は1300名とされる。
決して少なくはない戦力だが、各部隊の練度や忠誠心にばらつきがある可能性があるため、慎重な判断が求められる。
マリウスの人望は「そこそこある」とのことだが、決して盤石とは言えない。
彼は若く、まだ完全に領主としての地位を確立しているとは言えないため、貴族社会や軍の支持をより強固なものにする必要がある。
そのためには、周囲の信頼できる人物と協力しつつ、住民の支持を得ることが不可欠。
この状況を踏まえ、シャイン傭兵団はマリウスとの連携を維持しながら、慎重に次の手を打つ必要があった。




